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第十九話

 たまらず教授はその場にうずくまり、叫んだ。

「ブルーシー、やめるんだ!」

 教授の悲鳴にも似たその叫びはしかし、轟音にかき消されてしまった。

 ようやく壁の崩れが収まり、顔を上げるとそこには既にふたりの姿は無かった。警備員たちが止めるのも聞かず温室に走り込んだ教授は、残骸に足を取られながらも何とか奥に進む。そして割れた窓の傍に寄り添って立つふたりをみつけた。

「……ブルーシー」

 恐る恐る声を掛けると、ブルーシーは肩越しに振り向いた。月の光がガラスの無い窓から差し込んで、彼女の顔を優しく縁取っている。

「……ここまで壊すつもりはなかったんですよ。軽く押した感じだったんですけど……すみません。私たちはただ、温室の中に入りたかっただけなんです」

 穏やかに言って、ブルーシーは微笑んだ。

「やっぱり、教授の言う通り、コントロール法は大切ですね」

「……何をするつもりだね?」

「私たちはこの温室が好きなんです。だから、ここを選びました」

「死ぬつもりか」

「ここではないどこかへ行きたかった。……私はいつもそんなことを思って生きてきたように思います。でも、結局、できなかった。私はいろんな言い訳をして、ただ状況に流されて生きてきただけなんです。他人の手から手に。思惑から思惑に。だから、最後くらいは自分の意思で決めます。オペラもそれでいいって言ってくれています」

 ブルーシーは確かめるようにオペラを見た。そして、その手を改めて取ると、窓に向かう。

「行こう。一緒に、飛ぼう」

「待て! 頼む、待ってくれ!」

「教授、もうやめましょう」

「ブルーシー。今ならまだ間に合う。日誌のことはお互い、忘れようじゃないか。オペラを……こちらによこしなさい。君は自分が分かっていない。幻覚を見せられ、悪い影響を受けているんだ。オペラから離れれば、君はきっと正気に戻るだろう。そして、今まで通りの暮らしに戻ればいい。……君の力はやはり、素晴らしい。解放を得た今の君は望む通りの生き方ができる。流されて生きてきたと言ったな。これからは違うぞ。今、君は自分の意思で死のうとしているが、これからは自分の意思で生きることができるんだぞ。それを捨てるのか、そんなトリのために」

「そんなトリなんて……」

 言わないで! そうブルーシーは言いかけたが、それを阻止したのはオペラだった。

 今まで従順にブルーシーに従っていたオペラが不意に、彼女の手を振りほどき、そして窓から今にも飛び降りそうだったブルーシーを強い力で引っ張り、温室の床に倒したのだ。

『ブルーシー、人間。ダカラ飛ベナイ』

「オペラ?」

 突然のことに呆然とオペラを見上げるブルーシーに、彼は静かに言った。

『オペラ、トリ。ダカラ、飛ベル』

「……何を言っているの?」

 ブルーシーを無視して、オペラは無表情のまま窓枠に手を掛け夜空を仰いだ。

『オペラハトリ。トリノ世界ニ帰ル。ブルーシーハヒト。ヒトノ世界ニ戻ル』

 そして、その瞬間、振り返ると彼は言った。

『ブルーシー、キレイ。大好キ』

 オペラが窓枠から手を離した。赤い髪が、白いシャツが風を含んで大きく揺れる。

 ブルーシーは言葉にならない叫び声を上げてオペラに手を伸ばした。オペラも手を伸ばす。しかし二人の手は触れ合うことはなく、そのままあっけなく離れていった。

「オペラ! 嫌あ!」

 ブルーシーはオペラを追って、窓際に走った。そのまま、窓から飛び出そうとする彼女の体を寸前で抱きとめたのはセアンだった。

「離して! 離してよ! オペラが行ってしまう! ひとりでなんて行かせられない! ずっと一緒だって約束したの!」

「君はヒトだ」

 暴れるブルーシーの体を抑え込んでセアンは言った。

「オペラの声は僕にも聞こえたよ。彼の言う通り、君はヒトで飛べないんだ。一緒には行けない。それは君だって分かっていたはずだ」

 その言葉に、ブルーシーの体がびくりと震えた。そのまま、崩れるように床に座り込む。もう誰もいなくなった窓辺をみつめて、ブルーシーは静かに言った。

「セアン、あなた、誰なの……?」

「どういうこと?」

「あなたは、看病で私の部屋に来た時、出生証明書のカバーのついた日誌を見ていた。知っていたはずです。教授がしていたこと、私の企みだって……」

「何だって? それはどういうことだ」

 生気を失った声で教授が言った。恐怖の眼差しで彼は自分に背を向けて立つセアンをみつめる。

「君は一体……」

「そうですね。そろそろネタばらしといきますか」

 すっとセアンは教授を振り返る。懐から身分証を取り出すと彼の目の前に突き付けた。

「初めまして。生物省捜査部のクローズ捜査官です。キエル教授、あなたには生物保護条約違反の疑いがあります。お話しを伺ってもよろしいですね?」

「……な、何? 君は政府の人間なのか……」

 唖然と口を開けたまま、立ち尽くす教授に、不意に意地悪くセアンは笑った。

「まあ、話しを伺うも何も、証拠の日誌は僕が持っているんですけどね」

「こんな捜査は違法だぞ……」

 教授は必死にそう言ったが、自分の言葉に何の力もないことは分かっていた。悔しそうに顔をゆがめる彼に、そっと近づくと声を潜めてセアンは言った。

「ですが、あなた次第では、取引きに応じる準備もありますけどね」

「……どういうことだ?」

「彼女のことです」

 セアンは床に座り込みうなだれているブルーシーをちらりと見た。

「彼女の望みを叶えてくれるなら、考えないこともないということです」

 驚いたのはブルーシーだった。

「セアン、何を言っているの? 私はもう……」

「君はこれからも生きていく。なら、望むことはあるはずだよ」

 セアンの紅茶色の瞳を、ブルーシーはただみつめた。


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