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五 子爵邸の少年救出劇

 いくら歩き回っても、ケビンの姿はなかった。

「ケビン、どこ? いたら返事して」

「ケビン様。どこです?」

 叫んで呼びまわっても、返答はない。

 ここは裏路地。

 ケビンを探してここまでやって来たニユとグリアムだったが、もう二時間程歩いているというのに、彼を見つけられていない。

 ちなみに待ち合わせ場所は商店街から裏路地へ入る道と決めていたのだが、そこにもいなかった。

「一体どこ行っちゃったんだろ……」

 日暮れはもう間近で、急がなければならないのに。

 角を曲がり、また曲がって進む。

 と、グリアムが突然声を掛けて来た。「お嬢様、あれ」

 よそ見をしていたニユはグリアムの指す正面を見て、思わず息を呑んだ。

 そこに、豪邸があったからである。

「変だな。こんな所にお屋敷だなんて」

「あっ、そうです!」

 グリアムが大声を上げたので、ニユはかなり驚いた。「な、何?」

「あ、ごめんなさいです……」思ったより声が大きくなっただろう、金髪の少女は少し恥ずかしそうにして謝ると、「あそこなら、船があるかも知れないです」と、提案したのだった。

 確かに彼女の言う通りだ。あれ程の屋敷なら、船を持っていておかしくない。

 ケビンの事も気になるが、彼女達はそもそも、船を探しているのだから、そちらの方が先だろう。

「そうだね。ちょっと尋ねてみよっか」

 そう言って、ニユとグリアムは屋敷の戸を叩いた。


「どうぞ」

 メイドの娘に中へ通されると、立派な応接間に入った。

 そこで豪華な椅子に座って待っていたのは、七十前後の皺だらけの老人。

 その姿を見て、客人用のやはり立派な椅子に座ったニユは息を呑んだ。「ポーメン子爵さん」

 男爵邸にはたまに、他の貴族が訪れる事があった。

 その中でもよく来ていたのが彼――、ポーメン子爵である。

 つまり、ニユとは顔見知りだった。

「誰だね?」

「ポーメンさん、アタシだよアタシ。男爵の娘のニユ」

 リボンを揺らし、笑みを浮かべる茶髪の少女を見て、老人はやっと思い出したようだ。「ああ。男爵の。ほぉう、ニユちゃんか」

 すぐ横でグリアムが身を固くするのが伝わって来るが、ニユは笑顔を崩さない。「久し振り」

 だが彼女も、心の中ではこの時ばかりは笑っていなかった。――何故ならこの男、性根が捻じ曲がっている事で有名だからだ。

 私利私欲、自分勝手、我田引水……。ニユはこの男が大嫌いだった。

 すぐに人を騙そうとするのだ。もしメイド達が助けてくれていなければ、とうの昔に男爵も騙され、ひどい目に遭っていただろう。

 いくら顔見知りとはいえ、全く信頼できない。どうしようかと、ニユは足りない頭で思案する。

「……、ポーメンさん。アタシ達、船を買いたいんだけど、持ってるんだよね?」

 ニユの問いにすぐさま子爵は頷く。「ああ。あるが」

「どうしても必要だから、譲って欲しいんだ。……、五百万ゲバットでどう?」

 何故か老人は不審げに少女達を見つめ、そして、言った。「王都へ渡る為に、かね?」

 ニユは思わず目を見開いて叫んだ。「どうしてそれを」

「やはり、か」老人は首を振り、笑って見せた。「いや、ここらで船が欲しいって言う場合は、大抵がそうじゃからな。……、良いじゃろう。但し、儂も同行するぞい。構わんかね?」

 グリアムが耳元で囁き掛けて来る。「お嬢様、嫌な予感がするです」

 確かにそれはニユも同感だ。だが、船を手に入れられるかも知れないのだ。五百万ゲバットを払い、船を譲って貰った方が良いかも知れない。

 悩み、なんとなく下を向いたその時だ。

 床に何かが落ちているのが見えた。

「何……?」

 椅子に座ったままで屈み、それに手を伸ばして拾い上げてみる。

 ニユはその瞬間、あまりに驚いてひっくり返りそうになった。

 それは、手提げ鞄だった。

 ただの手提げ鞄であったなら、こんなに驚きはしない。その鞄は男爵夫人、今はケビンの物と瓜二つだった。

「どうしたです、お嬢様」

 怪訝そうなグリアムの声にも耳を貸さずに、手提げの中身を覗いてみる。

 見えたのは、複数の衣類と、それから大量の金貨。それは間違いなく――。

「ケビンの……、ケビンの鞄だ」

 それを聞いて、一同がそれぞれな反応を見せる。

 グリアムは「えっ」と目を丸くし、子爵はメイドを睨み付け、部屋の隅に控えていたメイドはおろおろし始めた。

 それが表す答えは一つ。

「貴方達、ケビンがここに来たんだよね? ――どこへやったの?」

 可愛く首を傾げる少女は、太い棍棒を、白髪の老人へと向けていたのだった。


「ゆ、許してくれ…………。悪かった、悪かったから、許してくれ」

 みっともなく命乞いをする子爵。

 メイドの娘はすっかり怯えてしまって身動きもできない。

「ど、どういう事です、お嬢様?」おずおずと尋ねるグリアム。

「どこかに隠してるよね。どこなの、ケビンは?」

 繰り返される問いに、だが子爵は命乞いをするばかりで答えない。

「仕方ないな。ごめん、ねっ」

 それに耐えかねたニユの棍棒が、振り下ろされる。

 グリアムは子爵の頭が割れるだろうと思ったが――、彼は無事だった。

 無事、という表現はおかしいだろうか。彼は横っ腹をぶん殴られ、あっという間に気絶してしまっていた。

「ひぃっ」メイドの娘は悲鳴を上げて失神してしまう。

 別にニユは彼らを殺すつもりはない。ただ、どこかに囚われているであろうケビンを助けなくてはならないだけだ。

「でもどうして……」

 ケビンが囚われてしまったのか。

 その問題はニユの頭では理解し切れなかったので、彼女はすぐ投げ出して行動に移る。

「グリアム、この人達を紐で縛って。そしたらケビンを探すよ!」

 その言葉に、驚愕に立ち竦んでいたグリアムが、ようやく表情を緩めて頷いた。「りょ、了解です!」


 子爵邸は、大騒動になっていた。

 慌てて飛び出して来た使用人勢と少女二人が衝突、屋敷の中には血が飛び散り、悲鳴が轟いている。

 どれだけいるのかと思う程、腕っぷしの使用人が次から次へと湧き上がって襲い掛かって来る。

 殺そうと思えば簡単に殺せるが、ニユはなるべく人殺しはしたくない。所詮彼らはポーメンに雇われた可哀想な人達だ。だから急所を外して棍棒で殴るのだが、また起き上がって来るのだから厄介である。

 これでは埒が明かない。

「お嬢様、ここは私奴に任せるです。――、お嬢様は早くケビン様を」

 状況を打開しようと、グリアムが勇気を出して叫ぶ。

 彼女の英断に頷き、ニユは「お願い!」と廊下を離れてドアの中に突入した。

 だが、いない。

 廊下に戻って走り、次のドアを開ける。

 いない。

 開ける、いない。開ける、いない。

 屋敷の一階にはケビンはどこにもいなかった。

 二階へ駆け上る。下からは凄い物音が響いて来る。使用人勢を殴り倒し、二階のドアも全部開けるが――、いない。

「もうっ、どこだろう?」

 メイドらしき老女を取っ捕まえる。「ねえ、ケビン……男の子がどこに閉じ込められてるか、知らない?」

 老女は白目をひん剥いて、おろおろ声で答えた。「し、知りません。で、でもきっと、地下牢に、いると思いま、す」そしてあまりの恐怖に失神した。

「ありがと。……地下牢か」

 一階へ駆け降りると、丁度グリアムが数人の男達に取り押さえられている所だった。

 そこをニユが助けに入り、朱色の血を噴出させて、男どもが無惨に死す。

「あー、やっちゃった」

 でもその代わり、グリアムが助かった。

「ありがとうです、お嬢様。いつもいつも、助けられてばっかりです」

「そんな事ないよ。来て、ケビンは下にいるみたいなんだ」情けない笑みを浮かべるグリアムの手を引いて、ニユは走り出した。

「きゃあ。やめて下さいです、お嬢様ぁ」

 半ば引き摺られるようになったグリアムの悲鳴が、屋敷中に響き渡ったのだった。


 目が覚めたケビンは、まず辺りを見回す為身を起こそうとし――、起き上がれない事が分かった。

 そして朦朧とする意識の中で、記憶を回帰させる。

「確か、子爵の奴に王子だとバレて、腕を捩じ上げられて……、そうだ。それで手足を縛られたんだ」と言おうとしたが、猿轡が嵌められていて、モゴモゴ、モゴモゴとしか声が出ない。

 つまり今の彼の状況、それは囚われ人。

 何故こんな事になってしまったのか……。自分の愚かしさを嘲笑いたくなる。そして、このまま死ぬのではないかという恐怖に胸が焼かれた。

 一体ここはどこなのだろう。目を走らせるが、真っ暗で分からない。

 喉が渇いた。腹が減った。尿意。寒い。暗い。何も見えない。何も聞こえない。尿を漏らした。怖い。恐ろしい。

 ケビンは自分が死んだのではないかと錯覚する程に虚無な空間の中で、涙を堪え、身を捩っていた。

 あの茶髪の少女は今頃どうしているのだろう。臆病な金髪の少女は一体何をしているのだろう。

 助けに来て欲しい、そんな幼い身勝手な気持ちが彼の中に芽生える。

 だが、ケビンは理性でそれを押し殺した。どうして俺の居場所が分かるんだ。あの少女達が、分かる筈、ないだろうに。

 今頃ニユなら、自分を探している筈だとケビンは思った。

 そう思うとひどくやるせない、むず痒い気持ちになって項垂れるしかない。

 逃げ出せず、何もできないままに時は過ぎ、ケビンは徐々に、考えるのを諦めた。

 もう、ここで死ぬのだろうなと、そう心に言い聞かせて、目を閉じた。

 その時だ。

 物凄い音と、悲鳴、複数の足音が上の方から聞こえた。

「モゴモゴ、モゴモゴ」

 あれは何だろうかと言いたいのである。

 その後、さらに騒ぎが大きくなり、ドタンバタンと凄まじい轟音が響く。

 何か事件でも起こったのだろうか? 分からない。分からない。何も分からない――。

 そんな時、突然に暗闇を光が切り裂いた。「ケビン、大丈夫だった?」

 蝋燭のランタンに照らされるケビンの耳に届いたのは、駆け付けてくれる筈がないと思っていた少女の声だった。

「ニユ」


 地下への階段は、一階の壁に紛れた隠し扉の中にあった。

 階段を駆ける茶髪の少女。

「お嬢様、痛い、痛い、痛いですぅ」相変わらず引き摺られる金髪の少女は、泣き叫び続けている。

 階段を降り切って真っ暗な地下室へ辿り着いた。

 そこでグリアムはやっと解放され、立ち上がって「ひどいです、お嬢様」と文句を言うが、「ごめんごめん」と軽く受け流されてしまった。

 それはともかく――。

「ケビン」

「ケビン様、どこです?」

 呼んでも返事がない。

 ニユは背負い鞄からランタンを取り出して、火を灯した蝋燭を中に入れる。少女達はその明かりで辺りをぼんやりと照らし、進み始めた。

 ひたひたと、二人の足音が地下室に響く。

 牢獄らしきものは見当たらず、並んでいるのはドアだけ。

「ここかっ」

 一番手前のドアを開けて中を照らすと、そこには尸があった。

 死後恐らく三年以上。手足が縛られ、すっかり乾き切った血溜まりが広がっていた。

「ひ、ひぃいっ」グリアムの絶叫が地下を木霊し、彼女はぐったりと倒れてしまった。

 だが意外とニユは平気で、ドアを閉め、また次のドアを開ける。

 そこにも尸。

 道の左右に並ぶ十六程のドアを開けて閉め、開けて閉め、開けて閉め……。

「どこも死体だらけ……」

 失神したグリアムを抱えながら、ニユは最後の扉の前に立つ。

「――どうか、ケビンがいますように」

 そう呟き、ドアノブに手を掛けた瞬間。

 背後から、無数の足音が聞こえた。

「やばい」

 振り返り、気絶したグリアムを適当に地面に置いてから棍棒を構える。

 階上への階段からゾロゾロと駆け降りて来たのは、護衛用に雇われていると思われる腕っぷしの男達。

 そしてその中に、白髪の邪老人の姿もあった。「よくもやってくれたな、小娘め。儂が成敗してくれるぞい」

 ――これはいよいよ、本気でやらなければならなそうだ。

 向こうは剣や弓矢、様々な武器を手にしている。こちらは棍棒一本だけだが、やるしかない。そう思い、ニユは人塊へと走り出していた。

 普通ならとても無謀だろう。だがニユは、負ける訳にはいかなかったし、負ける気がしなかった。だって、ケビンを救い出さなくてはならないのだから。

 一気に武器がニユ目掛けて来るが、棍棒に打ち落とされる。

 そして次の瞬間、鮮血が空中を乱舞し、ぐしゃりと頭や胴を潰された男達が地面に倒れ伏した。

 武装した集団は一度散り散りになり、茶髪の少女へ四方から突進、または弓を放って来る。

 ピンクのワンピースを翻し、暗闇の中を跳ぶ少女はランタンの明かりだけで攻撃全てを捉え、棍棒を旋回させて回避。突っ込んで来る者は足で蹴り飛ばし、体当たりを食らわせた。

 襲撃が失敗した事で生存者は半減。残り十人程になる。

 一人の男が、踊り掛かって来た。その手には、長剣が握られている。

 次の瞬間、棍棒と長剣が勢い良くぶつかり、地下に甲高い音が響いていた。

 背後から弓矢が飛んで来る。だが――。

「甘いよ!」

 目の前の長剣の男の背後に回って彼を盾に弓矢から身を守り、かつ隙をついて男の頭部を叩き割るという凄技を、ニユはして見せた。

 一同があまりの事に呆然とする。

「隙あり!」

 そこへ駆け寄り、ニユは棍棒を振り回し、叩き付ける。容赦のない一撃に、残り九人のうち八人は自覚すらないまま死んだ。

 残るは一人。

 白髪の老人、ポーメン子爵は恐怖に膝を付き、その瞳に怯えの色を見せて震えていた。


「ごめんなさいごめんなさい許して下さい。儂は、悪魔に……、ドンに騙されてただけなんじゃ。だから……」

 ドンに騙されていたとの驚きの発言を受け、ニユは少し考える。

 もしそれが本当だとすれば、彼は哀れな老人だ。だが彼女はすぐに気付く。彼の瞳に、偽りの色がある事を。

 子爵は騙されたのではなく、自分の意思でドンに付き従ったのだ。それはなんと愚かで、そして邪なのだろうか。

 家族を皆殺しにし、民を苦しめる魔人の手下になど、優しくしてやる必要は何もなかった。

「もう許さない。ケビンを捕まえて、アタシまで殺そうとして。貴方はその報いを受けるんだよ。……地獄に落ちな!」

 直後、地下室中を、老人だった肉片と血、砕かれた骨が舞い散っていった。


 最後の扉を開けて、中に入る。

 真っ暗な部屋をランタンで照らすと、白い何かが見えた。

 尸かと一瞬思うが、ニユはすぐにその正体が分かる。――手足を縛られ、蠢いているそれは、見慣れた黒髪の少年だった。

「ケビン、大丈夫?」

 その声に「モゴモゴ」と何事か呟く彼。どうやら猿轡がされているらしい。

「ひどい。すぐ外してあげるからね」

 手足の縄をグリアムの包丁で切り、猿轡を外してやると、なんと彼が突然抱き付いて来たので、ニユはびっくりした。

「うわっ。どうしたのケビン?」

 彼の挙動に何かあったのかと思い、視線を巡らせるが何もない。

 そして視線を戻すと、少年の顔面が、薄暗い中でも分かる程に赤くなっていた。「ご、ごめん。何でもない。つい……」

 それでニユは理解する。「怖かったんだね」

 だがどうやらその言葉が彼は気に入らなかったようで――。「こ、怖かったんじゃない。ただちょっと……、安心しただけだ」

 いつもクールな彼の慌てぶりを見て、ニユは知らず爆笑してしまう。

 でも考えてみれば、こんな暗い中で一人、手足を縛られて閉じ込められていたのだ。こんな風に強がっていられるだけでも、立派だった。

「やっぱ強いんだね、ケビンは」

「当然だ」そしてケビンはニユの手を握ると、「ありがとう。また助けられたな」と微笑んだ。

 それに嬉しさを覚えながら、ニユは頷く。「良いよ。だって、仲間でしょ?」

 そのまま二人はしばらく手を繋いで笑い合っていた。


 その後、気絶から覚めたグリアムを連れて、三人は屋敷を後にした。

 そして、忘れてはならないのが船の存在だ。

 意地悪な子爵だが、どうやら嘘はついていなかったようで彼は小型船を所有していた。それを、持ち主が死んだという事で、勝手にではあるが譲り受ける事に成功。

 ニユ、ケビン、グリアムの三人は現在、昇りたての朝日に照らされ、湖を渡っている。

 目指すは王都。

 船はゆっくりとゆっくりと、湖上の都市へ向かって進んで行く。

 水面を眺めながらニユは思う。

 この先、まだまだ苦難があるかも知れない。だがきっと大丈夫だ。何故なら、「仲間がいるから」

 最初の困難を乗り越えた三人の間には確実に、絆ができたに違いないのだった。

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