フルスロットル
自宅に帰るのにここまで緊張するのは、生まれて初めてだ。
下手を打てば、自分の人生だけでなくつぐみの人生まで台無しにしてしまうのだ、当然だ。
家は間近だ。俺はこれからやるべきことを頭の中で繰り返す。
食事は外ですませた。風呂には入らず、朝シャワーを浴びる。
トイレは最小限に。室外機の音がしないようにエアコンはつけない。
あとは電気はつけず、携帯のバックライトで乗り切る。決して早川家からは見えないように気を付ける。
よし、ミッション・スタート。
昨日練習した通り、暗闇で鍵を開ける。
ドアも最低限の隙間しか空けず、開いたのを気づかせないようにする。
玄関で靴を脱ぐのも靴をしっかり持ち、物音をたてない。
携帯のバックライトを下に向け、窓から光が漏れないように調整し廊下を歩く。
……完璧だ。俺は成功を確信しつつリビングに向かった。
やった、到着だ。ほっと一息つく。
「お帰りなさい」
バックライトに、女の生首が浮かび上がり、喋った。
「ぐぎゃぁ」俺は変な悲鳴をあげた。
生首が、ぱちりとリビングの電気をつける。
つぐみ、この野郎。
「なんでお前がここにいる」
「小父さんたちに、旅行中の食事を頼まれましたので」
「頼まれたんじゃないだろ、もぎ取ったんだろ。それより、どうやって入った」
「小父さんに合鍵を預かりました」
「いくら隣でも、そんな防犯意識の低いことはしないだろう」
俺は疑いの眼差しを向ける。仮に預けるとしても俺に一言あるはずだ。
「ええ、私もそこまでは無理だと思っていました。けれど今朝状況は変わりました」
「……なにがあった」
「夢を見たんです。兄さんが倒れ、家人がいなくて助けもなく、一人死んでいく夢を。恐ろしい夢でした」
「縁起でもねえ」
お前は俺をどうしたいんだ。
「私の不安が見せたのでしょう。
私の策略で兄さんを一人にしましたが、それは危険を含んでいるのを失念していました。深層意識がその恐ろしさを教えてくれました。小父さんたちの留守中兄さんが倒れても、家に誰もいなければ、気づくことも助けることも出来ません。
その危険性を、出発前の小父さんたちにこんこんと訴えました」
「合鍵を預かるのに、それ以外の思惑は」
「一切ありません。あれば小父さんたちを説得出来なかったでしょう。
まあ合鍵をもらったあと、まてよ、これは使えるかなとは思いましたが」
そうだろうな、こいつはそういう奴だよな。
「一人の危険性を言うなら、お前も一緒だろ。お前の家の合鍵を俺に預けるという話にはならなかったのか」
「年頃の女の子が一人でいる家の鍵を若い男に?貞操の問題として有り得ないでしょう」
その問題に関しては、男女逆転しているんだがな。
「まあいい、俺は一人で大丈夫だ。合鍵を返せ」
「嫌です、絶対返しません。これは兄さんのためだけではありません。私のためでもあるんです。兄さんが死んだ夢を見た、私の気持ちが解りますか。
なんでこんな事をしたんだろう。私はなんて愚かなんだろうと自責の念に押しつぶされそうでした。もし鍵を返せというなら、私は兄さんと一緒に寝ます。意地でも離れません」
ああ、こいつはもう。
「わかった、鍵は預ける。だから自分の家に帰って寝てくれ」
「はい、これ以上兄さんに心労をかけてはいけないので帰りますね。
寝る時は必ず電気を消してください。もし点いていたら、真夜中だろうが押しかけます。夕食は作ってあるので召し上がってください。」
つぐみは去った。あとに残ったのはえも言われぬ虚脱感である。
キッチンに行くと、揚げたてのコロッケがあった。
手作りだ。これ、作るの大変なんだよな。
皮むいて、ふかして、つぶして、揚げて。手間も時間もかかる。
飯は食ってきたんだが……。
俺は胸やけを覚えつつコロッケを食べる。
美味しい。
俺が食べているのは、じゃが芋やひき肉や玉ねぎの塊ではない。
ここに詰まっているのは、少しでも美味しく食べてもらいたいという気持ちだ。
愛情とかの話ではない。
じゃが芋は塩水でしっかり下味をつけ甘みを引き出し、バッター液をつけてからパン粉をつけたおかげか衣もきれいについている。
手抜きも時短も一切なしだ。
こんなもの作りやがって、あの馬鹿野郎。ちょっとは自分のこと労われ。
本日2回目の投稿です。
久々のつぐみ登場。やっぱりこの娘は書いていて楽しーわ。
本日午前中、日刊ランキングに載りました。皆さんのおかげです。ありがとうございました。
すぐ消えてしまいましたが、またランキングされるよう頑張ります。
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