- 第1章 - 祈祷師8
* * *
『ふむ、着いてきてはいないな。』
山道に入って数分歩いた頃、ハクは突然物騒な事を言い出した。
くるりと巻いた尾をピンと逆立て、周囲を忙しなく見渡している。
まるで、自身の尾を危険察知レーダーのように扱っているみたいだ。
…もうその変な姿に動じないぞ。
「え、何?まさか…幽霊か?」
『いや違う。敵だ。』
「諦めて帰ったんじゃ無かったのかよ!?」
てっきり自転車で撒けたと思っていた。競輪選手顔負けのスピードを出したはずなのに。
今も太腿に残る疲労感を思い出すのと同時に、当時感じた恐怖が再び蘇って来る。
「待てよ、もしかして新しい敵か?」
『いんや十中八九、自転車で遭遇した敵じゃろう。
だがそうじゃな、恐らくこの感じは増援を呼んでいるな。』
「そこまでして俺を殺したいのか?!」
『…そうじゃろうな。殺意がここまで伝わって来るわい。
この山を選んだのは正解じゃったな。』
ハクはふんふんと鼻を鳴らし、目を閉じる。
『お主は感じておらんかも知れんが、この山に結界が張られているようじゃ。
それもとびきり強力なのがな。』
「へーその烏天狗のおかげなのか?すげーな…」
その時だった。
____オオオオオオオオオ……!!!!___________
突然前方に、旋風が湧き起こる。
無念に満ちたもの悲しい叫び声が木から木へと反響し始めた。
「な、なんだ?!」
『くっく、現れたな。』
黒いもやがどこからともなく出現する。
懐中電灯の明かりがチカチカと瞬き、やがて消滅した。
街頭一つないこの山中では致命的だ。とてつもない恐怖心に襲われて、息をするのも難しい。
オオオオオオオオオオ!
段々と叫び声が近付いて来る。と同時に、視界が暗闇で完全に包まれた。
もはや何が起こっているのか到底識別できない。
俺は平衡感覚を保てずに、その場で片膝を付いてしまった。
そうだハクは?
側で浮遊していたハクは無事だろうか。
恐怖心を必死に抑えて、思わず閉じてしまった瞼を上げる。
…その行動を後悔した。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
顔を覗き込まれていた。
眼前に赤い双眼。耳元で響く叫び声。
喉がひり付き、声を出すのもままならない。
怖い。
そんな俺の心情を嘲笑うように、赤い双眼はさらに醜く歪んだ。
これ以上は限界だ。恐怖心が最高潮に達し、意識が遠のいて行く。
ふらりと体が傾いた…が。
『しっかりせえ!!』
聞き慣れた声と、右頬の痛み。
『大丈夫だ。此奴は幽霊などではない!
お主も、なんじゃその形は!』
耳元で思いっきり叫ばれたおかげで、意識を取り戻した。
今尚も、俺の右頬を引っ張り続ける手を払い除ける。
「だー!痛えんだよ!」
『健がシャキッとせんからじゃろうが!』
心底不服だが、一応状況を変えてくれた事に礼を言った…心の中で。
「んだよ、もしかして知り合いだとか抜かすんじゃ無いだろうな?」
『知り合いも何も、此奴じゃよ。』
「ん?」
『烏天狗じゃ。』
「…はあ!!!?」