四 船を探して
それからは、平坦な草原や街を伝って北へ北へと進んで行く。
日が昇ってから沈むまで歩いても、なかなか進まない。「やっぱ、思ってた以上に世界って広いんだね」
「そりゃあそうだ。俺もほとんど王都から南しか知らないが、かなり距離があったぞ」
そして旅出から十日目。
一行は相変わらず徒歩で、ある所を目指していた。
それは王都。
「順調に行けば今日の夕方ぐらいには王都へ着く筈だ。……だが、そこまでに難所がある」
地図を見ながらのケビンの言葉に、ニユは首を傾げる。「難所って?」
「王都は湖に囲まれている……、というか、湖の上に作られた都市なんだ。湖の東西南北には王都に入る為の橋が架けられていたのだが、問題は、ドンの襲撃の際にそれが全て落ちてしまった事なんだ」
「だから、湖をどうにかして渡らなければならない、という事です?」
金髪の少女に、黒髪の少年は頷いた。
しかし、そんな問題ならすぐ解決できるではないか。「船を買って渡れば、良いんじゃない?」
「違うんだ。元々あそこには橋が掛かっていたから、今までは船なんて必要なかった。だから、持っている人は極小数と思った方が良い。今はそれも貴重だから、売ってくれるかどうか……」そう言ってケビンは、困り顔で溜息を吐いた。「湖を迂回する方法もあるが、あまりに遠回り過ぎる」
確かにそれは困った問題である。
「とにかく湖の最寄りの街へ行くです。そこで船を持っている方を探し、譲って貰うです」
グリアムの言う通りだ。
「事は試し、今から心配しててもしょうがない。早速その街へ行くよ!」
彼方に視線をやれば、そこには広大な海――、否、湖が見える。
ここは王都を囲む湖から南の最寄りの街、ペズン。
まず必要な買い物を済ませた三人は、船を持っている人を探して三手に別れ、街を歩いていた。
「船を持ってる人とか知りませんか?」
街を巡り、会う人会う人に尋ねてみるニユ。
だがみんな首を横に振って、「知らないね」とか「あったら欲しいぐらいだよ」とか「船なんて、必要ないからねえ」とか「おれも王都へ行きたいんだが、誰も持ってないみたいだよ」とか、ろくな返答を得られなかった。
日が天高くから少しだけ西へ傾いた頃、背負い鞄の中に入れていた昼食を食べながら街を歩いていると、遠くからニユを呼ぶ声が下した。「お嬢様、調子はどうです?」
言うまでもなく、グリアムである。
三つ編みの金髪を振り乱しながら駆け寄って来た彼女に、ニユは首を振るしかなかった。「ごめん。こっちは全然ダメ。グリアムはどう?」
「ごめんなさいです。私奴の方も、誰も知らないと」
「そっか……」
すぐそこに見える湖を見つめながら、ニユはあそこなら泳いで行けるのではと一瞬考えたが、旅仲間三人とも泳ぎは苦手だし、意外と湖は広大なので即却下。
さて、どうしたものか。
聞き込みを始めてもう三、四時間が経過しているが、ニユの探していた住宅街エリアにも、グリアムの探していた商店街エリアにも、知る人はいなかったようだ。
「残りは裏路地エリアだけか……。ケビンと合流しよう」
「はいです」
そうして少女達は、昼食を食べ歩き、それぞれワンピースとメイド服を揺らしながら、黒髪の少年の元へ向かったのだった。
懐かしの湖を遠くに眺めながら、ケビンは入り込んだ裏路地を進んでいた。
いつもあの湖を城の自室から見下ろしたものだが、下から見るとなんだか凄く広いように見えるから不思議だ。
ちなみにケビンが何故、王都から南へ脱出できたのかと言えば、その時はまだギリギリ橋が掛かっていたからだ。だが彼が渡り終わるのを見計らったかのように崩落してしまった。意地の悪い話である。
「そんな事より、早く船を手に入れなくてはな」
路地の突き当たりを右に曲がり、進んで左に曲がり……。ともすれば迷ってしまいそうな道の中を、ケビンは軽やかに歩いていく。
「王都、か」
もし船が手に入れられれば、彼らは王都へ向かう事になる。
だがケビンの心中はなんだか妙な感情に掻き乱されていた。
王都を見たくない。
ずっと城の窓から見下ろし続けた、平和な都市。
だが最後に見た王都は、魔人ドンに襲われて火の手に包まれ、人々が泣き叫ぶ地獄絵図だった。
そんな事件の後、一体どうなっているのだろう。
考えるだけで、恐ろしかった。
「だが……」
だがそんな理由で足を止める訳にも、遠回りする訳にもいかないのだ。
と、突然、ケビンの視界に、ひっそりとした裏路地に並ぶ家々とは明らかな違和のある建物が飛び込んで来た。
それは、豪邸だった。
煌びやかな装飾が施された石造りの屋敷だ。
少年は誘い込まれるように、屋敷の戸を叩いていた。
「どちら様でございましょう」
出て来たのは、年若いメイドの娘だ。
「俺は旅の者だ。王都へ行きたいので、船を譲って欲しいのだが……、この屋敷に、船はあるだろうか」
メイドの娘はしばらく黙り込んで、不審げにケビンを見つめる。「ございますが」
「なら、この屋敷の主人と話がしたい」
ややきつい口調で言い、藍色の瞳で睨み付けてやると「はい、お待ち下さい」と少したじろぎながら、娘は邸内へ消えて行った。
そして戻って来るなり、「よろしいそうです。どうぞ、中へ」とケビンを中に招き入れ廊下を扇動して歩き、娘は一つの豪華なドアをノックする。「旦那様。入らせて頂きます」
その応接間と思われる部屋は、豪華に彩られ、とても立派だった。
そして中央、明らかに高価な椅子に掛ける老人の姿がある。
「儂は子爵、ポーメンじゃ。お客人、船が欲しいとな」
子爵。それは男爵より一つ上位の貴族階級。貴族がこんな裏路地の片隅に屋敷を構えているとは意外だった。
しわがれた声の老人の言葉に、ケビンは頷く。「ああそうだ。無論、ただでとは言わない。百万ゲバット払おう。どうか、船を譲って欲しい」
時間がないので、早速本題に切り込む。
百万ゲバットは大金だから、この商談に乗って来ない輩は――。
「済まないが、いくら大金を見せられた所で、名乗りもしない者に渡してやる船はないんじゃ」
あまりに急いでいて忘れていた。「失礼。俺は……、旅人の、ケビンだ」
まさか王子という身分を明かせる筈もなく、ケビンは旅人という設定を貫き通す。
だが、老人は大きく歪んだ笑みを浮かべると――、「違うじゃろう。貴方は、王子、じゃ、よ」と半ば笑いながら指摘したのであった。
ケビンの脳内は一瞬空白になり、そしてやっと状況を理解した時、小さく声が漏れる。「何故」
「簡単じゃよ。ふは、はははは。そんな格好で、変装でもしたつもりかね。くくく、ああ、滑稽滑稽。名も偽らずに、貴族の儂にバレないとでも? くく、はは、ははは。久し振りに笑わせて貰ったぞい、元王子」
言い終わった老人の目は、獣を仕留めた狼のように、否な輝きを放っていた。
そして王子は悟る。――こいつは、新たな国王に忠誠を誓った、裏切り者なのだと。
殺されてしまう。瞬時にそう思い、ケビンは逃げようとする。だが、右腕を子爵に掴まれてしまった。「逃げるんじゃない」
「放せ、放せ!」叫び、必死に腕を振り解こうとするが、老人の握力とは思えない程、ポーメン子爵の力が強過ぎる。
「逃げる必要はない……。すぐ、取って食ったりはしないぞい。儂は、他の貴族連中とは違って優しいのでな」
しわがれ声で囁かれる悪意に満ちた言葉。
間違った、とケビンは思った。まさかこうも突然に、危機がやって来るなんて思わなかったから油断していた。
もっと注意して、行動すべきだった。
あの男爵親娘があまりに人が良すぎたから、勘違いしてしまったが、貴族というのは基本的に、有利な方に付くのだ。
そしてこの屋敷を見た時、貴族の屋敷である事はほとんど分かっていた筈なのに。
「人違いだったら悪いが、お前が王子である事は、分かり切った事じゃ。魔獣に殺されていれば良いものを、どうせドン陛下を倒すつもりなのじゃろう。ああ、滑稽じゃ」
ケビンは腕を掴まれたまま、何も抵抗できず地面に押し倒される。「うぐ、ぐぅ」
「王子。儂の船が欲しいのじゃったな。ならば明日、乗せてやるぞい。……王都まで連れて行って、そうじゃな、魔獣の餌食にでもなるとええ」悪魔のように笑うと、子爵はメイドに命じた。「猿轡をはめて、どこかへ隠しておけ」
「はい」
手足を縛られ、猿轡をされたケビンは、メイドの娘に抱え上げられて、どこか薄暗い部屋へ連れて行かれた。
誰も……、そう、彼自身すらも、手提げ鞄が応接間に取り残されている事を知らぬままに。