第九話
女主人は息を呑む。その顔からはさっきまでの尊大さは消えていた。あるのは恐怖。
その瞬間、ブルーシーは悟った。この人が私を虐げていたのは怖かったからなんだ、と。
それは私が……化け物だから。
「もう怖がらないで」
ブルーシーは静かに言った。
「みんなきれいに消してあげるから。元から何も無かったことにすればいいんだわ。私は生まれてこなかった。あなたもここにはいなかった。私たちは出会ってなんかない」
「ブルーシー、ちょっと待ちなさい」
震える声で女主人は言った。
「さっきのは冗談だよ。本気で言ったわけじゃないんだから……」
「この店の常連客も、あの幸せそうな子供たちも、みんな最初からいないことにすればいいのよ」
「何をする気なの……」
「何だと思う?」
そう言って彼女が笑った時、建物に何か大きなものがぶつかったような衝撃が起こった。
「みんな壊れて、みんな潰れて、それでおしまい」
「何なの! 店が壊れる!」
よじれるように建物が激しく揺れて、女主人はパニックに陥った。めきめきと不吉な音が鳴り、天井が今にも落ちてきそうだ。
「お前がしているの? こんなことができるなんて……」
「何を今更驚くの? だって、私は化け物なんでしょう?」
そう言ってブルーシーは微笑んだ。それは今まで見たことのない美しい笑みだった。
「あんたは……本当に恐ろしい化け物だよ!」
恐怖に引きつった顔で叩きつけるように言うと、女主人は這うようにして部屋を出て行った。
揺れはどんどんひどくなる。柱が軋みはじめ、天井から資材の破片が落ちてくる。その中でブルーシーは微動だにせず佇んでいた。じっと耳を澄ますと、開け放された店の扉から外の物音も聞こえてきた。人の騒ぐ声や悲鳴、逃げ回っている足音。どこかで火の手も上がったようだ。ぱちぱちと爆ぜる音と焦げた匂いも漂ってきた。
「……町ごと消えてしまえばいい。みんな、いなくなれ。すべて、消えてしまえ」
呪いのように何度も呟いた。目の前に柱が倒れてきても彼女はそこを動かなかった。
これで終わることができる。
目を閉じて死の瞬間を待ったが、しかし、それはいつまで経っても彼女の元を訪れることはなかった。目を開けたブルーシーの前には一人の知らない男が立っていた。彼が倒れてきた柱を体で受け止め、ブルーシーを守ってくれていたのだ。
「君、大丈夫か?」
男はそう言うと、抱えていた柱を向こう側に押し倒し、呆然としているブルーシーの手を掴んだ。
「さあ、早くここを出るんだ。崩れるぞ」
「……嫌です」
彼女はその申し出を断った。
このまま、生きながらえてどうなる。既に自分はこんなひどいことをしてしまったのだ。
ブルーシーは足元に倒れているナイフの男を見下ろした。ぴくりとも動かない彼の身体は奇妙な具合に曲がっている。既に息をしていないのかもしれない。この町で今、起こっているすべての災厄は自分がもたらしたものなのだ。許されることではない。
今まで惨めに生きてきて、揚句、司法の手に捕まり裁きを受けることを思うと、自業自得とはいえ、おとなしく従う気にはなれなかった。すべてここで終わりにしたかった。
「君、何を言っているんだ。さあ、行こう」
「駄目です。……私は化け物なんです。こんなことをして」
「こんなこと? この倒れている男のことか?」
「……それだけじゃなくて」
ブルーシーは天井を仰いだ。
「私はすべてを壊してしまう」
「……どういうことだ? 君は何を言っているんだ?」
「私なんです。私がこの町を壊してしまう。自分が止められない」
「何だって? 地震だとばかり思っていたが……まさかこれは君がしているというのか?」
「私は化け物なんです。こんなことをして……もうどこにも行けません」
「化け物?」
男は掴んでいた手に力を込めた。
「とんでもない。君は素晴らしい能力を持っているんだ」
「……素晴らしい?」
驚いてブルーシーは男の顔をみつめた。きらきらと光る明るい目をした人だった。彼は興奮気味に言葉を続けた。
「どこにも行けない、と君は言ったね? どうしてどこにも行けないんだ?」
「それは……私を受け入れてくれる人なんてどこにもいないし……居場所なんてないから」
「居場所ならある」
きっぱりと男は言った。
「私のところへおいで」
「……え」
「私は学園都市ロージーンから来た。キエルという者だ」
「学園都市? ……学校?」
「そうだ。私はそこで教鞭をとっている。君は学ぶことは嫌いかい?」
ブルーシーはすぐに首を横に振った。
学ぶこと。
それはブルーシーにとって心からの憧れであり、一番に望むことだ。
「あなたのところへ行けば……学ぶことができるの?」
「ああ、学園都市だからね。好きなだけ学べる。来るかね?」
「……だけど、あなたは私を知らない」
「そうだね」
優しく微笑んで、キエル教授は言った。
「だから教えてくれ」
「え?」
「私は君を知りたいんだよ」
「だけど……私はこんなひどいことを」
「君の力は強大だ。だからこそ、私のところへ来てコントロール法を学ぶべきだ。二度とこんなふうに力が暴走しないように。……どうか、君の力にならせてくれ」
「……いいんですか? 私でも……本当に?」
「ああ。一緒に来てくれるね?」
教授は両手で彼女の手を包み込んだ。温かく大きな手だった。ブルーシーはこの手をずっと待っていたような気がした。