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五 旅出

 一度部屋を出ていたケビンが、再びニユの部屋をノックした。

 ドアを開いたニユは、思わずうっとりと息を吐いた。彼の美しさに魅了されてしまったのだ。

 ニユはこれ以上の美少年を、見た事がなかった。ケビンは今、白シャツに紺色のズボンという格好である。

「ニユ、用意はできたか」

 そう問われて我に返ると、ニユは頷いて赤茶色の背負い鞄を見せた。

 中身は着替えやらタオル、蝋燭式のランタン、それから鞄から先端が飛び出ている愛用の棍棒などだ。

「昼も思ったんだが、女子にしては随分と物騒な武器だな」

「そうかな? アタシはこれが使いやすいから使ってるだけだよ」

 実はニユは力持ち。普通の男でも重たがる棍棒を楽々と振り回しているのだが、本人は軽いと思っていて自覚がない。

「ケビンは何持って行くの?」

 ケビンが手にするは、夫人から譲り受けた小さな手提げ鞄。

 その中にあるのは、男爵から貰い受けた現金、衣類だけだ。

 ふと思い至り、ニユは首を傾げる。「食料とか飲料水とかは持って行かない?」

 しかし王子は首を振る。「夜が明けたら街で買えば良いだろう。金さえ持っていれば大丈夫だ」

「そっか。……、あ、そうだ! ケビン、待ってて」

 ニユは突然に閃いて、椅子に掛けて机に向かい、紙にペンを走らせた。ペンと言ってもインクを直接付けて書く羽根ペンである。

「よーし、これで大丈夫っと」

 書き終わったニユは、ぴょんと立ち上がってケビンに笑い掛けた。

「何を書いたんだ?」

「えっと、置き手紙って奴かな。何も書かないで出て行っちゃ、母さんも父さんも心配しちゃうでしょ?」

「――そうだな。では、出ようか」

 ドアの前まで行ったニユは、振り返って自室を見回す。

 またここへ戻って来られるのだろうか。そんな思いを抱きながら、彼女は自室を後にしたのだった。


 ニユの自室は、屋敷の二階にある。

 二階には、彼女だけでなく男爵夫妻や、メイド達の寝室もあるのだ。うっかり足音を立てたりして起こして見つかれは、このこっそり脱出劇が台なしになってしまう。

 暗い廊下を静かに歩きながら、ニユはケビンを案内する。意外にこの屋敷、複雑な構造になっているのだ。最も、ここで十五年も暮らしているニユにとっては何でもないが。

 忍び足で廊下を進むニユの胸の内はなんだかいけない事をしているような、それでいて大冒険をしているような興奮など、妙な感覚に襲われていた。

 角を曲がり、また曲がって脇目も振らず直進、そして階段が見えたら下へ――。

「お嬢様、どうしたです?」

 突然聞こえたその声に、ニユは心臓が止まるかと思った。

「見つかったか」小声でケビンが呟く。「さて、どうしようか」

 先程の声の主、それが階段の下から顔を覗かせている。

 暗い中でもぼんやりと光る金の髪を一つ三つ編みにし、小柄な体に半袖エプロンドレスを着て頭上のホワイトブリムを揺らす少女、グリアムだった。

「グリアム、どうして」

 メイドはみんなこの時間、眠っている筈なのに。

「今日はお客様、つまりケビン様がいたので片付けが遅くなってしまったです。……、もう一度尋ねますが、お嬢様、何をなさってるです? 背負い鞄なんか背負って、どこへお出掛けになるんです?」

 ひたひたと静かな足音を立て、グリアムが近付いて来る。彼女の言葉にどう返答して良いか分からずに、ニユは立ち竦んだ。

 階段を登って来る金髪の少女。しかし、彼女は突然に小さな声を上げた。「ケビン様」

 どうやら彼女には、ニユの姿しか見えていなかったらしい。

 ケビンは藍色の瞳を閉じ、思案しているようだ。そして聞こえるか聞こえないかぐらいの小声で漏らした。「張り倒してでも……」

 あまりにも暴力的なその意見を聞いたニユは仰天。慌ててケビンを止める。「ちょ、ちょっと待って」そして、金髪の少女の灰色の目をじっと見つめた。「……ごめんグリアム。アタシね、旅に出ようと思ってるんだ。大事な旅なんだよ」

 それから茶髪の少女は、グリアムに全ての事情を語り聞かせた。

「もう決めたんだ。だからお願い、ここは見逃して。母さんにも父さんにも悪いと思ってるよ。でももう、じっとしてる気はない。だからグリアム……」

 ニユとケビンを見つめ返すグリアムの灰色の瞳。それがたちまち涙に潤み、そして次に彼女が発した言葉が、他二人の度肝を抜いた。

「なんで……。なんで私奴を置いて行こうとしたんです!」

 甲高い叫び声は、ともすれば男爵達に聞こえてしまう程大きかった。

「え……」そしてニユは一瞬、唖然となる。

 てっきり、「ダメです」とか「旦那様が心配するです」とか言われるものだと思っていたのだが、彼女が涙ながらに叫んだ言葉は、何故置いて行こうとしたのか、だ。

「なんで私奴を置いて……。外に出る時、私奴はお嬢様といつも一緒だったです。私奴はお嬢様とお外を歩くのが大好きです。お嬢様も昔、そう言って下さったです。なのに……、なのに」

 忘れていた。

 彼女の事を、ニユはすっかり忘れてしまっていた。

 グリアムがニユの事を、どれ程大事に思っているか、ニユはすっかり忘れてしまっていたのだ。

「ごめん……」なんと愚かだったのだろうと、ニユは自分を呪った。

『心配しないで。アタシが付いてるから』

『……。了解です。ずっと、一緒です』

『約束』

『約束です』

 約束、したではないか。何があっても、ずっと一緒だと。

「ごめん。ごめんグリアム。ダメだね、アタシ。なんか雰囲気に乗っかっちゃって、馬鹿みたい。……、ねえ、一緒に旅について来てくれる? お願い」

 ピンクのワンピースを摘み頭を下げ、今度はニユがグリアムに懇願する番だった。

 そして金髪の少女は仕方なさげに肩を竦めると、「良いです。一緒に行くです、お嬢様」と微笑んで了承してくれたのだった。

 それを遠目から見守るケビンにはきっと、何が何やら分からなかっただろう。彼は首を傾げて、小さく溜息を吐いていた。


 場所は変わらず階段の上。

 グリアムの旅支度を待っていると、肩掛け鞄を下げた彼女が小走りに戻って来た。

「お待たせです」

「大丈夫だ。お前は、何を持って来たんだ?」

 ケビンの問いに、グリアムは少し恥ずかしげにして答えた。「メイド服にメイド服、メイド服盛り沢山と寝巻き、武器の包丁です」

 包丁は彼女が唯一扱える武器だ。それは分かる。だが――。

「衣類のほとんどがメイド服とはな。屋敷から出るんだ、他の服でも良いだろうに」

「私奴は昔、お嬢様にこれが似合うと言われたので」

「うん、まあね」

 ニユはかつて彼女に、ボロボロの服よりはそれが似合うと言っただけなのであるが、グリアム自身はてんでそれを分かっていない。まあ、メイド服でも可愛いし、全然問題ないのだが。

「よしっと。これで用意は整ったね。下へ行こう」

 階段を降り、一階の廊下を歩く。

 見つからないかとビクビクしたが、「他のメイドの方々はもう眠っているです」とグリアムに言われたので安心。

 そして歩く事十分、やっと裏門へ辿り着いた。

「――開けるよ」

 ガラガラ、ガラガラと音を立て、ニユの手で裏門が開けられた。

 ひっそりとした街道に出る三人。

「お嬢様、私奴がやるです」グリアムがそっと裏門を閉じた。

「この屋敷とも、しばらくはお別れか……」

 ニユはそう呟き、振り返った。そこに建つのは立派な屋敷、無論男爵邸である。

「屋敷を離れたくなければ、別に残って良いんだぞ?」冗談めかしてケビンが笑う。

 ニユの心を占めるのは、旅に対する好奇心とか世界を滅亡の危機から救わなくてはならないという使命感であり、決して不安とか家恋しさとかそんな物ではない。

「大丈夫。――さあ、行こう」

 臆病なグリアムも、怖さを振り切って頷く。「りょ、了解です!」

「いざ出発だな」

 半月が照らす深い夜の中、微笑み合い、ニユ、ケビン、グリアムは男爵邸から離れ、ゆっくりと歩き出す。

 かくして少年少女三人は、魔人ドンを倒す為に旅立ったのだった。

 この先、どんな事が苦難が待っているかなど、予想もできぬままに。


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