Cafe Shelly 戸惑いながら
いつもの時間、いつもの通り道。私は事務のパートから帰る途中によるスーパーで、いつものように近所の奥さんと遭遇し、そしていつもの立ち話。
「竹内さん、聞いた? あそこの奥さんがさぁ…」
悪い人じゃないんだけど、いわゆるうわさ話が好きなおばちゃんで。この人に捕まると十分は立ち往生してしまうからな。でも、ここで話を聴いてあげないと私がどこで何を言われるかわからない。
こうやって話好きのおばちゃんの口撃をなんとかクリアすると、次に控えているのがレジの行列。夕方はとても混むから、早く済ませたいんだけど。で、ここをクリアしてようやく子どもを児童クラブに迎えにいける。
一人息子の利弥は小学二年生。まだまだ親に甘えたい年頃ではある。私の姿を見ると、すぐに帰り支度をして一目散に駆け寄ってくる。
そして帰ったら旦那の帰りを待ちながら夕飯の準備。旦那は六時半には帰って来て、七時には一緒に夕食。何事もない、こんな感じの毎日がまた今日も終わりを告げようとしている。
これが幸せなんだろうな。けれど、何かが足りない。最近、そんな戸惑いを感じ始めた。
「みさき、今度の休みにまたみんなで温泉に行かないか?」
旦那からのお誘いだ。
我が家は温泉好きで、時間ができると日帰りや一泊でこういった家族旅行に出かけることが多い。こういうのは好きなのでありがたい。
でも考えてしまう。これはこれで余暇の過ごし方としては恵まれているのだろうが。やはり何かが足りない。自分の人生、こんな感じで流されていいのだろうか?
旦那は転勤族で、三年くらいすると次の土地にという形で移動している。おかげでいろんな土地に友達は増えたが、私自身の身の置き場が定着しなくて。それぞれの土地でパートの仕事を見つけては次に移るという形をとっている。
前回までは子どもも小さかったのでそれほど問題でもなかったが、小学生になってからはそろそろどこかに腰を落ち着けたいな、という気持ちも強い。かといって単身赴任されるのは嫌だ。やはり家族は一緒がいい。
「結局、私の意志が固まっていないのがいけないのかなぁ」
温泉旅行の準備をしながら、ふとそんな言葉を漏らした。
「えっ、何か言ったか?」
「ううん、なんでもない」
そう思いつつも、最近こんなことを考え始めたきっかけを思い出した。
「竹内さんってまだ若いんだから、もっと楽しまなきゃ」
PTAの会合の時、とある奥さんからそんなことを言われた。
「楽しむって、どんなふうに?」
「やっぱやりたいことをやらないとね。何か趣味とか持ってないの?」
趣味、と言われて困ってしまった。実はいろいろとありすぎて困る。
結婚前はパッチワークに凝ったこともあった。子どもが小さい頃は手作りのお菓子。仕事についても、商業高校を出ているので簿記の資格は持っている。そのため経理関係には強く、そこからファイナンシャルプランナーの資格も持っている。他にも心理学に興味があって、本を読んで勉強をした。
けれど、どれも完全に身についたわけではない。もっと突き詰めれば、どれか一つくらいは人に負けないくらいのものを持っていたかもしれないのに。
そんな話を奥さんにしたら、こんな提案がでてきた。
「だったら私が占ってあげるわよ」
実はあとで他の人に聞いた話なんだけど、その奥さんは占いに凝っていてだれでもかれでも占いをしてあげるんだとか。まぁお金を取られるわけじゃないし、当たらなくても余興だと思えば文句もないし。そのときは時間がなかったのでまた今度ということにしたけれど。ふとそんなことを思い出してしまった。
「私、何が向いているのかなぁ」
旅行の準備が終わって、旦那にそんな話をしてみた。
「みさきに向いてるものねぇ。そういうの、確か引き出してくれるような人がいるって聞いたぞ。自分の気づかないところを質問とかして気づかせてくれるってやつ。なんて言ったっけ?」
「コーチング、じゃない?」
「そうそう、それ。みさき、よく知ってたな」
「コーチングも興味はあるのよね。でも勉強しようとしたら結構お金がかかるんだよ」
我が家にはそんなところにお金をかけるほど余裕はない。何かをしようとしたら、当然お金がかかってしまうからなぁ。それも戸惑いの原因の一つではある。
旅行前にそんな会話をしたせいか、その週末の旅行はちょっと悶々とした気持ちが残っていた。えぇい、温泉にでも入ってさっぱりしなきゃ。
湯けむりの中、私は一人でぼーっと考えながら時間を過ごした。結局、さっぱりどころかまた考えこんでしまう始末。
あ、やばい。目の前がクラクラしてきた。湯あたりしそうな感じ。そろそろ出なきゃ。
そう思った瞬間、私はよろけて隣にいた女性におもわず抱きついてしまった。
「きゃっ」
「ご、ごめんなさい」
そう言いつつもうまく立てない私。
「大丈夫ですか?」
そう言ってきたのは若い女性。まだ学生じゃないかしら。
「しっかりしてください」
私はその女性に支えられながらも、足元がふらふらしている。
「だ、だいじょう…ぶ」
そう言った後、気を失ってしまった。
次に目がさめたとき、私は頭に冷たいタオルを乗せられて見知らぬ人達の心配そうな覗き顔の中にいることに気づいた。
「えっ、私、どうしちゃったの?」
思わずパニックになる。
「よかった、目が覚めましたね」
そう言ってきたのはさっき抱きついてしまった若い女性。
「ご、ごめんなさい。私、考え事をし過ぎちゃって湯あたりしたみたいで」
ふと気がつくと、浴衣一枚で下着も何もつけていないことに気づいた。急に恥ずかしさがこみ上げてくる。
「とりあえず旅館の方にお願いして浴衣だけ羽織らせてもらって私の部屋に連れてきてもらったんです」
そう説明する若い彼女の顔を改めて見る。髪が長くて清楚な感じ。
「冷たいお水はいかがですか?」
そう言ってくる笑顔がとてもステキ。
「はい、じゃぁお言葉に甘えて」
それに比べて、私はなんだか情けない。
「こちらにはご旅行でいらしたんですか?」
「はい、家族旅行で。しまった! 旦那に連絡を取らないと」
どのくらい時間が経っているのかわからないけれど、なかなか帰ってこない私を心配しているんじゃないかな。
「竹内みさきさん、ですよね。旅館の方が覚えていてくれたので、旦那さんには連絡をしています。それと着るものはこちらに」
そう言ってその女性は袋に入れた私の衣類を渡してくれた。
「あ、ありがとう。なんかすごく迷惑をかけてしまって」
「いえ、とんでもない。でも、湯あたりするまで何を考えていらしたんですか? 何か悩み事でも?」
「悩み事ってほどじゃないんだろうけど」
私は布団の中で手渡された衣類を手早く着て、あらためてその女性の方を見る。
「私、今の自分でいいのかなってふと思ってしまって」
「そういう時期ってありますよね。あ、私白石由衣といいます。大学生なんですけど、セラピストもやっているので何かお役に立てるかもしれません。もしよかったら、あとからもう一度お話しませんか?」
「えっ、いいんですか? そういえばこちらにはお一人で?」
「はい、ちょっと自分自身を癒してみようかなって思って。でも来てよかった。こんな方とお知り合いになれたんだから」
私みたいな人間と知り合いになれてよかっただなんて、なんか変わった人だな。でもそう言われるとなんだかうれしい。
私は由衣さんと食事の後にまた会う約束をして一度部屋に戻った。
「おい、大丈夫だったか?」
部屋に戻ると、旦那がそう声をかけてきた。が、心配そうな素振りとは裏腹に、すでに並べられている料理を息子と一緒に食べているところだった。
「なによ、心配してくれてると思ったら先に食事しちゃって」
「そう言っても、利弥がお腹すいたっていうから」
旦那には旦那の言い分があるんだろうが、なんかショックだな。そう思いつつも、私もお腹が空いたので早速食事に。
「私、ご飯食べたらさっき助けてもらった由衣さんのところに行ってくるから」
「みさきを助けてくれた人だな。しっかりとお礼をしておくんだぞ」
旦那はそういうの、私にまかせっきりなんだから。とはいうものの、利弥の面倒を見てくれるということなので私は腹を立てながらも由衣さんのところに向かうことにした。
「お待ちしてました。さ、どうぞ」
由衣さんは私を待ち構えてくれていたらしい。旦那とは違って、私を待ってくれていたと思うとなんだかうれしいな。早速おじゃまして、そこからガールズトーク開始。
私はいきなりさっきの旦那の態度に対して愚痴を言い始めた。由衣さんはにこやかな表情で私の話を聞いてくれる。なんだかすごく話しやすい人だな。私もこうなりたいな。
「なるほど、みさきさんは今すごく戸惑っているんですね。自分が何をしていくべきなのかについて」
「そうなの。でも、今一つわかったことがあるわ。私、由衣さんみたいな人になりたいなって思った」
「私みたいに?」
「うん、安心して話ができるし、受け答えもしっかりしているし。何よりかわいいしね」
「えへっ、ありがとうございます。一つ聞いてもいいですか?」
「うん、いいよ」
「私みたいになって、何をしたいんですか?」
そう言われて言葉に詰まってしまった。単に憧れているだけじゃダメなんだ。それで何をしたいのか。そこから先が見えてこない。
ここで悩んで黙りこんでしまったからなのか、由衣さんがこんな提案を。
「ちょっとおもしろいことやってみませんか? でもこれ、私は仕事としてやっているので無料ってわけにはいかないんですけど」
「どんなこと?」
「この八枚のカードを使って、みさきさんの今の悩みに対しての解決策を導くんです」
「えーっ、それって占い?」
「占いとは違います。みさきさんはコーチングはご存知でしたよね」
「うん、質問とかで相手から気づきを引き出すっていうのだよね」
「これはメタファリングといって、コーチングの一つなんです」
「コーチングかぁ。一度受けてみたいと思っていたけど、でも正直お金が結構かかるんじゃないの?」
私は以前コーチングに興味があって、受けてみたいと思っていろいろなコーチのホームページを見たけれど、とてもパートで働いている主婦が出せる価格では無いので諦めたことがある。
「うぅん、メタファリングは本当なら一回二千円なんだけど」
「えっ!」
私が思っていた価格よりずいぶんと安い。
「それなら受ける!」
思わず飛びついてしまった。二千円くらいだったら出せるし、それに占いを受けるのと対して変わらない価格だし。
「じゃぁちょっと待っててくださいね」
由衣さんはそう言って、バッグの中からカードを取り出した。
「じゃぁ、あらためてお聞きしますが、どんなテーマでメタファリングを受けてみたいですか?」
「えっとね、私のこれからの進路について、かな」
「みさきさんの進路ですね。では進路について今の状況をイメージした時に、この絵の中からピンとくるものを直感で一枚選んでください」
「直感で…」
八枚の絵をひと通り眺める。人物画だったり風景画だったり、いろいろなのがある。画のタッチもさまざまだし、色使いもバラバラ。その中から直感で一枚選んだ。
「この絵のどこが気になりましたか?」
「うんとね、男の子が一人で歩いているところ、かな」
「男の子が一人で歩いているところか。それってみさきさんにとってどんな意味があると思いますか?」
由衣さんにそう質問されて悩んでしまった。どうしてこの部分が気になるんだろう。
「そうねぇ…なんか今の私みたい。何もアテがなくてフラフラ歩いている…」
言いながら気づいた。今の私って、特に大きな目標もなく、フラフラしている状態なんだ。
由衣さんはさらに私の今の状況を詳しく聞いてくる。その答えを言えば言うほど、今の自分がいかに意味もなく生きているのかがわかってきて情けなくなる。
「では次に、みさきさんの理想的な姿をイメージした時に、ピンとくる絵を一枚選んでください」
今度は理想の状態か。これはすぐにひらめいた。
「これ、この大きな木の絵」
「これのどこが気になりましたか?」
「なんか安定感があって、そして大きく枝葉が伸びていくところかな」
そこから私は勝手に一人でしゃべりだした。こんな風に成長したいんだ、こんな生き方をしたいんだ。言いながら気がついていく。そうか、私ってそういう生き方をしたくていろんなことに手を出していたんだ。けれど、この木のように安定した幹となる部分がなかった。その幹となる部分を探したい。そのことを由衣さんに伝えた。
「なるほど、安定した幹を見つけたいんですね。ではそれを見つける方法、解決策をイメージした時にピンとくる絵を一枚選んでもらってもいいですか?」
見つける方法、これがわかれば苦労はしないんだけど。残った六枚のカードを眺める。どれだろう? そう思いながら見ていると、なんとなくこれかなっていうのが目についた。
「この、お花の絵です」
「花の絵ですね。これのどこが気になりましたか?」
「この花になる人、私のモデルになるような人を見つける…」
口から先に答えが出てきた。
「そのモデルとなるような人って、どんな人ですか?」
ここで私ははっきりわかった。この花のように咲いている人。それは…
「由衣さんです」
私の答えにさすがにびっくりしたようだ。私は言葉を続けた。
「由衣さん、私の師匠になってくれませんか? 私、由衣さんにこのメタファリングを学びたいって思ったんです」
「私に、ですか?」
「ごめんなさい、突然でしたね。ダメですか?」
「いえ、ダメじゃないんですけど…。ちょっとびっくりしちゃって」
「ちゃんとお金は払います。私、前からこういう人の役に立つことをしたかったんです。心理学にも興味があったし。コーチングも勉強したかったけど、ちょっと高かったから…」
「そうですね…でもよく考えたら、どうやって教えればいいのか。みさきさんってお住いは?」
そっか、離れてたら無理か。
「由衣さんはどちらの大学なんですか?」
由衣さんの大学名を聞いてびっくり。
「えっ、私の家ってそこのすぐそばですよ」
「じゃぁみさきさんとはわりと近所なんだ。そしたら…そうだ、あそこにしよう。ね、カフェ・シェリーって喫茶店ご存知ですか?」
「カフェ・シェリーは知らないなぁ。それ、どこにあるんですか?」
場所を聞いてこれまたびっくり。私がパートで行っている事務所の近くじゃない。
「じゃぁ、ここで私がみさきさんをレッスンすることにしましょう。ここだとみさきさんも自分の将来がはっきりと見えてくるはずですから」
ここだと、という意味がよくわからないが。とりあえず一回目の具体的な日時を決めて、この日は終了。気がついたらトントン拍子に自分の未来が決まっていった。
うん、これなんだよなぁ。なんだか自分の未来が見えてきた感じがして、期待感が高まっている。けれどこれって、毎回何かを始めるときに同じ事を繰り返している気がする。また同じようにならないといいけどな。
そんなことを部屋に帰って旦那に報告。
「ん、いいんじゃない」
旦那はテレビを見ながらたった一言、そう言うだけ。一見すると無関心に見えるけれど、これが旦那流の応援のやり方だっていうのはわかっている。ちなみにカフェ・シェリーのことを聞いてみたけれど知らなかった。
そんなこんなで一週間が経過。私は由衣さんと待ち合わせをしたカフェ・シェリーに向かった。
「へぇ、ここの二階だったんだ」
カフェ・シェリーのある通りはよく行くところ。パステル色のタイルが敷き詰められた道路で、道の両脇には小さなお店がたくさん並んでいる。いつもは一階のお店しか気にしなかったなぁ。
階段を上がり、ドアを開く。
カラン・コロン・カラン
心地良いカウベルの音が私を出迎えてくれた。同時に聞こえてくる女性の「いらっしゃいませ」の声。少し遅れてカウンターの方から男性の低くて渋い声で「いらっしゃいませ」。喫茶店なんて久しぶりだな。
「お一人ですか?」
「いえ、待ち合わせなんですけど」
「あ、もしかしたら由衣さんとですか?」
女性店員がそう声をかけてくる。
「はい、そうです」
「だったら伝言があるんです。どうしても抜けられない用事ができて、一時間ほど遅れるそうです」
なんだかちょっと残念だな。
「そのかわり、シェリーブレンドをご馳走しますっていうことでした」
「シェリー・ブレンド?」
「当店のオリジナルブレンドです。もう一つ由衣さんから伝言です。シェリー・ブレンドを飲んだ感想を、マスターとマイさん、あ、私のことです、に伝えてみてくださいって」
どういう意味だろう? とりあえずお店の真ん中の丸テーブルの席に腰を下ろす。そしてシェリー・ブレンドが来るのを待つことにした。
あらためて店内を見る。カウンターの横に二色のボトルが並んでいる。確かオーラソーマのボトルだ。
このお店、色は茶色と白で統一されてなんだか落ち着いた雰囲気。音楽もジャズが流れていて、軽快だし。そしてコーヒーの香りと甘いクッキーの香りがいい感じでミックスされている。
大人の雰囲気のお店だけれど、それでいて妙に心が弾んでいる。こういうお店でメタファリングとかやるといいかもなぁ。そんなことを妄想してしまう。ちなみに妄想は得意技だ。
「おまたせしました。シェリー・ブレンドです」
運ばれてきたのはいい香りのコーヒー。喫茶店のコーヒーなんてすごく久しぶりだな。いつもインスタントばかりだもん。
早速そのコーヒーに手を伸ばし口に含む。うん、なんだか味もすごくまろやか。そしてすごくワクワクを感じる。これから由衣さんにメタファリングを教えてもらえるという期待がさらに高まる。そしていつかは場所を借りてサロンを開き、そこにたくさんの人が集まって。私はその中で、由衣さんのように多くの人の悩みを聞きながらも常に笑顔で対応している。メタファリングの教室なんてやるのもいいな。
妄想はどんどん広がっていく。今までこんなに強烈に、そして鮮明に思いを描けたことはなかったな。
「いかがでしたか?」
その声にハッとした。いけないなぁ、妄想で突っ走るクセがあるからなぁ。
「え、えぇ、とてもおいしいコーヒーでしたよ」
とりあえずありきたりの答えをマイさんに伝えた。
「私の目から見ると、何かをイメージされていたように思えるのですが」
げっ、妄想していたのがバレてる。私、どんな顔をしていたんだろう。
「わ、わかります?」
「はい、実はそれがシェリー・ブレンドの効果ですから」
「シェリー・ブレンドの効果?」
どいういうことだろう?
「シェリー・ブレンドは飲んだ人に魔法をかけるんです。その人が望んでいるものの味がするんですよ。人によっては、望んでいることの映像が見えてくるんです」
映像って、まさに今私が見たものじゃない。
「何か見えてきましたか?」
「え、えぇ。実は…」
私は由衣さんと出会ったきっかけから、今抱いている自分への不満、そして今日何のためにここにやってきたのか、そしてシェリー・ブレンドを飲んで見えてきたものをマイさんに話してみた。
「なるほど、そういうことなんですね。じゃぁ私から一つ質問してもいいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
「もしみさきさんが描いている未来が叶ったら、まず誰に感謝を伝えてみたいですか?」
誰に感謝を。ぱっと思いつく人はたくさんいる。
「やっぱり指導をしてくれる由衣さんでしょ。そして一緒に家庭を支えてくれる旦那。私が指導を受けている間、一人にさせてしまう息子の利弥。他には…」
まだ出そうと思えば名前は出てくる。
「もっと大事な人を忘れてはいけませんよ」
「もっと大事な人? うぅん、両親とか?」
まだ名前を出してはいないが、それは頭にはひらめいていた。マイさんは私の言葉ににこりと笑っているだけ。答えは教えてくれない。
「う〜ん、わかんない。降参」
ちょうどそのとき、ドアのカウベルが鳴り響いた。
「いらっしゃいませ。あ、由衣さん」
「遅くなってごめんなさい」
現れたのは由衣さん。走ってきたのか、息が荒い。
「みさきさん、シェリー・ブレンド飲んでみたんですね。どんな味がしました?」
由衣さんは腰掛けながら私にそう質問してくる。
「えぇ、ちょっとびっくりしました。私がなりたい未来が見えましたよ」
「どんな未来だったんですか?」
私はここで先程マイさんに話したことをそのままもう一度伝えてみた。さらにその後、マイさんからあった質問も。
「なるほど、誰に感謝を伝えたい、か。で、みさきさんはどう答えたんですか?」
「それがですね、私の身近にいる人とかをあげたんですけど、どれもまだ正解じゃないみたいで。ねぇ、マイさん、正解は?」
マイさんはカウンターで微笑んでいるだけで、答えを教えてくれない。
「由衣さんはこの答え、わかりますか?」
「そうですね。教えるのは簡単ですけれど、その前に簡単なメタファリングをやってみましょうか」そう言って由衣さんは八色の色のカードを取り出した。
「赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫、ピンク、そして白。ここに八色のカードがあります。この中で、好きな色ではありません、今みさきさんが感謝したい人のことをイメージした時にピンとくる色を一つ選んでもらってもいいですか?」
感謝したい人のこと。今まで答えた人以外と考えると…私はなんとなく白を選んだ。
「白ですね。ではどうしてこのカードを選んだと思いますか?」
どうして…その答えがなかなか思いつかない。私はどうしてこの白のカードを選んだのだろう? 何気なくシェリー・ブレンドに手を伸ばす。そしてそれを一口飲んだ時、私の中でまた強烈なイメージが思い浮かんだ。
私がある人にありがとうを言っている。そのありがとうを言っている人物とは…
「わたし…私だ」
「みさきさん、どうやら答えが見えたようですね」
「はい、でもどうして私?」
「どうしてだと思いますか?」
「白を選んだのは、それは何にも染まっていないから。そうか、周りの影響を受けていない自分自身のことを指しているんだ。でもどうして感謝する人が自分なの?」
「今まで自分にありがとうを言ったことがありますか?」
突然背後から低く渋い声でそう言われた。この店のマスターの声だ。
「はい、由衣さんのシェリー・ブレンドです。もう一度お聞きします。今まで自分にありがとうを言ったこと、ありますか?」
マスターはにこやかな顔で私にそう聞いてくる。
「自分にありがとう…そんなこと、考えたこともなかった気がします」
「そうなんですよ。実は私もそうでした」
マスターは空いた席に腰掛けて私に話しかけてきた。
「由衣さん、少しみさきさんに話をしてもいいですか?」
「はい、あの話ですね。ちょうどいいタイミングですから」
あの話ってなんだろう? 私は興味を持ってマスターの方を向いた。
「私ね、以前は高校の先生をしていたんです。このときにスクールカウンセラーをしていたんですが。いろいろな人が相談にきて、いろいろな悩みを聞いていました。でね、ほとんどがマイナスエネルギーでしょ。これを続けているとどうなると思いますか?」
「えっと…なんか自分も落ち込んでしまいそうですね」
「そうなんです。事実私もそうなりかけました。だからストレス解消にジムに通ったり温泉に行ったり。でもそれって見せかけのストレス解消なんですよね」
あ、分かる気がする。私も温泉に行くとさっぱりした気になるけれど、家に帰れば現実が待っている。
「それでどうしたんですか?」
「はい、そんなときにある言葉に出会いました。魔法の言葉です」
「魔法の言葉?」
「そう、魔法の言葉。つらい時こそありがとう、いいことがあったら感謝します」
つらい時にありがとう、なんて言えない。そう思ってしまったが、マスターの言葉にさらに耳を傾けた。
「これは五日市剛さんという方の講演を聞いて知ったんです。私は早速それをやってみました。すると…」
「すると?」
「おもしろいように世界が変わりましたよ。ストレスだと思っていたカウンセリングが、そうではなくなったんです。気持ちが楽になり、さらにいいことが引き寄せられてきて。そして今に至るんです。そもそも、ありがとうって誰に言っていると思いますか?」
「誰にって…カウンセリングの相手じゃないんですか?」
「確かにそれもあるんですが。これこそ、自分に向けて言っているんです。悪いことが起きたら、よく頑張ってくれたね、ありがとうって。いいことが起きたら、それをよくやったね、感謝しますって。自分のことを一番認めてくれるのは自分だって」
その言葉にドキッとした。私、今まで自分のことを認めていなかった気がする。だから自分が嫌だったんだ。
「みさきさん、今自分のことをどう思っていますか?」
今度は由衣さんが私に質問してきた。
「自分のことを…正直、嫌でした。こんなに優柔不断で、何一つ自分のものにすることができなくて。でもそれって、自分を否定していたんですね。自分にありがとうなんて一度も言った事無いですから。でも…」
「でも?」
「何に対してありがとうを言えばいいんだろう。言えることなんかないですよ」
「じゃぁ、それをこの八枚のカードを使って探ってみましょうか」
由衣さんはメタファリングのカードを八枚取り出した。前に見たのとは違って、今度は写真のカードだ。
「自分に対してありがとう、というのをイメージした時にピンとくる絵を一枚選んでみてください」
どれだろう。戸惑いながらも、なんとなく気になったものを手にした。
「これ、パワーストーンのブレスレットかな。これが気になりました」
「これのどこが気になりました?」
「パワーストーンってスピリチュアルな面があるじゃないですか。私、そういうのは好きなんです。直感力というか、今までそれでいろんなことに手を出してきましたから」
「直感力、ですね。それってみさきさんにとって、どんな意味があると思いますか?」
「うぅん、迷いはあるけれど、直感に従って行動して、そのときは満足できるんですよね。そうか、その時々に応じて自分を満たすことはできてるんだ。今は戸惑いが多いけれど、そのときは戸惑うことなく判断できてるじゃない」
「そんな自分になんて言いますか?」
「はい、素直にありがとうを言える気がします。うん、ありがとう、だ」
私の心の中のモヤモヤが一気に晴れていった。
「じゃぁ、今こうやって由衣さんに会ってメタファリングの指導を受けようと思っているのも、判断は間違っていないんですね。うん、なんだか自信が湧いてきた」
私の言葉を聴いて、マスターはにこやかな顔で大きくうなずいてくれた。
「みさきさん、気分はどうですか?」
「はい、自分にありがとうを言えたらすごくすっきりしました。そうか、戸惑っているときにはこうすればいいんだ」
気が楽になったら今はやる気が心の奥から湧いてくる。
「由衣さん、早速私にメタファリングを教えて下さい」
こうして私のメタファリングレッスンが始まった。
メタファリングは思ったよりも簡単。決められた手順どおりに、決められたセリフを言っていけば、クライアントとなる人の気づきを引き出すことができる。
「みさきさん、のみこみが早いですね」
「えへへ、そう?」
ちょっと照れくさいけれど、そう言われ悪い気はしない。私ってお調子者だから。
「今日お伝えしたカラーメタファリングは簡単にできるものだから、まずはこれを繰り返してお友達やご家族にやってみてください」
「はい、ありがとうございます」
「じゃぁ来週、またここで」
私は帰ってから早速旦那にカラーメタファリングを試してみた。進め方はまだ手順書を見ないと覚えきれないけれど。でもこれが意外にも旦那に大ウケ。
「そうだよなぁ、オレは悩んでいると思ってたけど、実は不満を言いたいだけだったんだ。まずは自分で変えられることを考えないと」
会社のことでグチグチ言っている旦那がこんなことに気づいてくれた。
「みさき、ありがとう」
こうやって感謝されると、さらに次の人を試したくなる。翌週、早速職場で実践。
「へぇ、これ占いみたい。なんかおもしろいね」
女性陣には結構ウケがいい。遊び感覚でできるのがいいな。その報告を早速次の土曜日に由衣さんにしてみた。
「わぁ、うれしい。みなさん、どんな表情をしていましたか?」
「そうですね。みんなメタファリングの後は晴れ晴れとしていましたよ」
「その表情を見て、みさきさんはこれからどうしたいって思いましたか?」
「はい、もっともっとこんな表情の人を増やしていきたいって。そう思いました」
「よかった。じゃぁ今日からはもっと本格的なピクチャーメタファリングについて教えますね」
ピクチャーメタファリングは、最初に由衣さんが私にしてくれたものだ。八枚の絵を使って、そこから現状、理想、そして解決策の三つの気づきを引き出すもの。一見すると難しいように思えるけれど、基本的には同じ事を繰り返すだけ。しかも質問のパターンも同じ。これも手順さえ覚えればなんとかなりそう。
私は自分で「メタファリングノート」というものをつくって、それに教えられたことを書き込む。さらにロールプレイで私がやってみて由衣さんからフィードバックされたことや自分で気づいたことも書きこんでいく。これが私のマニュアルになる。
翌週はメタファリングをやる人、メタファリストとしての心構えなどを教えてもらった。
「みさきさん、メタファリストのライバルって誰だと思いますか?」
聞かれて私は考えた。
「うぅん、占いに似ているから占い師かな。あ、あとコーチングをやっている人もライバルになる気がするなぁ」
「確かに、メタファリングに近い仕事はライバルという感じもしますね。じゃぁそういう人達に対してどのような思いをいだきますか?」
「どのようなって、やっぱライバルだから競争に勝たないと」
「競争かぁ。みさきさんはどうして競争するの?」
言われてハッとした。ライバルという言葉から、競争するのが当たり前に感じていた。けれどよく考えたら、どうして競争しないといけないんだろう。そもそもメタファリングと占いは根本的に違うし。メタファリングはコーチングの一種だけど、別に顧客を奪い合う必要はない。
「何かに気づいたようですね」
由衣さんの言葉に私は自分が思ったことを口にしてみた。
「ライバルっていう言葉に騙されるところでした。そもそもライバルはいない、こういった人たちと協力しながらやっていけるんじゃないかって」
「私もそう思います。実は私、有名な占い師とすでに協力しているんですよ。人によっては他人からのアドバイスが欲しいという場合もあります。そういう時にはその占い師を紹介しています。占い師も、これは自分で解決したほうがよさそうだというクライアントは私を紹介していただいています。おかげでお互いの顧客が増えているんです」
なるほど、ライバルはいない、か。競争よりも協力。それが発展してくための秘訣なんだな。
あと由衣さんに言われたのは、メタファリングは人の発展を願うために行うものであること。人を操作するものではない、ということだ。うぅん、そういう罠に陥らないようにしないとな。
「みさきさん、メタファリングはどんな場所でもできます。とにかく一歩を踏み出してください」
「はい、がんばります!」
早速お金をとってプロとしての活動を始めてみて、ということ。今までは無料でやっていたけれど、いざお金を取るとなると躊躇してしまう。けれど、それだけの価値を相手に提供するのだから対価はとるべきだ。
実はお金をいただくというのは相手のためでもあるとのこと。無料だと、自分の出した答えに重みを感じなくなる。そのため、せっかく出した答えも行動に移さない。ところが、わずかでもお金を出すと答えに重みを付けて、行動しないと損をするという気持が働くそうだ。それができるのが「プロ」というもの。
なるほど、プロの意味はそこにあるのか。私は早速行動を開始することにした。まずは職場の人に声をかけてみた。だが、いざ有料となるとみんな二の足を踏んでしまう。
なかなか一人目の有料客がつかまらない。やっぱ料金が高いのかな。でも一回二千円って、そんなに高いとは思わないけれど。翌週、そのことを由衣さんに話したらこんな答えが。
「こういうお仕事をする人にとっては必ず出てくる悩みですね。でも大丈夫ですよ。動きさえ止めなければ、必ずお客様は出てきますから」
そういうものなのかな? 半信半疑ながらも、再度言われたのが「自分に感謝」である。それが自分を信じることになり、良い結果を生むから、と言われた。
それともうひとつ言われたのが、価格を安易にディスカウントしないこと。一度安い料金でやってしまうと、その体質が身についてつい安売りをしてしまいたくなるから、というのが理由らしい。値段を下げるのは簡単だけれど、上げるのは難しい、とのこと。とにかく自分を信じて声をかけ続けてみよう。
そんなとき、旦那が後輩にメタファリングをやってあげてくれないか、という提案がきた。早速その後輩と会い、悩みを聞く。どうやら夫婦生活がうまくいっていないということ。そこでメタファリングをしてあげたら…
「そうか、妻の話をしっかりと聴いてあげる事からやらないといけなかったんだ」
という答えに気づいた。
「ぜひ奥さんの言葉を聴いてあげてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
晴れ晴れとした顔で帰っていった旦那の後輩。そこから変化が起き始めた。
それからすぐに後輩の奥さんが私を尋ねてきてくれた。おかげで夫が変わったと大喜び。私もメタファリングを受けてみたいということで、早速やらせてもらった。悩みは友人との人間関係。どうしてもノーといえずに困っている人がいるとか。
「そっか、私が思い込んでいただけなんだ。ノーって言ってもいいんですね」
それが彼女の出した答え。またそのときにカフェ・シェリーでメタファリングをやらせてもらったのだが、シェリー・ブレンドの効果も手伝って明確な答えが出てきた。
翌週、彼女が友だちを連れてぜひメタファリングをやってほしいと言ってきた。そんな感じで、毎週ごとにメタファリングをやった人が次の人を紹介して連れてくるという感じになってきた。おかげで私の週末はメタファリングに時間を割くようになった。
「サロンをやってみない?」
久々に会った由衣さんからそんな提案が。由衣さんの知り合いがお店の空きスペースを何かに使えないか、考えているとか。だったらメタファリングサロンを私に、ということ。
えっ、私がっ!? 一瞬戸惑いを感じてしまった。
けれど前の自分とは違う。一度心の中にサロンの光景を思い描いてみる。
「うん、できる。感謝します。ありがとうございます」
私自身にありがとうを言う。そして由衣さんにこの返事。
「はい、ぜひやらせてもらいます」
私はサロンを本格的に開くため、今のパートを辞めることにした。もう後には引けない。メタファリングサロンと名付けたスペースがこうして誕生した。
ここは単にメタファリングを行うだけの場所ではない。メタファリングをしなくても、ただそこにいるだけで癒しを受けられる空間にする。由衣さんやカフェ・シェリーのマイさんの指導もあって、とてもステキな空間ができた。
「みさき、お前にプレゼントだ」
旦那からは新しいパソコンをもらった。さらに、いつの間にか私のホームページまでできている。最初にメタファリングをした旦那の後輩が作ってくれたとのこと。
思えば旦那はこんな形でさり気なく私を応援してくれる。好きなことをやらせてもらっているのも旦那のおかげだ。ホームページの効果もあって、サロンには何かしらの人が必ずいるような状態になった。おかげで私もたくさんの人と知り合うことができた。
さらに私のメタファリングに火をつけたのが、このあたりでは有名なブロガーが書いてくれた体験記事。それが掲載されたときは、メタファリングの予約の電話がなりすぎててんてこ舞いしちゃったくらい。
でもそれで舞い上がってはいけない。一人ひとり、確実に、丁寧に対応してメタファリングを進めていった。
さらに、サロンの方では勝手に私の助手をしてくれる人まで登場。ここに集まった人をうまく結びつけて、中には事業提携までしちゃった社長さん同士もいる。
「いやぁ、みさきさんのおかげで仕事がうまく進んじゃって」
なんだかウソみたい。全てがトントン拍子に進んでいく。私、何かしたってわけじゃないのに。
いや、何かした。まずは自分に感謝。それをメタファリングサロンに来た人には必ず伝えるようにした。戸惑って生きてきた私を大きく変えたのはその一言だったんだから。
そういえば最近、カフェ・シェリーに行ってないな。そう思って、今日は思い切って休業日にした。その理由はもちろん、カフェ・シェリーに行くため。
カラン、コロン、カラン
「いらっしゃいませ」
変わらぬ顔が私を出迎えてくれた。私に感謝を教えてくれた、あの顔が。私も笑顔でそれに応えた。
<戸惑いながら 完>