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第十二話

 キエル教授がブルーシーの部屋を訪れたのはその日の夜だった。

 部屋の真ん中に立ち、訪問を待ち構えていたようなブルーシーの様子に教授は驚いて足を止めた。

「どうしたんだ、体は大丈夫なのか。ベッドに入りなさい」

「平気です。それより」

「オペラのことだね」

 苦笑交じりに教授は言うと、溜息をつく。

「セアンから報告を受けているよ。君は本当に、オペラに取り込まれてしまったようだね」

「オペラはどうなるのですか?」

 教授は黙ってブルーシーの傍に寄ると肩に手を添え、ベッドに座らせた。

「いいかい、ブルーシー。オペラは被検体だ。その被検体が危険な存在だと判明したんだ、放って置くわけにはいかない。オペラは処分する」

 処分……。

 ブルーシーは呆然として教授の顔を見た。不意にオペラの鮮やかな赤い瞳が脳裏に浮かぶ。ほんのりと微笑んだ唇を、あの柔らかな白い羽毛の感触を思い出す。

「処分するって……」

 喘ぐように言うと、ブルーシーは教授に詰め寄った。

「それは彼を殺す、ということですよね」

「……随分と直接的な表現だが、まあ、そうだ。明日、専門の業者がオペラを引き取りに来る」

「明日?」

「ああ。その決定は残酷なようだが、君のためでもある。オペラがここにいる限り、君は会おうとするだろう。会い続ければ君の精神は必ず崩壊する。最悪、死に至るだろう。私はそんな事態になることを好まないんだ」

「だけど、でも、殺すなんて……。私たちが会うことで、何が起きたと言うんですか。それは、私のせい? 私が何かした?」

「君一人の問題じゃない。君もオペラも自分の力を制御できない未熟な者同士だ。それが偶然にもお互いの波長が合い、共鳴した。……私はね、君が楽しそうに笑っているのをモニター越しに見てとても不安になったよ。私は君と長く一緒にいるが、あんなに楽しそうにしているのを見たことがなかった」

「楽しそう……?」

「あの時、私が見たのはオペラの血のように赤い瞳だった。彼は意識を失いつつある君をしっかりと抱きしめていた。それはそれだけの光景だったが、私にはひどく邪悪に見えた。彼があの赤い瞳で君に侵入し、君の体も精神もすべて自分のものにしようとしているように思えたのだ。私は危険を感じてすぐに君たちを引き離した。その時……私にも見えた、あの白い世界が」

 不意に教授は恍惚な表情になって言った。

「あの柔らかな白い羽毛の世界は、あまりにも優しく、幸福な気持ちにさせられる。だが、あれは悪魔の快楽だ。人を貶めるものなのだ。

 君は見事にオペラに捕まっていた。彼に弱い部分を悟られ、甘い夢で飼いならされるところだったんだ。もう二度と目覚めることのない彼の世界に連れ去られるところだったんだ」

 ……オペラ、ブルーシーヲ守ル。ズット一緒ニイル。ダカラ泣カナイデ

 オペラの声が不意に頭に響いた。ブルーシーは懸命に首を横に振る。

「そんなこと……そんなことありません……!」

「君はまだ未熟だ」

 珍しく教授が声を荒げた。

「そして……オペラは欠陥品だ。君たちの潜在能力は未知数で、しかもコントロールが効かないときている。そのふたりがお互いを求め合えばどんなことになるか……君にもその危険性は分かるだろう。それは君たちだけの問題では既にない。私があの時、共鳴し合う君たちを見て感じたのは、恐怖だった。私はオペラが君の力を解放してしまうのではないかと思ったのだ」

「私の力……」

 ブルーシーは愕然とした。そのことが頭になかったわけではない。しかし……。

 ずるり。

 身体の奥から、何かがうごめく音が聞こえた気がした。軽くこめかみが痛む。

「こう言っては何だが……」

 教授はためらいながら言葉を口にした。

「君と出会った時に起こったあの惨劇。もし、ここであの時と同じような力の解放が起こったら……私はオペラだけでなく、君をも処分の対象にしなくてはならなくなるんだ。そんなことは考えたくない。……オペラは君の力を解放してくれる鍵なのかもしれない。だが、君の力は強い分、慎重に育むべきなのだ。しかしオペラはいきなり君の扉を開いて力を解放してしまう。とんでもないことだ。……君とオペラはもう会ってはいけないのだ」

 ブルーシーはぐっと息を呑む。

「オペラと初めて会った時……確かに、教授が危惧することが起こりそうになりました」

「何! どうしてそれを早く言わない!」

「言っていたら……あなたはすぐにオペラを殺していたでしょう?」

「……それは」

「彼はただ、私に優しくしてくれようとしていただけなんです。私たちの間には、能力とか被検体とか、そんな関係、どうでもよくて、ただ、ずっと一緒にいたかっただけなんです。それなのに……」

「まるで子供のわがままだな。それで死んでもいいのかね?」

「確かに、私は教授が止めてくれなければ死んでいたかもしれません。コントロールの効かない力がお互いの身体を蝕んでいたかもしれません。でも、それでも、私はオペラが好きだし、彼に優しさをずっと感じていたいんです」

「……本当に君はオペラに取り込まれてしまったようだな。あれは人ではないのだぞ」

「だから殺すのですか? 人でないから、殺すのですか?」

「私も好きでそうするのではない。何度も言うが、彼は欠陥品だ。危険なんだよ。あのような危険な生き物をここに置くわけにも、他の施設に移すわけにもいかない。第一、政府の許可が下りない。可哀想だが、処分するしかないんだよ。いい加減、諦めるんだ。オペラのことは忘れろ。いいね?」

「待ってください」

 言うだけ言うと立ち去ろうとする教授をブルーシーは強く呼び止めた。

「オペラはどこにいるんですか? 部屋ですか? 無事なんですか?」

「無事だ。おとなしくしている。居場所は教えられないが」

「どこかに閉じ込めているんですね。薬で自由を奪って」

「もうよさないか。既に議論の余地はない」

「生きているんです、ヒトだろうが、トリだろうが、被検体だろうが」

「下等な生き物だ」

「では人間は上等な生き物なのですか?」

「そうだ。たかが被検体と人間とを一緒に語っても仕方ないだろう」

「では……人間は殺してはいけないんですよね」

 一瞬、教授はたじろいだ。そして、真摯な表情のブルーシーをじっとみつめた。

「何が言いたい?」

「ひとつだけ、あなたに聞きたいことがあります」

「……何だね」

「どうして」

 ブルーシーは身体の震えを必死で抑えながら一息に言った。

「どうしてエルジ・コンウェルを殺したのですか?」


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