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アネモネの庭園  作者: アリア
12/13

12 あの日の神様





「あ、あの…!」


か細い緊張したような声が聞こえると冬弥は咄嗟に動きを止めてしまう。

あたりを見渡せば図書館の裏口へと続く細い道に誰かが立っているのが見えた。






まるでエルのパフォーマンス披露会のようであった学期最初のテスト期間が終わり、未だに2年4組だけはざわざわといつも騒がしい状態が続いていた。

自分で言うのもなんだがうちのクラスは随分と『濃い』メンツが揃っているらしくその筆頭が言わずもがな佐倉エルである。

担任の古賀先生はいつもどこからともなくやってくる他学年や他クラスの生徒に辟易しているらしかったが、思春期の高校生の行動を制限するのはやはり難しいように思えた。


先ほど声がした方に視線を戻すとどうやらそれは自分に話しかけているわけではないらしかった。

声を発した彼女以外に誰かもう一人そこにいる。

それに気づくと冬弥は音をたてないように踵を返し急いで図書館の中へ入った。

やはり立ち聞きは良くない。



再び図書館へ戻ったは良いが少しずつ気温が高くなるこの季節、図書館の窓はほとんど開け放たれている状態であった。

窓を閉めればいい話だが恐らく窓からすぐ近くで話しているため間違いなくご対面だろう。

すぐそこから聞こえてくる声に冬弥は為す術もなく立ち尽くした。


「突然ごめんなさい...来てくれてありがとうございます。」


先ほどと同じ緊張したような響きだった。

冬弥は静かに椅子に座るとため息をつく。


「構わないよ、待たせてすまなかったね。」


少女に応えた声は冬弥にとってどうしようもなく聞き間違えるはずの無い、聞き心地のよい声だった。ああ、なんてこと。

恐ろしくタイミングが悪いことに気づいてしまった冬弥は柳眉をひそめた。


「そんなこと!

あ、あの...突然なんですけど噂では今付き合ってる人はいないって聞きました…。」


「いわゆる交際関係にある人はいないよ。」


「じゃ、じゃあ気になる人いるんですか?」


いかにもあけすけなその問いに彼の困ったような笑みが零れた気がした。


「ごめんね、率直に聞くと君は何が言いたいんだい?」


「 あっ...ごめんなさい。

その...もしよかったら私と.......」



その瞬間何故か青空の下で不思議な笑みをたたえている彼の姿がよぎった。

冬弥はやはり居心地が悪くなり2階のソファへと足を運んだ。





いつも寛いでいるソファに身を沈めれば幾分か心が落ち着き罪悪感も消えたかのように感じる。

しかし風にのって聞こえてくる高い声は、がらんどうの図書館に確かな響きを持って運ばれてきていた。

きっと告白をしていた彼女も図書館付近に人などいないと思ったのだろう、この近辺はしばしばこういう場に使われることがある。

人に迷惑をかけていなければどうしようが勝手だが、鉢合わせてしまうと流石に冬弥でも気が引ける思いだった。


「はぁ...」


まだ新学期が始まって一ヶ月。

こうなることは容易に想像できたがこんなにも早いだなんて。彼には悪いがやはり面倒事は嫌いである。

お目付け役である以上今後どういう形でかは分からないが少なからず冬弥に影響を及ぼすだろう。


恋愛を馬鹿にしているつもりは無い、しかし恋に身を焦がすその気持ちがどうやっても理解ができなかった。

体験してみればわかるというが今のところそんな暇はなく、今日明日を踏みしめるように生きる冬弥にとって誰かの為を思って一喜一憂するのは考えられないことであった。


目を瞑れば母の白い面が浮かび上がるが、記憶にあるのは病院での姿ばかりである。

記憶に揺蕩う自分にそっくりな細い線を辿れば優しげで物憂げな瞳が今も変わりなく見守っていてくれている気がした。

少しだけ上を向くと冬弥は人知れずため息をついた。










「ごめんね。」


それだけ言うとエルは眉尻を下げた。

目をそらさず対面している少女には瞬間傷ついたような表情が浮かんだ。


「試しにとかでも良いんです...!

佐倉くん本当に素敵だしちょっとだけでも...」


「そういうことは言ってはいけないよ。」


優しいが、力強い声色でエルは少女の話を遮った。

愛らしい顔つきの彼女は少しだけ期待していたのかその言葉に愕然としていた。


「君のことを僕はまだよく知らないし、君だって僕のことをよく知らないはずだ。

それに自分の価値を下げるようなことは言ってはいけないよ、自分のことを大切にしなきゃね。」


「じゃ、じゃあ付き合ってからお互いを知っていけば良いと思います!」


それでもなお食い下がる彼女に少し驚く。

最初の緊張した面持ちとはうって変わり意外にも強かなのかもしれない、エルはゆるりと首を振った。


「今は誰とも付き合う気は無いんだ、ごめんね。」












大人しく校舎の方へ戻っていく彼女を無言で見送った後、エルは深いため息をついた。

人間の、特にこの年代の少女は非常に多感である。

色恋沙汰に騒ぐのも一種のステータスや娯楽のようなものがあり、短い一生の一番楽しいと言われている時間を彼女達は華やかに生きていた。




もう見えなくなった彼女の背中をエルはいつまでも眺めていた。

あの輝かしい楽園での煌めきのような日々が脳裏をよぎる。

禁断の果実を食べて知恵をつけてしまった少女ともうひとりの少年の姿を。

“感情”をおぼえてしまったこの愛おしい人間達を止めることなどもう神でさえできないのだ。


菫色の瞳を細めるとエルは踵を返し、静かに構えている図書館へと入っていった。








話が終わったのか再びいつもの図書館に戻っていることに冬弥は気がついた。

ドアが開いた音はしなかったはずだが図書館内を誰かが歩いている音がする。

蝶番が錆びているため、あの重たいドアを開ける時は必ずうるさくギィと音が鳴るので誰か入って来ればわかるのだがーーー。



この学校の図書館には幽霊が出る。



たしかこの学校にもそんな七不思議があったのを冬弥は今更思い出した。

あいがベタすぎるでしょ~とケラケラ笑っていたが自分もそう思っている。


が、図書館の中をしかも2階に上がってきている足音に冬弥は言いようのない寒気を覚えた。

しかしその足音が近づくにつれて、纏う雰囲気がいつもそばにあるものだと気づいた時に足音も同時に止まった。


「...エルね。」


本棚の間からひょいと顔を出した彼はどうにも楽しそうであった。


「驚いた、なんでわかったんだい?」


「シックスセンスかしら?」


楽しそうに笑うエルは冬弥の隣まで来ると窓辺に腰を下ろした。

さっきまで女の子を振っていたというのにこの人は。


「シックスセンスかぁ、興味深いね。」


「昔から勘が良いのよ、ごめんなさい立ち聞きするつもりは無かったのだけれど...」


「君がいることは知ってたよ。

窓が開けっ放しだし図書館内がこれだけ静かだとね。」


そよそよと風が彼の髪を揺らした。


「向こうではどうかわからないけど、日本だと本当は結構奥手な女の子は多いはずなのよ。

でも彼女が一番手だったとしたらこれを期にこれからもたくさんこういうことがあるかもね。」


「そういえば最近マンガで読んだよ!モテ期ってやつだね?」


思い出したように振り返るエルに冬弥は目を丸くした。


「マンガも読むの?」


「本であれば基本的になんでも読むよ。

絵本とは少し違うけど日本のマンガはアメコミとは違った面白さがあって僕はとても好きだね。こっちで住む上で勉強にもなるしね。」


冬弥はなんだかポカンとしてしまった。

活字が好きなのだと思っていたが本の形態をとっていれば案外彼はなんでもいいのかもしれない。


「日本人はその大人しい見た目からは想像がつかないほど想像力が逞しい人が多いね。

いろんなジャンルのマンガを読んだけどとても面白いよ。」


「逞しい…ね...。

まあがんじ絡めの日々から頭の中だけは自由に空想を広げている人は多いのかもしれないわ。」


ふと、先ほどのことを思い出す。

彼はドアを通り抜けてしまったのだろうか。

まるで幽霊のように。


彼を仰ぎ見ればにっと笑うの下の涙黒子が少し憎たらしかった。



そういえばここで出会ったあの日、白昼夢に魅せられていたんだっけ。

彼の背には見たこともないような大きな、しかし鳥にもついている純白のそれがついていたのだ。

おまけに頭の上にぽっかり浮かぶまるで蛍光灯のような光の輪は現実で冬弥が知っているものとはあまりにもかけ離れていた。

ニヤニヤと笑う今の彼にはなにもついていないが。


「あなた、幽霊なの?」


なんの迷いもなく冬弥は真っ直ぐに聞いた。

この不思議な青年はたまに人とかけ離れたような雰囲気を醸し出している。

ただただ純粋な疑問としてエルに向かって問いかけたのだ。

質問した後とてもとても後悔したがもう遅い。

彼は一瞬目を見開くとその笑みを深くした。


「冬弥にしては面白い冗談だね。」


「私も今自分に驚いてるわ。」


冗談。

そう思われて当たり前である、人にこんなこと聞くなんて。


「僕はちゃんと触れるから違うよ。

冬弥は幽霊とか神様とかそういった類のものを信じているのかい?」


「どうかしら、こういう話は考えようだわ。

信じる人の心に存在すると思わない?」


まだ冬弥が幼い頃、母が寝る前にしてくれたたくさんの話の中にはそういった話も含まれていた。




神様はいるんだと、母はいつもいろいろな絵本を片手に自分に読み聞かせていた。

だから信じて星に太陽に、また海に大地に祈るのだと。

世の中には色々な宗教で溢れていて、それがもとで歴史にはたくさんの悲劇が刻まれてきた。

それでも神様はいるのかと問うたことがある。

本当にいるなら悲しむ人なんかいないと。



『信じる人の心に。

直接救ってくれるわけではないけれど、心の支えとしてみんなそれぞれの神様をもっているのよ。

だからお母さんも神様はいるって信じてるわ。』



その時冬弥にとって心の支えは母であり、彼女の言うところの神様だったのかもしれない。

今では失われてしまったけれど。




「だから幽霊や神様がいるかどうかは考えたことは無いわ。

いると思えばいるのだし、いないと思えばそれはいないのだから。」


「君はやっぱり面白いね。

こういう話はどこへ行ってもタブーであることが多いからね、そういう意見が聞けて興味深いよ。」


「宗教学にも興味が?」


エルは窓辺から離れると目の前の本棚から1冊の本を抜き取った。



「真面目に勉強してるわけじゃないよ、あくまで興味だ。君はエデンを知っているかい?」




どうしてだか彼は懐かしむようにその本の表紙を撫ぜた。







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