6、待っているのもいくさです
……城攻めが始まってから、ゆうに十日が過ぎていた。
最初のころこそ怒涛のように押し寄せてきていた攻城軍も、今では日課のように攻撃してくるにすぎない。
「ああ見えてもうちの殿さんてぇのは偉いもんさ」
かすみが戦いの合間にポツリともらした。
「いくさのいの字も見えないころから、年貢の一部として矢や石を納めさせてたんだからな。おかげであと十日ぐらいやったって矢も石も尽きやしないだろうよ」
「たしかに矢も石も食料もちょっとやそっとじゃなくならないんでしょうけどねっ」
かすみのもとに来ていた三侍女の一人のお竹がそう愚痴りだした。
「このごろの城内の気のゆるみ具合ったらないと思うんですよっ。たしかに敵の攻撃はきっちり防いでいるんですけどっ、もっと気を引き締めてないとマズいと思うんですよねっ! 」
「お竹ちゃ~~~ん! 何やってんの~! 手伝って~! 」
かすみに詰め寄っていたお竹の腕をお梅とお松がガシッと両脇から固めてきた。
「えっ、えっ、何っ? 」
「何じゃないでしょぉ? これから奥で”野草を使った料理の勉強会”やるんでしょぉ? 三人でお手伝いするんだから、遊んでちゃだめよぉ? 」
「あ、遊んでんじゃないわよっ! あたしはただかすみさんにっ! 」
「これからお城でのご飯も切り詰めないといけないんだから、きっちりお勉強しないといけないじゃない。ほらほら、行くわよ~! 」
「ちょっ、ちょっと~~~~! 」
「……ま、がんばれ~」
引きずられて立ち去るお竹に気の抜けた声援をかけておいて、かすみはまた城内を回り始めた。城内に疲れがたまっていないとは言わない。籠城戦の十日間というのはなかなか苦しいものなのだ。
だが城内はどこかそれを笑い飛ばそうとするいい意味での図太さというものがたしかにあって……。
「総次どの、総次どの。あれはなんとかならんのか」
「は? なんのことでございましょう? 」
城内の隅で、作之進が総次を招いてなにやら文句を言っている。父がまた変なことを言い出さないかひやひやしながら、かすみは聞くともなしに聞き耳をたてていた。
「お主が皆に教え込んでおるヤジのことじゃ。”伝兵衛の兵は玉なしだぁ! ”などと言い出させおって」
「おや、他の戦場ではあの程度、ざらにございますが? 」
「それは他の戦場での話であろう。ここは特に女子供も多い城内じゃ。あのような下品なものをいわせるのはまずかろう」
「ふぅむ。では別なものにでもいたしますか。”大男、総身に知恵が回りかね、足先撃たれて知るが明朝”……とか、いかがでございます? 」
「……長いの」
大したことではないらしい。かすみはそっとその場を離れた。
城の内部がお気楽極楽状態とはいえ、城の周りから攻撃を仕掛けられていることにはかわりがない。城壁では敵を見張る兵たちがずらりと立ち並び、一瞬たりとも気を緩めることがない……って、少し多くなってないか?
確かにかすみが記憶しているよりも、塀際の守りを固める兵が多くなっている。籠城に入ってから物はおろか人の出入りなどほとんどないに等しいはずなのに……。
「おや、かすみ様! ちょっと見ておくれな! 」
もともとここの守りを固めていたと記憶にあった女房の一人がかすみを呼んだ。
「ほら、こうして立ててみると本当の兵が並んでいるように見えるだろ? 」
「……って……これ、藁人形かい?! 」
よくよくみれば塀際に立ち並んでいたのは鎧兜を身につけた藁人形。しかもみな手作りなせいか、それぞれ太いの細いのと違いがある分、遠目に見たとき作りものと分かりにくい。
「これ、うちのダンナ。この太めのところがミソなんだよ」
「ははは、凝ってるなぁ」
「あ、それじゃあ、うちの兄ちゃんのも作ろうかしらん」
「いいねぇ、ただ作るだけじゃつまらないもんねぇ」
こうして一転”藁人形でどれだけ似たものが作れるか教室”の会場と化した城壁付近は、戦いのさなかにも関わらず和気あいあいとした雰囲気となった。
「……みなさん、元気ですわねぇ……」
「おっ、お柳! あんたも一緒に作る? 」
その場の風景に思わずつぶやいたお柳にかすみが気がついて声をかけた。
「いえ、私は……」
「あんたも日頃の任務で疲れてんだろ? 手作業でもやれば気がまぎれるって。どう? 家族似の藁人形なんてのは? 」
「家族……」
最初は気が進まない様子だったお柳の手だったが、それでも一体の藁人形を作り上げたのには思ったより時間がかかることはなかった。
「なんだい、ずいぶんちっちゃなのだね」
「……弟です。今、伝令の仕事で出ていて……」
「おや、ま」
「もう、あれから十日もたちます。無事に本陣についていればいいのですが……」
お柳は遠くの景色を見つめて心配そうにそうつぶやいた。
*
速太は藪の中を走っていた。
最初の予定ではこのように道を進むことにはなっていなかった。他の別々に伝令に向かう三人との打ち合わせでも言われていた。
「お前は俺たちがしくじったときの備えだ。お前が俺たちのように走って行ってはかなり目立つ。昼は誰ぞ大人について流民のふりをして歩け」
それゆえ速太がその名の通り全速力の速い足取りを発揮できたのは夜、それも人も通らぬけもの道においてだけだった。
他の伝令たちがどうなったかは知らない。ただ伝え聞くところではまだ百合城でのいくさは終わっていないらしい。ならば進むしかない。それが速太の使命なのだから。
夜を徹しての速駆けもこれで何日目だろう。昼間にうつらうつらしながら歩いているので、あまりまともに寝ていない。そういえば戦場の殿さまについて行った父が「己が生きてあらねば細作にあらず」と言っていたっけ。初仕事をやりきりたい一心で少しむちゃをしたかもしれない。
それでも夜になれば速太は走る。全速力で走る。
藪をつっきり、木の枝をかいくぐり、大石の上を飛び越えて、走る。
ふと、前に明かりが見えた。
おかしい。
ここは人も通わぬ山の中だ。いるのは野の獣がせいぜいといったところ。しかも明かりはひとつではない。今更ながら木々のかげに身を隠し、様子をうかがう。
明かりはたいまつだった。火の燃え盛るたいまつを握るのは毛むくじゃらの太い手で、それが使い込んだ鎧から伸びている。たいまつの明りに照らされているのはどれもいかつい顔ばかりで、具足のガチャガチャいう音まで聞こえてきた。
「……ったくこれでは約条の日時に間に合わんではないか。おい、本当にこの道でよいのだろうな? 」
「わしに聞くな。伝兵衛どのの家来から道を聞いたのはお主であろう」
「あの御仁もあまり道を知らぬようだったのだ」
「まったくこれではいくさなどとうに終わっているかもしれぬぞ。そうしたら約条の給金はどうなるというのだ」
「給金どころか前金まで返せといわれるわ」
「やれやれ、けんのんけんのん。こんな獣しかおらんような山道を行くはめになろうとは……おい」
息を殺して隠れていた速太の前を、通り過ぎようとしていた一団の最後の者が、急に先頭からたいまつを奪い取って振り向いた。
「どうした? 」
「何かいる」
「どうせ獣か何かだろう」
「いやいや、百合城の女ども、あちこちに伝令をとばしているらしい。他の隊でもう二、三人も捕まったそうだ」
速太は木の陰で目の前が暗くなる思いがした。二、三人? つまり他の伝令の者はほとんど捕まったということか?
「なら一応探ってみるか。……本当にいれば、遅参の言い訳になるだろうさ」
速太はこちらに向かってくる者の草を踏みしめる音を聞きながら、手探りで足元の石をひろった。そして見とがめられないように、反対側のうんと遠くへと放った。
遠くに落ちた石が草木にあたって音をたてた。
「ぬ! そっちか! 」
雇われた武士たちがそちらに気を取られて、速太から少しずつ離れていく。そしてそれらが十分離れたと見ると速太は……走り出した。
「何? そちらだと? 」
小さなころから山の中を駆ける訓練を十分に積んできた。最初は昼、そして夜にも。今ではほかの大人たちにも負けないぐらい速く走れる。
だがここはいつも走っていた近くの山ではない。初めて分け入る山の中だからこそ思わぬことが起きることがある。
暗い夜道で足元の土が崩れたかと思うと、速太の体は崖の上から転がり落ちた。
「……っつっ! 」
地面にたたきつけられた速太は左足首に激痛がはしるのを感じた。ひねった? いやこの感覚はもっとひどい。触る手が痛みとともにぬるりとしたいやな感触を運んできた。
”どのようなことがあっても、生きて知らせをもたらすのが細作の使命ぞ……! ”
いくさに出ているおやじ殿の声が頭に響く。その声に促され立って歩こうにも、足の痛みがそうはさせない。次第に兵たちの声が近づいてくる。
「こんなところにいやがった。……まだガキじゃねぇか」
目の前にたいまつと兵士の顔が落ちてきた。赤々としたたいまつの火に照らされた男の顔はいかつく、速太を恐ろしがらせるには十分だった。
「このあたりのガキが迷子になったんじゃねぇのか? 」
そうです、迷子なんです……と言おうとして言えなくなっている自分に速太は気がついた。口をパクパクさせるだけで、恐怖でひりついた喉の奥から声が出てこない。
「バカだなぁ。そいつが敵の手の者かどうかは関係ねぇ。敵の手の者にしないと俺たちがヤバいんだろうが」
「そうか。確かにそうだったな」
「それじゃあ、このガキが余計なことを話せないようにしなけりゃならんな」
突然速太の腹に足が飛んできた。その勢いで横に速太の体が飛んだ。息がつまっているところへ他の兵たちもやってくる。
「腕や足の二、三本も折っとけ。こんなガキなら、運んでも逃げられるよりは楽だろう」
「そうだな」
恐ろしげなことを淡々と男たちは話し、今にもへし折られようとしたその時。
「いてっ! 」
頭につぶてでも当たったのか、速太を捕まえた男は空いた手で頭を押さえると周りを見回した。そしてその顔にしだいに驚きの表情が浮かぶのを速太は見ていた。
「な……なんだ、こりゃあ! 」
いつのまにか速太たちを取り囲むようにたいまつの輪が作られ、それを手にした男たちが高台から速太を見下ろしている。その装束はバラバラで統一こそしていないが、その屈強そうな体つきからそれぞれが一騎当千のつわものであることが見てとれる。
速太は激痛の中、昔父にこのあたりは城主も手を焼く山賊の一味の住処であることを聞いたことを思い出した。
「どこの者かは問わん」
取り囲んだ山賊の一人が口を開いた。
「ここは”白虎の親分”の縄張りだ。このまま山を降りればよし、さもなくば生命の保証はない」
「降りる道を教えてくれるっていうんなら降りてもいい」
ぐったりとして動けなくなった速太を肩に担いで兵士が言った。
「ちょうど道に迷ってたところだ。ささ、案内してくれ」
「そいつはおいてゆけ」
一歩を踏み出した兵士たちに、間髪を入れずに山賊から声が飛んだ。
「この山のものは石ころひとつにいたるまで、すべて”白虎の親分”のものだ。そいつもな。おいてゆけ」
「そうはいかん」
兵士は速太を地面に投げ落とすと、山賊たちに向きなおった。
「これがなくては俺たちは隊に帰ろうとも帰れん。なんの山賊ふぜいに指示されねばならんのだ。言うことを聞かせたくば腕づくで来い! 」
「よかろう。後悔しても知らんぞ」
速太の全身を襲う激痛の中、周りを取り囲んでいたたいまつの火が雄たけびと共に迫ってきているのがわかった。
だが速太にわかったのはそこまでで、あとは戦いの物音の中、暗闇の中に意識は遠のいていった……。
*
「……気がついたか」
速太が意識を取り戻したのは粗末な小屋の中だった。
夜が明けたのかまだなのか、それすらもわからないぐらい薄暗い小屋の中、板張りの床に敷かれた薄い布団に速太は寝かされていた。
意識が戻ったとたん体中に激痛が走った。特に左足。この痛みからしてしばらくは走れない。それなら歩いてでも知らせを届けるのが細作の務め。
体を起こそうとして、速太は視線の届かない足もとの方、左右、頭の上に多数の人の気配があるのに気がついた。
そうだ、あの時山賊たちに襲われて……。するとここは、山賊の根城だろうか。
「白虎の親分、ガキが気が付きやしたぜ」
誰かの言った一言で無数の視線が自分ともう一人に注がれるのがわかった。
もう一人。
速太の左側にいたのは他のところとは違って2,3人ほど、しかもその中心の人物に皆の目は集まっていた。
速太痛みをこらえてそちらへ首を回した。
白い。
薄暗い小屋の中、そこだけが白く浮き上がった。
”虎だ。虎がいる! ”
一瞬獣のように見えたその姿は、速太の目が薄暗がりになれるにしたがって人の姿を取り始めた。
そう、それは確かに人だった。まず目立ったのは肩までのびた白髪。そしてまだらに生えたあごのひげも白。半分ボロになりつつある着物も薄汚れているとはいえこの薄暗がりでは白に見える。
外に出している腕は一本しかないが、もう片方は着物ふくらみからして中に入れているのではなく、そもそもないのだろう。片膝をついている足の倒している方も足首から先がないように見える。
それだけならただの流民に見えないこともないが、その瞳が! 薄暗がりの中速太を見据えるその目がらんらんと光り、それによってその体すべてが獣のように見えてくる。そう、虎のように。
「……何を持っている」
ふと、虎がうなったのかと思ったが、よくよく聞けばそれは人の言葉だった。白虎の親分と呼ばれる目の前の男が自分に話しかけてきたのだと速太がそれを理解するには少し時間がかかった。
「ただの村の子供があれだけの兵に追われるとは思えん。貴様……何者だ? 」
「し……知らない……。おいら、道に、迷って……」
それだけ言うのに体がきしむほど痛い。あそこから助けて手当てまでしてくれた人たちにウソを言うのは心苦しいが、速太には百合城の人々の命がかかっていた。
「親分、着物の襟にこんなものが入っていやしたぜ」
足元で誰かがそう言うのを聞いて速太ははっとした。そういえば着物が取り換えられている! 今まで着ていた着物の襟には大切な書状が縫い付けてあったというのに!
寝がえりをうとうとすると体に激痛がはしる。それでも速太は体をねじって腹ばいになり、”親分”と呼ばれる者に手を伸ばした。
「か、返して! それには、それには、百合城の人たちの命がかかっているんだ! 」
「ゆり……城? 」
書状を開いて目を落とそうとしていた”白虎の親分”は、速太の言葉にふと動きを止めた。
「襲われているんだ! 援軍がいるんだ! その書状を厳水様の陣に届けなきゃいけないんだ! こうしている間にもさゆり様やゆり江様、月之丞様の、いや、城のみんなの命が危ないんだ! お願いだ! お金なら城さえ救われたらいくらでも出す! だからどうかそれを……! 」
親分ににじり寄る速太を山賊たちが馬乗りになって止めにくる。それでも手を伸ばし、せめてもと声の限りに叫んだ。
すると。
”白虎の親分”の体が小刻みに揺れた。
その震えが次第に大きくなり、書状を取り落とし、ゆっくりと一本しかない腕で頭を抱えると、小さなうめき声はどんどん大きくなり小屋中を震わせるほとなり……。
「親分! どうなすったんです! 」
「親分! 」
山賊たちが親分もとに駆け寄る中、一人取り残された速太は身動き一つできないままその光景を見つめていた……。