第二話「最強の勇者、魔法を使う!」
前話のあらすじ「さーてぇ、そろそろ仕事はじめっぺかなぁ」
ホースに水を流すと、その先端から水が放出される。
魔法もそれと同じだ。対応する効果の魔術回路を用意し、そこに魔力を流すと魔法が発生する。原理としてはすこぶる簡単で、魔術回路を複雑にすれば大量の魔力を必要とし、広範囲に影響を及ぼしたかったら流し込む魔力の量を増やすしかない。
しかしこのホースには問題があった。ホースが繋がっている間、水が垂れ流しっぱなしなのである。魔術回路を人間の体に刻み込もうものなら、その回路に常時魔力を吸われていつしか干物になってしまうだろう。
だからこそスイッチの代わりとして、魔法の行使する場合には魔術回路の最後のパーツを別に用意する方法が用いられる。よほど単純な魔法は除き、基本的には魔術回路が刻み込まれた魔術具か脳内で精密な魔術回路を描き、最後にキーワードたる呪文を唱えることで魔術回路を完成させることで魔法を発現する。
人、これを魔術という。
「つうわけで、呪文はなんだっけか……」
俺は畑のど真ん中でメモ帳を取り出す。まだ真新しい魔術なので呪文を覚えていないのだ。片手で器用にペラペラとページをめくって目的の呪文を探す。
俺は今南側の畑にいる。長い冬を終えたばかりで、東と西にある畑はまだ使えそうになかったのだ。日当たりの良い南の畑は面積も広いこともあって、基本的に俺はここで野良作業をしている。休閑耕地もばっちり済ませた。今年はここから種植えをする予定だった。
「ええと、使う応用回路はAの4で、呪文は、これか。おっけおっけ、よーし」
俺は口の中で何度も呪文を復唱して覚えると、畑の土に刺して立てかけていた聖剣エクスカリバーを引き抜いた。正眼に構える。目を閉じて集中する。
脳内に魔術回路を描くのは存外難しい。しかし応用回路と呼ばれる汎用性の高い回路は脳内で想像しやすく、また欠損しても安全装置が組み込まれているため暴発はしない便利な品物だった。そしてすべての基となる基礎回路はこの聖剣エクスカリバーを使っている。全ての魔術回路が組み込まれたこの聖剣は何かと使い勝手がいいからだ。
エクスカリバーの中にある迷路のように複雑なA回路全体に魔力を満たし、頭の中では簡略地図のようなシンプルな軌跡の応用回路A-4を展開する。そして発動のトリガーとなる呪文を唱える。
「えー、コホン。あー、耕作魔術あるふぁ型、範囲指定0:0、120:0、121:130、0:130。深度4。実行せよ」
応用回路と、呪文の定型文と、畑の大きさをメモした数値を見ながら呪文を唱える。
最初はこの呪文形式になれなかったのだが、元パーティーメンバーの魔法使い曰く「こっちの方が効率がいい」とのことだった。最初は何言ってんだこいつはと思ったけれど、慣れた今では確かに便利で重宝している。違和感。
目の前の地面が動き出す。まるで静かな湖面に風が吹き付けたかのように土の地面が一瞬揺らぎ、すぐにぐにゅぐにゅと振動を始める。
俺は初期位置で地面が流動していく様子をゆっくりと眺めていた。
霜がほとんど見られなくなり、小さいながらも雑草が生え始めている畑の土が裏返る。地下から盛り上がった土が表面を黒く色づけ、さらに下から盛り上がってきた土が押し退けていく。
冬の間凍り付いていた硬い地面を❘うなう《・・・》ために少しだけ長めに行う。魔力を安定的に聖剣の基礎回路と脳内の応用回路に平等に流し込んでいく。
今回は眠っていた土を起こすことと雑草を除去するのが目的なので、ある程度で十分だった。もういいかな、と適当なところで切り上げて聖剣を降ろした。
「ふぅ、こんなところか。便利は便利だけど、苦手だなぁこの魔術……」
魔法の効果範囲や威力は完全に回路に依存されるが、効果時間や発現する魔法の正確さは魔力の如何に影響される。
一度は勇者として最強を極めた俺だから魔力が足りないということはないけれど、こういう細かい魔術の制御は苦手だった。魔物を焼き払ったり敵の目くらましをするときは何も考えず全力で魔力を込めればいいだけなのだけど、畑をうなうのに魔力を籠めすぎると土が飛び散ってしまったり地面がデコボコになったりしてしまう。
初めてこの耕作魔法を使ったとき、そこら辺の力加減が分からず魔力を籠めすぎて巨大な盆地を作ってしまったのはいい思い出だ。
「さて、最初の準備はこれでいいなぁ。次何やるんだっけ。ええっと……」
メモ帳を調べる。まだまだ勇者としてのレベルはカンストクラスだけれど、農家としては駆け出しそのものだった。なのでやるべきことがわからずいちいちメモ帳に頼ってしまう。
初年度は謎のプライドを発揮して魔法を一切使わず全部手作業でやろうとして、時間がかかり過ぎてまともに農作物を植えることができなかった。二年目は手段を選ばず魔法を解禁し、そして様々な知り合いの協力のおかげでやるべきことはわかったけれど、何をどうすればいいかわからず失敗だらけだった。
なので今年はその失敗を踏まえたうえで、農作業を上手にこなすことを目的にしていた。
まず第一の畑整備は大成功と言ってもいいだろう、と自分の成果に満足する。内心ホッとしているのは内緒である。
俺は去年の作業の失敗が書かれたページを読み直して、頭を掻いた。
「あー、うん。そうだったなぁ。去年はフロストバードをやったんだっけ。あれは大変だったなぁ……」
最初にやる作業は畑を耕し、消毒して次の作物を作れるようにし、肥料を撒くのだと教えられていた。
しかし俺はこれにミスをした、しかもトリプルで。まず魔力を籠めすぎて畑をクレーターに変えたことが一点。元に戻すのに丸3日もかかったうえ泥だらけになってサリィに怒られた。
次に消毒と聞いて解毒薬を真っ先に思いつき、それをばら撒いたのだが、これがよくなかった。
解毒薬と消毒液は全く違うもの、という発想がなかったのがいけない。でも冷静に考えてみれば当たり前の話だった。体内にある毒素を中和する解毒薬と、連作障害や病原菌を死滅させるための消毒液を同じに考えてること自体がアホの発想だったと言わざるを得ない。やたら費用をかけたわりに全く無意味だったわけだ。時間とコストで実にもったいないことをした。
そして次に肥料を撒くのだと聞いていたのだけれど、これを単に糞尿をばら撒けばいいと思ったのがよくなかった。なので近くの山に住んでいた巨大鳥フロストバードを一匹捕獲し、そいつに畑の上空を飛んでもらって糞を落としてもらったのだ。さすが上空からの散布というか、王都の王城よりも広いうちの畑が、たった3回の排泄で全体に肥料が撒けたのだった。ものすごく楽できたと自分の機転の良さに我ながら感心していたくらいだ。
しかし感心しきっていたのは3日くらいまでで、そのあたりから異変が発生した。糞ごと土に混ぜ込んでしばらく放置していたのだけれど、なぜかまだ種植えをしていない畑から謎の植物が発生したのだ。それも、大量に。しかも、蠢いて。
その時は聖剣を久しぶりに戦闘用に使って魔物化した植物を処理したのだけれど、原因はよくわからなかった。鳥はその体に見合った植物の果実を食べて、その種子を消化せずに糞として落とすということは知らなかったのだ。さすが北方の氷凍山脈の主である、食べた魔果実もとんでもない品物だったようだ。
というわけで今年は失敗しないために、地味に行く。聖剣を初期位置にブスっと突き刺し、背後に用意してあったやたら重い革袋を開ける。
革袋も再利用する気満々なので開け方には気を付ける。袋の中には、大量の白い粉が入っていた。
普通の農家であれば、土壌消毒にポイズントードを使う。カエルを適当な檻の中に放し飼いにし、その口や汗腺から滲み出た液を集めて、不純物を濾過したものが市場で販売されている。みんな地面に撒いたあと土とかき混ぜて使うのだ。ポイズントードは毒対策していれば一般人でも対処できる簡単な魔物であることもあって、普通はみんなこっちを使う。
しかし、この毒液を俺は使いたくなかった。毒液の噴霧は手間と注意が必要なうえ、服にかかると穴が開いてしまう。そして何より臭いのだ。独特の刺激臭がして近くで臭いを嗅ぐと目が痛くなる。そりゃもう凄く。あとなんとなくカエルの老廃物だと思うと汚く感じる。
なので俺は経験に基づいて、とても良い品物を用意した。このためだけに魔王領の奥深く、蟲毒の森まで行ってきたのだ。
そこに群生しているヴィルレントポイズンツリーの花粉を採取してきた。この花粉は音も臭いもなく周囲を漂い、そこにいる生命体を必ず死に至らす猛毒だった。虫モンスターがわんさといる蟲毒の森で、唯一モンスターが出ない場所だと安心していると、大抵の冒険者はこの毒でコロリとやられる。
しかし、毒無効のアクセサリーがあると全く怖くなくなるのもこの花粉の特徴だった。そして毒無効のアクセサリーなんて俺は売るほど持っている。というわけで俺はさっさと花粉を集めて、今もアクセサリーを手にこの猛毒の薬品を平然と触っていた。
さすがに乾いたままだと風で散ってしまう可能性があるため、事前に水を大量に含ませてある。ちょっとべっちょりしていて使いづらくはあったが、臭いがほぼないので使いやすそうだった。俺は革袋を肩に背負って軍手で花粉を手で掴む。水を含んだ粉末が詰まった革袋なんて重くてまともに持てたものじゃないはずだが、伊達に元勇者はやっていない。このくらいの重さなら屁でもなかった。
「……うーん、軍手は失敗だったかな」
今更ながら後悔する。花粉団子は水を含んで湿気ているため、軍手があっさりびしょ濡れになる。非常に気持ち悪い。しかしこれを外すと手が汚れ放題に汚れるし、なにより毒無効であるとはいえ致死性の毒物を素手で触るほど無謀ではない。
……あ、いやそうでもなかったかな。昔、毒沼の中心にある宝箱をごり押しで取ったことあったしなぁ……。
しかも毒沼の中心にあったアイテムが今身に着けている毒無効のアクセサリーだったはずだ。なんだかなぁと遠い目になりつつも仕事を続けた。
脇に抱え直した革袋から花粉を団子状にまとめて掴みだし、適当に畑にばら撒く。なるべく均等になるように左右へ順番に投げていく。団子は空中でばらけて地面へと放射状に着地していく。
真っすぐ歩きながら花粉団子を撒き、端っこに辿りつくとそのまま折り返す。地面に刺さった聖剣の煌びやかな輝きを見やり、また往復。さらに往復。さらに往復。
……楽しい。
もちろん地味過ぎる作業で娯楽としての楽しみは全くない。しかしこの手の単純作業は中毒性が強い。
俺は自然と鼻歌を歌いながら茶色の地面ができるだけ平均的に白く染まるようにばら撒いていく。
途中休憩をはさみつつ、合計4袋の花粉を撒いた後、俺は再度地面を耕作して花粉を土に馴染ませる。そして魔術を止めて地面の動きが止まったところで、俺は太陽を見上げた。額の汗を服の袖で軽くふいて一人呟いた。
「さて、そろそろお昼かなー。お昼休みだ」
次話「次は肥料撒き」
【今日のおまけ】土壌消毒について。
土壌消毒は農家個々人の感覚によるものが大きく、絶対にするべきというものでもありません。
しかし土壌に発生する悪玉菌などを滅菌し、連作障害を防ぐことなどを考慮すると、一般的にやった方が良いと思われています。
ちなみに本編ではカエルの毒液としましたが、実際の農家ではクロルピクリン剤というものをだいたい使っています。
これは普通に猛毒で、人体が不用意に摂取したらたぶん死にます。それに皮膚で直接触れると、肌が焼けたりします。また直接触れずとも、原液もしくは散布後の畑に近づいて臭いを嗅ぎ過ぎると気分が悪くなったりします。
なので土壌消毒後の畑にはなるべく近寄らないようにしてください。一週間もすれば消毒が終わってほぼ完全に無害になります。
……まあ普通の農家ならビニールシートを敷いて周囲に被害がないようにしてると思いますが、念のため……。