1-5 フィルの森
ギルドから歩くこと数時間。
僕、シズク、バッゲンさんの3人は件の入口前に立っていた。
「じゃあ入る前に確認だ」
バッゲンさんが僕達を見下ろし、通算5度目の確認をしてきた。
「基本、森の中で僕から離れないこと、離れたい時は一言言うこと、万が一モンスターに会っても手は出さず僕の後ろに隠れること、それから」
「何かあったらすぐに言うこと、でしょ? 分かってるよー」
焦らされたシズクが聞き飽きたように先を言う。
本当に分かってるのか疑問な僕だけど、バッゲンさんは安心したように頷いた。
「そう。森の中は何が起こるか分からないからね。おかしいと思ったらどんなことでも報告して欲しい」
これが大人の貫禄というものなのか、バッゲンさんはどこぞの幼なじみみたいに怒鳴ったり、しばいたり、本を餌にしたりしない。さっきからそわそわしながらこっちをちらちら見てくるお子様には是非見習って頂きたい。
「いざゆかん、冒険の第一歩へ!」
「お、おー!」
「おー」
シズクのテンションに合わせて無理に慣れてなさそうなことをしてくれるお兄さんはやはり優しいと思う。
○
フィルの森。
広大とは言わないまでもこじんまりとしてるわけでもない。半日かけて一周できるくらいの森だ。
特徴としては森がモンスターと共生したがらないことだ。
モンスターは通常の動物よりも獰猛な種が多く縄張り争いも頻繁に起こるらしい。
それが引掻く程度のものなら可愛らしいものだが実際は周囲を滅茶苦茶にして巻き込む災害に近い。森にとっては勝手に自分の家を荒らされていい迷惑なわけだ。
なので森はモンスターを追い出す方向に適応した。
具体的にはモンスターが嫌う匂いを放つ花を咲かせ、
簡単に食べられないよう皮が岩より硬い実をつけ、
あらゆるところに対モンスター用トラップ植物がわきわきしている。
だが悲しいかな、そんな森の努力も虚しくモンスターは住みつき続けた。
確かに弱いモンスターは離れていったが過酷な環境が逆にモンスターを鍛え質を上げてしまったらしい。
以降は森とモンスターの鼬ごっこが続いたらしいが、今のところ森の圧勝に見える。
「どーよムスビ、森林浴っていいものでしょう」
「このモンスターへの憎しみをこしたような森中でよくそんな感想が出るね」
やはりこの幼馴染の感性は捻じれているようだ。
「ムスビムスビ! これ何かしら!」
「君ね。興味本位で適当に拾ってくるんじゃないよ。どれどれ」
「早速約束を破っていくね、やれやれ」
バッゲンさんが止めないということは危ないものではないんだろう。
シズクの両手には1本の牙があった。その手に収まっていないことからかなり長いのが分かる。
表面が青みがかっているのも特徴だ。
確かこれは、
「この森に生息するモンスターの牙だね。縄張り争いか何かで折れたようだ」
僕が記憶を掘り起こしている最中、バッゲンさんが答える。
……そう、だったか? この氷みたいな印象を受ける牙を持つモンスターが、春みたいな陽気の森にいるのか?
「バッゲンさんは博識ね! どこぞの本中毒者とは格が違うわ」
「本職と比べないで欲しいかな。本だけに」
「うっわ」
こいつ、本を取り返したら覚えてろよ。
……まぁ牙の件は置いておこう。僕はこの森のことを本でしか知らない。今の状況は過去と変わってるんだろう。
「2人は仲が良いんだね」
「「え?」」
「え?」
僕とシズクがいつもの睨み合いをしていると、バッゲンさんがおかしなことを宣った。
シズクも僕と同感なのか強めに否定する。
「バッゲンさん、勘違いしないで下さい。私はムスビのお父さんお母さんに頼まれて一緒にいるだけなんです。こんな自家製もやしと仲良しだなんて心外です」
この水髪……!
「バッゲンさんは意外と人を見る目はないのかな? この猛獣と僕が仲良し? ははは、同じ土俵にも立ってない知性もおつむも足りないお馬鹿さんと同列とか笑えないよ」
「笑ってるじゃない引きこもり。同じ土俵に立って欲しかったら毎日外に出るようにしてからにしなさいよ」
「誰が立って欲しいなんて言ったのかな。その水色の頭にちゃんと脳みそは入ってるのかな心配だよ僕は」
どれだけ僕とシズクの相性が悪いかこれで理解できそうなものだけど、
「やっぱり仲良しだと思うんだけどなぁ」
「「違うっ!!」」
バッゲンさんはずっとニコニコしたままだった。
○
「おーっ! 川だー!」
道中、シズクが植物に水をやって襲われたり、バッゲンさんに怒られたり、僕の本を濡らそうとしたけどなんとか無事に水辺までたどり着いた。
日はもう天辺を下り始めている。
「ここで休憩しよう。今日の調査は来た道を戻ってギルドに帰れば終了だよ」
先生の許可が出たので遠慮なく腰を下ろす。
「……疲れた」
「じゃあお昼にしよう」
言うやいなや、バッゲンさんはどこからともなくバケットを取り出した。蓋を開けてないのに空腹を刺激する誘惑が僕の嗅覚を襲う。
「わー、やっぱり便利なチカラですよね」
「ただの荷物入れさ」
匂いに釣られたシズクに尊敬の眼差しを向けられ謙遜するお兄さんだが、実際便利だろう。他のチカラと比べても群を抜いていると思う。
あれよあれよという間に食事の準備が整いお昼ごはんとなった。
因みに僕のお昼はシズクのはしゃぎのせいで調達できなかったためバッゲンさんのを分けてもらうことに。
「「「頂きます」」」
3人手を合わせ思い思いの料理を、とはいかずバッゲンさんはともかく僕とシズクはバケットのおにぎりへと手を伸ばしていた。
「おいおいシズク。君には自分のお昼ごはんがあるだろう? そっちから食べなよ」
「あらやだムスビったら。メインディッシュは最後に決まってるでしょ」
「そうかそうか。てっきり自分が作った外観不思議料理より見た目がパーフェクトなおにぎりに手が伸びたのかと勘違いしてたよ」
シズクの膝に置かれている弁当箱には紫色の煮えたぎった何かが詰め込まれている。
あれが何かは僕にも分からない。
ただ以前本に熱中し過ぎて餓死しかけた時に無理やり口に流し込まれたが、意外とおいしく栄養価もあるようだった。
本人も見た目のやばさは認識しているらしいが改善できず今に至る。
「ふんっ、もやしはその辺の雑草でも噛んでなさい。バッゲンさん、これ、見た目は悪いんですけど味は確かなんです。一口どうぞ」
「!? え、えーっと、それはほら、ムスビ君が先じゃないのかい?」
助けを求めるような目で矛先を向けられても困る。第一僕は餓死しかけて以来3日に1回は食べさせられてるんだ。これ以上精神的ダメージを受けたくない。
「ムスビは川の水でも飲んでればいいんです。ほらほら、遠慮せずにずずいっと」
「ムスビ君! 分かった! おにぎりと麦茶も出すから!」
何やら勝手に交渉のテーブルが用意され勝手に貢物が出てきたけど僕はおにぎりを貪るのみだうまい。
バッゲンさんの悲鳴をBGMに1個目のおにぎりを食べ終え2個目に手を伸ばした時だった。
「……?」
視界の端を何かが横切った。
最初は鳥か何かかと思ったが辺りを見渡しても何もいない。
見間違いか? そう自分を納得させようとして、
「あれー? あれあれあれー? バッゲンじゃーん」
真後ろから突然間の抜けた大声が響いた。
「ト、トラン……?」
毒色の粘着物を口に流し込まれながらもバッゲンさんは何やらを言った。器用な人だ。
「なにー? なになになにー? 何してんのー?」
ようやっと振り向くとそこにはバッゲンさんと同い年くらいの女性がいた。
眠たそうな目、やる気のなさそうな雰囲気に反し、腰まである長い金髪が眩しい。
顔立ちは相当整っており、こんなゴテゴテのレジャー服なんかじゃなくドレスでも着れば一躍お嬢様だろう。
「バッゲンさんのお知り合いですか?」
混乱してフリーズしているシズクは放置して、僕は改めてバッゲンさんを見た。
「いや、うん……そう、だ、ね」
歯切れの悪い返答。
これは都合の悪いことを誤魔化す時の口調だ。
好奇心が沸き立ち詮索しようかと迷い、
「あのさー」
先にお姉さんが手を挙げ、
「仕事せずに何遊んでんだっつってんだけど?」
殺気。
手を挙げ質問してるだけなのに、数瞬後には肉塊にされるイメージを嫌でも押し付けられる。
「ひっ」
停止していたシズクがさらに青冷め、僕も外面は取り繕いつつも内心は凍り付いていた。
「……ギルドの仕事さ、知ってるだろう?」
1人いつも通りなバッゲンさんが、だからこそ異質だった。
こんな命のやり取りに慣れなければならないほど、ギルド職員は過酷なのか?
「そっかそっかそっかー。うんうんうん、なるほどねー」
緊張感の欠片もない台詞の後、僕は人生最高速度で引っ張られ、
元居た場所から轟音を聞いた。
「何のつもりだトラン!」
バッゲンさんに抱えられたまま、恐る恐る振り向くと地面が抉れていた。その大きさからすると、あのまま居たら僕は間違いなく真っ二つになっていただろう。
自分が死に直面した事実とシズクの悲鳴が混ざり揺らぐ思考の中で、不思議とその声は耳に響いた。
「決まってんでしょー。経験値稼ぎだよー」
「この子達は関係ない。何も知らない」
「あたしがそれを信じる義務もー、努力もー、意味もー、必要もないんだよなー」
会話の意味なんて分からない。分からないが、
「この腐った世界を終わらせるのがー、あたし達のモットーでしょー」
このお姉さんは僕とシズクを殺そうとしていて、
「いいかい、よく聞いて」
バッゲンさんはこの人と知り合いで、
「僕が合図したらさっきの道を走って戻るんだ。絶対止まったり振り返っちゃいけないよ、いいね」
僕達を助けようとしてくれていることは、よく分かった。
「こっそこそすんなよなーバッゲーン。邪魔だからどいてろよー」
「行くんだ!」
「で、でも」
「早くしろ!」
バッゲンさんの怒声を皮切りに、戸惑うシズクの手を引いて元来た道を走り出す。
耳元から大木でも振り回したかのような風切り音がしたが死に物狂いで走る。
すっかり大人しくなった幼馴染の手を強く掴み、僕は走ることしかできなかった。
○
……危なかった。
今のあれはあと少し対処が遅れていたら終わっていた。
いや、寧ろこれはムスビ君を褒めるべきだろう。
恐怖に臆せず即座に行動した彼の判断は素晴らしく、だからこそ間に合った。
だから、
「てんめー、裏切ったなー」
「いつかはそうするつもりだった。予定より早まっただけさ」
僕は僕のやるべきことをするとしよう。
「ふーん、そゆことねー。残念だなー、ほんとーに、残念だなー」
相変わらず言動と行動が一致しない奴だ。それ故に先の動きが読みにくく、戦い辛い。
「1つ聞いておこうか。何故自分のエリアを離れてここにいるんだ。君はもっと北のエリアだろう」
「狩りつくしたからさー。それだけさー」
こいつも僕も同じ目的で行動していた。それぞれ与えられた範囲でそれを遂行していたはずなんだが、仕事熱心なこいつは自分のエリアでやりつくし僕の所まで来たようだ。
だがここも、僕が狩りつくしている。
よってこいつが狩るモノはないはず、
「でも、ここももういないみたいだなー。せっかく来たのになー。あ、でもでもー」
不気味な笑みを浮かべ両手を打ち、一時は同じ目的のため行動した女、トレンはこう言った。
「丁度良い餌が、あと3匹もいるよなー……バッゲーン?」
ああやっぱり、僕はヒーローなんかじゃない。
こんな悪党と同じ夢を見て加担した、そう僕も立派な悪党だ。
いや、そんなことよりももっと大きな罪がある。
「…………」
去り際、2人の顔が脳裏から離れない。
あんな顔をさせるつもりじゃなかった。
ただ、楽しい思い出を作ってあげたかった。
今日を振り返って楽しかったねと笑える1日にしてあげたかった。
僕なら守り切れると驕っていた。
その驕りが2人を怖がらせた。
まごうことなきクズだ。
「そうか」
僕はヒーローじゃない。
ヒーローじゃないが、
「もういい。喋るな同類」
その汚い口を閉じるくらいはさせてもらおうか。
1-6へ続く