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第十三話

 しばらく重たい沈黙が流れた。それを破ったのは教授の笑い声だった。

「何を言いだすのやら。私はエルジくんのことを気に入っていたのだよ。彼のことを私がなぜ殺さなければならないんだね? それとも君はまだ幻覚でも見ているのか」

「いいえ。残念ながら、私が見ているのは紛れもない現実です」

 悲しいですよね、とブルーシーは静かに笑った。入れ替わるように教授の顔からは笑みが消えた。代わりに刺すような眼差しをブルーシーに向けている。こんな顔の教授を見るのは初めてだった。それ故、自分の立てた仮設が正しいことをブルーシーは確信した。

 ずっと黙って自分の胸の中に抱えていた辛い仮設。闇に葬ろうとしていた少し前の自分が滑稽に思えた。いや、それより、恩人である教授を脅している今の自分の方がよほど滑稽か。

「取引しませんか」

 ブルーシーは冷静だった。教授は彼女の様子をしばらく眺めてから口を開いた。

「何か証拠でもあるのか。私がエルジ・コンウェルを殺したという証拠だ」

「あなたの探しているものを私が持っているとしたら?」

 教授の顔色が変わった。つとブルーシーに近づくと囁くように言う。

「何を持っていると言うのだ?」

「私が持っているのは今も昔もこれだけです」

 ブルーシーはポケットから一冊の手帳を取り出した。それは彼女の出生証明書だった。教授は途端に肩の力を抜く。

「何だ、君は私をからかっているのかね。君がそれをいつも肌身離さず持ち歩いているのは知っているよ。それがどうしたと言うのだ?」

「はい。いつもこうしてポケットに入れて持ち歩いています。そのことはここではあなたと、私に付きまとっていたエルジくらいしか知らないことです。他の人たちは私になど関心を持ちませんから。だから私がいない時に、あなたに命じられて私の部屋に侵入し探しものをした助手は気が付かなかったのでしょう、いつも持ち歩いているはずの出生証明書が部屋の本棚にあるのはおかしいって」

 ブルーシーは立ち上がると、本棚から出生証明書と同じサイズの手帳を取り出した。

「これ、なんだと思いますか?」

 目の前に突き出されて、教授はわずかに顔をしかめた。。

「それは君の出生証明書。何故、二冊……」

 言いかけてはっとする。教授は二冊を交互に見比べた後、ブルーシーがポケットから出した方の手帳をひったくるようにして取るとページをめくった。

「これは!」

「そこまでです」

 ブルーシーは素早く教授から手帳を奪い返すと、十分な距離を取って対峙した。恨めしそうな教授を前にブルーシーは話しを続ける。

「何故、一冊しかないはずの出生証明書が二冊あるのか。種明かしは簡単です」

 ブルーシーは、ポケットから出した方の出生証明書の表紙カバーを外す。そこから現れたのは茜色の手帳。それは教授の旅行日誌だった。

「本物の出生証明書の表紙カバーを教授のお探しの日誌にかけていただけです。偶然、ふたつはほぼ同じサイズだったんです」

「なるほどな」

 得心して教授は頷いた。

「そうしてカモフラージュした旅行日誌を、出生証明書と偽って持ち歩かれていたのでは、いくら君の部屋や鞄の中身を調べさせても見つからないはずだ。君の言った通り、調べるよう指示した助手には茜色の表紙の手帳を探すようにと言ってある。……みつからなくて当然だ。君の部屋の本棚に君の出生証明書があってもおかしくは思わないだろうから、助手がわざわざそのことを私に報告するはずもない」

「助手にやらせずに、ご自分で私の部屋や鞄を調べれば良かったんですよ。そうすれば、私がいつも持ち歩いている出生証明書が部屋にあるのを、あなたならすぐにおかしいと気付いたでしょう。そして、私が持ち歩いている手帳こそが旅行日誌だと分かったはずです。……残念でしたね」

「用意周到だな、いつから私を脅そうなどと思っていたんだ?」

「勘違いしないでください」

 ブルーシーは悲しそうに言った。

「私もこのことに気が付いたのは最近なんです。部屋に誰かが侵入した気配があって、それで気になって部屋の中を調べてみたんです。一体、侵入者は何を探していたのだろう、と。そして、みつけました。私のポケットに入っているはずの出生証明書が本棚にあることを。驚きました。どういうことかと、二冊の出生証明書を見比べてみて、すぐに表紙カバーのことに気付きました。

 私は出生証明書を肌身離さず持ち歩いてはいますが、それは習慣としてで、幼い時のようにいつも見るということはなくなっていました。ページをめくってみた時の私の驚きがあなたに想像できるでしょうか」

「その言い方だと、私の研究室の机から日誌を盗んだのはやはり君ではなく……」

「エルジです」

 ブルーシーは辛そうにその名を口にした。

「私は何も知らなかった。彼が最後にこっそりと私に託していたんです、この日誌を」

「……あのガキが」

 吐き捨てるように教授が言った。ブルーシーはそんなふうに毒づく教授を見たくなくて、思わず目を背けた。

「……エルジはいつも私にくっついてあなたの研究室に来ていました。私やあなたに気に入ってもらいたかったのでしょうね。下心は見えていたけれど、甲斐甲斐しく室内の掃除や、あなたの散らかった机の整理整頓をしていました。その時に……偶然、見てしまったのでしょう、あなたの旅行日誌を。

 これは私の想像になりますが……きっと、エルジは日誌の内容があまりに衝撃的で混乱したはずです。だけど、彼はそのまっすぐな性格故に放って置くことはできなかった。それで日誌を」

「盗んだと。……まったくなんてことだ」

 教授は低くうめき声を上げた。


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