第二十一話
ブルーシーは言った。オペラの瞳を足りない自分の右目に移植して欲しい、と。それは人道的に劣る願いなのかもしれなかった。が、これはオペラの願いでもあるとブルーシーは思っていた。
オペラは彼女に言ったのだ。ブルーシーのひとつしかない目を見て、自分にはふたつある、だからひとつあげる、と。
術後、通常の生活ができるようになるまでに三年の月日を要したが、優秀なキエル教授は難しい瞳の移植手術を見事にやってのけた。右目周辺の醜く爛れた部分にも人工皮膚の移植手術を行い、こうしてブルーシーは赤い瞳と青い瞳を持つ神秘的で美しい存在となった。
「ブルーシー」
背後から呼ばれたが、彼女は反応しなかった。振り返らなくてもそこに誰がいるのか分かっていたからだ。
「迎えに来たよ」
「頼んでいません」
「相変わらず、つれないね」
笑いながら、セアンが彼女の横に並んだ。
「今日、君を連れて行くことは、教授は了承済みだよ」
そこで、ブルーシーはようやくセアンの顔を見た。
「あなたの方こそ、相変わらずですね」
彼はあの夜以来、この学園都市から姿を消していた。新人の助手一人が忽然と姿を消しても、それを不審に思い、声を上げる者などこの学園にはいない。みんな自分の人生に忙しく、他人のことを気遣う余裕などないのだ。
「……あの時から変わらず、あなたは皮肉屋でつかみどころがない」
「そういう君は相変わらず、夢見る乙女かな?」
「……私はもう子供じゃありません。そんな言い方やめてください」
「それはいい。なら、大人の話しをしようじゃないか。君がこの学園を卒業した暁には、僕のところに来る。それは例の『取引き』に含まれることだ。それは大人の君なら分かっているよね?」
「わざわざ私を教授の養女にしてまで……」
「君を研究に使われたり、どこかに売り飛ばされたりしたら困るからね。僕もこう見えて多忙な身なんだ。ここでいつまでも助手ごっこなんかしていられない。教授には勝手なことをされないため、抑止として君を養女にさせたんだよ。さすがに自分の娘をどうこうできないだろ。外聞を重んじる人だからね、彼は。……ところで、教授はいいお父さんだった?」
呆れたようにブルーシーはセアンをみつめる。
「一言多いって言われませんか?」
「どうかな」
笑った後、ふと真面目な顔になってセアンはブルーシーに言った。
「きれいな瞳だ。……君は本当に美しいよ」
「いいえ」
即座にブルーシーは否定した。
「私はあの時と同じ、醜いままです」
「……ねえ、ブルーシー。すべて、とは言わない。だけど、うちに来れば、オペラのような飛べない鳥を少しでも救えると僕は思うんだ」
黙り込む彼女の横顔をしばらく眺めた後、セアンはブルーシーから離れ、温室のドアへと歩き出した。
「正門に車を回してくる」
「……あなたと行くなんて言っていません」
「十分待つよ。遅れたら置いて行く」
セアンはそう言うと、さっさと温室を出て行った。
彼の気配がすっかり消えてしまうとブルーシーは肩から力を抜き、深く息を吐きだした。そして、右目をまぶたの上からそっと触れてみる。
……オペラはここにいる。
上手く感情を出すことができなかったオペラ。本当はもっと笑いたかったはず。泣きたかったはず。
オペラ、私は君から宝石のような瞳をもらった。だから、私は君に感情をあげるよ。
感情のない下等な生き物。
もうそんなことを誰にも言わせないために。
不意に右目から涙が一粒、零れ落ちた。
……お願い、オペラ。
ブルーシーは固く目を閉じる。
お願いだから君にあげた感情で、こんな私を悲しんだりしないで……。
「……行こうか、オペラ。これからは、ずっと一緒だよ」
ブルーシーは指先で涙を払うと歩き出す。あたたかな温室を抜けて外に出た。彼女の歩みにもう迷いはない。
(おわり)
完結いたしました。
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