1-2 ギルドのおじさん
ムスビと最後に外出したのはいつだったろう。
こいつ、少なくとも半年間は家から出ていなかったと思う。
前は、そう、図書館に本を返しに行ったんだった。
部屋に本を溜めすぎて雪崩が発生し、生死の狭間をさ迷っていた馬鹿をたまたま私が救助して説教して、本を減らさせたんだっけ。
日中は眠いから嫌だと駄々をこねた引きこもりのために時間帯は真夜中を選び、月が照らす夜道を一緒に歩いたのを覚えている。
血涙し厳選した100冊とやらを荷台に乗せ、2人で運搬し、返却箱に詰めるのは骨が折れた。
道中ぶつぶつと怨念を垂れ流す馬鹿のせいでとんだ一夜だった。
でも、秋夜にほんの少し肌寒い中、隣の呪音を除けば聞こえるのは自分の呼吸と虫達の鳴き声という状況は、不思議と嫌ではなかった。
寧ろ一仕事終えた後の達成感と疲労感で良く眠れたほどだ。
「さ、元気よく行きましょ」
「……」
ふて腐れて不機嫌さを隠しもしないこいつは私の幼なじみのムスビ。
ずっと部屋に篭って本ばかり読んでいる変わり者だ。
幼なじみとして、ムスビのお父さんお母さんから『死なない程度によろしく』と託された身として、私はこのモヤシを立派とは言えないまでも普通の村人まで更正させないといけないのだ。
しかし日頃の説得も意味をなさず、遂にこの最終手段を取らざるを得なくなってしまった。
幼なじみの大切なものを出汁にしたのは心苦しいけどこれもムスビを普通にするため、商人として遠出中のため留守にしているムスビ両親のため。
他人のためにここまでする私はきっと女神の生まれ変わりなんだろう。この馬鹿はもっと私に感謝と敬意を払うべき。
それにしても、春の朝を歩くのはすごく良い。
ふんわりとした風が体を包み通り過ぎて、全身に心地よさを残してくれる。
秋夜とはまた違う春朝の温もりに溶けてしまいそうだ。
「ほらムスビ、いつまでもいじけてないでこの雰囲気を楽しみなさい。たまの外出も悪くないでしょ?」
「僕は今本質を取られて心休まらない状態なんだが」
まったく、ムスビの本好きにも呆れを通り越して尊敬しないまでも引くレベルね。
確かに小さい頃から両親がなかなか家にいなくて、日中は私がいても夜は一人ぼっちだったわ。
その寂しさを紛らわすために本の世界へ逃げたことは仕方ないかもしれない。
自分を支えてくれた本達を友達、いや家族のように思うのは必然なのかもしれない。
でも、もうあんたは外に出なきゃいけない。
子供でいられる時間はもう少ないんだから。
本以外の居場所を見つけなきゃいけないの。
そのために、私は、
「口答えするなら、こうよ?」
「素晴らしい朝だね。心が洗われるようだよ」
このチカラで本をぐじゅぐじゅにすることも厭わないわ。
良い返事を聞けて満足な私が水を引っ込めると、あからさまに安堵するムスビ。
やっぱり、まだ本の呪縛に捕われているようね。
でも大丈夫。
今日のムスビ更正作戦は完璧よ。
「あ。ほら見えたわよ」
私の指差す先を死んだ目で追いかけるムスビを急かしながら、私達はギルドの中へと入って行った。
☆
「ガハハハハ!! なんだお前ゴブリンなんかにやられて逃げ出したのか!!」
「逃げたんじゃない、撤退したんだ」
「同じだろうが!!」
「お前の脳筋には難しかったかな」
「いやそんな、褒めるなよ……」
「たまにお前が羨ましく思うよ」
喧々囂々とはまさにこのこと。
朝っぱらからギルド内のあちこちで怒号が響き渡っている。
全部聞き取る気なんてさらさらないけど、どうやらクエストを終えた冒険者達が多いみたい。
ギルドの中には木製の机と椅子がいくつかあって、机の上には得体のしれない料理やお酒が並んでいる。
こうやって仕事終わりにどんちゃん騒ぎしながらお腹を満たすのが彼らの流儀なんだとか。
一般的な村人の私にはよく分からないけど、本人達は楽しそうだからこれでいいんでしょ。
「ん? おいおいクルハ、珍しいのがいるぞ」
「絡むなよボズ。だが、確かに珍しいな。冒険者、じゃないよな? 子供が何しに来たんだ?」
ぼーっと2人して喧騒を眺めていたら1番近くにいた男の冒険者2人に絡まれてしまった。
ボズと呼ばれた方は筋肉に命を与えたような生き物だった。
服の上からも隠しきれない筋肉達が暑苦しい。
対してもう一人のクルハという人は筋肉とは正反対に爽やかなイケメンで、荒々しさの中に気品が漂っている。
自分達より一回り大きな人達に腰が引けそうになるけど、私は臆さず胸を張る。
「ギルドに来るなら一つでしょ。クエストを受けに来たの」
極度の引きこもりムスビ君はあてにならない。ここは私が前に出るしかないわ。
「ほう、それは感心だな。若い内から色々と経験しようとすることは良いことだ。怪我しない程度に頑張れよ」
「え、あ、ええ、ありが、とう……」
実は笑われるか最悪追い出されると思っていた私は拍子抜けしてしまった。
見た目は無骨そうだけど、話してみると気さくで良い人達みたいだ。
「これは食えるのか?」
「なんだ坊主! アイアンウナギの丸焼きを知らないのか!」
「む、僕に知らないことはあんまりない。アイアンウナギも勿論知っている。体表面はぬるぬるしていながらも、鉄並の強度を持つ魚だ。武具の材料になると本で読んだが、食用とは初耳なだけだ」
「おー、村人なのに詳しいじゃねぇか! 気に入った! ほら食ってみろ!」
「ふむ、興味深い。お言葉に甘えて、頂きます」
…………………………あれ?
あの引きこもりモヤシが筋骨隆々なおじさんと談笑して、初めて見る食べ物を頬張っている。
あれー?
「む、むぐぐ。正直噛み切れるか不安だったが意外にいけるな。シズクの草汁よりうまい」
あれはムスビが風邪をひいたから作ったんだから苦くて当然で決して私が味音痴というわけではないはず!
「そーかそーか! 食え食え俺の奢りだもっと食え! 食って大きくなれ! ガハハハハ!」
「ガハハハハ」
な、なんで……。初対面のおじさんともう仲良くなってる……?
「ちょ、ちょっとムスビ!」
「ん、なんだシズク。今僕は新たな味覚の探求に忙しいのだ。手短にな」
口も手も忙しそうな幼なじみに困惑しつつも、なんとか一つずつ整理する。
「あんた、なんでそんな物おじしないのよ」
「ふむ、君は僕を馬鹿にしてるね?」
正直馬鹿にしていた。
表情からそれを読み取ったのか、しかめっ面を崩さずムスビは語る。
「僕は色んな本を読んできた。内容種類問わず、それは途方もない数をだ」
「そ、それで?」
「中には人と話すための本なんかもあってだな、一度読んだ内容を決して忘れない僕は容易にそれを実践できるのだよ」
さも当然のように語り終えるムスビだけど、そんなの容易じゃない。
知識を実践に生かすには経験が必要なはずだわ。
それを、こいつは途方もない知識量と推測、そして好奇心により可能としている。
なんだか、私の知ってるムスビとは違う。
もっと頼りなくて、私がいないと何もできなくて、引きこもりで、モヤシで、
私には、あんな明るい顔しなくて、
「どうした嬢さん、まるで子供がいつの間にか大人になってて驚いた親みたいな顔をしてるぜ」
はっと気づくと、クルハさんが私の隣でニヤニヤしていた。
この顔はあれだ。親戚のおじさんが『好きな男はできたのか? ん?』と迫ってきた時と同じ顔だ。
やれやれ、良い大人がすぐ腫れた惚れたと嘆かわしいわね。ここは冷静に反論するとしましょう。
「そんなことないですよ。ただ馬鹿の世話は大変だなと再確認してただけです」
「くっくっく、そうかいそうかい」
全てお見通しみたいな口振りにイラッとするけど我慢我慢。私はムスビみたいに本能だけで生きていない、理性的な人間なの。
しかしこのお兄さん、イケメンだけど何だが心の中を見透かされてるみたいで、ちょっぴり苦手かもしれない。
「けっぷ、ごちそうさまでした。ふむ、お腹いっぱい。帰る」
「帰すか! さっさと受付に行くわよ!」
隙あらば帰宅しようとする引きこもりの首根っこをひっつかみ、引きずりながら受付を目指す。
「ガハハハハ! じゃあな坊主! 今度はマッスルミミズを食わせてやるよ!」
「色々と頑張れよ、嬢さん……ぷぷぷぶぅっ!?」
後方から飛んでくる別れの言葉にムスビが手を振って返すのに対し、私はイケメンを水も滴る良い男(物理)にしてやった。ざまぁみろ。
「シズク、何をいらついている? 腹が減ってたなら言えば良かったのだぞ」
「元凶はあんたよ」
的外れな幼なじみの台詞に辟易しつつもどこか安堵感を覚える不思議。
とにかく今はムスビを更正させることを考えよう。
そう無理矢理思考を切り替えて、変な社会性を身につけた幼なじみと共に私はギルドの受付に向かうのだった。
1ー3に続く