第八話「最強の勇者、内省する!」
前話のあらすじ「怒られた」
去っていくゲフェン神父の後姿を見送りながら、俺は肩を落とした。
「……また説教されちゃったな」
ため息を一つ。そして背後の大地を黒く染める大量の海賊旗を見て、もう一度ため息。さらにため息。
いつもこうだ、と俺は自嘲した。どうにも上手く行かない。
良く言えば考え方が素直、悪く言えば周囲の迷惑を鑑みてないということなのだろう。その程度の自覚はあった。
今回も「魔物も魔族も呼んでないし、大規模で目立つ魔法も使ってないから大丈夫だろう」とむしろ自分の発想力を自賛していた。今回ばかりは怒られたりしないだろう、と。
しかし現実は逆だった。どうやら今までいろいろなことをやらかしてしまっていたため、俺に対しての信用がないらしい。確かに、魔物を平然と呼び寄せるような奴が地面に大量のドクロマークを描いていたら、普通の人間ならビビる。そこまで考えが至らなかった。再度ため息。
変な言い方だが、勇者の時の方が楽だった。あの時は難しく考えず「悪い奴を倒す」というそれだけでたくさんの賞賛を得られた。たまに考えが及ばず迷惑をかけてしまったこともあったけど、結果的に救われた人がたくさんいたため実に勇者らしいと祭り上げてもらえた。しかし今は違う。
今の俺は、なんの結果も出せず、誰一人救えず、そしてただ迷惑を振りまいているだけの厄介者だった。
「……はぁ、落ち込んでてもしょうがないか。片付けよう」
トボトボと歩きながら地面に被せられている海賊旗を一つ一つ引っぺがし始めた。
これの旗を一つ一つ埋めるのはなかなか大変だったのだ。風に飛ばないように海賊旗の端を土で埋めよう、とは元々考えていた。そうすれば問題ないと思っていたのだ。しかし実際やってみるとそう簡単な話ではなかったのだ。
まず埋めるために旗の端を少し土を掘った。その掘り返したところに旗の端っこを埋めて、そうして畑全体にカバーを掛けようと思ったのだ。まずそこから甘かった。
まず畑というものは基本的に開墾地なので、普通は平地だ。だからほんのわずかなそよ風でも結構な風圧になってしまうのだ。畑のど真ん中じゃ遮る物が全くないからである。
そのため、ほんの小さく掘った程度のところに埋めたくらいでは海賊旗が吹っ飛んでしまうのだ。そりゃもう盛大に。大型の魔物を取り押さえるのは力ずくでできるが、風に煽られて舞い上がる海賊旗は一人では簡単に取り押さえられなかった。春先のつむじ風が吹いた時なんかは、旗ごと空を飛ぶんじゃないかと思ったほどだった。
長い間倉庫の中で埃をかぶっていた海賊旗は、その畑に吹くわずかな微風の恩恵を大いに受けて広がり、ばっさばっさとそのドクロマークを誇らしげに示していた。なので風対策のために、土をより深く、より多く盛る必要があった。
しかし埋めた後もまた大変だった。四隅を埋め、四辺も土を被せ、これでもう飛ばないだろうと思って油断していたら、そのまさかが起こったのである。
とりあえず飛ばないようになったため、じゃあこんな感じで進めようと5つ目の海賊旗に手を伸ばしたとき、事件が起こった。突風が急に吹き、自分が今持っている旗が飛ばされないようにしっかりと握りしめ、風がやんだとき広がった視界には、4つ中2つの旗が全部裏返しになっていた。
最初は完全に土を被せていたのになぜ、と疑問に思った。しかし裏返ったままにしておいては、いずれ全部剥がれてしまう。俺は大慌てで裏返しになっていた海賊旗を元に戻し、先ほどより多めに土を盛っておいた。
だというのに、同じように裏返しになる事故は減らなかった。5つ設置しては3つ裏返り、3つ直している間に1つ裏返り、全部元通りにしたら別の場所の旗が裏返っていたりした。まるでコックローチの巣で無限に魔物が湧いて出てくるようだった。
原因がわからず、しばらく裏返る海賊旗に翻弄されていたが、あるとき風が吹くと海賊旗の土を盛っていない中央部分が盛り上がっていることに気付いた。これだ、とすぐにわかった。
どうやら風が吹くと、周囲と地面との気圧差で真ん中部分がぼっこりと盛り上がってしまうらしい。そしてその盛り上がり部分に強い風が当たると、海賊旗全体に風圧がかかり、土を吹き飛ばして風上から風下へと旗が裏返ってしまうようだった。大きい布を野ざらしの地面に置くからこそ起きる現象だった。すぐ気付くべきだった。
仕方ないので対策として、全ての海賊旗を濡らすことにした。土で真ん中の部分を埋めることも考えたが、土は少量だと意外と軽くて簡単に風で飛ばされてしまい、多量だとそもそも土壌消毒の影響を外に漏らさないために地面にカバーをかけているのに土が旗の上にあっては本末転倒になってしまう。なので井戸から水を汲んでくるのは大変だったが、水の魔術も駆使して海賊旗全部に水をぶちまけたのだった。
乾いたらまた裏返しになってしまいそうなので、別の手段も早めに考えておかねばならないのも頭が痛い。
そしてその後にもまだ敵はいた。いや、正確に言うとこの後に会敵する問題と言うべきか。とにかくまだ問題点があった。
水をぶちまけた海賊旗が水を吸って、地面に張り付いた。これはいい。だが、これを剥がすのは地面にカバーをかける行為の倍疲れるということだった。
一度途中で配置をミスしたことに気付き、水をかけたばかりの海賊旗を3つほど動かそうとしたのだ。別にやらなくても良かったのだが、このままだと斜めになってしまい見目が悪い、そういう軽い気持ちで動かそうとした。
そう、本当に軽い気持ちだったのだ。まさか動かせないとは思ってもいなかった。
俺は勇者をやっていたとき、精霊の加護のおかげか常人より魔力量が上だった。だが、どちらかと言えば近接戦闘が得意で、筋肉や俊敏性の方が上だった。
魔術回路がばんばん描かれて実質的な重さが増大した武器や鎧をいくつも身に纏い、それでいて壁を蹴って移動したり敵を力ずくで空高く投げ飛ばしたりしていた。自慢じゃないが、力だけは世界一である自信がある。
そんな俺が、濡れた海賊旗を動かせなかったのだ。原因はすぐわかった。重すぎるのだ。
まず海賊旗はもともと海で使うもので、屋外での使用に耐えるように「濡れにくい」素材ではなく「濡れてもすぐ乾く」事を念頭に造られている。網目が荒く、水を吸っても少量で、しかも日に当たればすぐ乾いてしまうのだ。その分消耗が激しいが、使わなければそれなりに長期間保存できる。
そんな久しぶりに出した海賊旗を、よりにもよって地面に直置きし、しかもその上で水をぶっかけたのだ。本来なら風に煽られてはじかれる水分も、泥水になって旗の繊維にこびりついてしまい、その重さを増していた。
そのため濡れた海賊旗を地面から剥がすことができなかったのだ。本気を出せばある程度剥がせるけれど、布自体がもたずに破れてしまう。端っこから少しずつ取っていって泥を落とした後に回収すれば無傷で回収できるけれど、物凄く時間がかかってしまう。安易な方法に頼ったゆえの失策であった。
過去漁村を荒らす海賊退治をしたとき、彼らとの単純な意味での戦闘ではそこまでではなかったが、海上という地面が安定しない特異な場所での戦闘を得意としたり、操船技術に長けていて追いかけるこちらの船を悠々と弄んだり、海のあらゆるところに隠れ家を用意して罠を張ったりして翻弄してきた。厄介極まりなかったあの海賊たちのことを思い出す。
彼らの誇りであった海賊旗を何年も放置した挙句、地面に広げて使い捨てるという酷いことをしたから罰があたったのかもしれない。まさか陸の上でも彼らに翻弄されるとは思わなかった。
そして今、俺はこの大量の海賊旗を片付けねばならないらしい。村民を脅かすのは元勇者として当然本意ではない。
ため息が止まらない。ここまでの苦労が思い出される。
「1日半かけてようやく終わったと思ったら、まさかのやり直しかぁ……」
さらにため息。しかしいつまでも黄昏ていても仕方ない。
なので俺は諦めて聖剣あらため農業用魔術具エクスカリバーを地面から引き抜いた。回収作業に入る。
片づけは比較的簡単だった。もともと一回使い捨てにするつもりだったのもあって、予定では回収すると同時に処分もするつもりだったのだ。その手はずは整えてある。
ちょっと大きい部屋の床と同じくらいの大きさの海賊旗を縦横3回ずつ切って16等分にし、小さくなって回収しやすくなった海賊旗を適当に纏めて近くに魔術で作っておいた腰ほどの深さの穴に捨てる。その繰り返しである。
農機具エキスカリバーを地面に刺して、それをグイーと引きながら畑を縦横何度も往復する。こんな雑な使い方でもさすがエクスカリバー、切れ味はさすがだった。そして切れた端っこからせっせと回収して穴へポイ。またグイー、せっせ、ぽい。グイー、せっせ、ぽい。
途中休憩を挟みつつ、全部を回収し終える頃には夕方近くになっていた。穴の中には泥だらけの大量の黒い布切れ。
本当はこの後、乾かしてから燃やすつもりだったのだけれど、気分が落ち込んでいる俺は面倒がって力づくで解決する。農機具あらため聖剣エクスカリバーを正眼に構える。戦闘時の構えなんて久しぶりである。
使用する魔術と魔術回路を思い浮かべながら呪文の詠唱。思い描くは全てを燃やしつくす業火。
火が苦手な魔物は多かったため、最も頻繁に使った俺の最も得意な火の魔術を展開する。
「炎帝の怒りをここに、フレイムストーム」
脳内に描ける魔術回路が多ければ多いほど、唱えるべき呪文は短くなる。エクスカリバー、頭の中の魔術回路、そして呪文に魔力が流れる感覚があった。
キーワードを言い終わるや否や突如として真っ赤な炎が海賊旗の真下から発生し一瞬にして燃えあがった。寒空の下、ゴウッと熱風が勢いよく顔に吹き付けてくる。
まるで穴の底からマグマが噴火したかのように赤い炎が天高く吹きあがっていく。そしてそのマグマと同程度の強烈な炎が黒い布切れを真っ赤に染め上げた。
あまりに強すぎる炎なのか、濡れていたとか泥まみれで火がつきにくいとかまったく関係なく、その圧倒的な熱量で使用済み黒い海賊旗をすぐさま黒い燃えカスへと変化させた。炎が立ち上る。
火が全体に回った、と確信できるまで魔力を通し続け、すぐに火を止める。夕闇空を明るく照らしていた火柱は、すぐにちょっと大きめのたき火程度の大きさにまで収まった。
ゴウゴウと先程より控えめな音で火は盛大に燃え始めた。しかし量が量なのでなかなか全部が燃えきれない。
魔術で火に耐性をつけてから、聖剣あらため火かき棒エクスカリバーで炎の塊の下の方をかき混ぜて空気の通りを良くする。布の塊を動かすたびに火が強くなる。
全体に火が行き渡り、俺は火の番としてぼーっと立ち尽くしながら燃えて行く海賊旗を見る。夕闇が深くなっていくのと同時に火勢も弱まり、どんどん辺りが暗くなっていった。冬の寒さが空気の中に戻ってくる。
周囲が暗くなっていくのと同じく気分が暗くなっていった俺は、火が消えたのを確認してから一人ごちた。
「……やっぱり俺、農家向いてないのかなぁ……」
ただっ広い畑のど真ん中でその質問に応えてくれる人は誰もいなかった。
…………
その後、サリィには「また何かやらかしたんでしょ」と嫌味ったらしく詰られ、真夜中近くに再びゲフェン神父がやってきて「今度はまた何をやらかした!?」と怒られた。どうやら先程使ったフレイムストームが思いのほか派手で目立っていたらしい。
そして「今日はもう魔力を使い切った、お前のせいで。だから精いっぱいもてなせ」と倉庫の酒樽を空にする勢いで酒宴が始まり、その間ずっと酒臭い息でひたすら「農家とはなんたるか」をこんこんと諭された。
酒ビンを抱いて寝息を立てているゲフェンと、つまみやらなんやらで散らかり放題になった室内を見回して、掃除しないとサリィに部屋ごと水に流されそうだとまたため息をついた。
次話「買い出し」
【今日のおまけ】シートについて
普通はマルチと俗称されるビニールのシートを使います。まあ深く考えなくても当たり前ですけどね。
ちなみに作業内容はレンくんがやったのとほぼ同じです。土を深めに掘り、端だけじゃなく全体的に上から土を被せ、水を撒いて安定させます。
水を撒くのは概ね2つの理由からです。一つは本文中にあった「重し」としての役割です。もう一つは「ビニールの中に入った空気を抜く」ことです。これをしないと敷いたマルチが飛びます、大空を。
またリアル時期は夏ですが、この時期は春前のまだ寒い時期を想定しています。なので実はゲフェン神父に止められなくても、水を撒いた海賊旗の下に大量の霜が降りて大惨事になっていたはずです。畑に出る霜はホントに凄いことになります。
みんなも寒い時期の地均しは気をつけましょう!(クーラーの利いた部屋で鍋焼きうどんを食べながら)