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一 王都の儚い夢

 南東の空に輝く太陽が、水面を照らしている。

 船を岸に着け終わると、グリアムが声を掛けて来た。「お嬢様、降りるです」

「分かった」答えながら、湖面を見つめていたニユは立ち上がり、ピンクのワンピースを揺らめかせ、船を飛び降りた。

 岸に立つ。そして振り返って王都を見た瞬間、ニユは思わず息を呑んだ。

 賑やかな声、街を行き交う人々。なんとそこには、『都市』が存在していたのだ。

 普通なら、都市があって当然と言えよう。だってここは『王都』なのだから。

 しかし、ケビンの話によれば、ここは炎の海に呑まれた筈である。なのに街は健在で、奥には立派な城まで見えていた。

 動揺はきっと、ケビンの方が大きかったに違いない。「まさか……」

「ケビン様、これは?」首を傾げ、問い掛けるグリアムだが、ケビンからの答えはない。

 驚愕に立ち竦む彼女達の元へ、一人の女性が歩み寄って来た。「ようこそ、王都へ」

 困惑を振り切ったニユは、朗らかな笑みを浮かべる女性に思い切って尋ねてみる。「こんにちは。アタシはニユ。――ねえ、王都って滅びたんじゃないの?」

 単刀直入な質問に、王都の女性は、「え? ああ、あの火事の事ですか。あれは大変でしたよ。でも、火消し屋の力でなんとか収まりました。決して、滅んでいたりはしませんよ?」と笑った。

 訳が分からない。

 ケビンの話では、街は壊滅したとの事だったが、つまり――。

「ケビンの思い過ごしだったって、事?」

 そうとしか考えられないではないか。

 だって現に、目の前に女性がいて、賑わう街の景色があり、立派な城が見えるのだ。

「それは誠か」

 藍色の瞳で疑わしげに問い正すケビンだが、女性の答えは変わらない。「はい。大火事ではありましたが……、街も、国王様や皆様も、ご無事ですよ? 確かに外では王が死んだなどと妙な噂が立っているそうですが……」

 ここまで言われてしまえば、疑いようがなかった。

「父上が……、生きてるだと。でも確かに俺はこの目で」

「何をおっしゃっているのか分かりませんが、噂は全て嘘です。橋は崩落してしまいましたけれどね」

 ふっ、と、ケビンの足から力が抜けて、彼は地面に座り込んでいた。

「ケビン!?」

 急な彼の挙動に驚いて駆け寄るニユに、ケビンはうわごとのように――。

「悪い夢、だったのか」と、呟いたのだった。

 そんな二人を横目に、グリアムだけが違和を感じていた。

「……臭いです。この匂いはまるで」


 場所は変わらず、湖のすぐ近く。

 先程の女性は、「失礼します」と街の方へ消えて行った後だ。

「父上に……、父上に会いに行かなければならない。そして母上と、兄上にも」

 やっと衝撃から立ち直ったケビンがまず口にしたのが、この言葉だった。

「で、でもケビン様……」

 グリアムが何事かを口にしようとしたが、ニユは躊躇いなく頷いた。「そうだね。何が何やら分かんないけど、きっとお城に行ったら分かるよ。さあさ、行こう」

 じっとしていても何も始まらない。これがニユのモットーである。

 そうして三人は、付属したロープを持って木造の小船を引き摺りながら、王城を目指す事になった。

 街へ入ると、ニユがまず驚かされたのは、その賑わい具合である。

 ラダラの街や、旅の途中で通って来た街にも無論活気はあった。

 だがこの王都、活気に溢れるという言葉では足りない程に人が道にごった返し、あちらこちらから声が轟いているのだ。

「どれだけ田舎育ちなのか、思い知らされるなあ」

 そう呟きながら歩きニユの心内は、とても明るかった。

 最悪、荒地で魔獣とのバトル、なんて事もあり得ると思っていたのに、華やかな街でのお散歩できる上に、王城に入れるなんて、どんなに素晴らしい事だろうか。

「ねえねえ、グリアムも浮かない顔してないでもっと愉しもうよ。あっ、あっちに美味しそうなお菓子売ってるお店があるよ。行こっ」

 だが王都を満喫しているニユとは対照的に、グリアムは不安げに辺りを見回してばかりだ。「お嬢様。おやつなら、鞄の中にあるです。値段も高いです、ここで買うのはやめるです」

「えー。つまんないの」

 ごねるニユを、ケビンが宥める。「後で買ってやる。今は、城へ行く方が先だ」

「分かった分かった。後でね。約束っ」

 王城が、そして家族が無事である事を知ったケビンは、はしゃぐニユよりもずっと嬉しそうだ。ともすれば踊り出しそうな浮かれ具合である。

 そりゃあ当然だ。死んだと思っていた家族が生きていたら、何の不思議もない。

 人混みの中を歩き続け、ニユ達はようやく商店街の大通りから外れて城へ伸びる太い脇道に入った。

 そこで城と初めて向かい合い、ニユは目を見開かずにはいられなかった。

 日の光を受けて銀色に輝き、煌びやかな宝石の装飾が施されており、その美しさは男爵邸などとは比べ物にならない。

「ここが、ケビンの城……」

 正確に言えば、こここそが、ドッゼル王国の王城という訳である。

 あまりの綺麗さに目を奪われていたニユは、ケビンに肩を叩かれ、我に返った。

 気付くと城門のすぐ前まで来ていた。

 石でできた大きな門の前に立つは、鎧を纏った兵士――、恐らく、門番だ。

「君達。まだ子供のようだね。一体誰だい?」

 門番らしきいかつい男に意外と柔らかく問われ、ニユは堂々と胸を張って答えようとする。「男爵令嬢のニユです!」

 しかしグリアムに口を押さえられてしまった。

「お嬢様。お嬢様はこっそり抜け出して来てるんです。わざわざ、ご自分の身分を言ってはいけないです」

 グリアムの言葉は一理ある。否、正しいとニユは思い、黙り込んだ。

 代わりにケビンが名乗り出る。「俺はドッゼル王国第二王子、ケビン。こいつらは俺の連れだ。父上に会いたい。通してくれるか?」

 王子の言葉を聞き、門番は仰天。「け、ケビン殿下!?」そして慌てて他の兵士仲間と相談、その上で国王の確認を取り、戻って来た。「宜しいとの事です。どうぞ、中へ」

「やったー! お城ってどんなのだろう。ささ、ケビン、グリアム」

「ご、強引だな!」

「わあ、お嬢様っ」

 立ち止まっているケビンとグリアムの手を無理矢理に引っ張って、赤いリボンを揺らしながら城の中へと走り出すニユなのだった。


 豪華なシャンデリアに照らされた、赤いカーペットの敷かれた廊下を駆け続けるニユ。

 道案内役で彼女を先導する筈だった従者の女性がはるか背後に取り残されている事など、全く気にしない。というか、気付かない。

「お嬢、様、疲れた、です」隣を一緒に走るグリアムが悲鳴を上げる。ニユはこれまた無視。

「ここだ」

 ケビンがそういうと同時に、彼女達は、立派な扉に阻まれて立ち止まった。

「この先は、王の間だ。俺が先に行く。お前らは、後に続いて来ると良い」

 扉の向こうにいるであろう『王様』に思いを馳せ、満面の笑みでニユは頷いた。「分かった、王子様」

 あえて王子様と呼んだのは、その方が今は適切だと思ったからだ。

 何故か照れ臭そうにしながら、ケビンが扉を開け、中へ入る。

 後続したニユは、広間の中央で待ち構えていた人物を見て、思わず頭を下げた。

 黒髪を短く切り揃え、髭を蓄えた高年の男性だ。ニユの父親である男爵と恐らく同年代の筈であるが、発せられている威厳は天と地の差があると言っても過言ではないだろう。

 ――彼こそがドッゼル王国の国王である。

「ケビン。……、一体どこへ行っていたのだ。心配しただろう」

 入って来た三人の少年少女を見下ろすとまず国王が口にしたのは、一見すると厳しい、だが慈愛の篭った叱責であった。

 玉座の国王の姿を見て、それに彼の声を聞いて、ケビンが何を思ったのかは分からない。だがその瞳を少しだけ潤ませて、「……父上。済みません」と、頭を下げたのだった。

「済みません。……てっきり、この都市が滅びたのだと思ったんです。良かった、ご無事で」

 彼の中を支配していたのは、歓喜か疑念かは分からない。だが、藍色の瞳は真っ直ぐに、己の父親に向いている。

「そこの女子達、名乗れ」

 突然に国王に指差され、ニユはドギマギしてしまう。「あ、アタシはニユだよ」

 一方グリアムはいつもと対照的に物怖じせず、綺麗にお辞儀した。「私奴はグリアムです。国王陛下、この度はケビン殿下の従者として参りました次第です」

「ふぅむ」顎髭をいじりながら国王は頷いた。「ケビンをここまで連れて来てくれたのだな。褒めて遣わす」

「光栄です」恭しく頭を垂れるグリアムの灰色の瞳が、なんだか妙な感情の色を灯しているように見えてニユが指摘しようとした直前、ケビンの声に遮られる。

「父上、ご無事で何よりです。……この城は、あの業火に襲われ、朽ちたと思っていましたが、無事だったのですか」

「うむ」厳かに頷くと、国王は簡単に事情を語り出した。

 王城はドンに襲撃され、凄まじい炎に包まれて大変な事になっていた。

 国王も王妃も第一王子も、ひどい火傷を負って重症に。

 街も炎の海と化し、それはもう惨たらしい限りだったという。

 しかし王国兵が立ち上がり、逃げ去ろうとするドンを仕留める事に成功した。

 そして炎は火消しによって見事消され、多数の死傷者を出したものの医者のおかげで王族や街の人々は救われたという事らしい。

「本当ですか。では、魔獣は」

「魔獣? あのドンめが引き連れていた悍ましい獣達の事か。あいつらはまだ世に残っているが、我が王国兵がきっと、皆殺しにしてくれる事であろう」

 つまり、だ。

「じゃ、じゃあ、この国はもう……」

 救われていたという事になる。

「そうじゃ。ドンの奴めの首を掻っ切り、安寧そのものとなった」

 あっけない旅の終わりが告げられ、ニユはなんというか、安堵と共に失望感に襲われる。

 世界は既に、多くの人の力で救われていた。夢見た『救世主』にはなれなかったのだ。

 では、何の為に今まで旅をしていたのか。ニ茶色の瞳から涙が溢れそうになり、ニユは慌てて笑顔を作った。「ダメダメ。……もっと素直に喜ばなくちゃ。世界は、救われてたんだから」

 そうだ。失望するなんて、おかしいではないか。そう理性が理解しても、ニユの表情は強張ったままだった。

 だがケビンは、跳び上がる程に喜んだ。「本当ですか。本当に、ドンの首を」

 彼にとっては、弟でありながら憎き相手だ。それが既に滅ぼされていたと分かったら、どんなに嬉しいだろう。

「ああ。見せてやろう」

 一度玉座を立ち、戻って来た王が三人に皮袋を見せた。

 その中身を見て、ニユは驚愕する。

 ――生首だ。人間の生首が入っていたのだ。

「ドンだ」と、王子は叫び、舞い踊る。「ドンだ、ドンだ、ドンだぁ! ドンが死んでいたなんてっ。なんて素敵なんだ。これで世界は救われたぞ!」

 そして勢いそのまま、父王へ飛び付いたその瞬間。

「危ないです!」

 突然に叫んだグリアムが広間を駆け抜け、国王の前に着いた途端に彼の首へと包丁を突き立てたのだ。

 辺りに血が飛び散り、首が宙を舞っていく。

「あ……」

 その光景に、ニユは絶句するしかなかった。

 脳が、目の前の事を理解できない。一体今、何が起こったのだろう。

 王の亡骸に抱き付いたままのケビン。彼は金髪の少女を睨み付け、声を震わせ絶叫した。「グリアム! お前は何を!」

 その時だ。

 王の亡骸が、グニャリと歪んだ。

 いや、歪んだのは亡骸だけではない。王の間の壁、天井、地面、ドンの首が入った袋、その他ニユ達三人を除く全てが歪み、消えて行く。

 そして瞬きの後、ニユの視界にあったのは、見知った少年と少女の姿と、無惨な黒い豚の死骸、そして見知らぬ荒地に人の死体の山が転がった地獄絵図だけだった。

 そして背後から、ねっとりとした女の声が聞こえたのである。

「あれまあ。幻豚の幻を見破ったなんて驚きだわ。……ずっと儚い夢を見ていたら、良かったのにね」

 幸せな王都の幻想が破られた城跡地――、邪な笑顔を浮かべる人鳥が、気持ちの悪い笑みを浮かべて立っていた。

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