表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
油彩画・夜明けのミモザ  作者: 一初ゆずこ
第3章 ひまわりと星月夜のシャンパーニュ・ア・ロランジュ
17/59

3-1 モーニングコール

 スマホのアラームが、枕元で電子音を響かせる。午前七時三十分。私は、ベッドから起き上がった。

 急いでアラームを解除して、一息ついてカーテンを開け放つ。純白の鋭い光が、1Kの薄闇うすやみを照らし尽くす。気を抜けばまた閉じそうになるまぶたをぐっと開けて、窓も思い切って開けてみた。むっとした七月の風が、切りそろえた前髪を揺らしていく。

 色とりどりの屋根が拡がる街の彼方かなたで、入道雲のソフトクリームが、ちょっぴり欲張よくばってコーンにクリームを多めに載せたみたいに、もくもくと青空の高みを目指している。一階下の植え込みから、せみがシャワシャワと元気よく鳴いていた。

 今日も、暑くなりそうだ。一日の始まりの風を浴びた私は、窓を閉めて鍵を掛けると、パジャマのまま台所に向かい、冷蔵庫からピザトーストの具を取り出した。豚挽肉(ひきにく)とみじん切りの玉ねぎ、トマト、ピーマンをいためて塩胡椒を振ったものを、冷凍してストックするように工夫してから、慌ただしい朝が楽しくなった。色鮮やかな具材を食パンに載せて、チーズを気分に任せてトッピングすれば、朝食の準備は万端ばんたんだ。トースターがチーズを溶かしている間に、洗顔を済ませた私は、クローゼットの前に立つ。

 白いトップスにふじ色のロングスカートか、それとも、絢女あやめ先輩が選んでくれた水色のワンピースか。少し悩んでから、ワンピースをハンガーから外した。

 服を着替えたタイミングで、軽快なメロディがピザトーストの焼き上がりを教えてくれた。カフェオレを急ピッチで用意した私は、ローテーブルに朝食を運んだ。その頃合いを見計らったかのように、窓際でスマホが鳴った。

 画面に表示された名前は、一文字だけ。――『彗』だ。私は通話ボタンをタップすると、起き抜けの掠れた声で挨拶した。

「おはよう、彗」

『おはよう、澪』

「また、彗に先を越されちゃった」

『そうだね。今日も、僕のほうが早かった』

 電波に乗って届く彗の声は、ほんの少し得意げだ。彗が大学四年生になったばかりの頃は、私がモーニングコールを担当したのに、たった三か月で立場が逆転してしまった。あと五分でも早起きできたらいいのかもしれないけれど、たかが五分、されど五分。しっかり眠っておかないと、私は大学三年生という新しい毎日に挑めない。

『澪。今日はバイトだったよね』

「うん。遅くなるけど、アトリエに行けるよ。行っても平気?」

『もちろん』

 彗は、すぐに答えてくれた。『楽しみにしてる』と付け加えてくれたから、私は我ながら弾んでいると分かる声で「うん」と返した。最近知ったことだけれど、私は自分が思っているよりも、ずっと単純な人間だったみたいだ。

『じゃあ、いってらっしゃい。いつもの時間より遅いときは、迎えに行くから』

「うん、ありがとう。彗も、いってらっしゃい」

 通話を終えた私は、ピザトーストにかじりついた。焦げたチーズと胡椒こしょうの風味と、じっくりいためた肉と野菜が持つ甘みを、じんわりと幸せな気持ちで噛みしめる。以前にアトリエで彗と食べたときは、画壇がだんの知り合いから頂いたという黒オリーブも輪切りにして加えたから、いろどりと味わいがより豊かだったことを思い出した。今度スーパーで買ってみよう、と心のメモ帳に書き込んでから、私は身支度を整えると、勉強道具がぎっしり詰まったリュックを背負って、玄関に急いだ。お気に入りのパンプスを履いて、備え付けの飾り棚を振り返る。鳥籠とりかごの形をした写真立てを、ここに先月から飾っていた。

 銀色のフレームには、昼下がりのアトリエの庭と、満開の黄色の花を描いたポストカードが収まっている。彗が三月に完成させた油彩画が、ありふれたインクジェット紙に魔法をかけて、おおらかな色彩を吹き込んでいた。

 個展で評判が良かった絵画のうち数点が、先日ポストカードになったのだと、私に報告した彗の声には、このミモザが持つパウダリーな甘さのような、ほんのりとした自信と嬉しさが宿っていた。けれど、なんとなくモーニングコールで主導権を握ったときのほうが、より誇らしげに感じたのはなぜだろう。

 ともあれ――約束の絵とは異なるけれど、彗の夢が叶う日に、また一歩近づけた気がして、私も嬉しい。自然と笑みが零れたけれど、腕時計を見て少し慌てた私は、一人暮らし三年目のアパートを飛び出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ