パラダイス・ロスト
祖父が死んだ。いくら嫌いな祖父とはいえ、葬儀には出席しなければならない。俺は祖父が住んでいた生まれ故郷を訪れた。ここは20年前とまるで変っていない。祖父と父が衝突し、10歳の俺をつれて出て行ったあの日から。その父も3年前に母と一緒に事故で亡くなっていて、これで俺は天涯孤独の身となった。
葬儀を終えた俺は小さい頃遊んだ秘密の場所へと向かった……。
◇◇◇◇
「なんかこの主人公、自己陶酔ひどくありません?唯一の身内なら喪主しなければいけないでしょうが。事務処理たくさんあるはずなのに、なにうろつき回っているんですかね」
「まあ、海外の話だから事情が違うのかもしれん。香典とかもどんなのか知らんし。教会とかが手伝ってくれるシステムがあるのかも」
つぐみと俺はクッキーを摘まみながら突っ込みを入れる。
◇◇◇◇
20年ぶりに訪れたそこは、昔のままだった。小高い丘に広がる、デイジーが咲き乱れる開けた場所。中央にそびえる大きなモミの木、ペンキの剝がれたベンチ、昔のままだ。
◇◇◇◇
「これ、勝手に入って大丈夫なんですか。公共地には見えないし、小さい子供が入るのはまだ許されるけど、30歳のおっさんが勝手に入ったら不味いでしょう」
「海外だと土地がいっぱいだから、そのあたりはルーズなのかもしれんな」
◇◇◇◇
俺は懐かしさに浸っていた。幸せだったあの頃の記憶が脳裏に甦る。あの日に帰りたい。
「……アーロン?」
俺を呼びかける声がする。懐かしいあの声で。
そこに彼女がいた。この20年間、ずっと思い描いていたあの姿で。
「エヴァ!」
俺は駆け寄り彼女を抱きしめる。あの日のままの、10歳の姿の彼女を。
◇◇◇◇
「……事案じゃないですか、これ。ロリコンは駄目でしょう、このご時世」
「……最近誤解からペドフェリアと罵られた奴を知っていてな。あまりにも不憫だった。確定するまで誹謗は控えよう……」
◇◇◇◇
「アーロン、わたしと一緒に来て。……行きましょう、あなたのいるべき世界に」
そういうエヴァの瞳は妖しく光っていた。海に浮かぶ不知火のように。
俺の背に恐怖が走る。俺は逃げ去った。エヴァから、この街から。
俺は自分の街に帰り、日常に戻ることにした。
◇◇◇◇
「何ヘタレてんでしょうね、この男。問題先送りしてどーするんですか。エヴァの子供って線もあるし、悪霊ならエクソシストでも雇うべきでしょうに」
「……つえーなお前。前見たときは『この先どうなるの』って反応だった気がするが」
「この6年でわたしもだいぶ鍛えられましたんで。いつまでも夢見る少女でいられません」
◇◇◇◇
あの街を離れ、それで終わりだと思った。だがそうではなかった。あいつはどこまでも追いかけてきた。仕事場に、家に、あらゆるところにあいつの影が付き纏ってきた。あいつからは逃れられない。俺は憔悴し、家から一歩も出れなくなった。
会社に行かなくなった俺を心配し、同僚のルーシーが訪ねてくる。ルーシーは俺に『何があろうと私は貴方を守る』と言い、俺を教会に連れて行く。教会ではルーシーの知り合いの司祭が出迎える。彼は『神は迷える子羊を見捨てません。必ず悪魔から貴方をお守りします』と誓ってくれた。
◇◇◇◇
「……アーロン、受け身過ぎません?自分で何一つしようとせず守ってもらう。主人公としてどうかと思いますが」
「随分と手厳しいな。お前の評価基準がハードル高めって気もするが」
「正義の味方の白馬の騎士が近くにいたもんで。……それにこいつ見てると昔の自分を見ているようで、むかつくんですよね」
……誰のことだろうな。物語は終盤へと向かう。
「ここから先は見てないんですよね。8年ぶりに続きを観ます」
◇◇◇◇
教会に保護され、久しぶりに安らかな眠りについた。深い深い眠りだった。
夢の中で、俺はあの丘の上にいた。エヴァとの思いでの場所だ。不思議と恐怖は無かった。
「……アーロン!」
エヴァの綺麗な声が響く。彼女は俺の胸に飛び込み、抱き着いた。
あんなに恐ろしかったエヴァなのに、今の彼女からは邪悪なものを一切感じられない。
「もう離さない……」
彼女は唇を近づけ、燃え上がるような口づけをする。熱い口づけのあと、俺たちは顔を離す。するとエヴァは魔法が解けたようにその身がどんどん大きくなり、20歳ぐらいの姿となった。彼女は蠱惑的な笑みを浮かべ、一枚一枚衣服を脱いでいく。生まれたままの姿になったエヴァは優しく地に俺を寝かせ、覆いかぶさってくる。
「私を受け入れて」
懇願するようにエヴァは囁く。……俺たちは結ばれた。
◇◇◇◇
「……『子供はこんなもの観てないで寝なさい』って言われた訳が分かりました。10歳の女の子にこれは見せれませんよね」
15歳の男の子にもきつかったけどな。あの後、親たちと微妙な空気になったのを覚えている。
◇◇◇◇
俺たちは満たされた幸福の海に沈んでいた。二人は寄り添い、互いの髪を撫で合い、お互いの存在を感じ合っていた。
突然空が暗くなった。空に亀裂が走り、そこから黒衣の男たちが現れる。
「堕天の使途エヴァよ、去れ」
先頭に立つルーシーが叫ぶ。後ろには教会に出迎えた司祭もいる。彼らは掌から光を発し、エヴァを攻撃していく。無数の光がエヴァを貫く。だがエヴァは黒い靄を生じさせ、それを吸収していく。空は光と闇で覆われた。
「アーロン、唱えて。『揺り籠よ、汝の務めは終わった。眠りにつけ』と」 エヴァが俺に呼びかける。
「だめ!アーロン。貴方は私たちが守る、永久に」 ルーシーが悲鳴なような声をあげる。
俺は交互に二人を見つめる。数舜の逡巡ののち、俺は叫ぶ。
「揺り籠よ、汝の務めは終わった。眠りにつけ」
エヴァは歓喜の、ルーシーは絶望の表情を浮かべる。
空は崩れ、天から闇が降ってきた。
気がつくと、そこは白い病室だった。
やせ細った腕に無数の管が付いている。管は色々な機械や点滴のようなものに繋がっていた。
俺は起き上がろうとするが力が入らない。まるで自分の身体ではないようだ。
「……アーロン!」
そこに嬉しさに震え、泣きじゃくる者がいた。
エヴァだ。10歳でも20歳でもない、俺と同い年の30歳のエヴァだ。
俺の脳裏にたくさんの光景が浮かび上がってくる。
崖から落ちるエヴァを庇い、彼女を抱きしめ地面に叩きつけられる10歳の俺。
いつまでも目覚めず日に日にやせ細る俺を、悲しそうな目で見つめる15歳のエヴァ。
「もう来なくていいのよ」と俺の母に言われ「お願いです。アーロンの側に居させてください」と泣きながら懇願する20歳のエヴァ。
「叔父さんと叔母さん、天国にいっちゃた。私はどこにも行かないからね。死んでもここに居るからね」と振り絞るように声をだす27歳のエヴァ。
すべてが俺に流れ込んできた。
「……アーロン、お帰りなさい」
エヴァは万感の思いを乗せ、言った。
◇◇◇◇
物語は終わった。俺たちの間に、言いようのない空気が流れている。
「エヴァの気持ち、重いって思いますか……」
つぐみは不安げな表情で尋ねてくる。
「重いっていうか、申し訳ないって感じかな。自分を助けてくれた恩返しか贖罪の気持ちかは知らないが、一人の人生を捧げてもらうなんて、仮に命を救ってもらったとしても、もらい過ぎだ」
つぐみは訴えるような哀しい顔をする。
「きっと、そんなんじゃないと思いますよ。つらいけれど、苦しいけれど、エヴァは幸せだったと思います。アーロンの側に居られて。その場所は彼女にとって、何物にも代えがたい物だったと思います」
どこか遠い目をしてつぐみは言う。
「帰りますね、明日もまた来ます。もう来るな、なんて言わないでくださいね……お願いですから」
つぐみは静かに帰っていった。……天国ってどんな形をしているんだろうな。
書いているうちに物語が違う方向に進んでしまいました。最初はつぐみが誘惑する話にするつもりだったのですが、そんな雰囲気じゃなくなりました。
これからも少しでも楽しんで頂ける作品を書いていきます。けれど作者の力以上の作品を生み出すのは皆さんの応援の力です。ブックマーク、星評価が何よりの力になります。ぜひお願いします。