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第十話

 ★

「……それで私がかつていた町、小さな田舎町だったけど……もう少しで壊滅させてしまうところだったの。表向きは地震が起きたことになって、私には何のお咎めも無かったけど……でも、あれは確かに私が起こした災厄だった。その時の感触がまだ、ここに残っている」

 ブルーシーは自分の胸をそっと右手で押さえた。

「キエル教授に諭されたおかげで、暴走していた力はおさまって最悪の事態は免れたけれど、でもたくさんの人たちに恐怖を植え付けてしまったことは事実。私を襲ったナイフの男もあの後、どうなったのか分からない。……私は自分が怖い。怒りにまかせてひどいことをしてしまう、この弱さが怖い。……こんな私を教授は助けてくれた。だから、私は自分の罪を償うためにも、あの人の役に立てるようになろうと思っているの」

 語り終わってブルーシーが顔を上げると、赤い瞳がじっとこちらをみつめていた。何一つ見逃すまいとするような、それは一途な眼差しだった。

「……ごめんね。こんな話し、聞かせてしまって」

 ブルーシーはオペラに弱々しく微笑んでみせた。しかし、彼からは何の反応もない。

 今ふたりがいるのはキエル教授がオペラに与えた個室だった。教授の仮眠室として使われているここは、普段は何の飾りもない殺風景な場所だったが、今は柔らかなラグが床に敷かれ、ベッドカバーもパステルカラーの新しいものに換えられていた。ふかふかのクッションを膝の上に抱え、オペラは突然やってきたブルーシーをただみつめていた。

 初めてブルーシーがオペラと会った時、彼は半裸の姿だったが、今は白いシャツと膝丈のズボンを身に着けていた。ただし、胸元は大きくはだけ、足は相変わらず素足のままだったが。

「彼にこんな格好をさせているのは私の趣味じゃないぞ。服を着せてもすぐ脱いでしまうんだ。どうも、窮屈らしくてな。何とかこの格好で落ち着いてくれたんだよ」

 困惑顔のブルーシーに、この部屋まで案内してくれた教授は慌てて言った。そして立ち去り際にこう付け加えるのも忘れなかった。

「二人きりで会うのは許すが、相手は人間ではないということをくれぐれも忘れないようにな。彼はトリだ。人に悪夢を見せることもあるのだから油断をしてはいけないよ」

 頷きながらも、ブルーシーはそれをどう受け取っていいのか迷っていた。

 悪夢。

 その言葉は彼女の心を震わせる。

 初めて彼に会った時、赤い瞳でみつめられ精神が解放されたと思った。そしてあの時、頭の中で何かが動いた。不吉にずるりと動いたのだ。

 あの感触は……。

 あれはかつて、あの町で、絶望の中で力を解放してしまった時の……あの感触だ。

 暗闇の奥には恐いものがいる。あれは出て来てはいけない。コントロールなんてきっとできやしない。なのに、それが分かっているのに、私はまたオペラに会いに来ている。どうしてこんなに彼に惹かれるのだろう。自分の気持ちが分からなかった。

『……何故、泣ク、デスカ?』

 唐突に、オペラの片言の言葉がブルーシーの頭の中に響いた。はっと我に返った彼女は、初めて自分の頬に伝う涙に気が付いた。

 いつから泣いていたのだろう。

 オペラに泣き顔を見られていたと分かっても不思議と恥ずかしくなかった。

「……まだ、泣けたんだ。もう痛いのも辛いのも悲しいのも慣れ切ってしまって、涙なんか出ないと思ってたのに。……ねえ、君は夢鳥なんだってね?」

 その問いに、オペラは薄らと微笑んだ。

 ああ、笑った。

 うれしくなってブルーシーも笑顔になる。

「笑ったね。君に感情がないなんて嘘だ。感情はある。だけどその表し方が分からなかっただけだよね?」

 たたみ掛けるようにそう言うと、ブルーシーは彼の瞳を覗き込んだ、がしかしその時にはもうオペラの表情から笑みは消えていた。また無表情な赤い瞳でじっとブルーシーをみつめているだけだった。少し落胆はしたものの、それでも彼女の気持ちは明るかった。オペラの傍にいられるだけで楽しかったのだ。この感じは……会いたかった人に会えた……いや、会うべき人に会えた、だ。

「……ねえ、オペラ。君は人間、だよね?」

 恐る恐る問いかける。

「君が鳥だなんて……信じられない」

『オペラ、トリ。夢、見セマス』

 不意にオペラは両手を広げ、ブルーシーの身体をふわりと包んだ。白い羽毛が舞う。一瞬、目の前が歪んだような気がしてブルーシーは思わず目を閉じた。

『……夢、見セマス』

 濃い闇の中にいるブルーシーにオペラの淡々とした声が響いてきた。

『ブルーシーノ望ム夢、見セマス。オペラ、ブルーシーヲ守ル。ズット一緒ニイル。ダカラ泣カナイデ』

 え? ずっと一緒にいるって言ったの?

 ブルーシーがゆっくりと目を開くと、そこは真っ白な世界だった。あの時と、初めて会ったあの時と同じだ。不思議と怖くなかった。彼女はその白の中に身を任せた。そうすることが一番正しいことのように思えたのだ。ブルーシーはゆっくりと自分の手を前に差し出した。すぐに柔らかいものを指先が捕らえた。

 オペラ……?

 心でそっと彼の名前を呼ぶ。それに応えるように、指先に触れた柔らかいものは優しくブルーシーの指を、腕を、肩を、その身体をゆっくりと絡め取っていく。最後には彼女の心そのものを包み込んだ。

 甘く優しい羽毛の中に、ブルーシーは身も心も沈み込んでいく。こんなにも幸せな気持ちは今まで体験したことがなかった。もう彼女は何も考えられなかった。何も思い出すことはなく、何も恐れなかった。白い世界に呑み込まれながらブルーシーの意識は堕ちていった。


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