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9、天晴れ、百合城の女衆!



 そこは松明の火によって煌々と照らしだされ、それを背景に一人の武者が立っていた。後ろから照らされているせいか、その顔は闇よりも暗かった。


「わしらがいつまでもその抜け穴のことを知らずにいるとでも思ったか。兎之介めが小僧を見つけたときからこのあたりは兵が見張っておったのじゃ。雑魚はいらん。お主らが出てくるのを待って待って……のぉ」


 上げた伝兵衛の顔をたいまつのあたりが照らし出す。そこには欲しくても手に入らなかった物を己の自由にできるという暗い喜びが見てとれた。


「のぅ、さゆり。後悔しているであろ? わしの意をふって政近ふぜいに嫁ぎおって、その結果がこれじゃ。最初からわしのもとへ来ておればこんなことにはならなんだ。のぅ、後悔しておるであろう? 」

「申し訳ございませんが岩田様」


 とっさにお柳とかすみに入れられた抜け穴の中から、さゆりがぴしゃりと言った。


「私、岩田様へのお返事に関しては何か後悔することがあったのかわかりませんわ」

「うぐ……面憎い女どもめ。ならばいつまでもその穴にいて、城からの熱気で焼け死ぬがいい! わしはいつまでもここからそれを見届けてやるわ! ハハハハハハ……! 」


 兵たちから白百合の方や侍女たちを守るように立ちはだかっているかすみとお柳だが、お互いに見かわすそれぞれの瞳のなかに不安の色を読み取ったようだ。いくら腕が立つとはいえ、こちらで戦えるのは女二人だけ。向こうの言うように穴にこもっていても燃える城からの熱気で蒸し焼きになる可能性は否めない。


”……どうする……! ”


 その時ふと、伝兵衛の後ろの方が騒がしくなった。怒号のような、叫び声のような……。


「何事だ! 」

「裏切りだ! 」


 返ってきた返事に伝兵衛の顔面は蒼白となった。それでもまだ次々と驚くべき報告は耳に入ってくる。


「傭兵団の裏切りだ! 」

「百合城の連中につきやがった! 」

「この中に敵が紛れ込んでいる! 」

「待て、俺は味方……ぎゃあっ! 」


 声が聞こえてくるにつれ、兵隊たちの間に動揺が走る。そして煌々と焚かれていた篝火が水でも浴びせかけられたかのように急にその勢いを減ずるにいたると、伝兵衛周りの部下でさえも恐慌にとらわれた。


「逃げろ! 」

「クソ! ケチな主のせいでこんなことに……! 」

「命が惜しくないのか! 」

「待て! 戦え! 」


 伝兵衛の声が何度かけられても兵士たちには聞こえない。伝兵衛の金払いの悪さは皆が知っている。蒼白となった伝兵衛をよそに次々と走り去ってゆく。

 荒れだした状況の中事態を見ていたかすみとお柳の前に、気がつくといつの間にか人影が立っている。


「……待て。敵ではない」


 二人を押しとどめた旅の僧の声に、かすみが弾かれたようにその顔を見た。それを避けるかのように僧は傘を深くかぶりながら言った。


「他に捕らわれた者はないようだ。そなたたちを黒百合の方のもとへ連れてゆく。先に逃げだした者たちとともに総次が敵を撹乱している。鉦や太鼓を打ち鳴らしているだけと相手に悟られぬうちに急ぐぞ」

「これを……総次が? 」


 お柳の体から緊張が抜けるのを見届けると、旅の僧は彼らの後方に声をかけた。


「白百合の方、ですな。このままでは埒が明かぬ。身の証はないがついてきていただこうか」

「……参ります」

「お方様っ! 」


 見知らぬ者についていこうとするさゆりに、侍女たちが声をあげた。


「たしかにもしかしたらいーひとなのかも知れませんけど~、このままついてっちゃっていーんですかー?」

「正直、すごぉく怪しいと言えなくないですよぉ、この人ぉ」

「いや、待っとくれ」


 騒ぎ出した三侍女を押しとどめたのはかすみだった。


「この人は信用できるよ。詳しいことは今は時がないからどうこう言えないけど、信じていいと思う。あたしに免じてついてきてくれないか。いざとなったらあたしが守るからさ」


 騒乱の中、かすみの言葉に皆がさゆりの顔を見た。緊張の中、それでもまっすぐに謎の僧を見てさゆりは言った。


「参ります」


                 *


 さゆりをささえていたものが一気に取れてしまったのだろう。武虎一家の姿を見たとたんさゆりはその場に座り込み、わっと泣き伏してしまった。


「よかった……よかった……無事で……」

「義姉上も無事でよかった。火に包まれたと聞いて心配していたのです。……皆も無事ですか? 」


 さゆりに駆け寄り抱き起こしたゆり江の腕の中で、さゆりは安堵の涙にくれていた。


「ええ、ええ。皆、無事に逃げおおせました。あ……でも……」


 何事かに気がついたのか、さゆりは身を起こすと、さらに手をついて頭を下げた。


「申し訳ありません。あれほどゆり江様が城を残そうと苦心されたというのに、私、城を捨ててきてしまいました」

「あの火の勢いではどうもできませなんだでしょう。皆は無事なのですね? 」

「無事です~。みんな逃げ出せました~」


 お梅の言葉に一つうなづくと、ゆり江はさゆりに向きなおった。


「それなら義姉上が気に病むことはありません。かえって誇ってよろしゅうございます」

「ありがとう……ございます」


 さゆりの顔にやっと笑みが戻ったその傍らで、もう一つの家族の再会が待っていた。


「よかったぁ……体のケガは大丈夫ぅ? 痛くないのぉ? 」

「いててて……。そう握らないでくれよ、松姉ちゃん。かえって痛いよ」

「生きてんだから痛いのは当たり前でしょっ。がまんしなさいっ」


 姉たちに囲まれている大次郎を、月之丞、鷹丸が微笑んで見つめている。その様子を優しい眼差しで見てから、かすみは自分たちを連れてきた謎の僧に目を向けた。かすみの深く問いかけるような視線を見返すこともなく、僧侶は深く傘をかぶって外の様子をうかがっていた。

 その時、山賊たちが見張っている扉が思いきり開け放たれた。騒然とする中、飛びこんできたのは見覚えのある男だった。


「ここに抜け穴はあるか!? 」

「……総次! 」


 悲鳴のような声でお柳が声を上げた。武虎はそんなお柳をちらりと見ただけで、落ち付いた声音で答えた。


「いや、ここにはない。どうした」

「まずいな……。やつらに囲まれた」

「何ぃ? 」


 細く閉めなおされた扉から総次、乱雪、武虎が様子をうかがうのを、中の女衆と山賊たちは不安そうに見つめた。


「思ったより混乱からの回復が早かったな」

「もうこちらの行方を突き止めたのか」

「一応、向こうの軍はボロボロになってはいますがね。やっとかき集めた兵で包囲しているといったところでしょう」

「こちらの手勢で破れますかな」

「……足手まといが多いな」


 武虎はちらりと後ろに座っている百合城の女子供を見た。


「やっと見つけたぞ、百合城の者ども! 」


 一連の混乱から抜け出したものの、その損害は計り知れなかったものらしい。外からそう呼びかける伝兵衛の姿は、昨夜ゆり江を出迎えたときとは比べ物にならないぐらい薄汚れている。


「もはや城はない! そなたらの命は風前のともしびも同然! このまま焼き殺されたくなくば、観念して出て来い! 」


 伝兵衛の後ろに控える兵の数は先ほどに比べてずいぶんと減っていたが、その装備も数も戦うには十分と言えた。それらがぎりぎりと弓を引き絞って、合図を今や遅しと待ちかまえている。

 じりじりと外の様子をうかがう武虎の後ろにゆり江がすっと立って寄り添った。


「……お前様。私、このままなぶり殺しなど耐えられませんわ」


 その言葉を予想していたかのように、武虎は口元に薄い笑みを浮かべた。


「ならば行くか。俺とお前で、最後の一花を咲かせるのも悪くない」

「なりませんわ! 」


 二人のやりとりに奥からさゆりが叫んだ。


「そんなこと……斬り死にするのは火を見るより明らかではありませんか! させません! 」

「そうですとも! 行くんだったらあたしも行きますよ! 」

「待て! 皆の者、もう少しお待ちいただこう! 」


 一緒に叫んだかすみを押しとどめたのは旅の僧、乱雪だった。


「待て? 何を待つってのさ! このまま焼き殺されるのを待てってのかい、あに……! 」

「とにかく待て! あてはある! 」

「三つ数えるうちに出て来い! 」


 二人の押し問答を、外から聞こえる伝兵衛の勝ち誇ったような声が止めた。朝の光の中、伝兵衛の顔だけに暗い笑みが張り付いていた。


「一つ、二つ、三……! 」


 今にも数え終わろうとするその時!


「上意! 上意である! 」


 小屋と伝兵衛の間に一人の騎馬武者が割り込んだ。朝の光を照り返すその鎧姿に、さゆりは息をのんだ。


「邪魔をするな! 瀬渉丸様にはわしからご報告する! 」


 手に握りしめていた馬上用のムチを突き付け、伝兵衛は使者を怒鳴りつけた。だが、相手はそれにひるむことなく馬上から伝兵衛をねめつけた。


「私は瀬渉丸君の使者ではない。厳水様の使者である! 伝兵衛! 私の顔を見忘れたか! 」


 馬上で兜をとった武者の顔を見て、伝兵衛はおろか百合城の人々も息をのんだ。


「げ! 政近! 」

「政近様……」


 馬上から人々を見下ろしていたのは誰あろう、百合城城主奥西政近その人だった。思いもよらなかった人物の登場に伝兵衛は腰を抜かしたのか、地面にへたりこんだ。


「ひかえよ! 厳水様のおなりである! 」


 馬上より降りた政近がそう言ってその場にかしこまると、ゆっくりと武者の一団がやってくるのがその場にいたすべて者の目にうつった。その一団の先頭に立つのは齢50を過ぎたもののまだ力も衰えず、なおも全てを圧倒する眼力を放つ者……坂田厳水であった。


「さぁ、皆も外にて迎えられるがよろしかろう」


 乱雪にそううながされ、百合城の一同および山賊たちは小屋の外へと足を踏み出した。そして政近のそばまで来ると、そこで膝をつき大大名の到着を待った。

 厳水が乗馬のまま場の中心にやってくるとその高みから一同を見回し、その視線を伝兵衛の上で止めた。


「……伝兵衛。わしがそなたを城代として残したは、私怨をもって兵を動かさせるためではないぞ」

「お、お待ちください」


 頭上からの視線にへたりこんだままどうにかこうにか地に手をつくと、伝兵衛は弁明をわめきだした。


「私はただ瀬渉丸君を呪殺せんとするこの女狐を討ち果たしに参っただけにございます! しかもこのことは瀬渉丸君もご承知のことにございます! 」

「黙れ! 」


 ぴしゃりと言い放たれた主の言葉に鞭打たれたかのように伝兵衛は体をすくめた。


「瀬渉丸にはわしから厳しく叱りつけた。その上面白い土産を手にいれておる。そなたにも見せてやろう」


 馬上で頭をめぐらせた厳水のあとを追うように、皆の視線もまた一点に集まった。

 そこに引き立てられたのは二人の男、それを連れてきたのも二人の男、そして少年だった。お柳の目に涙が光る。

 連れて来たのは乱雪と総次、そして伝令に行った速太。そしてそれらに連れてこられ、ぬけがらのように座っているのは……。


「熊岸兎之介と奥医師幸斉、ひきつれて参りました」

「ご苦労、総次、乱雪」


 主の言葉に三人は膝をつき、乱雪はその編み傘をとった。


「やはり兄者! なぜここに!? 」


 朝の光の下さらされた乱雪の素顔にかすみが声を上げた。無理もない。それは先年出家し、修行の旅に出て以来行方知れずとなっていたかすみの兄であったのだから。


「この二人は長年わしに仕え、諸国の動静を調べておった。今度はそれが我が身中の虫を探るに役立ったというわけじゃ」


 厳水の言葉に乱雪と総次は深々と頭を下げた。一方身中の虫扱いされた兎之介は、二人に抑え込まれたままここぞとばかりにわめき始めた。


「も、申し上げます、も~しあげます厳水様~! わたしは何も悪いことはしていません~! ただ伝兵衛様のゆーとおりにしただけでございます~! 」

「まだあんなこと言ってるよ。よくやるもんだ」


 あまりの醜態にかすみがあきれたかのように天を仰いだ。


「黙れ、熊岸! 」


 鞭で打つかのような鋭い乱雪の叱責に兎之介は身を縮めた。


「奥医師幸斉の証言により、そなたらが何を画策してきたかは明白! 若君の命を損なう気はなかったにせよ、私欲にて百合城を奪わんとした所業、断じて許されるものではない! 」

「この者の言によりすべては明るみに出ておる」


 乱雪の言葉を受けて馬上から厳水は地面に這いつくばった伝兵衛へと叱責の言葉を降らせた。


「この始末はしっかりつけることとなろう。伝兵衛、天の裁きと心得て覚悟せよ」


 主の言葉を体を震わせながら聞いていた伝兵衛だったが、口より出ていた小さなうめき声がだんだん大きくなり、耳をつんざくほどになったかと思うと、しゃにむに手足を振りまわして乱雪の方へと駆けだした。


「取り押さえろ! 」

「はっ! 」


 厳水の命に従ったのは、それまで伝兵衛の指示で動いていた兵たちだった。部下たちに取り押さえられ地面に押さえつけられるにいたって、伝兵衛はさすがに観念したらしく無念そうに眼を伏せた。


「百合城の者ども、前へ」


 厳水の言に、さゆりとゆり江は目をあわせてうなづいた。いくら戦を仕掛けられたとはいえ、内々で戦いを起こしたのは間違いない。百合城だけ無罪ということはないだろう。


 それでも、心の内にやましいことはひとつも、ない。


 二人、厳水の目前に立ち並んだ。目を伏せることなく、堂々と前を見て。


 その隣にかすみが並んだ。


 そしてその隣にお柳が続いた。


 さらにお松、お竹、お梅までもが。


 修羅場を潜り抜け、皆、とても褒められた姿ではない。火の粉を浴びたせいか髪や着物は焼け焦げ、顔も煤がついている者がかなり多い。


 それでもそれぞれの顔には、やるべきことをやりきった者だけが持つ誇りが輝いていた。


 皆の頭上高く、馬上よりそれぞれを見下ろしていた厳水は一瞬、一瞬だけ頬を緩ませ、すぐ元の厳しい顔に戻った。そして獅子の咆哮を思わせる大声をあたり一面に響かせた。


「天晴! 百合城の女衆! 」


                                     (終)

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