3-2 新しい友達
午前八時四十五分の教室に入ると、談笑していた生徒たちが「おはよう」と続々と声を掛けてくれた。私と同じ短期大学からの編入組と、四月から知り合った面々だ。夏らしい涼しげな装いの男女に、私も「おはよう」と挨拶してから、教壇から離れた空席に座った。私は前列の席でも構わないけれど、もうすぐやって来る友達が、後列の席のほうが落ち着くと言っていたからだ。
リュックから英語の教科書を取り出していると、「澪ちゃん、おはよう!」と今日の太陽みたいに明るい声が降ってきた。すぐ隣を見上げた私は、大学三年生になってから友達になった女の子に微笑んだ。
「巴菜ちゃん、おはよう」
「今日も暑いねえ。あっ、ワンピース可愛いね」
西村巴菜ちゃんは、席に着くなり楽しそうに喋り始めた。ふわふわのロングヘアーを緩いお団子にまとめた巴菜ちゃんが、身だしなみに手を抜いた姿を見たことがない。今日はデニムのサスペンダー付きスカートにTシャツを合わせていて、明るい茶髪と活発そうな笑顔がトレードマークの巴菜ちゃんによく似合う。
そんな巴菜ちゃんに褒められると、私はいつも照れてしまう。「ありがとう」と伝えると、「澪ちゃんは今日も可愛いなあ」と言われるから、「巴菜ちゃん、今のは少しおじさんっぽいと思う」と言い返すところまでが定番だ。巴菜ちゃんは、私が机に拡げたルーズリーフを見ると、大きな目をさらに見開いた。
「澪ちゃんは、今回も一限の予習が完璧だね」
「完璧かどうかは、分からないけど……英語は、特に頑張りたいから」
「すごいなぁ。英語の講義ってだけでプレッシャーなのに、英会話教室まで通い始めるんだもん。今日はレッスンの曜日だよね? あたしには絶対に真似できないし、偉すぎる。大祐に爪の垢を煎じて飲ませたいくらい」
幼馴染だという男の子の名前を出して、巴菜ちゃんはしみじみと言った。ちょっと私を持ち上げすぎている気がしたので、「星加くんも、ゼミで活躍してるよ。こないだの発表のときも、すごく堂々としてた」とフォローを入れると、巴菜ちゃんは意表を衝かれた顔をしてから、慌てた様子で真面目な表情を拵えて、真剣な口調で言った。
「澪ちゃん、忙しすぎじゃない? あんまり無理しちゃダメだよ?」
「ありがとう。気をつけるね。今日はゼミがないから、そこまで忙しくないよ」
「でも、代わりにバイトがあるんでしょ?」
「うん。でも、今は頑張りたいんだ。目標があるから」
「ああ、彼氏さんのため?」
思わぬ指摘を受けて、私はひっそりと狼狽えた。彗のため、と言われたら、決して間違いではないけれど、学びを追求したいというこの気持ちは、彗だけのためではない。
「海外留学の間、待っててって言われたけど……会いに行っちゃだめなわけじゃないし、もしそのときが来たら、言語の壁で彗を困らせたくないの。それに……」
最後まで言う前に、チャイムが鳴った。男性の英語教師が入ってきたので、巴菜ちゃんが「ああー」とつらそうな呻き声を上げている。この授業では日本語を使えないので、昨年の私なら、巴菜ちゃんと同じ気持ちになっていただろう。今だって緊張していないわけではないけれど、それでも挑む度胸なら、多少は鍛えられたと信じたい。
「ねえ澪ちゃん、英会話教室って楽しい? あたしもアリス先生に教えてもらったら、苦手意識がマシになるのかなあ」
巴菜ちゃんは小声でひそひそと言ったけれど、地声が大きいので教壇まで響いたようだ。強面の教師に睨まれて、宿題の英文を片言で読み上げる羽目になっている。
次に当てられるのは、私だろう。少しだけどきどきした私は、来るべき指名に備えて、前を向いた。




