7、皆のためにできることを
「身動き一つできないころに比べたら、もう本当によくなっているのだから」
月之丞はそう言って笑った。
「そんなに心配そうに後をついてこなくてもよいのだよ? 」
「いいえ。私たちはあくまで若君のおそばに仕えるのが本来の務めでございますから」
「どこへ行こうとついていきます」
生真面目な顔の鷹丸と意気込みの勝った口調の大次郎に少し苦笑させられながら、月之丞はゆっくりと歩みをすすめた。
今日も戦いの波がいったん引いたころ、月之丞は城内を見回りたいと言い出した。
「動けぬ私に代わって戦っている皆の苦労をねぎらいたい」
ゆり江に申し出れば止められるのは目に見えていたので、今回も小姓二人とのお忍びだ。結局少年たちには主を止めることは荷が重かったのかもしれない。
「皆の者、御苦労でした」
戦いの後始末で壊れた壁の修復をしているところで、月之丞は声をかけた。
「これはこれは若君様……で、いらっしゃいますな? 」
ほがらかな笑顔とともに言葉をかえしてきたのは、修復の手伝いをしていたらしい総次だった。
「総次殿! このような力仕事までお出来になるのですか? 」
目を丸くしてたずねる鷹丸にさわやかに笑うと、総次は少し得意げにも見える調子で言った。
「まぁ、踊りなんてものをやっておりますとね、なかなか力がいるものでして、このようなこともできなくもない体ができたりするものでございますよ」
「へぇ、すげぇなぁ」
「踊りとはそのように体をつくることもできるのですか。ならば私も始めてみればよかった」
素直な感想をもらす月之丞に総次はカラカラと笑った。
「そうですな。この戦が一段落したらお始めになるとよろしいでしょう。……ところで何か御用でしたか」
「月之丞様はこの戦にて戦っている者たちの労をねぎらうため、城内をお回りになっていらっしゃるのです」
「はぁ、そうですか」
鷹丸の説明に少し気をそがれたかのようになった総次は再び元の快活と見える様子で月之丞に語りかけた。
「どうも御苦労さまでございます。ここは大きな石やらも多く、崩れましては身の危険もございます。お気持ちは十分にいただきましたのでどうか身の安全を第一にお考えくださいませ」
「承知しました。……さぁ、月之丞様こちらへ」
大次郎にうながされると、月之丞はまだその場にいたそうなそぶりも見せたが最後には足を進めることにした。
「……ったくそんなおおごとじゃあないんだよ。ほんとならツバでもつけときゃいいんだ。親父殿が”矢傷は怖い”って大騒ぎするから……、おや、若君」
次に月之丞たちが足を向けたのは疾病者たちが休んでいる控え室だった。城の中でも居心地のいい大広間を特に解放し、この戦で怪我をした者の手当て等を行っている。
寝ている者も多いこの部屋で大声を出していたのは案の定かすみで、もろ肌脱ぎで肩をあらわにし治療を行っている。それすらもかすみが話すたびに動くので、医師が苦労しているのがはたからでもわかった。
「皆の者、大義でした。かげんはよろしいですか? 」
「そりゃこっちの言うことだよ。若君こそ体の方は大丈夫なのかい? 」
「この程度で寝ていては、戦っている皆さま方に申し訳がたたなくて」
「だめだよ、そりゃあいけないなぁ」
なんとか治療が終わったのを見届けるとかすみは肌を着物の中にしまい込み、自分のことは棚にあげた上で若君に話しかけてきた。
「あたしらが戦ってんのはさ、この城とお方様がた二人、そして若君を守るために戦ってんですからね。城は守ったわ、若君は寝ついたわじゃ意味ないんですよ。とくにここはけが人が多くていつ若君に病の素でもついちゃいけない。これが若君のお父上とかだったらほっといても死にゃしないだろうけど、若君はそうはいかないんですから。ちゃ~んと城の奥で大事にしててくださいな」
「何言ってんすか! 若君がわざわざ皆をねぎらおうと……! 」
「いい、大次郎」
かすみの言葉につかみかかろうとした大次郎を止めたのは月之丞だった。悲しげともさみしげとも見える笑みを見せて月之丞は病人たちに静かに声をかけた。
「……騒がしくしてすまなかった。皆、体を大事にしてくれ」
「若君が謝ることなんかないじゃないですか! 」
大広間を離れてゆく間にも大次郎の怒りは収まらず、まだ年若い主に憤懣をもらしていた。
「せっかくの若君のお心もわからずに! かすみさんもかすみさんだ! なんであんなこと言うのかなぁ! 」
「かすみ殿は変なことは言っていないよ、大次郎」
さすがに少し落ち込んだのか、ことさらに静かな声と足取りで若君がたしなめた。
「この体が動くうちに城の皆をねぎらいたいたかったのだけど……。これで部屋に戻ったらまたこうして来られるのはいつになるかわからないからね……」
「若君」
月之丞にやさしく声をかけた鷹丸は分かれ道で足を止め、気遣うような表情で主を振りかえった。
「右に行けば寝所へと戻ります。ですが左の道でも遠回りではありますが戻れなくはありません。途中弓矢の保管庫があったはずですが……いかがなさいますか? 」
「あ! 鷹丸、頭いいな! 」
同輩の機転に気がついたらしく、大次郎がすっとんきょうな声をあげた。
「それなら寝所に戻る途中たまたま立ち寄っただけって言えるもんな。いくら皆をねぎらっていても文句の言われようもない。若君、そうしましょうよ! 」
「……世話をかけるね」
「当然のことです」
おもはゆそうな笑顔の若君に鷹丸が気遣うような笑みを見せると、三人はそろって保管倉庫へと足を向けた。
戦が一段落したあとのせいか、ほうぼうの守り場からやってきた人々で倉庫前はごったがえしていた。この戦いで減った矢や石の補充、切れた弓のつるなどの補修、それらで来た人々を仕切っていたのは合田作之進その人であった。
「おい、倉からもう十束もってこい。ああ、その弓のつるはそれじゃあない。そんな強弓にはもっと太いのを使わんことには……。こら! 勝手に持っていくのではない! 」
戦場とまでもいかなくてもある意味修羅場である倉庫前の様子に年若い主従がたじろいだのも無理はない。
「若君……このまま素通りして寝所に行っても誰も何も言わないと思いますよ……? 」
「いや。だからこそ声ぐらいかけなくては」
おずおずとでもいった風情で、三人は精いっぱいの笑顔を見せた若君を筆頭に作之進に近づいていった。
「ご、御苦労さまです、合田殿」
「……ん? 若君? なにゆえかようなところへ? 」
忙しい手を止めさせたのが若き主と知って無意識に寄せたらしい作之進の両眉に、そうでなくても及び腰だった主従はさらに腰が引けた。
「わ、若君におかせられましては、体調がよい今のうちに、城のために戦ってくださっている皆様方に、お礼方々見て回りたいとおおせになられまして……」
「物見遊山のつもりでふらふら歩いておられるならごめんこうむりますな! 」
とりなそうとした鷹丸の言葉を一蹴して、作之進は皆の前で若君に向きなおった。
「矢の飛び交う合戦の場には来られずともかような折には寝所からでもお出ましになられるか。真に皆をねぎらいたいと思うならば、合戦の際にこそお出ましになり皆と苦労を共にされるがよろしかろう! そもそも病弱というのが心身がたるんでおる証拠! 父君武虎殿においては寒中においても鍛錬をかかすことがなかったというに、この体たらくをごらんになればご落胆あるにちがいない。フラフラと歩きまわり皆に迷惑をおかけになるだけならばおらずともよろしい! 疾く己の居場所に立ち返り、今一度何ができるかお考えになられるがよろしかろうっ! 」
「たとえ合田様でも言っていいことと悪いことが……! 」
「……よい」
思わずくってかかった大次郎をとめたのは、肩に置かれた若き主の手だった。その手もいつもより白く血の気が失せているようにも思われる。
「……手を休めさせ、すまなかった。私は戻ろう……」
「それがよろしゅうございますな。お体を大切に」
木で鼻をくくったかのような作之進の言葉に送り出され、倉庫につめかけた人々の見守る中、月之丞たちは寝所へと足を向けた。
誰も、何も、話さなかった。
倉からのびた一本道を折れ曲がったところで、月之丞は深々と溜息をついた。
「……私は役立たずだな」
「そ、そんなことは……」
ない! と続けられないのか大次郎はそこで唇をかみしめて下を向いた。その姿を許すかのように若き主は微笑んだ。
「このような役立たずでは亡くなった父上もがっかりなさるだろうね。皆が父上の話をする。すごい武者だったと。でも私は毎日毎日熱を出す。本当に私は父上の子なんだろうか。私は……この城にいていいんだろうか……」
「月之丞様はご立派です」
悩み事を話し続ける月之丞の手を鷹丸はとって、真正面から見詰めた。
「いつか強い武者におなりです。そしていつまでも私の主です。それでは……いけませんか? 」
月之丞一瞬目を丸くすると、まだ幼い従者の手を力強く握った。
「……ありがとう……」
二人の姿に大次郎はちょっと鼻をすすり、そんな自分に照れたのかそっぽを向いた。そしてそのせいで、こちらに走ってくる人々の姿に気がついた。
「あれ? あれは……」
「若君ぃ~~~! 」
バタバタと走ってくるのは三人で、皆一直線に月之丞の方へと向かっており……。
「も~、やっとみつけた~」
「まったく、こんな時になにやってんですかっ! 」
「……お松、お梅、お竹。何か用だったのか? 」
少し毒気を抜かれたような調子で若き主が聞くのに、お竹は少しむかっ腹をたてたかのような風に言ってきた。
「……ゆり江様が、お倒れになったんですっ! 」
*
ふと気がつくと、障子越しの日があたっていた。
そこは城の奥の一室、床が延べられたそこは確かにゆり江の寝室ではあったが、この五、六日ゆり江が寄り付かなかったところでもあった。
「……気がつかれましたか? 」
優しい声とともに、心地よく濡らされた手巾が額の上に乗せられた。それを義姉のものと認めて、ゆり江は安堵とともに目を伏せた。
「……はい。ありがとうございます」
そのまま体を起こそうとしたゆり江はさゆりに大慌てで押しとどめられた。
「もう少しお休みください。……ご無理なさっていたのですわ。もう少し横になっていなくては」
「攻め手は待っていてなどくれぬでしょう」
再び寝かされたことに憤懣の意をもらしながら、ゆり江は深くため息をついた。
「私の意地で始めた戦で、私が倒れていては他の者が戦えません。たとえねぎらうことだけであっても矢面に姿を見せることで、士気は大きく変わるのですから……」
「そうは言ってもお身体がもちませんわ。最近床でお休みになられたことがありまして? このごろ過労のせいか顔色もよくないように見えましたもの。今日もそれで見回りの途中でお倒れになって……」
「なるほど、それで……」
記憶をたどってみると確かにそうだった。怪我人をねぎらい塀の修復箇所を見回り、倉へと向かう途中から意識がない。きっとそこで倒れたのだろう。
「……夢を見ていました」
「……夢? 」
「あの子が……月之丞が生まれたときの夢です」
思い返せば倒れていた時見ていたのはあの時の風景だった。
それは夫を戦の爆風で失い、早くに産気づいた床の中の風景。苦しんで苦しんで、やっと生まれたのは両手の中でもまだ小さな赤子で。
「あの時も……さゆり様にこうしてお世話していただきましたなぁ……」
「病人や赤子の世話をすることは、家でなれておりましたもの。月之丞様のお世話はまだ楽な方でしたわ」
「そう、それで義姉様は兄上に見染められたのでしたものね……」
「まぁ、ゆり江様ったら」
落ち着いていても明るい物言いのさゆりの言葉につられたかのように、ゆり江の言葉にも少しずつ明るさが戻ってきていた。それに気がついたのかさゆりの表情にも少し安堵の気配が現れてきていた。
「……お世話ぐらい、いくらでもいたしますわ。ゆり江様でも、月之丞様でも、城の中の者でも。皆、私の身内ですもの。……ですからゆり江様もしっかりお休みになってくださいましね」
「……わかりました。少しだけ、横になるといたしましょう」
「ええ、そうしてくださいませ」
ゆっくりと目を閉じたゆり江の顔をまじまじと見つめた。青白くやつれた肌。つややかな髪すらその美しさを失って。その変わりように思わず涙がこぼれてくる。
「……私、しっかりしなくてはね」
そうつぶやいた部屋の障子に小さな影が映っていたことに、さゆりが気付くことはなかった。
*
夜といえども風はまだ熱気を帯びていた。その熱い風が笹ゆりの葉をざわざわ揺らした後、少年たちの顔にまともに吹き付けた。
「若君、もう部屋に戻ってください。あとはオレたちでやりますから」
「そうです。大切な体なのですから、どうかお休みください」
「伯母上から薬草の手ほどきを受けたのは私だ。とった場所も教えるよりも私が行った方が早い。今は一刻を争うのだよ? 」
風の音、葉のざわめきに混じって子供たちの声が聞こえている。時々闇の中、葉の間からひょこっと黒くて丸い頭がのぞいたりする。
ひとつ大きくのびをした頭の横に腕が二本天に向かって突き出され、額の汗をぬぐった。夜の熱気だけでなく草いきれもあって湿気がものすごいことだろう。
「……あった」
「ありましたか? 」
若き主の声に二人の従者が駆け寄った。暗い夜の闇の中、皆に見えるように捧げられた月之丞の手の中には確かに小さな葉が何枚も載せられていた。
「これが前に伯母上から教えられた、疲れによく効く薬草だ。前に取りに来た処にまだ生えていてよかった」
「よかった。もうこれで帰られる。早く抜け穴に戻らないと」
若君の言葉に思わず本音が出たかのように大次郎がそう言うと、意外なことに鷹丸までもがうなづいた。
「大次郎の言う通りです、若君。百合城が今まで持ちこたえられてきたのは堅固な城壁があってのこと。それを行き来できる抜け穴を知られては、城内すべての者たちの命にかかわります。見つからないうちにすぐ戻りましょう」
二人の言葉に月之丞は不承不承うなづいた。
「……そのとおりだ。母上のためと思って足をひっぱることをしてはいけない。戻ろう」
その時。空の雲が切れた。
今まで闇を作りだしていた雲の隙間から月がのぞくと、闇一色でしかなかった地上を一気に塗り替えていった。
そこには熱風に揺れる笹ゆりと頼りなげなほど小さな少年たち、そしてずっと端の方に鎧武者の一団が立ち尽くしていた。
「おやおや、偵察にきただけのつもりが、これは大した拾いものだ」
武者の一団の中でも鎧に着られている背の低いやせ気味の男が前に進み出てきた。その顔に張り付いた卑屈そうな笑みまでもが、月の光に照らしだされた。
「お忘れですかな、若君。過日城までうかがった、熊岸兎之助にござる」
*
「……この大バカっ! 能がないならないなりに、アンタが代わりに捕らえられていればよかったんでしょっ! それでよくも小姓なんて言えたわねっ! ついてるだけなら印籠にだってできるのよっ! 印籠にだってっ! 」
お竹の罵声に大次郎は何も答えられなかった。だが、周りの者もお竹のようには非難することはできなかった……大次郎の姿を見れば。
体中にあざをこしらえ、あちこちからは血も流れ、髪も乱れ、泥だらけで、その上腕まで折っている。どれほど少年が奮闘したかは一目瞭然と言えた。
それでも責めたくなる気持ちはわからないでもない……若君が敵の手に捕らえられたとあっては。
「……何がありました? 」
静かにかけられた声に振り向いた人々は一瞬絶句した。お梅に支えられて来たのはゆり江その人であったのだ。
「ゆり江様! まだ横になっておられなくては……! 」
「月之丞のことと聞きましたので、義姉上。月之丞はどうしました? 」
押しとどめようとするさゆりを落ち着いた声音で制してゆり江は尋ねた。それにこたえる者はなかなか現れなかったが、堰を切ったかのように突然大次郎が号泣した。
「申し訳ありません! 若君、鷹丸ともども敵の手に捕らえられました! 」
「……どういうことです。言ってごらんなさい」
大次郎はお松の手当てを受けながら、しゃくりあげつつも語りだした。
母であるゆり江が倒れて、月之丞が自分に何ができるのか悩みだしたこと。
そして昔、さゆり様と疲労に効く薬草を城外まで一緒に取りに行ったことを月之丞が思いだしたこと。
その月之丞に連れられてこの城の抜け穴を使って抜け出し、目当ての薬草を見つけたこと。
その際に敵の武将に見つけられ、月之丞を逃がそうと奮戦したものの逆に手傷を負い、月之丞は鷹丸ともども捕らえられてしまったこと……。
「ばっかじゃないのっ! そんなの全然お方様のためになんかなってないじゃないのよっ! アンタなんかアンタなんかっ……! 」
「……よい」
大次郎につかみかかろうとするお竹を止めたのは他の者たちの手ではなく、黒百合の方の一言だった。
「……ゆり江様、早急にかすみ様、総次とはからって若君の救出の計画を立てることといたします」
お柳の申し出に他の者たちも口々に自分に言い出した。
「とにかくすぐにでも俺が敵陣に潜り込んで若君の居場所を探ろう」
「おう、そしたらあたしが一騎駆けでもして連れてくるさ」
「オレもつれてってくれ! オレがヘマをして連れていかれたんだから……! イテテ」
「無理するでない! お主よりまだわしの方が体が動くわい! 」
「一人で行ってどうするんです、合田様! わたしたちだって……! 」
「そうだそうだ! 」
「……待ちや」
騒然となりだした皆を止めたのは、誰よりもわが子を助けに行きたいであろう母その人だった。まだ病み上がりの青ざめた顔に乱れた黒髪がかかり、まだ熱っぽいのか赤みの増している口元をギリリとかみしめている。
「……軽挙は、なりません」
「でも! 」
「軽挙は、なりません! 」
強い口調の黒百合の方に、皆は圧倒され黙り込んだ。そこへ、自分にも言い聞かせるかのように、静かに母の声が語り始めた。
「このまま捨ておく敵ではありますまい。ここで隙を見せて一気に突き崩されては元も子もない。きっと何かの行動を起こすであろう。それまでは……耐えよ」
耐えているのは、苦しいのは、おそらく自分の方であろうのに。
そう言うとゆり江は重い足取りで部屋へと戻って行った。
*
次の朝、まだ朝霧も晴れぬ間に使者の旗を立てた騎馬の侍が門前までやってきた。
「開門開門! 若君の命が惜しくばここを開けい! 」
いくらみごとな甲冑に身を包んでも、卑屈な笑みとぼんぼり眉は隠せない。熊岸兎之介その人である。
いやいやながら開けられた大門を胸を張って騎馬のまま通って行った兎之介は、四方から浴びせられる非難の視線などものともせぬ中、会見の間にてゆりの方二人と対面した。
前回とは違って面憎いまでの堂々とした態度で兎之介が二人に対していられるのは、鎧甲冑を着込んでいることもあるだろうがやはり切り札を陣中に持っていることが大きいのだろう。
「……聞こうか」
「いやいや長らく苦しめられたものですな。先日私めが来ました折にご足労いただければこのようなことにはなりませなんだでしょうに」
「要件は」
硬い表情の二人のゆりの方とは対称的に余裕の笑みまで浮かべている兎之介は、さらに顔面にニヤニヤ笑いを広げて言った。
「城の開城、城内の武装解除、城の責任者たるお二人の投降……まぁ、この辺は確実にやっていただかなくては」
「ずいぶんと言いたい放題言ってくれるものよ」
「けじめ、というものがございますのでね。これぐらいはやらないと、収まりがつかぬでしょう」
「かよわい者を人質にとって、無理放題を押しつけるなど、恥ずかしいとは思わないのですか」
「そうそう、それを忘れておりました」
さゆりの必死の非難をとぼけたように受け流し、兎之介は口元をニヤリと大きくゆがませた。
「こちらでお預かりしている若君ですが、どなたも城をお出にならぬとなればしかたがない。唯一お城をお出になった若君にすべての罪を背負っていただいて黒烏城まで来ていただくということになりましょうな」
「罪? いかような罪があるというのじゃ! 」
「それはいろいろおありでしょう」
ゆり江の叫びに、兎之介は憎々しげに指を一つ一つ折って”罪”を数えだした。
「瀬渉丸様を呪殺しようとした罪、城の者誰一人釈明によこそうとしなかった罪、若君の正使をろくにもてなしもせぬ上危険な目にあわせた罪、戦端をひらいた罪、厳水様の大切な兵を私怨によって減らした罪、えぇ……まだありましたかな」
「すべてそなたらが作りだした冤罪であろう」
「さぁ、それはどうか。黒烏城の皆様方はそうお考えではなさそうですが。……今宵一晩、城の皆様がたとゆるゆるお考えになるとよろしいでしょうな」
そう言い捨てると立ち上がり、兎之介は優越感に浸っているかのような傲慢な笑みで二人を見下ろした。
*
「……皆の者、御苦労であった」
合議のため集まった者たちを待っていたのは、ゆり江のその言葉だった。
「今までよう戦ってくれた。主な兵もおらず寄る辺のないこの城が今まで戦い抜けたのは、ひとえにそなたらの尽力のおかげじゃ。礼を言う」
両手を付き深々と頭を下げた黒百合の方に部屋中がどよめいた。
「こんなのなんか屁でもありませんよ! まだまだあたしらは戦えます! そうだろ、みんな! 」
かすみの激に合わせてそこかしこから上がる同意の声を困ったようなほほ笑みで見ていたゆり江は、そのまま首を横に振った。
「いや……もはやここまでじゃ」
まだ病が癒えていないのか青白い顔のままゆり江は続けた。
「こうなってはせめて城だけでも残さねばならん。総ては私の意地から出たこと。私が首謀者として降ることで、なんとか城と皆は安泰であるように計るゆえ、心安くしてもらいたい……」
「なんです、そりゃあ! 」
思わずといったように立ち上がったかすみは甲冑姿でガシガシと人をかき分けて一番前に出ると、黒百合の方を睨みつけた。
「お方様、この戦いが始まる前あたしになんて言いました? え? この首そっ切って黒烏城に送れって言った時、なんて言いましたよ!? ”この緊急の時に戦える人材を減らせるか”ってそうおっしゃいましたよね!? その言葉、今ここで返しますよ! お方様なしでどうやってこの先戦えってんですか! 若君のことなんかあたしらでなんとかしますよ! もうちょっとしたら殿さんだって帰ってくるんだ! だから……! 」
「かすみ」
繰り言になりそうなかすみの言葉を、ゆり江がぴしゃりと止めた。
「もう、戦わずともよいのじゃ」
呆然と黙り込んだかすみたちに言い含めるかのようにゆり江はゆっくり語り始めた。
「ことここまできて使者が届かなんだは天の采配と言うほかない。皆はよく働いてくれた。もはやここにいたってはこれ以上戦うは良案とは言えぬ。他に……案はない」
どこからかすすり泣く声が聞こえてきた。それはついに耐えきれなくなったらしいお梅で、次々に他の侍女たちにも広がっていった。
「ならば……ならば降るのがゆり江様である必要はございませんでしょう」
予想していたかのように微笑むゆり江にすがるようにさゆりは言葉をつづけた。
「百合城城主の正室は私です。すべての責任は私が負うべきなのです。ゆり江様が負うことはありません」
「そう、義姉上はこの城の一族であられる。他の者も皆、生まれてからこの城で育ち、生きてきた者ばかりじゃ。私だけが……よそ者。すでに一度この城を出ている者なのです」
言い聞かせるかのようにそこまで言葉を紡いできたゆり江はそこでふっとつぶやいた。
「切り捨てられるのはよそ者であるべきでしょう」
「切り捨てる!? 我らがお方様を切り捨てるとお思いか!? 」
ここで怒髪天をついたのは城内でもその名高き合田作之進であった。忠義深きこの忠臣は憤懣やるかたないといったふうにどすどすと足を鳴らして前に出ると、娘と並んでゆり江をにらみつけた。
「わしはお方様がこの城にてお産まれになったときから見ており申す。たとえ一度外に嫁いだとて、今お帰りになっているからということをのぞいてもわが主の一族であることは疑う余地もない! この世を捨て仏門に入った我が長子も含め、合田家の者は皆そう思っており申す! 誰が、だれが切り捨てるとお思いか! 」
「されど切り捨てよ、主のために」
ぴしゃりと言ったその後、ゆり江は諭すかのようにゆっくりと語り出した。
「皆の気持ちはありがたい。だが、今は間に合わなんだがしばらくすれば兄上たちは帰ってこられる。その時に、城がなくてはどうするというのじゃ。この城は、残さねばならん。そのためには今、一番よい方法でこの戦を治めておかねば、のちのち災いが残ろう。
この戦を始めたのは私のわがままからであった。戦を治めるこのときも、私のわがまま、通してはもらえぬだろうか」
もう一度頭を深々と下げた黒百合の方にもはや抗う者は現れなかった。部屋に集まった人々のそこかしこからすすり泣きが聞こえた。
「……このままでは済ませられないわ」
部屋の隅で静かに話の行方を見ていたお柳は、そう背後に向かって囁いた。
「お方様がどういうつもりであろうと、このままさせるわけにはいかない。総次、私とあなたで若君の居場所を探って……」
振り向いたお柳はそこにいたはずの男の姿を見つけ出せなかった。
「……総次? 」
そしてそれ以後、城内から総次はふっつりと姿を消してしまった。
*
百合城の門前を見下ろす高台の上。そこに総次の姿はあった。
もはや百合城の城壁には藁人形の兵しか立っておらず、それがわかっているかのように伝兵衛の陣は門の間近にまで迫っていた。
「もたせましたがね、このあたりが限界でしょう」
「百合城はこれまでか」
総次の横に立っていたのは黒い袈裟に編み傘を深くかぶった旅の僧だった。総次がかの者と再び顔を合わせたのは百合城に入ることになった時以来ということになる。
「今まで皆の尻を叩いてきた上の人間が一番やる気をなくしてますんでね。でもまぁ、よくもちましたよ。……そちらの方は進んだんでしょうな、乱雪殿」
乱雪と呼ばれた僧侶はわずかに見える口元に薄い笑みをちらりと見せた。
「状況についてはすべて押さえた。物証、証人については今、確保する手はずだが……城はそれまでもたぬかもしれんな」
「そりゃあ、乱雪殿にしちゃあ、不手際なことで」
総次には珍しく不満さを隠す気もなくそうつぶやいたことが乱雪の注意をひいたらしい。皮肉そうに笑うと少しからかうように乱雪は総次に話しかけた。
「演舞流総次ともあろうものがずいぶんと肩入れしているではないか。惚れた女でも必要とあれば谷底へと突き落とすという評判はどうした」
「それはですね、どなたさんかが当然かけていてよい情を代わりにかけているとでもお思いくださいな」
総次の言葉に鼻先を鞭で打たれたかのように一瞬ひるんだが、乱雪は何事もなかったかのように傘を深くかぶりなおした。
「……確保は急ぐ。だが、我らにとっての大事は城の存亡よりもこの件の解決にすぎん。それを忘れるな」
踵を返して去ろうとする乱雪について行きかけて、総次はふと足を止めた。
足下に見える百合城。
あそこにはたとえ何人かであろうと自分を探している者がいるのだろうか。その何人かの中に入っているであろう人の名が思いの端に浮かびそうになるのを消し去り、総次もまた足を進めた。