第一話
エルジ・コンウェルが死んだという噂は学園中を駆け巡った。
毎日単調な生活の繰り返しであるこの学園都市では、久しぶりの刺激的な出来事だったからだ。退屈している少年少女たちは不謹慎を承知でこの噂を夢中でさえずった。
エルジ・コンウェルはなぜ死んだのか?
校舎の屋上から落ちたと見られるその状況は明らかに自殺を示していたが、しかしその一方で他殺説もまことしやかに囁かれていた。彼は何かを知ったために殺されたのではないのか、と。
「だって、エルジってちょっと変わっていたじゃない? 好奇心旺盛で、キエル教授につきまとって」
「あれは教授に興味があったんじゃなくて……」
おしゃべりをしながら校内の長い廊下を歩いていた少女たちは慌てて口を閉じた。向こうから歩いてくる人物に気が付いたのだ。
「ご、ごきげんよう」
すれ違う時に、ひとりの少女が申し訳程度に挨拶をする。それにブルーシー・ローゼンは言葉なく、ただ頷くことで応じた。
少女たちはブルーシーから十分、離れたところでまたおしゃべりを始める。自分を揶揄するような笑い声が聞こえてきたが、ブルーシーは振り向きもしない。生徒たちの噂話も校内で何が起きているのかも、彼女にとっては大したことではなかったからだ。
ただ……エルジ・コンウェルの名前だけは胸に響くものがある。彼はブルーシーのクラスメートだった。といっても特に親しいわけではなく彼のことはほとんど何も知らない。
エルジは目の覚めるような金髪の、澄んだ水色の瞳を持つ目立つ少年だった。何事においてもまっすぐな行動を取る快活な彼は、人を寄せ付けずいつもひとりでいるブルーシーに対してもまっすぐなまなざしで話しかけてきた。
「ねえ、ブルーシー・ローゼン。僕と付き合ってよ」
ある日のこと、授業が終わり、帰り支度を始める生徒たちでごった返す教室で、エルジは堂々とブルーシーの前に立つとそう言い放ったのだった。
勿論、ブルーシーは呆然とする。
友達ですらない少年に突然、告白されたのだ。言葉なくそこに立ち尽くすしかない。しかしエルジはそんなブルーシーに構うことなく話を続けた。
「返事が欲しいんだけど?」
「……は?」
「だから、付き合ってくれるのかどうかの返事が欲しいんだよ」
気が付くと、騒がしかった教室がしんと静かになっている。そこにいる全員がエルジとブルーシーに注目していた。
「どうして……」
ブルーシーは必死に言葉を絞り出す。
「そんなこと……言うの?」
「どうしてって、君が好きだから。僕は君の傍にいていつも君を守りたいんだ」
「守る?」
ブルーシーは低い声でその言葉を反芻すると、ふっと口元だけで暗く笑った。
「……私は、あなたに守ってもらえるような人間じゃないから。話しかけて来ないで。迷惑よ」
そう言うと、彼女は鞄を手に教室を出て行った。
ひどい、とブルーシーの態度を非難する声がいくつか聞こえたが無視した。
そう、私はひどい奴なんだ。
これでエルジも呆れて、もう話しかけてこないだろう。終わったと思っていたブルーシーだったが、すぐにその認識の甘さを思い知ることになる。
それからというもの、エルジは何かとブルーシーを構うようになったのだ。付きまとう、と言ってもいい。いくらブルーシーが冷たくあしらっても、無視しても、エルジの情熱は決して衰えることはなかった。
挙句の果てには、彼女が日課としておこなっている研究室でのキエル教授の手伝いにまででしゃばってくる始末だった。
当然のように研究室に入り込んでは、書類の整理やパソコンでのデーター入力などを手際よく行った。教授や助手たちは仕事がはかどると言って彼に好意的だったが、ブルーシーは複雑な気持ちだった。
エルジは変なところもあるけど、決して悪い人ではない。
屈託のない明るい笑顔を見せられると、ブルーシーの心もふわりと軽くなり、癒されているのが分かった。
だけど……彼は本当の私を知らないから、近づいてくるのだ。
どうすれば離れてくれるのだろうか。
そんなことを考えていた時だった、エルジ・コンウェルの悲報が届いたのは。
彼女の心が平静でいられるわけはなかった。
『……エルジは本当にブルーシーのこと好きだったのかしらね?』
『ほっとけないんだって。ああいう暗くておとなしいタイプの子って守ってあげたくなるんじゃない?』
『そうなの? あんな劣等生。ただの被検体じゃないの』
『前髪伸ばして、右目の上に布きれ巻いて、あれっておしゃれのつもりなのかな?』
『ブルーシーの後見人のキエル教授にしたって怪しいよね。優秀な医学博士って話だけど、僻地に旅行に行っては変な生き物、捕まえて来てコレクションして』
『あれって、違法なところから買ってるって噂よ』
『気持ち悪いよね。遺伝の研究とか言ってるけど、何をしているのやら。あんな連中とかかわるからエルジは……』
ブルーシーは、頭の中に唐突に侵入してきた少女たちの言葉を慌てて振り払った。これ以上、聞きたくない。
「これだから人とかかわりたくないんだ。聞きたくもないことを聞かされる……」
ブルーシーは後ろを振り返った。先ほどすれ違った少女たちの姿はもうそこにはない。彼女たちの声は耳で聞いたのではない。ぼんやりと物思いにふけるなど油断していると、望んでもいない声や音が勝手に頭の中になだれ込んでくるのだ。
こういうことが起こるたびに、キエル教授の言う力のコントロール法をもっと真剣に学ぶべきだと後悔をするのだが、しかしわざとやらないわけではない。本当にいくら頑張っても上手くできないのだ。
どれもこれも落第点だ。
少女たちが言っていた通り、自分は劣等生で、そしてただの被検体なのだと今更ながら痛感する。
ブルーシーは思わず、両手で頭を抱えた。