第九話「最強の勇者 覚悟を決める!」
前話のあらすじ「黒い海賊旗かたづけっぺ」
酔っ払いが散らかした部屋の後片付けと、酔っ払い自身を後片付けするのはなかなか面倒な作業だった。
しかし酔っ払いはなかなか有意義なアドバイスを最後にしてくれた。床にシーツ一枚被せて横向きに寝転げているゲフェンの背中を軽く蹴る。
「……ぐあぁ、あったまいてぇ……くそっ、また飲み過ぎたわ……」
ゲフェンがまさにおっさんの寝起きといわんばかりの下品な欠伸をしつつ体を起こした。
先程まで完全に寝息を立てていたはずなのに、なぜかつま先が受け止められている。蹴られたことより二日酔いの方がよほど気になるようだった。
頭を抱えながら魔術具であるドラゴンのペンダントを握って呪文を唱えていた。
その後、寝起きで二日酔いを魔術で治したばかりなのに朝食に酒を要求してくるアホの相手をしたり、昨晩のどんちゃん騒ぎが不愉快だったのか朝から機嫌悪そうなサリィのご機嫌取りをしたり、急いで転がった酒瓶や簡単なつまみなどを片付け始めた。と、突如背後から指でツンツンと突かれる感覚。
後ろを振り向くと、どこから取って来たのか、酒瓶をラッパ飲みしながら一枚の紙を突き出してくるゲフェンがいた。俺はとっさにその紙を受け取りながら質問する。
「ん、なにこれ?」
「見ればわかる。昨日は迷惑かけたからな、その詫びだ」
そう言われたら紙の中身が気になった。文字を読む。
王国で使われているごく普通の公用語で書かれたその紙切れには、意外と達筆な文字で集合日時と場所、そして内容と主な参加要項が記載されていた。
俺はそこに書かれていた言葉をそっくりそのまま読む。
「春出荷の野菜についての打ち合わせ兼勉強会のお知らせ? なにこれ?」
「読んで字の如くだよ。ほれ、ここ見てみ」
そう言ってゲフェンは紙切れの下の方を指さした。そこには主催者の名前が書いており、その主催者がどこの所属としてこの勉強会を開くのかが書かれていた。
主催者、ケント₌フォーリア。協賛、農業協同組合連合会。
「ってこれ農協のお知らせじゃないか! なんでこんなの持ってるんだお前?」
「別に特別なもんじゃねーよ。村の掲示板に貼られてたのを俺様がちょちょいと書き写しておいたんだよ。確実にお前は知らないだろうと思って持ってきてやったんだ。感謝しろよ?」
「うっ、あ、ありがとう……」
ぐびぐびと酒を飲みながら説教してくる人に感謝などしたくはなかったが、すでにゲフェンには頭が上がらなくなるくらい迷惑をかけていた。なので素直にありがとうと言うと、少しだけ顔を顰めた。
「でも、農協かぁ。どうしようかな……」
「どうしようかなって、行けばいいんじゃないか?」
ゲフェンはさも当たり前のことのように言った。事実その通りだ、農家が農協へ行くことは何もおかしくない。不思議そうな顔でこちらを見ている。
しかし、俺はここで言わなくてはならない。少しだけ躊躇いながら、今まで秘密にしていたことを打ち明けた。
「実は……俺、農協に加入してないんだ」
「ブフォッ! はぁっ!? おま、え、何言ってんの!? え、今までどこにも所属してなかったわけ!?」
飲みかけていた酒を盛大に吹き出しながらゲフェンは慌てたように質問してきた。その顔は驚きすぎていて目がまん丸になっている。
俺は顔にかかった酒の水滴を服の袖で拭いながら答えた。
「いや、実はそうなんだけどね。あ、あはは」
「え、なんで? 意味がわからないんだが。お前が魔王を封印した後、『勇者辞めて農家になる!』って宣言した時と同じくらい意味がわからん」
確かにその通りだ。農協は基本的に加入していて損はない。
専業農家の人間が自作した作物を直接売るのはあまり効率的ではないのだ。作物の収穫は気候や天気によって大きく左右される。そのため安定的に作物を作ろうと思えば、自然と野菜ができる収穫時期と言う物が出てくる。よって野菜をたくさん作ろうと思えば、当然のように収穫時期は多忙になる。
なのでその収穫時期は農家が一番重労働となる時期となる。最も汗水流して働かなければならない収穫時期に頑張って野菜を収穫すれば、その分売り上げが増えるわけだ。
しかしここで矛盾が発生する。たくさん野菜を作るのは問題ないのだが、その作った野菜を売る人間がいないのだ。農家の人間は……レンは一人ぼっちなので別だが……基本的に家族総出で収穫を行う。大量に収穫するのはいいけれど、それを売る人間がいないのだ。これではたくさん野菜を作っても意味がない。
隣近所に配ったり物々交換で済ませる程度の野菜に収めることができたのは物流が村落規模であった昔に限る。王都や各貿易首都ができて盛んにやり取りをしている昨今では、直接農家が農作物を売るなんてことはできない。野菜は収穫した瞬間から劣化しだすわけだから、輸送や保存の問題だってあるのだ。
その農家がすべき「作る」「売る」の工程のうち、多少の手数料を払ってでも「売る」を代行してもらう場所、それが農業協同組合の基本原則である。
そのためなぜ農協に加入しないのかバカじゃないのか、と詰問してくるゲフェンに対し、俺は言い訳をしはじめた。
「いや、その通りだし俺も農協の案内書は見たんだけどさ。まだ早いかなぁって。ほら、俺ぜんぜん実績ないし……」
「ああ、そういやそうだったな。こんだけ広い畑三つも持ってて、この2年間でできたのは箱一杯分のイモだけだったしなぁ」
「うっ」
物凄い激痛に俺は呻いた。槍を持つ上級悪魔の一撃よりも重いダメージが俺の心臓を貫いた気がした。
自分で言っておいてなんだが、全くもってその通りなのだ。1年度は力とパワーと腕力があれば農家なんてどうとでもなるだろうと安楽に考えすぎて失敗し、2年目はゲフェン監修の下注意深くやったけれど力の配分がわからずやるべきことをやり過ぎてやらないで良い事を本当に一切やらずにいたため、畑が雑草と害虫の海に沈んだ。
そのためできたのは不格好なイモがわずか箱一杯分。2年も苦労してこの程度というのは、さすがに屈辱であった。俺の農家としての実績は未だゼロに等しい。
俺は流れそうになる涙を堪えつつ言い訳を続ける。
「まあだからさ、まだ加入しなくてもいいかなって。いつでもオーケーなんでしょ、あそこって」
「いや、まあ裾野を広げてる段階だからいつでもいいんだろうけどさ。でも何かと不便だろ、いろいろと」
「うん、まあ不便っちゃ不便だけど……」
不便なのは理由もあった。農協のもう一つの利便性、それは「買う」ことだった。
さすが農業協同の組合とでも言うべきか、農家が必要としているもののほとんど全ては農協で買うことができる。作物の種や苗、肥料などは当然として、他にも運搬に便利な一輪車や畑を耕すための魔術重機なども売っているし、依頼すれば井戸掘りの斡旋もしてもらうことができる。もちろん組合価格で比較的お安くに。
もちろん農協に加入せずとも道具や苗を揃えることはできる。その手の市や、農協にまでいけない村落向けの商業隊なんてのも一応ある。しかし趣味の家庭菜園ならともかく、広い畑を使って畑を耕す農家が利用するほどの質と金額と規模ではない。
俺は少し汗を掻きながら他の理由をその場で考えた。
「ええと、ほら、まだ俺実験段階だからさ。結構広い畑使ってるけど植えてる種とかはまだ少量じゃん。市で間に合うんだよ。それに魔術具とかも他に作ってもらえる当てがあるし、作るための材料とか冒険してたときのが山ほど残ってるし」
「ふむ、まあそうかもな。でも……」
「そ、それにさ! 農協ってそれなりに実力がある人が行かなきゃ不味い感じするじゃん? ほら、せめて1年くらいまともに農作業してさ、最低限でいいから作物収穫できてそれを出荷して、泥まみれになりながら『今年も頑張ったなぁ』とか言いつつ良い汗かけてる人が行くべき気がするんだよね。だから俺まだまだだしさ、今年も仕方ないから普通の市でいろいろ揃えようかなぁって……」
「ああ、なるほど。よくわかった。凄くよくわかったわ……」
ゲフェンが納得した顔をしてこちらを見下ろしていた。なんとなくその目に憐憫の気持ちが籠っているようにも見えたが、俺はそこまで気付かなかった。自分の言い分を聞き入れてくれたことだけに安堵していた。
軽くため息をついてから額の汗をふく。そして笑顔でゲフェンにその書類を返そうとした。
「ああ、だからまだ農協はいいかなって。持ってきてくれてありがたいけれど、今回は遠慮し……」
「いや、お前の言い訳に納得したわけじゃない。お前がなんて農協に加入したがらないのかの理由がわかっただけだ」
ドキリと心臓が鳴った気がした。どうやら俺の想像上のエリゴウルは毒の属性つきだったようだ。
ゲフェンは呆れた表情をしながら俺の顔を見て、これでもかとデカイため息をついた。
「……そういえばお前そんな奴だったなぁって思ってさ。慎重っていうかヘタレっていうか。お前単純に気遅れしてるだけだろ、農協に対して」
「ぎくっ」
「そういえば冒険中もそうだったよな。新しいダンジョンとか潜るときもさ、装備は手に入る限りで最高ランクを揃えて、パーティーの強さも十分以上になるように周辺で散々修行してから入ってたもんな。なるほど、農家としては初心者丸出しのままだと、少なくとも仕事が一通りできるようになった農業の猛者たちの集まる場所に行きたくないわけだ。色々納得したわ」
その後ゲフェンは「おかげで厳しい冒険にも関わらず死者が出なかったけどさ、納得すると同時に情けない気持ちになったわ」と続けてから再度ため息をついた。
言われた俺はぐうの音も出ない。なぜならそういう自覚は薄っすらとあったからだ。
勇者などと持ち上げられたこともあるが、そこまで自分は勇ましくないという自覚はあった。良く言えば慎重で仲間想いだが、むしろ悪く言えばへたれで及び腰といえよう。
そのため十分な安全マージンが取れないと新しい場所に行けない。石橋を叩いて渡るという言葉を初めて聞いた時はまさに自分のことを表している言葉だと思ったくらいだ。
そのことを指摘されて、ウッと怯んでいると、ゲフェンはその上で言葉を付け足してきた。
「とりあえずお前は自分があまりに惨めだから農協へ行きたくないという気持ちはわかった。熟練冒険者が集まるギルドに駆け出しが行くようなもんだからな。そりゃ気後れするだろう。だけど今回はあまり考えるな、落ち着いていけ」
「い、いやそうだけど、でも……」
「でももクソもねーよ。確かにダンジョンは危険だから、相手を圧倒できるだけの戦闘能力を持つことは重要だと思う。おかげで何度も助かったし、そのおかげで一番危険な魔王城に真正面から入り込んで親玉まで辿りつけたんだからな。でも魔王城と農協を一緒にするな。あっちは敵の根城だが、こっちは仲間の集う場所だ」
「うっ、そ、そうだけど……」
ゲフェンの言葉は正しいと思う。理屈は理解できる。しかしどうしても気が進まない。
その様子を察したのだろう、ゲフェンが少しだけ工夫して言葉を変えて攻めてきた。
「じゃあこう例えようか。3カ月後に魔物のスタンピートが起こる。確実に起こる。昔も似たような状況があったな? その場合どうすればいい?」
「それは……臨時でもいいから仲間を募って防衛線を築き、装備を整えてついでに退路を確保しておいて……」
「そうだ、だが今お前の陣地にはお前一人しかいない。最弱の農家たった一人しかいないんだ。3カ月後に訪れる作物収穫に対応しなければならない。そのためには必要なものはなんだ? どうすればいい?」
「うっ、ど、どうすればいいかって、ど、どうすればいいんだろうか。ゲフェンならある程度わかってるだろ?」
「まあ俺も生家が農家だからな、多少の知識はある。でも専門家じゃない。せいぜいお前よりちょっと強い程度の知識しかない。仲間を増やすことはまあ不可能だろう。だからせめて、何をするかの知識だけでも完璧なものを用意する必要があるんじゃないか?」
「うっ、でも道具だけなら凄い代物揃えているし……」
「道具だけだ、使い手がお前じゃ結果はたかが知れてる。どの道具をどういう状況でどう使うかを知ってる人に教えてもらう必要があるだろう。幸いお前は農業初心者だが、魔力と道具だけは一流品だ。魔術具はどうせ魔術師のあいつに作ってもらったんだろう? だったらあとは適切で正しい使い方を知るだけだ」
「な、なるほど……」
「だから農協へいっとけ、な? 俺じゃあお前にアレするなコレするなくらいしかアドバイスができない。農協で何とか頑張って顔を繋いで、先輩農家を捕まえろ。そうしてアドバイスを貰えるようになれば、お前もちったあマシになるだろ?」
「それは……」
「今年こそはまともな成果を出したいだろう?」
「うっ……わかったよ、行くよ……」
俺はがっくりと頭を下げて、ゲフェンの言う通りにしようと思った。ゲフェンはようやく説得が成功して満足げな表情を浮かべている。
こうして凶悪な魔物が跋扈するダンジョンすら躊躇わずに踏み込める元最強の勇者にして現ビギナー農家は、自分より圧倒的熟練者が待ち受ける恐怖の魔窟・農協へと向かうこととなってしまった。
次話「勇者、農協へ」
週に1回更新すると言ったな、あれは嘘だ!