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三 氷のドラゴン

 白く輝く羽、蛇のように長い体、槍の如く尖った尻尾、四本の逞しい脚。

 美しい氷のドラゴンが、ニユ達を鋭い眼光で睨み付けていた。

「ひっ」そのあまりの恐ろしさに、グリアムが小さく悲鳴を上げて後退る。

「…………。よし、戦うぞ!」

 ケビンの威勢の良い叫び声とほとんど同時に、氷のドラゴンが蠢いて、行動に出た。

 大きな口をかっ開き、凄まじい冷気を吹き出したのだ。否、冷気ではない。それは氷の吐息だった。

 それはまっすぐにグリアムを襲い――。

「危ないわぁ!」

 その瞬間、栗毛の少女が金髪の少女を突き飛ばしていた。

「うわっ」

 重なってすっ転ぶ二人。

 そのすぐ後の土壁が激しい冷気に焼かれ、凍ってしまった。もしルーマーが飛び込まなければ、グリアムはとっくに氷像になっていただろう。

「ありがとうです、ルーマー様」

「良いのよぉ。アム、気を付けなさぁい。こいつはぁ、今までの魔獣とはレベルが違うわぁ」

 そう言っている間にも、氷のドラゴンは再び少女達に向かって口を開く。

「させないっ」

 そこへニユが飛び出し、太い棍棒を振るっていた。

 ドラゴンの頭部へと真っ直ぐに振り下ろされる棍棒。それは氷竜の頭を砕く、筈だった。

「がるるるる」

 獣の低い唸り声が洞窟中に響き渡り、竜の前脚でニユは軽々と吹き飛ばされていた。

 意味が分からない。

 氷のドラゴンの頭部を、確かに叩いた筈なのに。

 その氷に包まれた頭部は健在で、傷一つ付いていなかったのである。

 土壁に背中を強打し、茶髪の少女は一瞬目を回して膝から地面に崩れ落ちた。

「いたたたた」

「お嬢様、大丈夫です?」顔色を変え、グリアムが駆け寄って来る。

「うん大丈夫。でもどうして……?」

 背中をさすって立ち上がったニユの胸には、疑問しかない。

 何故ドラゴンの頭が砕けなかったのか、だ。

 だがそれは、氷竜に躍り掛かって行ったケビンを見てすぐに分かる。

 ドラゴンの背後に回り、気付かれずに見事槍でドラゴンの背中を突き刺そうとした少年。

 だが槍は、ドラゴンを覆う氷に阻まれて刺さらなかった。

 振り向く巨竜は、彼へ向かって氷の息を吐く。

 横っ跳びしてギリギリ避けられたケビンだが、もし一瞬でも遅れていたら命はなかった。

「お嬢様、あいつは厄介です。あの氷を、破らないと」

 グリアムの言う通り、ただひたすらに攻撃しているだけでは、この氷の魔獣に何のダメージも与えられない。

「どうすれば良いんだろう」

 ニユはドラゴンを睨み付け、できる限り頭を働かせる。

 棍棒で叩いても、槍で突き刺してもダメ。今、ルーマーが鞭を振るったのが見えたが、それも全く効かずに弾き返される。グリアムの包丁だってきっと無理だろう。

「考えろ考えろ考えろ。何かきっと、打開策がある筈……」

 しかし良案は浮かばず、ふと下を見ていた彼女がドラゴンに視線を戻すと――。

 巨大な氷竜が翼を広げ、天井の穴から空へ飛び立つ瞬間だった。

「気を付けろ」

 ケビンが注意を促した直後、宙に舞い上がった竜は、首を下へ向け、驚くべき行動に出た。

 穴の中、つまりニユ達へ向けて、氷柱を吐き出して来たのだ。

「うわっ、わっ」

 鋭い氷柱に付け狙われるニユは、「ひぃっ」と悲鳴を上げるグリアムの手を引っ掴み、慌てて洞窟の中に走り戻る。

「退避よぉ」

 ルーマーとケビンも寸手の所で隠れる事ができたようだ。

 次々と落ちて来る氷の塊。だがそれはやがて止み、辺りは一瞬静まった。

「どこかに行ったか?」

 そう言って穴から上を覗いたケビンが、次の瞬間、急激に顔を蒼白にした。「やばいな」

「どうしたの、ケビン?」

 その言葉に驚き、赤いリボンを揺らして小首を傾げるニユ。

 だが、彼女もすぐに気が付いた。

 空気が、尋常じゃなく冷え始めているのだ。

 コートを着ていても全く防げず、体が小刻みに震え出す。

「寒いわぁ。これってぇ」

 考えられる事は一つ。――穴の中に、氷の息を吹き込まれている。これは確かに、困った。

「ど、どうするです?」

 こうしている間にも、辺りの空気の温度が下がって行き、周囲の壁が凍って行く。

 とうとう極寒に耐えられなくなった時、ニユは咄嗟に、温かい物を取り出していた。

 ランタンの中の蝋燭だ。

 冷たい風が吹く中で今にも消えそうなそれは、だが、震えるニユにはとても温かく感じられた。

「これをもっと……」

 大きくして、暖を取れないだろうか。

「そうだわぁ!」何を閃いたのやら突然に叫び、ルーマーが羽織っていた緑色のコートを脱ぎ捨てた。「ニユ、蝋燭を頂戴ぃ」

 茶髪の少女の返事を待たず、蝋燭を奪い取った栗毛の少女は、その炎をコートに移した。

 たちまちコートに火が燃え広がり始め、ニユはやっと理解した。

 ルーマーは簡易の焚き火を作ったのである。流石北方の村娘、とても助かる。

 冷え切っていた周囲は暖かくなり、凍えそうになっていたグリアムも、寒さに歯を食いしばっていたケビンも、少し楽になったようだ。

 だが翼竜の攻撃は続いており、激しい冷気が流れ込み続けている。この間に、なんとか打開策を――。

 と、焚き火をぼうっと眺めていたニユは、唐突に閃きを得た。

 ドラゴンが纏っている氷の鎧を破る方法。それは――。

「相手が氷なんだったら、炎で溶かせば良いんだ」

 これならいけるかも。そう思い、ニユの中に元気が湧いて来た。

「ねえ、聞いて」

 彼女は焚き火を囲んでの作戦会議を開き、みんなに自分のアイデアを話し始めた。

「だからあいつを地面に引き落とせたらやっつけられるんだけど」

 そこへ、グリアムが手を挙げた。「お嬢様、それなら私奴に良案があるです」

 それを聞いた一同に、反対する者はいなかった。

「じゃ、ルーマーお願いね」

「任せときなさぁい。エジー、行くわよぉ」

 栗毛の少女がなんだか楽しげに笑い、跨った白山羊を走らせ出す。

 そして彼女の姿が地上へ消えた直後、辺りを、魔獣の咆哮が揺らした。

「わあ!」

 そして、ズドン、と地面が割れるかと思う程の轟音が響き渡り、ドラゴンが地面に激落した。

 地響きを立てながら、洞窟の天井がもろもろと崩れ落ちる。

 立ち上がろうとする氷竜。だがその寸前、ニユがその背中に飛び乗っていた。

「えいやっ」

 そして彼女がドラゴンの頭へ投げ付けたのは、燃え盛る火炎に包まれたコート。

 直後、氷竜の日の光に輝く頭部が、どろりと溶け出す。

 たちまち業火はドラゴンの全身を焼き、やがて、水になってしまった。

「よし、やっつけた。ルーマー、ありがとう。……? あれ、ルーマー?」

 呼び掛ける。だが返事はない。

 視線を巡らせ、穴の上を見るが――、いない。

「どこ?」

 そして、チラと溶け始めた翼竜の尾の方を見た時、ニユは息を呑まずにはいられなかった。

 何故ならそこに、腹部を氷の尾で貫かれ、呻いている栗毛の少女の姿があったからである。

「ルーマー!」

 ニユの叫び声が、洞窟中を木霊していた。


 穴の下へ出て、迫り来る氷柱を軽やかにかわす。そしてエジーはぴょんと跳躍し、穴の外、地上へ飛び出した。

 雪野原に降り立ったルーマーのすぐ目の前には、氷のドラゴンが優美に舞っている。

「これをぉ、受けてみなさぁい!」

 叫び、栗毛の少女が頭上から真下に向かって勢いよく鞭を振るった。

 それは、ただの鞭ではない。炎を塗りたくった、特別製だ。

 炎の鞭がドラゴンの背中に振り下ろされる。直後、空気が震える程の大声を上げ、背中を焼かれたドラゴンが地面へと激落して行った。

「よぉし。やったわぁ」

 一安心して、周囲を見回したルーマーは、その景色に目を丸くした。

 辺り一面はここ数日で見飽きた雪野原。しかし少し彼方に、異様な物が見える。

 それは、雪で覆われた石造の家――否、城だった。それこそが。

「ドンの、城……」

 同時に、分かっていた事ではあるが、ルーマーは気付く。ここが、目指していた北の島である事に。

「やっとぉ、着いたんだわぁ」

 その、安堵の瞬間だった。

 突然に氷竜の鞭のような尾が振るわれたのは。

 エジーの甲高い鳴き声が聞こえて我に返った少女は、直後、気が付く。

 落下して行くドラゴンの氷の尾が、緑の袖なしシャツを着た自分の腹を貫いている事に。

「うぁぁぁぁぁ」

 その途端に、激痛が彼女を襲った。

 痛い。痛い。思考が焼ける。何が何やら分からない。どうして。痛い。痛い。血。血が腹から。ああ、痛い痛い痛い。これは一体。痛い。

 跨っていたエジーから引き剥がされ、氷のドラゴンと一緒に穴の中へ落ちる。

 そして遅まきながら、ルーマーは悟った。「ルーはぁ、死ぬんだわぁ」

 もっとみんなと話したかった。一緒に街を歩いて、美しい物を眺めたかった。

 無念が、やっと痩せ気味という所までに回復したばかりだった少女の身を焼き焦がす。

 地面に全身を打ち付けた。痛い。内臓が破裂する。視界が朦朧とし始める。痛みもぼやけ始め、嫌だと拒む事も出来ぬままに死が近付いて来る。

「ルーマー!」

 茶色の瞳に驚愕と困惑、そして悲痛な色を灯した少女、ニユが走り寄って来た。

 霞む視界の中それを捉え、力なく笑みを浮かべて、ルーマーは呟いた。

「ちょっとの間だったけどぉ、ニユと……、みんなといられてぇ、本当に楽しかったわぁ。さよならぁ。…………ルーの事ぉ、忘れないでねぇ?」

 そして、今にも泣きそうな茶髪の少女の顔を見つめながら、栗毛の少女は思った。

 少しはこの少女の力になれただろうか、と。

 自分はほんの少しでも、幸せになれたのだろうか、と。

 最期の最期、死に行く体から涙が溢れ出すのを感じながら――。

 ルーマーの意識は、暗黒へ落ちて、消えた。


 ルーマーが死んだ。

 ほんの五分足らず前まで笑い、間伸びした声を響かせていた少女が、死んでしまったなんて。

「そんな……」

 信じられなかった。信じたく、なかった。

 でも、甘い声音で、相変わらずの呑気な声音で、別れを告げられて。

「ルーの事ぉ、忘れないでねぇ?」

 守ってやりたかった。誰よりも幸せに、なって欲しかったのに。

 死んだ。腹部を差し貫かれて。死んだ、儚く、あっという間に。

 死んだ。死んだ。死んで、もう、体は抜け殻でしかなくて。

「ルーマーぁ」

 無念が、悲しみが、怒りが、そしてやるせない情けなさが、ニユの胸に込み上げて来る。

「お嬢様……」

 か弱い金髪の少女の声など、聞こえない。

 アタシのせいだ。ニユは自責の念に駆られ、涙を流していた。

 もしあの時、ドラゴンを任せていなかったら彼女は。

 それからしばらくニユは、悔しさに、悲哀に、空虚感に、ただただ栗毛の少女の亡骸を抱いて黙り込んでいるしかなかった。

 その肩を、グリアムが優しく叩いてくれている事にすら、気付かずに。

 こうして、焼き焦がされるドラゴンの傍で、長い長い時間を過ごしたのだった。


 やっとほんの少しだけの力を取り戻したニユは、ルーマーの遺体を手放し、立ち上がった。

「……ニユ、早く上へ登ろう。そろそろ日が暮れてしまうぞ」

 消火し終わり、準備を整えたケビンから声が掛かる。

 そんな、一見平然としている彼に、ニユは思わず怒鳴っていた。「ケビンは、ケビンはどうしてそんなに落ち着いてるの! ルーマーが……、ルーマーが死んだんだよ!?」

 これが単なる八つ当たりだと、分かっている。

 それでも、すまし顔を崩さない王子に、打ちひしがれるニユはむかっ腹が立ったのだ。

「死んだ者は仕方ない。今の俺達には、悲しんでいる暇がないんだ」

 ケビンの言葉は全て正論。正論過ぎる。正論過ぎるが、それでは。

「薄情! 薄情者! 時間がないから……? そんなの! 人が死んだんだよ! 仲間でしょ!? 悲しくないの? 薄情! 薄情、はくじょ……」

 ほんの短い付き合いだった。それでも、ニユはルーマーと友達になった。一緒に喋って、ご飯を食べて、笑った仲だ。

 なのにケビンは。

「……それ以上言うな。それ以上、言うな」

 怒り叫ぶ茶髪の少女に、黒髪の少年はひどく静かに、そう言った。

 その声はひどく平静を装っていた。でも、憤り、強がり、そして強い憤りが含まれていて。

 ニユは思わず黙り込んだ。

 彼を責めるのはお門違いだ。彼は……、悲しんでいる。悲しんでいるが、わざと、隠している。

 考えてみれば、当然だ。死の悲しみを一番知っているのは、ケビンだろうに。

「――ごめん」

 怒りに、悲しみに、我を忘れていた。唇を強く噛んで、ニユは反省する。

 誰だって、衝撃を受けない筈がないではないか。それでも泣かずにいられるなど、彼はなんて。

「心が強いんだろう」

 それに対して、ニユの心は弱い。凄く脆い。

 ――ルーマーだって、こんな風になるのを望んでなんて、いない筈なのに。

「お嬢様、行くです」

 穴の中にルーマーを残し、雌山羊エジーに協力して貰って、穴の上へ登る。

 この山羊も凄い、とニユは思う。主人を失って一番悲しいのは彼女だろうに、立派だ。

 そしてニユ達三人は、一面の雪景色と、そして石造の城を目の当たりにする。

「ここが、ドンの城」

 一行は、一ヶ月程の旅を経て、やっと目的地へ辿り着いたのである。

 色々な感情がニユの中を渦巻いている。

 でも、彼女の中でやるべき事は、もう決めてあった。

 必ず、ドンを倒す。

「さあ、行こう。……エジー、あの城へ走って」

 ルーマーに代わってニユが一番前に座って指示を飛ばすと、白山羊は雪野原を、城目指して颯爽と駆け出す。

 こうして、ニユ、ケビン、グリアムの三人は、魔人城へと乗り込んだのであった。

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