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第6話 斉藤さんは頑張りたい

 日曜日の一件があって、斉藤さんはオフィスに出社してもずっと冴えない表情をしていました。おまけに、先日最終面接を受けた会社からはしばらく連絡がありません。これまでの選考では数日の間に次の連絡が来ていたのですが、今回に限ってすでに1週間が過ぎていました。


「最終面接だからね…受かってるなら条件を詰めたりしてるんだろうから、そんなに焦ることはないよ。それに話を聞く限り、ネガティブな反応はないように思うんだけどね」


「うーん…」


 窪田さんの言葉にも、斉藤さんの表情は晴れません。考え込む斉藤さんの手元では、せっかくのコーンポタージュが冷め始めています。窪田さんはいつものハンバーグステーキを口に運びながら斉藤さんの表情を見つめていましたが、ふと口を開きました。


「もしかして、あのネコのこと?」


 斉藤さんは一瞬悟られまいと表情を繕おうとしましたが、困ったような顔をして下を向いてしまいました。


「はい…………」


 長い空白が、ふたりの間に流れました。面接のこと、「ボク」のこと。ふたつの悩みで頭がいっぱいの斉藤さんは、下を向いたまま顔をくしゃくしゃにしてとうとう泣き出してしまいました。予想もしなかった斉藤さんの姿に窪田さんは思わず慌てて、傍らのサラダの入った皿をひっくり返してしまいました。


「うわっ! …サナコちゃん、大丈夫だからほら、涙拭いて…面接はきっといい結果になるし、ネコのことは…えーっと…」


「くっ、窪田さぁん…わたし、もう…もう…」


「ちょっ、サナコちゃん、あ、あわわわわ」




 斉藤さんは、帰り際公園を覗いてみました。夕暮れの公園には灯りが点っていますが、「ボク」がいる気配はありません。夏の湿った風がごう、と公園に流れると、青々とした木々の葉っぱが音を立てます。すると、斉藤さんは隣のお宅との境にあるフェンスのあたりに気配を感じました。


「ボク…!」


次の瞬間、思わず斉藤さんは駆け出していました。「ボク」の影が見えたように思えた斉藤さんはフェンスに近づきましたが、さっき気配を感じた場所に「ボク」の姿はありませんでした。


「はぁ…」


 斉藤さんはがっくりとうなだれて、公園を出ていきました。




 その日の夜、斉藤さんは自宅ではなく、再び実家へと戻っていました。すでに、斉藤さんのお父さんや弟は寝ていましたが、片付けをしていたお母さんを捕まえると、面接のこと、ここ数日の「ボク」との出来事を一気に話し始めました。お母さんは皿洗いの手を止めずに斉藤さんの話を聞いていましたが、「ボク」との話になるとサッと手を洗い、斉藤さんと向かい合わせになり食卓の椅子に腰掛け、静かに口を開きました。


「佐那子の気持ちもわからなくはないけど…ボクとあんなお別れをしてから、お母さん新しく動物を飼う気になれなくてねえ…生命あるもの、出会いもあればいつかお別れしなくちゃいけない時もある…あの日朝起きて、動かなくなったボクのことを動物病院に連れて行ったこと…お葬式をやって、お花いっぱいに囲まれたボクとさよならしたこと…いつかまた誰かとお別れしなくちゃいけないと思うと、…それだけで涙が出そうでねえ」


 そう言ってお母さんは立ち上がると、リビングの窓を開けました。斉藤さんの実家の庭の片隅には、小さな墓石があります。そこに、かつて斉藤さんが飼っていたボクが眠っているのです。お母さんの話を聞いて、斉藤さんはそれ以上何も言えなくなってしまいました。お母さんが淹れてくれたお茶を飲むと、斉藤さんは深いため息をついて悲しそうにつぶやきました。


「そうか…そうだよね…、お迎えするってことは、またいつかお別れしなくちゃいけないんだもんね」


 その次の日は、午前中には30度を超える暑い日になりました。行き交うサラリーマンたちが、皆流れる汗をハンカチで拭っています。斉藤さんはお昼を済ませると、コンビニへ寄ろうと他の社員と別れました。コンビニの横には、いつもの公園に続く道があります。斉藤さんは一瞬立ち止まると、公園の方を見つめました。しかし、首を二度振って、斉藤さんはコンビニの中へと入っていきます。


 午後に入り気温はさらに上がり、季節にはまだ早いセミが一匹二匹と現れ、じりじりとどこかで鳴いています。コンビニの前の通りは日なたです。アスファルトすら焦がすような強い日差しが、絶え間なく照りつけています。


 すると、コンビニの扉が開き、中からはスマートフォンを手にした斉藤さんが飛び出して来るではありませんか。斉藤さんはそのまま、慌てた様子で公園へと走っていきました。




「はい…、はい。…ありがとうございます!」


 斉藤さんは、電話口の相手に笑顔で何度も頭を下げました。肩でスマートフォンを挟み、手元の手帳に何やらメモを取り始めました。メモをかばんにしまうと、斉藤さんは姿勢をまっすぐに直し、スマートフォンを手に再び笑顔で頭を下げました。


「はい…はい。ありがとうございます! ぜひ、これからよろしくお願いいたします。わたし、これまでよりももっともっと頑張りたいです」


 紅潮した顔で、斉藤さんは通話を終えるとすぐそばのベンチに腰掛け、大きくため息をつきました。そのため息は、不満にまみれたいつかの斉藤さんではありませんでした。安堵のこもった声で、斉藤さんはひとこと声を漏らしました。


「よかった…!」




「色々な気持ちはあるけど…まずは内定おめでとう!」


 電話のしばらく後、斉藤さんは窪田さんを連れて再び公園へとやって来ました。窪田さんが買った缶コーヒーを手に取ると、斉藤さんは笑顔を浮かべて窪田さんを見つめます。


「色々相談に乗っていただいてありがとうございました…! おかげさまで、希望の会社から内定いただくことができました」


 斉藤さんは、すぐ隣の渋原という駅にある大手の広告代理店から内定を得ていました。希望する営業職ということもあり、自然と笑みがこぼれます。


「色々なことがあって、つらい時もありましたけど、この会社で仕事できたことは貴重な経験だったと思います…窪田さんみたいな素敵な先輩にも出会うことができましたし…」


 しばしペンギンテーブルでの思い出を振り返っていると、斉藤さんは背後にふと気配を感じ、サッとその場で振り向くと目を見開きました。


「ボク…!」


<つづく>

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