10話 紫の国『ヴィオプラ』4
炎翼をはためかせ一気に距離を取り間合いを確保する。白髪の少女、確かリヴァと呼ばれていた彼女の能力がどのようなものなのか全く見当がついていない今、近距離で抗戦するのはリスクが大きい。
「あら、すぐに殴り掛かってくると思っていたのに」
リヴァが心底残念そうにぼやくと、その周囲の建物が一気にはじけ飛んだ。もし、リヴァの言うように突っ込んでいたとしたら。セシルの背を嫌な汗が流れていく。誤った選択を一度でもしたならば死ぬ。そう己の心に刻んだ。
しかし、セシルには遠距離での戦闘経験がほぼない。一般的な攻撃系の魔法は外に打ち出すため距離に関係なく使用できるものだが、あくまで一般的な人間ならの話である。セシルはその内に秘めている魔力が大きすぎるあまり、何も考えずに魔法を放てば自分の体すら焼き焦がしてしまうのだ。だが、幸い彼女は魔力が大きいだけでなくその扱いにも秀でていた。例えば背中に炎翼を生やしたり、宙に巨大な炎拳を作り上げたり。魔法を直接放つのではなく魔法によってさまざまなものを作り上げ、それを駆使する戦法をとる。
「一旦は様子見ね」
セシルはその小さな拳をぎゅっと握りしめると、一気に振り下ろした。まるで目の前の誰かを殴るかのように。するとその動きに連動し、宙に作られていた巨大な炎拳がリヴァに襲い掛かった。
『ルフト』
しかし、それはあっけなく不可視の刃に切り裂かれその体に触れることなく消滅してしまった。その詠唱時間の短さからして下位呪文だろう。
「あら、壊されちゃった」
さほど驚きもせず、さも当然だという反応。父親に勝ったのであれば、この程度やってもらわなければ困る。これまでの人生で、自分と対等かそれ以上の力を持つ者との戦いなどいつぶりか。この高揚感はいつぶりか。
「なら、これはどうするのかしら」
背中の翼を一気に羽ばたかせてかなりの高度をつけ、下からこちらを見上げているリヴァへ向かって炎拳を連続で叩き落していく。その大きさや速さ、角度に差をつけ一撃では壊されないようにしている。
『ラファ・ルフト』
一撃。たった一撃で空から降り注ぐ炎拳を一掃してしまった。
「これくらいの小細工で私をどうにかできると思っているのかしら。赤王の娘もこの程度なのね」
「こんなの小手調べよ。さぁ、もっと私を楽しませて!」
セシルは両手を広げるとその体を周回させるように四体の小さな竜を生成した。勿論これらも炎で作られている。
「貴方、ずいぶんと風変わりな魔法の使い方をするのね。一応王族の血を引いているだけあるわ」
「あなたも白髪の人間な割には楽しませてくれるわね」
お互い笑顔のまま少しの間沈黙し、セシルの作り出した炎竜がリヴァに向かって移動したことを合図にリヴァも魔法を放ち相殺させる。しかしそれぞれ別方向に散らばっていた竜たちを一撃で消滅させることは不可能だった。なんとか魔法を免れた生き残りの二体がリヴァを前後から挟み込み、一気にその体目がけて宙を駆ける。
「こういう小細工は通じないと、そう言ったはずよ」
『全てを無色に。総ては零に。
ネブル・ナダ・ルフト』
リヴァを中心に不可視の刃が無数に放出され周囲の景色を歪めていく。その刃に斬られたものは物理的な損害はないまま、しかし空間を捻じ曲げられ本来曲がるはずがない方向に折れ曲がってしまっている。その光景は、セシルが紫の国に入ってきたときに見かけたものと同じものだった。それをたった一瞬でやってのけたこの魔法。リヴァ自身、ここまでの魔法を使う必要はないと感じてはいた。しかしこんなところで足止めされている暇はない。
私は一刻も早く
紫王を
殺……
『ヴォルク』
放たれたのは、赤の国の住民ならば誰もが使える下位中の下位魔法。しかし、その火球の大きさは常軌を逸していた。おそらくリヴァが丸々入ってしまうであろうその巨大な下位魔法は地を焼き削りながらリヴァ目掛け直進してくる。
『……っ!ルフト!』
完全に意識外から放たれたそれへの反応が一瞬遅れたリヴァであったが、瞬時に意識を切り替え同じく下位魔法で破壊する。
しかし、一瞬意識が外せたのならそれで事足りるのだ。
『炎生成魔法‐刃
ラーミナ・ソレイユ』
唯一無二の、セシルにしか扱えない魔法の射程距離に入り込むには。
通常の魔法を放った代償に体のあちこちから煙が上がっているが構っている暇はない。魔法を放った直後のその一瞬隙に、右手に握った炎刃を一気に振り抜いた。
―――・―――
「あぁ、なんて醜い」
まるで悲観するような口ぶりで、しかし微塵にも思っていないことを呟く。
「しかし、どうしたものか。まさか赤の姫様まで侵入してきてしまうとは」
目の前、草原の中で横になっている二人の少女を見下ろしながら嘆く。セシルがここにいることに関して、赤王にどう言い訳したものか。そればかりに思考をめぐらせる。
「……悩んでいても仕方ないですね。まずはこれを処理しなければ」
眼下で寝息を立てている二人の少女の片方、白い髪をしている方を足蹴にしどう処理するか思案する。前は毒を食らわせてみたが、暴れてしまって愉しさより喧しさが勝ってしまいあまり満足できなかった。その前は、確か、新しいマスクを作ろうとして皮だけ剥いだ気する。結局使い物にならなくて捨ててしまったが、あれは初めての経験でとてもよかった。
「うん、うちのペットのお嫁さんにしてあげよう」
そういう趣味は持ち合わせていないが、そろそろ飼っているペットが発情期に入ってしまうし、処理係にしておけばいい。
すぐ処分しないなんて、なんと寛大な人間だろうか。
「そんな、糞みたいなこと考えていそうだなぁおい」
すぐ近くから少年の声が飛んできた。
「ん、だれかな君は」
「その足をどけろ。そしたら許してやるから」
「私を誰だと思っている?この地を治める紫の王ですよ。言葉遣いがなっていないですねぇ」
会話にならない。
「足を。どけろと。言ってんだ」
「こんなのを踏んで怒る人なんて初めて見ましたよ。狂った思考の持ち主もいるんですね、かわいそうに」
「もういいわ」
紫王と対峙する少年は視界をふさいでいた邪魔なフードを取ると
「お前、なんだその髪色は!……まさか「どけ」
ありったけの力を込めて紫王の脇腹に右フックを決め吹き飛ばした。
「……城に侵入したときといい、今回のことといい」
少年は今尚目を覚ますことなくすうすうと寝息を立てているリヴァとセシルの傍まで歩み寄りしゃがみ込むと、
「もし俺に、魔法を受け付けないという力があるのなら」
その体に触れ、ただ心の中で叫んだ。
さっさと帰ってこいや!
―――・―――
完全に決まった。そう確信していたが、いったいこれはどういうことだろうか。
リヴァがいたはずの場所には今や何もない。城で見せた瞬間移動だろうか。しかし、それにしたって完璧に裏をかいて一度も姿を見られることなく攻撃したのにこんなにタイミングよく回避できるものなのだろうか。
「さっさと帰ってこいや!」
そんな声が聞こえてきたのは、自分の体がだんだんと消えかかっているのに気づいてすぐのことだった。
―――・―――
「あれは負けではないわ。全く本調子ではなかったもの」
「子供相手に負け惜しみはみっともないわ」
「……どこから突っ込めばいいんだ」
先ほどまで寝ていたのが嘘であるかのように言い争いをしている二人。リヴァとセシル。どうやら俺の仮定は正しかったようだ。黒髪の俺が持つ能力は、ほかの魔法を無効化することができるらしい。
しかし、なぜこの二人は会話が成り立っているんだろうか。さっきまであんなに熟睡していたのに。
「……こんなことがありえるのか。私の魔法が、こうも、いとも簡単に解かれるなど」
「紫王。よくも私にあんなもの掛けてくれたわね。お父様にはどう報告してやろうかしら」
「ひっ」
「いつから幻覚を見せられていたのかしら。……思い出したら、幻覚だったとしても腹が立ってきた」
どうやらこの糞野郎改め紫王がすべての発端らしい。
紫の領地に入って少しした後、急にリヴァが倒れこんでしまったのだ。ただ寝ているだけの様子だったが何をしても起きなかった時はさすがに焦った。
少ししたら、いきなり空からセシルが降ってきた。ラ○ュタか。
ふたりとも深い夢を見ていたようだったが、まさかすでに妨害を受けているとは微塵も思わなかった。
「紫王、あなたとお話ししたいのだけど」
「いいかしら?」
セシルとリヴァ、圧倒的強さを誇る二人に迫られ、紫王はただ首を縦に振るしかなかった。