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⑶『批評雑考』
⑶『批評雑考』
㈠
何かに力尽きる前に、批評は体現されるだろう。ただの、沈黙という一つの現象原理も、批評は、雑考として、世界に位置付けられる。遥か彼方から遣って来る、思想の伝来によって、また、哲学の伝来によって、日本が惑わされども、日本はまた日本で、日本独自の文化に、それらを位置付けるだろう。
㈡
観念的破滅などという、詩的言語が、批評をまさに、批評化する時に、言語は奪われて、独立した言語形成が行われる訳である。難しいことなどないのだ、ただ、自然の流転の中で、鮮明に批評雑考は息づいているのである。批評の勝利である。
㈢
雑考と言う形を取ったこの論考も、批評が主体なら、やはり、主体的関わり方によって繋がる言語の言語足る現象によって、批評は雑考として捉えられている。眼前に提示される、この雑考も、やはり、考えてみれば、批評の一つであることは、間違いないだろう。