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第四話

 生まれつき眼球自体が無かった。そのせいで彼女はいつもひとりぼっちだった。物心ついた時には既に親はいなかった。何故いないのか、それはブルーシーにも分からなかった。

 彼女が持っているものは昔も今も、一冊の手帳だけだ。それは両親の名前と自分の名前、生年月日が書かれている出生証明書だった。この手帳だけがブルーシーがブルーシーであると証明できる唯一のものだ。

 彼女はそれをいつも身に着けて過ごした。幼い頃に比べると今はページをめくる回数は減ったが、その古ぼけた表紙を見ているだけで安心できたのだった。幼い頃から守ってくれる人がいなかったブルーシーは他人の中でひとりで生きてきた。彼女にとってその古い一冊の手帳はお守りのようなものだったのだ。

 ブルーシーは幼い時から現実というものを知っていた。右目が無いせいでいつも好奇の目に晒され、他人の陰湿な言葉やさげすむ視線を受けることで彼女は自分が異形のものであることを知った。そして、それはそれだけで罪であることも知った。

 何もしていなくても人々は彼女を気味悪がり、何か悪いことが起こると彼女のせいにした。理不尽だと思いながらも、彼女は何も言えなかった。いくら言葉を尽くしても、叫んでも、自分の言葉が人々に届かないことを知っていたからだ。

 彼女はそんな状況の中、生きるためにあえて沈黙を守った。目立たないように振る舞い、ただ生きることに専念した。みんなが気味悪がる右目を隠すため、前髪を伸ばし、髪と同じ色の布を巻いて右目を覆った。

 ブルーシーはしかし、右目が無いことを除けば、美しい顔立ちをした少女だった。漆黒の癖のない髪にはちみつ色の肌。唇と頬を染める色は柔らかなバラの赤。そして何より印象的なのは、片目だけながら真っ青な空の色の澄み切った瞳だ。神々しくもある左目は、右目を隠したことで返って目立ち、それを人々はいくらかの畏敬の念と多大の皮肉を込めてこう呼んだ。

 青い瞳の美しいブルーシー、と。

「私の目が……何?」

 恐れながらもブルーシーは聞いていた。自分の目のことなどに触れたくはなかった。けれど、知りたい。この少年が何を思ったのか。

「教えて」

 震える声でたたみかけるブルーシーに少年の声は答えた。

『キレイ、デス』

 きれい?

 唖然としてブルーシーは彼の赤い瞳をみつめた。片言のその言葉に嘘は見当たらない。それだけにブルーシーは戸惑う。

「き、きれいって……私の目のことを言ってるの?」

 少年は小首を傾げた。その動きを肯定と受け取って、ブルーシーは言葉を重ねる。

「どうしてそんなこと言うの? 君は私の本当の姿を知らないのに」

 青い瞳の美しいブルーシー

 そう言って笑われ、虐げられた過去の記憶が頭の隅で弾ける。

「何も知らないのにそんなこと言わないで。君も同じよ。あのエルジ・コンウェルと同じ……」

 語尾が震えた。快活な金髪の少年を思う。

 彼はいつも明るく笑って、どんなに冷たくしても無視しても、当たり前のようにブルーシーの傍にいた。僕が君を守るよ。君を笑顔にしてみせる。君はきれいだよ。人目もはばからずそう言って……そして死んでしまった。

 彼は何故、死ななくてはならなかったのだろう。あんな形で死ななくてはならない理由がこの世界のどこにあるというのだろう?

「私は……醜い化け物なのよ」

 私に触れるものはみんな不幸になる。壊れていく。

 青い瞳の美しいブルーシー?

 冗談じゃない。

 自虐的に口元だけで笑って、ブルーシーは今度こそ、少年の傍から離れようとした。が、少年は掴んだその手を離さない。

「放してよ!」

 強く言って、手を振り払おうとすると彼はますます強く握ってきた。

「ちょっと……」

 抗議の声を上げようとした時、ブルーシーはぐんと何かに強く心を引っ張られる気がした。その引力に負ける格好で、その場にひざまずいてしまう。気が付くと目の前に同じ高さで少年の瞳があった。

『オペラ』

 少年の声はそう言った。それが彼の名前なのだとブルーシーにはすぐに分かった。

『オペラ、思ウ。キレイ、デス』

「違う!」

 ブルーシーは少し意地になって言った。

「私は醜いのよ」

『キレイデス』

「……それじゃあ、君はこれでも」

 彼女は右目を覆っていた黒い布を勢いよく引き下げた。そこから現れたのは、ぽっかりとあいた空虚な眼窩がんか。その周りの皮膚は赤黒くただれている。

「きれいと言えるの?」

 オペラはブルーシーの右側の顔をみつめた。逸らしもせず、瞬きもせず、ただみつめた。

 結局、その視線にブルーシーの方が耐えられなくなって、彼女はまた布を引き上げ、元に戻した。途端に後悔の念が押し寄せてくる。意地になって子供じみたことをしてしまった自分が情けなかった。この被検体であろう少年が何をどう思っても構わないはずなのに、何故、こんなにむきになってしまったのか。

 ブルーシーは改めて少年を見た。きっとショックを受けているだろう。謝ろうと口を開きかけた時、オペラはすっと彼女の右目を指差した。

『ナイ』

 たった、一言だけ。

 ブルーシーは絶句する。その言葉をどう受け止めていいか分からなかったのだ。少しの間の後、やっと言った。

「……ごめん。嫌なもの見せて。忘れてくれる? と言っても無理かな……」

『アゲマス』

「……え?」

 オペラの声は続いた。

『オペラ、フタツ、アリマス。ブルーシー、ヒトツ。ダカラ、アゲマス。オペラノ目、ヒトツ、アゲマス』

「……無理よ」

 ほうっと長いため息をついて、ブルーシーはオペラに言った。

「君は優しいね。それに、強いESPの力を持っているのね。私の名前を私の中から読み取ったんだ」

 自分をじっとみつめるオペラに、ブルーシーはいつの間にか微笑んでいた。

「君はもしかしたら私と同じかもしれないね。教授が気に入ってここに連れて来てくれたのかも。それなら私にしてくれたみたいに後見人になってくれて、この学校に一緒に通えるかもしれない」

『一緒ニ?』

「そう、一緒に」

『ブルーシー、ウレシイ?』

「うん。うれしい」

『ブルーシーノウレシイ、オペラノウレシイ、デス』

「そう。だけど、私に合わせることはないよ。君は君なんだから。……ねえ、君は誰なの? どこから来たの?」

『オペラ、トリ。夢、見セマス』

「夢?」

『来テ』

 どこに? そう聞き返そうとした時、ブルーシーは既に温室にはいなかった。


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