四 夜中の懇願
深夜。
ドアをノックする音で、ニユは目を覚ました。
「こんな時間に誰だろう……?」
身を起こしベッドから降りて、ドアを開ける。するとそこに立っていたのは、ニユが渡した薄青のパジャマを着た、黒髪の少年ケビンだった。
彼は申し訳なさそうに微苦笑している。
「悪いな、こんな夜中に」
「ケビン」ニユは些かどころではない驚きを得た。「なんで」
だって男子が夜中に女子の部屋へやって来るなんて、よからぬ想像しか浮かばないではないか。まだ,そんなには仲良くないのに。
「心配しなくて良い。少し、話があるんだ」真面目な顔になった彼は、開口一番、そう言った。
その表情にただならぬものを感じ、ニユは頷く。「うん。分かった。……じゃあ、中にどうぞ」
ニユの部屋は、随分とすっきりしている。
十五歳という思春期真っ只中である彼女だが、可愛らしい物は少なく、ベッドと机が置かれ、机の上に乱暴に畳まれたワンピースが載せられているだけだ。
「座りなよ」
ベッドに腰掛けたニユはケビンを隣に誘い、恥じらいながらもケビンが座る。
「まるで、恋人同士みたいじゃないか」
「別に良いじゃん。それで、話って何?」
単刀直入に、ニユが切り出す。
それに頷き、ケビンが問うた。「俺が今から話す事は、作り話みたいかも知れないが,本当の事だ。お前の人の良さにつけ込んだと言われればそれまでなのだが,お前に頼みたい事がある。――聞いてくれるか?」
「うん。話して」
窓の外から月が見守る中,黒髪の少年は茶髪の少女に語り始めたのだった。
「嘘をついて悪かった。……、実は俺、旅人なんかじゃない。俺は,ドッゼル王国の第二王子として生を受けたんだ。
この国では国王の第一子が国を継ぐ事と決まっているから、俺には王位継承権がない。
だが、父上と母上、それに兄上に愛されていたし、メイド達にも囲まれて、幸せに暮らしていたんだ。
一つだけ不満があったとすれば、それは弟のドンの事だろうな。
第三王子でありながら不良児で、道楽に明け暮れて、貴族の娘をたぶらかしたりしていた。本当に、けしからん奴だった。
王家にとってあいつは、最悪の存在だった。王族としての名誉を汚し、さまざまな不祥事を起こしては父上と母上を困らせる。俺もドンの事は大嫌いだった。
そんな、俺が十五歳のある日の事だ。
十三歳とまだ幼いにもかかわらず、ドンが大事件を起こしたんだ。
兄上……、第一王子トミーを、殺そうとしたんだ。動機は、王位継承権を得る為。なんと馬鹿な奴だったろうな。俺すら殺そうと企んでたんだぞ。
幸い兄上は重傷で済んだが、その罪によりドンは城を追放された。
しかし誰も心は傷まなかった。それが神が下した、当然の報いだったからな。
それから二年の時を、俺は何不自由なく過ごしていた。
ある日の夜。
それは突然だった。
王城に火が付けられたんだ。いや、火が付けられたのではなかった。――火を吹く巨鳥が、天から現れたんだよ。
そしてその鳥の上に乗っていたのが、すっかり変わったドンだった。まるで化け物のような気持ちの悪い笑いを浮かべて、俺を見下ろしていた。
『はっ。オレにひどい事をした報いだぜ。あはは、ふは、はは、ははは、わははははは』
その業火はたちまち城を焼き、魔人となったドンの手によって父上……、国王と第一王子トミーが殺されてしまった。
俺と母上は、なんとか逃げ延びようとしたんだが、魔人はそれを許さなかった。
『ケビン。貴方だけでも逃げなさい。――生き延びるのよ』
そう残して、母上は俺を庇って死んだ。
必死で、ただただ必死で俺は逃げたよ。みっともなく。馬鹿だったと思った。あの時、追放した時、ドンを殺していれば……、何度もそう思ったが、後の祭りだった。
大陸中部、王城のあった王都を飛び出して南へ向かった。
だがどこまでもどこまでも、ドン……、魔人の寄越した様々な魔獣達が追って来た。
魔獣っていうのは普通の動物と違って悪魔の作った悪しき獣、と言われている。実態はよく分からないが、あいつらはとにかく人間に飢えてるんだ。
そして大陸南部、ラダラの街近くの森。
魔犬達が、俺を仕留めんと追って来ていた。
あいつらは他の魔獣と違って鼻が良いから、厄介だったんだ。隠れてもすぐ見つけられる。
武器を持っていなかったから、とにかく逃げた。でもどこまでも追って来たんだ。ダメだと思った。死ぬに決まってる。それでも、死ぬ訳にはいかなかったから、走った。
深い森の中駆け回り続けて、やっと出口が見えたと思って光の中へ飛び込んだその瞬間だった。
地面はなく、川へ落ちていたんだ。
何が何やら分からないまま、息ができずに悶えていると、お前の声がした。
きっとあの時、お前達がいなかったら俺は死んでたに違いない。
本当に感謝している。――ここまでが、俺の話だ」
語り終えたケビン。
「……、ごめん。みっともないな」少年は涙を滲ませ、苦笑しながらそれを手で拭う。
話を聞いて、ニユは少なからずの驚きを得た。
それは目の前の少年が王子であった事や、王城が破壊され、王族が皆殺しになったという、彼女の知らない事実を突然突き付けられたからだった。
まだ噂として広まってはいないかったが、王族が殺されたという事は、貴族、つまりニユ達の身も危ない訳である。
同時に彼女は、驚愕と別の感情も抱いた。
彼の言葉がもし本当であるとするならば、ケビンはなんと辛い目にあったのだろうか。
ニユには全く彼が嘘をついているとは思えなかった。――何故なら、それで男爵への傲慢な態度に説明がつくからだ。王子なら、男爵ごときあんな対応をしてもおかしくない。それに、彼が嘘をつくような人間には思えないのだ。
同情心、そんな言葉を使うのは傲慢かも知れないが、そんな心がニユの中に芽生えた。そして、尊敬の念も。
「ケビンって、心が強いんだね。アタシにそんな事があったら、ケビンみたいにしっかりしてられないもん、きっと。凄いよ」
「そんな事はない。王子として国を守れず、情けない限りだ」だが、褒められたケビンは力なく項垂れる。「王城が襲われた後、ドンは北の小島に城を構え、国王となったらしい。このままでは、この世界は滅んでしまうだろう。……そこで、頼みがある」
藍色の瞳で真っ直ぐニユを見つめたケビン。彼はしっかりした声音で言い切った。
「俺と一緒に、ドンを倒してくれないか? 傲慢な願いだと分かっている。無論、お前は俺の恩人だ。お礼をしなくちゃいけないのはこちらなのだが……、共に、旅に出てくれ」
ケビンの懇願に、ニユは目を閉じて思案した。
確かに、彼の言う通りとても自分勝手な頼み事だとは思う。王城をも陥落させるような魔人だ、無論危険な旅になるに決まっている。生きて帰れるとは、限らない。
そもそも、ニユは男爵令嬢だ。勝手に外を出歩いて良い身分ではない。それに、ケビンの願いを聞き入れる義理は、ニユには一切ないのである。
しかし、だ。
ケビンはきっと、放って置いたら殺されてしまう。
それにケビンの言う通り、彼の言が本当なら、国はじきに滅びるだろうし、従って貴族も……、そう、ニユも殺されてしまうかも知れないのだ。
そもそも、懇願する少年を無視するなど、最高のお人好しであるニユにできるはずがないのであった。
「……うん。良いよ」
ニユの茶色の瞳に、迷いはなかった。
「良いのか?」
強張っていた表情を緩め、掠れた声で王子が問うた。
それは王子の地位、家族、全てを失い、半ば何もかもを諦めていた彼にとって、希望の光となった事だろう。
「うん。だって……、困ってる人を放って置けないもん」
こうして、ドッゼル王国男爵令嬢ニユは第二王子ケビンと、魔人ドンを倒す旅に出る事になったのであった。




