第十六話
「教授、私たちは行きます」
しっかりとオペラの手を握ってブルーシーは宣言した。
「学校の外に出るまでご同行ください」
「勿論だ。私の方はまだ大切なものを取り返していないからね」
教授はそう言うと肩を竦めた。
ブルーシーはひとつ頷くと、先に立って歩き出す。温室のドアを抜けて、また、長い廊下に出た。後ろで教授がドアを施錠する電子音が聞こえる。
もう少しだよ、オペラ。
彼は無言で、ブルーシーをみつめる。澄んだ赤い瞳は、少し潤んで揺れていた。
「裏口から出よう。表には警備員がいる」
「裏にもいるでしょう」
「いるよ。だが、彼は安全だ」
にやりと教授は笑う。前もって警備員を買収したのだろう。ブルーシーはそんな教授の顔を見たくなくて顔をそむけて歩き出した。
裏口から出るために、普段は使わない細い階段を下りる。オペラの頼りない歩調に合わせているとそれほど早くは進めなかった。
温室は校舎の五階にある。そこから階下に降りるだけでオペラの体にはこたえるようだった。
「大丈夫?」
何度目かの言葉を彼に掛けて、ブルーシーは踊り場で足を止めた。無言で見つめ返してくるオペラの瞳に優しさを感じて気持ちがほっとなごんだ時、ブルーシーたちが下りてきた上階から声がした。
「教授、みつけましたよ」
驚いて振り返ると、そこには見覚えのある青年が立っていた。いつもの白衣ではなく私服だったため、すぐには分からなかったが、それがセアンであることは彼がこちらに近づいてきたことで気が付いた。
「セアン? どうして……」
唖然とするブルーシーを無視して、彼は教授に言った。
「カーペットの下に隠してありました」
そして、セアンは茜色の日誌を掲げた。
「取り出すのに手間取ってしまい、遅くなってすみません」
「おや、セアン。どうして君が? 私は他の者に探すのを頼んだのだが」
教授が怪訝そうにセアンを見た。それにセアンは軽く微笑んで応じる。
「彼は怖気づいてしまいまして。さすがにいなくなったとはいえ、生徒の部屋に無断侵入し、やさがしするのは気が引けたようですよ。困って僕に相談してきたので、僕が代わりに。……構わないでしょう? 僕にとってはいい臨時収入です」
「なるほどな」
教授は小馬鹿にするように鼻で笑うと言った。
「まあ、いいだろう。日誌が戻ればいいことだ」
そして、言葉無く立ち尽くしているブルーシーに向き直った。
「悪いね、ブルーシー。君が日誌をどこかに隠すだろうということは察しがついていた。だからしばらくの間、君に監視を付けていたんだ。君は昼間、生徒みんなが授業に出ている時間、かつてエルジが使っていた個室に忍び込んだね? 今は空室で施錠もされていなかったから忍び込むのは簡単だったろう。しかし、男子寮に忍び込むとはいい度胸だな。つまり、日誌はその時、エルジ・コンウェルの個室に隠した、というわけだ。少々、手間取ったが、私はこうして大切な日誌を取り戻せた」
ブルーシーはオペラの腕を引きながら、ゆっくりと後ろに下がる。下がったところでそこにはセアンがいた。逃げ場がない。
「どこに行こうというのかな?」
教授は優しく言うと、不意に手を伸ばしてブルーシーの肩を掴んだ。
「セアン、警備を呼べ。被検体が逃げたとな」
「はい」
セアンが暗闇の中で静かに笑った。




