12話 赤黒い
「おはよう。昨日あれだけ色々あったからかしらね、こんなに遅くまで寝ているなんて」
目を覚ますと見慣れない、しかし見たことのある天井が視界に入ってきた。たしか、俺の名前が決まった後もう遅いということですぐに眠ってしまったんだっけか。セシルはリヴァと同じベッドで、俺はソファで床に就いた。
「セシルは?」
「あの子は外に散歩をしに行ったわ。貴方も行ってくれば?まだ間に合うと思うわ」
「そういうリヴァは?」
「もう見飽きた景色を眺めながら歩いて何が楽しいのよ。私は読書に忙しいの」
こちらを見ようとする素振りなど一切せずに答える。こいつは人と会話するときには相手の方を見るというコミュニケーションの基礎すら備わっていないらしい。
「じゃ、セシルとこの辺りをぶらぶらしてくるわ」
「えぇ、行ってらっしゃい。あ、そこにある包みを持っていきなさい」
リヴァの指さす方に視線をやると、確かに机の上に白い布で包まれた何かがあった。
「なにこれ」
「朝食兼昼食よ。私もセシル嬢も済ませちゃってるから。貴方だけ何もなしとはいかないでしょう?」
包みを開いてみると、パンに瑞々しい野菜や何かの肉、チーズなどが挟まれたサンドイッチが二つ入っていた。
「すげ、これセシルが作ったのか?」
「失礼ね、私が作ったのだけれど。私はあの子より料理ができないとでも思われているのかしら」
「冗談だよ、ありがとな」
「ありがたく頂戴することね」
ふんと鼻を鳴らしてさらに顔を逸らすリヴァに一応手を振りつつ扉を開き、外に出る。
そこにはたくさんの木々が生えており、澄んだ川が家を囲い込むように流れていた。
そういえば、実際にリヴァの家の扉をくぐって外に出たのは今回が初めてだ。これまでは全てあのワープ(仮)で目的地まで移動していたため、こうして家の周りの景色を見る機会がなかった。
「あ、起きたのね」
ふいに頭上からセシルの声が降ってきた。その姿を探して上を見ると、屋根に腰かけて足をぶらぶらさせている紅髪の少女がいた。
「よくそんなところに上ったなおい」
「ふふん、私にかかれば空を飛ぶくらい造作ないことなのよ」
セシルはその小さな背中に大きな炎翼を作り出しゆっくりと目の前の地面におりてきた。
「そんなことまでできるのか。すごいな」
「そんなことないわ。もっと褒めてもいいのよ」
謙遜するのか誇るのかどちらかにして欲しいが、今はその得意げなかわいい顔に免じて黙って頭をなでておく。
「さて、アルトも起きてきたことだしこの辺りに何があるか探しに行きましょうか」
「……。……あ、俺かアルトって」
「さすがに命名二日目じゃ慣れないわよね。さ、気を取り直してお散歩しましょ」
セシルに手を引かれ木々の生い茂る森へと足を踏み入れる。
―――・―――
「木ばかりであまり面白くないわね」
もはや歩くことを放棄し炎翼でふわふわと浮遊しながら移動するセシル。その顔には不満の色が見て取れる。
「どうする、いったんリヴァの家まで帰るか?」
「それもつまらないし……」
セシルがそこまで言った瞬間、
「見つけましたよ、セシル様!」
赤髪の青年、確かクリムヴィルの町をセシルと共に案内してくれた彼が息を切らして現れた。
「アレフ……よくこんなところまできたわね」
そうだった、アレフって名前だった。記憶から抹消されてたわ。
「お嬢様、はやく正気に戻ってください。さぁ、城へ戻りましょう」
「私は正気よ。自分の意志でこの二人と一緒に行動してるの」
「くそ……やはりそこにいる黒髪の下民に洗脳されてしまったのですね」
「いや、だから「今助けます、セシル様!」
こいつマジでやばい奴じゃないか。己がすべて正しと思い込んでいるこの世で最も嫌いなタイプだ。ぶんなぐりてぇ。
「あー、アレフさん?俺は別に洗脳なんかしていないし、なんなら自分の能力がどんなもんなのか未だに見当が「黙れ下賤な新戦力め。我々世界最強の赤の勢力の姫君に手を出したことを後悔させてくれる」
会話できねぇわ。リヴァより質が悪い。
「よし、この際だからアレフを練習台にしてあなたの能力を確認しましょう」
「あ、じゃあそうするか」
あのくそ男をぶんなぐる機会がこうも簡単に訪れるとは。自分の力がどれほどのものなのか未だわかっていないが、負ける気はしない。
「私が練習台だと……?いいだろう、いいだろうよ、格の違いというものを教えてくれる」
どうやら相手も練習台になることを了承してくれたようだ。
「簡単にやられて退屈させないでよ」
セシルに背中を押され一歩前へ。アレフも同様に一歩踏み出しお互いに正面から対峙する。
―――・―――
『ヴォルク!』
何度その呪文が放たれただろうか。
「なぁ、もうやめてもいい頃合いだろ」
何度このセリフを吐いたか。
「まだだぁ!」
何度、この戯言を耳にしただろうか。
アレフの放つ呪文は一つとして掠ることなく明後日の方向へと飛んで行った。対してこちらはただ突っ立っているだけである。
「さて、と。こっちからも何かやってみないとな」
相手の放つ魔法が当たらないのをいいことに一気に距離を詰め、
「やっと殴れるな、おい」
右腕を振り抜いた。全てがいきなりのことだったため反応が遅れたアレフの顔面にその拳がもろに入る。
「くそ、くそ、なんで魔法が逸れるんだ……なぜ私がこんな奴一人あいてに何もできずに殴られなければならないんだ……」
「アレフ、もうわかったでしょう?このまま何年挑み続けても、今のあなたでは一撃も当てることは出来ないわ」
セシルの言葉に何も答えず再び立ち上がりこちらを睨みつけてくる。その目は依然死んでいない。
その異変に最初に気づいたのは俺だった。続いてセシルもそれに気づきハッと息をのむ。
「なんだ、その目は」
アレフが己に向けられている視線の持つ意味が変化したことを察して怪訝そうな顔をする。
「アレフ、あなたその髪はどうしたの……?」
「髪が、どうかしましたか?」
アレフの髪色は、以前の紅色からどす黒い血のような色に変わっていた。
「貴方の力は、相手の能力を無に帰してしまうもののようね」
「うっわお前いつの間に」
急に現れたリヴァに驚きつつ、その話の内容は聞き逃せるものではなかった。
「つまり今のあいつは?」
「無力な一般人ね」
ふむ。白髪の人間をあれだけ侮辱していた人間にはいい罰じゃあなかろうか。しかし、当人はそれどころじゃないのだろう。
「ヴォルク!ヴォルク!……ヴォルク」
両膝をつき何度か魔法を詠唱した後、よほどショックだったのかその場に倒れてしまった。
「はぁ……これくらいで気を失うなんて、まだまだ精神力が弱い証拠ね。さっさとあの赤ゴリラの元に送り返さないと。……セシル。貴方はどうする?」
アレフを心配そうに見つめるセシルの方がびくりと跳ねる。
「私は、本当はアレフを連れて帰って目を覚ますまでは見守ってあげていたい。だけれど、私はもう決めてしまったの。貴方を、リヴァをちゃんと倒すまでは帰らないって」
なんつー理由だろうか。もはや俺たちとは価値観が違うのだろう。この娘はこの娘自身の信念に従い己の感情を押し殺すことを選んだのだ。
「いい返事ね。やっとなぜ私たちと一緒にいたがるのかの理由もわかったことだし、赤の城まで行ってくるわね。二人は先に帰っていて」
言うが早いか、アレフとリヴァはその姿を消してしまった。
「……えい」
「いっで!え、なんで俺今蹴られたの?」
少し間があった後、いきなりセシルから蹴りが飛んできた。蹴られた太ももが痛い。
「いえ、一度も魔法が当たらずにアレフをあんなにしてしまった貴方が正直怖かったの。だけどこうして蹴れば当たるし、ちゃんと痛いみたいだし、もう怖くないわ」
ほんと、強い娘だなぁ。