小さな英雄(リトルブレイブ)編 CHAPTER Ⅱ. 8
8.
「昊姉ぇ、もう終わりにしよう。こんなやり方は、間違ってる。誰も喜ばないよ」
昊姉ぇは何も言わなかった。僕たちの間を沈黙が通り抜ける。その奥で、オーバーロードによる戦いの轟音が鳴り響いていた。これ騒音とかで近所迷惑になってたり、警察に通報されたりしないんだろうか・・・・・・。こんな状況でも、些細なことに気を取られるのは僕の悪い癖だと思う。けれど、この僕たちの間にある緊張感が、逆に意識を外に連れ出そうと躍起になっている。そんな気がした。
「ねえ、大地。大地は私がまた走れるようになって嬉しい?」
その沈黙を破ったのは昊姉ぇのほうだった。
僕は、取り繕うことはせず正直に答えた。それが誠意だ。
「嬉しいよ。でも、誰かを傷つけてることに気が付かないで喜んでるような、そんな昊姉ぇは嫌いだ」
「傷ついてる・・・・・・?誰が?誰を傷つけたの?」
昊姉ぇは笑ってはいなかった。
「ねぇ大地。私はね、ずっと走ってきたんだ。大地が私の走りをすごいって言ってくれたから。あの日から、私は大地の目標で、憧れで・・・・・・盾としてあなたの良き姉になろうと頑張ってた」
「・・・・・・うん」
「大地は弱いから。誰かが守ってあげなくちゃいけないんだ。だから私は、憧れの姉でいることで、大地を守ろうとしたんだよ?」
「・・・・・・・・・うん」
「私は、多分、理想の私になれたと思う。でも、でもね。傷ついてこなかったわけじゃないんだよ。私が速くなる度に誰かが落ちていく。私が、良い人であろうとすれば誰かが妬む。でも大地のためだって、そう思って頑張ったんだよ。それでも、私は私の居場所をもうなくしてたんだ・・・・・・!」
「そんなことない!昊姉ぇが怪我をしたって聞いてみんな心配してた!宮嶋先輩や笹木先輩も・・・僕だって!」
昊姉ぇが何を言いたいのかまるで分からなかった。いや、分かりたくなかった。だってこれはまるで・・・・・・。
「佐瀬のこと知ってるよね・・・・・・?」
心拍が一気に跳ね上がる。
佐瀬明。僕たちが相対した最初のオーバーロードの宿主であり、僕をいじめていた連中のリーダー格。そして、かつて昊姉ぇの恋人だった奴。
「あいつが私を襲った時にね言ったの。お前がいたから、あいつは俺にいじめられたんだ、て。大地がいじめられていたのは知ってた。だから私が、私の知名度が上がればそれが盾になるんじゃないかってそう思ってたんだよ。でも、違った。私が、私の存在が大地を苦しめていた!私じゃ大地を救えない!」
昊姉ぇは、こんなにも僕のことを考えていたなんて知らなかった。僕の方こそ、昊姉ぇは自分と違う世界の人なんだ、僕と違って輝ける人なんだって、そうやって自分の方から一線を引いていた。
「そんな時に、彼が現れた」
「!・・・・・・白彌、くん」
「そう。白彌瑞月。あいつは私ができなかったことをこの学校に来て一週間とかからずにやってのけた。大地も少しだけ明るくなった。私は、私は今まで何をやってきたんだろう。なんのために、走ってきたんだろう・・・・・・」
昊姉ぇは僕の憧れであろうと必死だった。そこにどんな苦難があろうとも、一心不乱にやり通した。そして、ついにその目標を失った。誰よりも強い輝きを持つ白彌瑞月によって。そして、昊姉ぇは走るための脚さえも失った。
それはどんな絶望だったろう。これまで信じてきたもの全てに裏切られる感覚。想像するだけで胸が痛い。けれど、これは想像の痛みでしかない。本人が実際に受けた苦しみになど、遥かに及ばない。
だから、願った。
それが何をもたらすのかも全てわかった上で。
彼女は、自分が再び憧れであり続けられるように、さらなる速さと強靭な身体を望んだんだ。
そこに、自分でも無自覚だった歪んだ悪意が入り交じってしまった。
あのオーバーロードは、そんな昊姉ぇの強い願いと悪意が織り成した歪な存在なんだ。
それが、あのオーバーロードの破壊衝動に繋がった。
「昊姉ぇ」
僕は、見せなくてはいけない。もう後ろに隠れて甘えるだけの僕じゃダメなんだ。昊姉ぇは、僕のために前へ踏み出した。ならば僕もただ一人の姉のために、勇気を見せなきゃ行けないんだ。
「僕と、競走しよう」
「・・・・・・!?どういうつもり大地」
「言った通りだよ。このグラウンドのトラック一周分、でいいのかな。そこで僕と走るんだよ」
「大地、ふざけているの?それともバカにしてる?大地が私に勝てるわけないでしょ」
「ううん、ふざてないしバカにもしてない。勝てるわけないってのも分かってる。けど───」
「・・・・・・?」
「───見せたいんだ僕の本気」
「そんなに、私から離れたいんだ」
違うよ昊姉ぇ。僕は・・・・・・。
「わかった。身の程教えてあげる。大地は、私が、守るんだから!」
スタートラインに並び立つ。そこにいるのは陸上界でも期待の新星と謳われたランナーである相川昊。かたや、陸上どころか運動全般が大の苦手なド素人、僕こと三崎大地だ。
制服ではフェアじゃないからと体操着に着替える時間を貰えたのは幸いだった。感情のままに流されないで済む。クールダウンの時間は必要だった。とはいえ今から競走するわけなのだから、ウォーミングアップ、と言うべきなのかもしれないけど。
遠くからは未だ戦いが続いている。
念話で白彌くんにスタートの合図をお願いしていた。と言っても銃から放たれるフラッシュをこちらが勝手にスタートの合図にするだけなのだが、一応伝えておいた方がタイミングも合わせやすいだろう、という考えだ。
言うまでもなく白彌くんからは呆れた返事を頂いた。
「昊姉ぇ、スタートは次に白彌くんが銃撃をした時だよ。光と音でわかると思う。いい?」
「うん。もちろん」
一瞬で空気が変わる。距離はおよそ400メートル。これは勝つことが目的じゃない。だが手を抜くつもりなんて毛頭ない。
昊姉ぇには申し訳ない気持ちになった。僕は心の中で白彌くんと繋がっている。いつ、銃を撃つのか直接白彌くんと合わせることが出来る。
だから本の数秒でも、わずかに僕が──撃つぞ!──早く動ける!
光が放たれわずかに遅れて音が鳴り響く。
飛び出した。それでも、僕の脚じゃたかが知れている。ズルをして勝ち取ったアドバンテージも10メートルもしないうちに無くしてしまった。最初のコーナーを曲がる頃にはもう半周以上の差が開いていた。
くっそ、きつい!息が上がる。こんなに全力疾走したのはいつぶりだったろう。きっとこれは僕の人生の中で1番全力疾走したに違いない。いやそんなことはどうでもいい。僕は見せなきゃ行けない。昊姉ぇに、僕は一人でもやりきれるんだって所を!
「う、うおおおおお〜〜〜!」
最後のコーナーを曲がり、ゴールまで突っ切る、はずが脚が動かない。ガス欠。こんなにも体力がないのかと、自分を戒めたくなる。だがこんなところで諦める訳には行かなかった。
重い足を引きずるようにしながらも腕を振った。呼吸は浅く、思うように息を吸えない。昊姉ぇはもうとっくにゴールをしてこちらを見ていた。
あんな啖呵を切っておいてこのザマだ。呆れてものも言えないだろうな。それでも、僕は・・・・・・。
「大地」
「昊姉ぇ・・・・・・僕は、ね。もう、守られてるだけの僕じゃ、ないんだ。・・・・・・逃げてばかりだった僕が、逃げないで、僕より強い昊姉ぇに挑んだんだよ。昊姉ぇなら、この意味、わかるでしょ・・・・・・?」
「大地、やめてよこんなの、なんの意味もない。結果なんて初めから分かってたじゃん・・・・・・!」
そんなの分かってるさ。でも、こうでもしないと、向き合えない気がしたから。だって、僕が初めて助けたいって思った人だから。僕の大事な、家族なんだから。
「諦め、ないっ!」
やっとの思いでゴールにたどり着く。他の人にとって短い距離でも僕にとっては長く険しいものだった。
「昊姉ぇ。僕は、もう、守られてるだけの僕じゃないよ。これからはちゃんと一緒の場所で生きていくから。1歩引いた場所じゃなくて、昊姉ぇのいる、おじさんやおばさんのいる、そして白彌くんや他の人たちと同じ場所にたって世界を眺めるから。だからもう、大丈夫」
「そんな、ことを言うために、わざわざこんな競走を?」
「うん。だめかな?」
「・・・・・・バカ。バカバカバカバカバカっ!なんでっ!こんな・・・・・・っ」
「昊姉ぇが納得できないなら、もう一度でも何度でも僕は挑むよ」
実際もう体は限界だった。でも僕の言葉に嘘はない。昊姉ぇが納得するまで何度でも走るつもりだった。
「いいよ、そんなの。大地はちょっと見ないうちに強く、なったんだね。なんだか、妬けちゃうなぁ」
昊姉ぇの顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「私、どうしよう。みんなのこと傷つけちゃった。大怪我、させちゃった。私、私っ」
「任せてよ昊姉ぇ。昊姉ぇがやった事は昊姉ぇが償うことだけど、アイツのことは僕たちの役目だから。」
「・・・・・・大地?」
「だから、昊姉ぇはただ祈っていて欲しいんだ。純粋に走り続けることを願っていたあの気持ちを。昊姉ぇの歪んだ悪意は僕たちが倒すから」
『待ちくたびれたぞ、大地!』
モノケロースは目に見えて弱っていた。昊姉ぇの契約の証である願いがその執着から解き放たれたからだろう。
「行こう、白彌くん!この戦いを終わらせるんだ」
『ああ、行こうぜ大地。ここからが俺たちの戦いだ!』
僕たちの思いに反応するかのようにルミナスアークが輝き出す。その光を空に掲げるとルナティクスへと力が集まっていくのがわかった。
「これは・・・・・・」
『よくわかんねぇけど力がみなぎる・・・・・・!』
ルナティクスの十一個のコアがリンクする。その光は、やがて全身を青くひかり輝かせまるで美しい満月のようだった。
「『ルナティクスオーバーロード・フルムーン!!』」
光が集束し、ルーンバレットの銃口に集まる。
すると、円形のガードに沿うようにしてバレルが上下に別れ巨大な銃口が姿を現した。
『これがこいつの本当の力、ってわけだ。いくぞ───』
《ルーンバレット・フルバースト》!!!
銃口から巨大な光線が延びる。
モノケロースは逃れようとその俊足を使い距離をとる。しかし、放たれた光線は先端で枝分かれしたかと思うと無数の弾となって一気にモノケロースへと向かう。縦横無尽に襲い掛かる光の弾からは逃れられず夜空を眩い光が弾けた。
モノケロースは大きく砂煙を巻き起こし地面に倒れた。
しかしかろうじて動けるようだ。わずかに手足をもがき立ち上がろうとする。
『あれで倒せなかったか。いくぞ大地!これでトドメ────』
「待って!」
ルナティクスを静止したのは僕じゃない。昊姉ぇだった。
「昊姉ぇ・・・・・・?」
「私が、やるから」
そう言うとゆっくりと前へ歩き出す。
「私がちゃんとけじめをつけなきゃいけないことだから」
また一歩昊姉ぇはモノケロースのもとへ歩み寄る。
「昊姉ぇっ!」
「よせ、大地」
オーバーロード化を解き光の中から白彌くんが戻ってきた。
「あれはもう、人を襲わない」
そうか、オーバーロードは願いを歪める訳ではない。それは今回のことではっきりとした。佐瀬明の場合は、純粋な力と復讐を望んだためにあれほどまでに凶暴なオーバーロードが生まれた。しかし、このモノケロースは違う。相川昊の優しさと親愛、そこにわずかな悪意が入り交じって生まれた。
そして、その悪意は昊姉ぇの中から消え去った。ならば、今あそこで弱々しい姿を見せるあれこそが本来の一角獣座のオーバーロードということなのか。
「今までありがとう。私のために、代わりに傷ついてくれてたんだね。でも、もういいんだよ。もう、強がらなくていい。もう誰かのヒーローにならなくていいの」
昊姉ぇは贖罪と懺悔の思いを込めて自分の願望の化身を慰めた。そしてモノケロースもまた、その想いに応えたように見えた。
「ありがとう。おやすみモノケロース」
そして、一角獣は淡い光となって夜の闇へと溶けていった。
「大地。それに白彌くんも。本当にごめんなさい。そして、ありがとう」
昊姉ぇの顔にあの日の優しさが戻っていた。
「ううん、こっちこそ。今までありがとう」
「よし、じゃあ被害にあった宮嶋先輩を病院に送ろう。そんで俺たちは撤収だ」
────ありがとう、私の小さな英雄。
後ろから微かな声でそう聞こえた気がした。
僕は振り返るそして苦痛に悶え倒れゆく昊姉ぇの姿をただ呆然と見ていた。
昊姉ぇの脚に無数の痣が浮き上がり、それはやがて黒いもやとなって脚を覆い尽くすとゆっくりと霧散した。
何が起きたのか分からないまま、足音とともに「力の反動か!」と声が聞こえた。
僕はただ、狼狽えることしか出来なかった。
気づけば僕は、しきりに昊姉ぇと叫んでいた。声が枯れるまで・・・・・・。