第二話
力を解放して、とよく担当の教官たちは言う。自分の力を知ることで初めて力のコントロールができるのだと。しかし、それはブルーシーには恐怖でしかない。
本当に解放してしまっていいのか?
それはしてはいけないことなのではないのか?
考えただけでも体が竦み、心が委縮して、思い通りにならないのだった。
少しばかり気分が悪くなって、彼女は壁に寄り掛かるようにしてそのまま廊下に佇んでいた。どのくらいそうしていただろうか、ブルーシーは廊下の向こうから聞こえてくる慌ただしい物音に顔を上げた。それは誰かを呼ぶ声と廊下を走るいくつかの靴音。
何事かとしばらく様子を伺っていると、白衣を着た数人の研究員と思しき男たちが血相を変えてこちらに向かって走ってきた。彼らには見覚えがあった。キエル教授の助手たちだ。彼らの様子が尋常ではないので、ブルーシーはそこを動かず様子を観察していた。彼らは教室のひとつひとつを丹念に見て回っている。どうも何かを探しているようだ。その内、助手のひとりがブルーシーを見咎めて近づいてくると、冷たい調子で言った。
「君はここで何をしているんだ?」
「……キエル教授のところへ行く途中です。授業が終わったので」
「キエル教授?」
不審そうに眼を細めると、彼はまじまじとブルーシーの顔を見る。
「……ああ、君はESP開発の子だね。よく教授と一緒にいる」
「……ええ」
「今は取り込み中だから、授業が終わったのなら自分の個室に戻りなさい」
「授業の後は教授の研究の手伝いをする約束なんです」
「そうだとしても、今日は駄目だ」
「何かあったんですか? 何かを探しているようですけど」
「大したことじゃない。被検体のトリが逃げただけだ」
「鳥?」
「いいから、行きなさい」
面倒だと言わんばかりに彼は手を振ってブルーシーを追い払うと、先に行った仲間たちと合流すべく、足早に歩き去った。
ブルーシーは去っていく白衣の後ろ姿を見送りながら、ぼんやりと考える。どうも最近は身辺が騒がしい、と。
エルジの訃報が一番、大きなことだったがそれ以外にも教科書などを入れて持ち歩いている鞄が紛失したり(それは後日あっさりと出てきたが)、寮の個室に何者かが侵入した形跡があったりと不気味なことが続いていたのだ。ブルーシーは危害を加えられたわけではないため、そのことを公にはしなかったが、気味の悪さは彼女の中で後を引いていた。
そして今度は被検体が逃げたと言う。あれだけ大騒ぎをして探しているのなら、その被検体はよほど貴重なものか、あるいは危険極まりないものかのどちらかだろう。
また教授がどこからか珍しい生き物を捕獲してきたのだろうか。二、三日前までフィールドワークと称した旅に出ていたが、その時は大した成果はなかったと言っていたのに……。
ブルーシーの後見人であるキエル教授は、遺伝子の研究をしている。その一端として、人の持つ不思議な力……ESP(超能力)開発の分野も研究していた。そして、優秀な外科医でもある彼は、その研究内容を将来の医療の現場に役立てようとしていた。その崇高な理想を持つ教授をブルーシーは尊敬していた。だから、教授が旅に出てはそこで見つけた珍しい生き物を捕獲して研究に使うという行いにも黙っていた。そのこと自体は違法ではない。教授は生物保護条約を遵守し、捕獲した生物はすべて届けを出して政府に被検体として使用する許可を取っている。
しかし、それが違法でなくとも、連れてこられてすぐに研究の材料として実験され、解剖されて死んでいく生き物たちをブルーシーは数限りなく見てきた。それは彼女の心の柔らかな部分を激しく揺れ動かした。苦悩する彼女に教授は優しく言う。
『確かに私たちはたくさん殺してしまう。しかし、その死は未来につながり、いずれ生に生まれ変わるものなんだ。たくさん殺す、ということは、たくさん生かす、ということでもあるんだよ』
その言葉を、ブルーシーは信じることにした。
生物を捕獲するために旅に出る教授を見送るのは、彼女にとっては気持ちのいいものではなかったが、しかし、彼女と教授が出会ったのもこうした旅の途中でだった。それを思えば……。
もし、あの時、教授に助けて貰えなかったら、この学校に通い高度な教育を受けることはおろか、確実にあの田舎町の場末の酒場で死んでいただろう。
ブルーシーにとって、キエル教授は命の恩人なのだった。その恩人に自分はどれだけのものが返せるのだろうか。それを考えると、重い気分になる。
ESPの能力を教授に見込まれて、後見人になってもらい、この学校に入学できた。なのに、いつまでたっても芽が出ない。お荷物のままの自分が嫌だった。
教授のやっていることを批判できる立場に自分はない。ただ一生懸命、勉強して働いて、少しでも教授に恩を返そう……。
ブルーシーは小さく息を吐いて自分を落ち着かせると歩き始めた。