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第1話 斉藤さんは余裕がない

 少し前までの寒さもようやく和らぎ、東京にもようやく本格的な春が訪れました。4月に入り、美しい桜の花も街に彩を添えています。


 ここは、東京でも有数のオフィス街として知られる大黒天という街です。昼間はスーツ姿のビジネスマンたちが慌ただしく道を行き交い、夜ともなれば立ち並んだ数々の飲食店から、元気な笑い声が聞こえてきます。その一方で、大黒天は高級住宅地としても知られ、休日には子供たちやペットと散歩を楽しむ人の姿が絶えません。このように、大黒天は場所や時間によって、さまざまな表情を見せてくれる街なのです。


 この街の少し外れたところ——少し行けば住宅が立ち並ぶ静かな一角には、ひとつ小さな小さな公園があります。公園といっても、色とりどりの遊具がたくさんあるわけではなく、ブランコと滑り台、そしてベンチがわずかにふたつあるだけで、公園を訪れる人もまばら。日中には、散歩でやってくるペットとその飼い主さん、そして野良イヌや野良ネコがわずかにいるぐらいでしょうか——ほら。


 その野良ネコは、どこからかやって来ると公園の入り口で周囲をきょろきょろと見まわし、ベンチを踏み台のようにしてフェンスへと駆けのぼりました。警戒するようにフェンスを歩き回ると、再び地面へと降り、小さな花壇の隅に身を屈めました。ネコは、全身がグレーのトラ柄をしていて、鮮やかなグリーンの瞳をしています。少し翳っていた陽射しが再び公園を照らすと、気持ちよくなったのかネコはひとつ大きなあくびをしてあごのあたりを掻いています。


 公園には、作業着を着た初老の男性がやってきました。男性は公園のゴミ箱の中身を取り出すと、後ろから眺めているこのネコの視線に気づき声を掛けました。


「おぉ、ボク。今日も公園でひなたぼっこかい?陽射しが出てきて、ちょうどいい天気だねぇ」


 「ボク」と呼ばれたネコは男性の足元に近寄り、顔を気持ちよさそうにすりすりとこすりつけました。男性はニッコリとほほ笑むと、ゴミ袋を持って収集車へと乗り込んでいきました。


 日も南の空に上がりきり、昼時を迎えようとしていました。男性が去ってからは公園に訪れる人もなく、「ボク」は先程の花壇で身を丸めてうつらうつらと微睡まどろんでいました。すると、公園に誰か人影が近づいてきます。近くに勤める、会社員でしょうか。まだ若いその女性は、スマートフォンをいじりながら片手にはコンビニで買った飲み物などを入れた袋を持って、つかつかと足音を立てて公園の中へと入ってきました。


「ボク」は、誰だろう、と言わんばかりに首をかしげました。訪れる人の少ないこの公園では、顔を出す人も限られています。そのため、普段公園を訪れない人がやってくると「ボク」は少しばかり警戒するようです。「ボク」は体を起こすと、再びフェンスの上へ駆け上りました。

 するとその女性は、買ってきたタピオカドリンクにストローをグッと刺してひと口ふた口と飲むと、ドリンクとスマートフォンをベンチに置いて、大きな大きな溜息をつきました。


「はああああぁーーーーーーっ…!!」


 予想以上の大きな声に思わず「ボク」も驚いたのか、慌てて公園の外側へ飛び出してしまいました。女性は溜息の後、ガックリと頭を下げてうなだれています。「ボク」は、おそるおそる女性のそばへと近づいてみました。すると、女性は何か小声でブツブツと文句を言っているようです。


「ったく…なんで営業成績ずっと上位キープしてるあたしが、いきなり人事に飛ばされなきゃなんないわけ…?立石部長に言ったよね?あたしはずっと営業をやりたいんですって…それがどうして4月から新卒採用担当とか…マジでモチベーション上がんないんですけど…つか大体さ、立石部長が中島ちゃんのことばっか可愛がってるからあたしが邪魔になったってことだって…マジ理不尽じゃない?『評価はしてる』とか『人事部長が直々に…』とか言ったってさ、普通営業成績いい人間から外に出すとか理解不能だから!マジ理解不能ですから!…終わったな。マジ終わったな、ウチの営業部。石井先輩も6月で辞めるって言ってるし、河合くんも外資から引き抜き来てるって言ってたし…もういっそのこと営業部なんて解体してさ…」


 小声でも、とてつもない早口で女性は会社への恨み節を言い連ねます。「ボク」はもちろん、女性が何を話しているのか知る由もありません。ですが、その怨念たっぷりの話しぶりに、思わず二歩三歩と後ずさってしまいました。すると、女性の携帯電話に何やら着信があったようです。


「ペンギンテーブル斉藤でございます。…あっ、玉井さん、いつもどうもお世話になっております…!すみませんわざわざお電話いただいて!そうなんです!4月1日付で人事本部に異動になってしまいまして…そうなんですよ!もうお仕事ご一緒できなくなってしまって残念ですぅ~…」


 「斉藤さん」と名乗るその女性は、先日までの取引先からの電話に出ると、さっきまでの暗い表情がウソのように饒舌に語り始めました。しばらくその取引先と話し込んでいましたが、電話が終わるや否や、


「はぁ」


先ほどまでの暗い表情に戻り、再びベンチに座り込んでしまいました。斉藤さんは、これまでの部署からの異動を命じられて落ち込んでいることがわかりました。すると、残りを飲み干して空になったタピオカドリンクをやおら手に取ると、ゴミ箱に向かってえいやっと放り投げました。


 タピオカドリンクは、ゴミ箱のフチにあたってガンッ、と鈍い音を立てて地面に落ちました。


「…暴投」


斉藤さんは不機嫌そうな顔で立ち上がり、ゴミを捨てに向かいました。すると、先ほどから斉藤さんの様子を遠巻きに見ていた「ボク」がゴミをくわえると、そのままゴミ箱の中に捨てたのです。そして「ボク」は、斉藤さんの足元へとやってきました。


「…あ、ありがとう」


 斉藤さんが「ボク」に言うと、「ボク」はひと言鳴き声を上げました。


「ニャァーオ」


 斉藤さんは、不思議そうに「ボク」にたずねました。


「…キミ、怖くないの?人懐っこいんだね」


「ボク」は斉藤さんの顔を見上げると、そのまま斉藤さんを通り過ぎ、さっきまで彼女が座っていたベンチのすぐ横に座りました。そして、またひと言鳴き声を上げます。まるで、「座りなよ」と言わんばかりに。


「えっ?…あぁ」


斉藤さんは「ボク」に促されるようにして、またベンチに座りました。「ボク」は、斉藤さんのことをじっと見つめています。斉藤さんは、口を開きました。


「…ごめん、さっきの独り言、聞こえちゃった?ビックリさせてごめんね。いろいろあってさ…」


 それも、斉藤さんの独り言だったのか、本当に「ボク」に向けて話したのかはわかりません。ですが、斉藤さんもやはり「ボク」のことを見つめながらゆっくりと話し始めました。


「学校出て、それから自分が大好きだ!って思える仕事ができて、ずっとそれを頑張ってたんだけどさー…この前、別の仕事をしてくださいって言われて、ショックだったんだよね」


「ボク」は、斉藤さんの方を向いて話を聞いているように見えました。すると、斉藤さんは「ボクに」こう言いました。


「あたしん家、昔ネコを飼っててね。…もうずいぶん前に死んじゃったんだけどね。キミにそっくりだったんだよね、そのネコ」


 斉藤さんは、空を見上げて大きくのびをしました。公園には、おだやかな春の風が吹いています。


「あたし、本当にそのネコのことが大好きで。そのネコ、『ボク』って名前だったんだけど…ねぇ。キミのこと、勝手に名付けて申し訳ないんだけど、『ボク』って呼んでもいい?」


「ニャァ!」


 「ボク」は、嬉しそうに笑みを浮かべると、目を細めて鳴きました。斉藤さんもやはりニッコリと笑顔を浮かべると、立ち上がってこう言いました。


「ねぇ、ボク、また来ていいかな?」


「ボク」はまた嬉しそうに、ひとつ鳴きました。斉藤さんは「ボク」の頭を撫でると、携帯電話を手に取ってどこかへ電話をしながら公園を出ていきました。


「すみません、登録をしたくてお電話したんですが。はい。斉藤佐那子さいとうさなこ。1995年7月12日生まれ。25歳です…」

<つづく>


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