五 愛してる
彼女との出会いは、家族を失い、自分の様々な物を失って、命すら危うくて不幸のどん底に落ちていた時だった。
王子ケビンは実の弟がけしかた魔犬に狙われ、間違って川に落ちて溺れてしまった。
そこを茶髪の少女に助けられたのが、全ての始まりだった。
最初は、彼女はただの、ごく普通の少女だと思っていた。
川から助け上げられて、ずぶ濡れのままでお礼を言う。でも魔犬どもに追い付かれて、一緒に逃げているうちに、無関係な彼女達だけでも守らなければと思って死を覚悟して。
そして、また助けられた。
魔犬を皆殺しにして、少女ニユの屋敷へ連れて行かれた。強引だと思ったが、嫌な気はしなかった。
そして夜、一緒に旅に出てくれと頼んだ。
きっと、断られると思っていた。でも、少女は違った。
「……うん。良いよ」
なんと、ケビンの無茶な頼みを聞いてくれたのである。
その時、ケビンはとても救われた気がした。
きっとこの瞬間、彼はニユを好きになっていたのだろう。
それから何日も何日も食事を共にし、絆を深めていくうちに、王都へ辿り着いた。
賑やかな、懐かしい王都。信じられなかった。でも、信じたかった。
しかしすぐに、それが幻だと分かって、ひどく落ち込んで。
そんなケビンに代わって必死で戦ってくれているニユの姿を見て、彼は強く心を打たれた。
以降ずっと、ニユの事を熱愛するようになっていた。
でも、恥ずかしくて、傲慢な気がして、本人にはずっと気持ちを伝えられずにいた。
心から湧き上がる、この感情をずっとずっと胸に閉じ込めていたのだ。
彼女を抱きたかった。彼女ともっと一緒に笑っていたかった。
でも、もうそれは叶わない。
視界がチカチカし、頭がグラングランする。血の気がどんどん失せて行き、自分の死ぬのだという事をケビンは嫌でも自覚した。
ドンを倒せなかったな、とケビンは思う。しかし、もうそんなのはどうでも良かった。
命を失っていく今こそ、目の前で涙ぐむ茶髪の少女に伝えなくてはならない。
これがひどく残酷な事だと、分かっていても。
「――愛してる」
愛してる。燃える程、愛してる。
ニユの声が好きだった。ニユの大柄な体が好きだった。ニユの茶色い髪が、瞳が好きだった。ニユの優しさが好きだった。
ニユの輝くような笑顔が好きだった。
だから、笑顔を絶やして欲しくないなと願いながら――。
ケビンは藍色の瞳を静かに閉じたのだった。
ズタボロのケビンを見て、ニユは何も言えなかった。
至る所に蛇女の牙の傷跡が点在し、彼の胸に小さな穴が空いている。
がく、と膝を落として、ニユはケビンの傍で蹲った。
立つ気力がない。
また、ニユは失ってしまうのか。
彼まで失ってしまっては嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。一人になる。ニユは一人になってしまうではないか。
四肢を力なく広げている黒髪の少年の体を揺すり、少女は必死に訴え掛けた。
「死なないで……。ケビン、しっかりして。死なないで。ケビンが死んだらアタシ……」
でも彼の体のあちらこちらから血は流れ続け、それはまるで彼の魂すら流れ出しているようにニユには思えた。
「お願い、逝かないで……」
「…………ごめん」だが、ケビンは首を横に振った。「俺はもう、ダメみたいだ……。悪い。ニユ、どうか、ドンを倒して、くれ。――愛してる」
そのままゆっくりと藍色の瞳を閉じ――、彼は、死んだ。
「…………」
彼の死への悲しみと同時にニユが感じたのは、死の直前、ケビンが発した言葉への驚愕だった。
「愛してる」
何の、冗談のつもりなのか。
愛してる。それは、一番端的で、でも心からの、愛の告白。
それをどうして。
「――あ」
はたと、遅まきながらニユは気付いた。
ケビンがどうして、ニユに優しくしてくれていたのかを。
グリアムやルーマー。他二人の少女だっていたのに、ケビンがニユを特別視してくれていた訳を。
ケビンは、ニユが好きだったのだ。
ニユだって彼が好きだ。でもそういう『好き』ではない。――愛していた。彼はニユを、愛していたのだ。
しかしニユは彼の気持ちに気付けなかった。それはただ単純に、彼女が鈍感だったから。
何故気が付かなかったのだろうと、ニユは自分を嘲笑いたくなった。
ケビンはずっとニユを愛してくれていたのに、気付けなくて、向こうも伝えられなくて。
だからって。
「だからって……。なんで、今言うの……?」
今、言われても困るではないか。
だって、ニユはもう、彼に心を伝えられないのだから。
ニユもケビンが好きだ。大好きだ。
友達だし、仲間だし、頼りになって、かっこ良い。
大好き。大好き。でも、それ以上の域になくて。
「言ってくれれば、アタシだって。もっと貴方と仲良くなれて……、それで愛し合えたかも知れないのに」
なのに、最後の最後に愛の告白をして、ケビンは死んでしまった。
ニユを一人だけ、残して。
「ひどい。ひどいよケビン。なんで、なんでアタシだけ……」
一緒にドンを倒すのでは、なかったのか。
一緒に世が平和になったら、笑い合うのではなかったのか。
でも、ケビンも、グリアムも、ルーマーも、ニユを置いて逝ってしまった。
みんな、ニユが好きだと言って。
みんな、胸に突き刺さる言葉を残して。
行き所のない怒りが、やるせない気持ちが込み上げて来て、涙が目に溜まる。嗚咽が漏れそうになった。
だがその時ニユは、今は目の前で抜け殻となってしまった少年の言葉を思い出した。
「お前には、笑顔が似合う」
それに、なんだか彼女は得体の知れない元気を貰った気がした。
そうだ。
悲しんでも良い。でも、泣いていても仕方がないのだ。
泣くのは全てが終わった後。今は、すべき事がある。
そう、言ってくれたではないか。
足に力を込めて、立ち上がる。そして涙を拭い、心配そうにこちらを眺めていた白山羊に跨り直した。
「お前には、笑顔が似合う」
脳裏に響く、ニユを愛してくれた少年の声に応えよう。
彼女は顔を上げ、笑う。ぎこちなく笑った。
ニユは、一人になった。でも、完全なる一人きりではない。
だって。「貴方がいるもんね、エジー」
エジーが穏やかな瞳でこちらを見つめて、そっと頷いてくれたようにニユには見えた。
王子と、蛇女達の亡骸が散らばる廊下の奥――、そこに大きな扉がある。
「さあ。いよいよ王の間だね。……開けるよ」
重々しい音を立て、扉が押し開かれる。
そして中へ飛び込んだニユとエジーを待っていたのは――。
「来たかよ、小娘。オレに刃向かおうなんていう生意気な奴には、思い知らせてやらねえとなあ。ふは、はは、わはははははは」
広間の中央、氷の玉座に座り、凶悪な笑みに整った顔を歪める、ケビンとよく似た黒髪藍瞳の少年であった。




