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5、いくさは気楽にやらなくては



「またしくじりおったのか! 」


 本陣に戻った兎之介を待っていたのは、伝兵衛の怒鳴り声だった。


「いや、あの、その、女どもがどうにも強情で、私めが道理を懇切丁寧に言い聞かせてやりましたものを、愚かな頭では理解できぬようで……」

「それで降伏させられねば同じことであろうが」


 伝兵衛は兎之介を無視するかのように立ち上がると、かなたの百合城をにらみつけた。


「女どもめ、よくも言いたい放題言ってくれたものよ。そこまで言うならばやってやろうではないか」


 伝兵衛は陣内に置かれた卓に近づき、その上に広げられたこの付近一帯の地図を見下ろした。地図の上では百合城のまわりに配置された兵士たちが十重二十重と取り囲んでいる状況が一目で見てとれた。


「実際にいくさが始まってから後悔しても遅い。矢の飛び交う中で降伏の言上でも考えるがいいわ」


 陣内に伝兵衛の高笑いが響き渡った。



 ……机上の空論とはよく言ったもので、地図上の包囲網が完成することは結局最後までなかった。というのも、練度が低く士気も低い兵たちの中には、おくれるどころかいくさが終わるまでたどり着けなかったものも少なくなかったのだ。

 開戦時までには伝兵衛もつぎはぎ状態でなんとか陣を仕上げたのだが、その手薄さに百合城の女どもは、


「ほんとにこんなんで城攻めする気なのかい? 」


と呆れていたという話が伝わっている。

 それでも無理やりにあげた士気で、今まさに戦端は開かれようとしていた。


「弓と矢は行きわたったか! 」

「おう! 」

「では鐘の合図とともに矢を打ちこめ! 」


 侍大将の掛け声とともに、戦端を開く鏑矢が弓につがえられてゆく。侍たちは弓を引き絞り、鐘の合図を今や遅しと待ちかまえる。そこへ。


「侍大将どの、侍大将どの」


 声をかけてきたのは人数あわせのため連れられてきていた老人たちだった。


「……なんだ」

「わしらはこのような弓、強すぎて引けません」

「何ぃ?! 」


 確かに強弓を手にしているのはやせ細った枯れ木のような老人たち。引くのも難しいだろうが、今は城攻めの時である。


「これから城攻めをするのだぞ? これくらい強い弓でなくては届かんではないか」

「そうは言われましても矢が打てませんが」


 まわりにいた農民たちもそうだそうだと相槌をうちはじめた。人員あわせのため連れてこられた者たちなのが見てとれる。


「いかがしましょうか……」


 配下の侍に伺いをたてられ、侍大将は苦り切った表情で答えた。


「やむをえん。石でも投げさせるほかあるまい」


 こうして弓矢部隊のほかに石投げ部隊が誕生したわけだが、これはこの隊だけのことではなかったらしい。

 というのも、侍大将の命令のもと石つぶて用の石を確保しようとしたときには、すでに城の周りのあらかたの石はほかの部隊に取られていた状態であったもので。


「……いかがなさいますか? 」

「……やむをえん。弓が使えぬ者の半数を石拾いに行かせろ」


 こうして初戦から城に飛んでくる弓や石の数は予想より大幅に少なくなることとなったのであった。


                *


 開戦の合図の鐘が戦場に響き渡る。

 次々と鏑矢が城に向かって打ち放たれる。

 ……その矢が城まで届かずに力尽きて落ちるのは、もうなんといっていいものやら。

 やっと一本、なんとか城まで飛んできたとでもいうような矢が、城壁上のかすみの顔面を捉えた。それを余裕で片手でつかみ取り、かすみは鼻で笑い飛ばした。


「なっさけねぇなぁ。本気で城攻めやってんのかね。しょうがない。あたしが見本を見せてやるさ。……ちょっと、そこの弓をおくれ」

「え? こんな強い弓をですか? 」


 城に居残っていた男衆が二人がかりで運んできた弓を、かすみはちょっと弦をはじいて笑みを浮かべた。


「うん、いい強さだ」


 残っていた者たちでは強すぎて誰も引けずに置きっぱなしになっていたのだろう。それをかすみはギリギリと引き絞り、満月のごとくにしたかと思うと一気に矢を放った。

 ヒョウと飛んでいった矢はまっすぐに敵陣へと突き進み、寄せ手の弓兵の引き手を見事に射抜いた。


「おお、なんと見事な」


 城の者たちの称賛の中、かすみだけが不満そうに顔をゆがめた。


「あっちゃ~。見事喉もとでも射抜いてやろうと思っていたのに、悪いことしちまったな。まぁ、いいや。これであの御仁もヘタな矢を打てとは言われなくなるだろう」

「これっ! 」


 突然かけられた大声に、かすみは思わず首をすくめた。聞き覚えのある声に恐る恐る振り返ってみると、向こうから様子を見ていたらしい痩身の老人がのしのしとやってきているではないか。


「何を言うておるのだ、何を! 」

「……父上。城壁までおいでになるとは思いませなんだが。昨今は腰の具合もよくないのですから、城内で差配でもなさいませと申し上げたではありませんか」

「わしの目をごまかそうとしても無駄じゃぞ、かすみ」


 そう言ってかすみの傍らに立ち相手を見上げた姿はこじんまりしてはいるものの迫力に富み、確かに体は小さいもののかすみの父、作之進であると感じられる。


「自らの過ちを言い訳するとは情けない。それゆえ女子は戦場に出るものではないといわれるのだ。合田家の者として出てまいるのならばそれなりの態度を示してもらわねば困る! 」

「さすれば父上、ぜひ合田家当主としてお手本をお見せください」

「うむ、是非もない」


 娘から手渡された強弓を臆することもなくぎりぎりと引き絞り、作之進は攻め寄る敵に向かって矢を放った。

 ……が、よる年波には勝てないのか、突然の突風に矢はあおられ逸れて逸れて……近くの木の茂みの中へと吸い込まれていった。これは……と思うのもつかの間、いきなり「ぎゃあ」と声がしたかと思うと、そこに潜んでいたらしい敵兵が高い枝から落ちていった。


「さすが父上。隠れていた射手をみこしての一射、感服いたしました」


 ぬけぬけというかすみに作之進は額に汗をかきながらもこう言ってのけた。


「う、うむ。そなたも精進するように」


                     *


「重ねて言うが」


 前より眉間にしわを寄せた顔で伝兵衛が言った。


「わしらには時間がないのだ」

「存じております」


 陣幕内にて悪人面の二人が顔を寄せ合い話す図は、あまり絵にならない。


「いつまでも悠長に矢を射かけておるわけにもいかんのだ! 」

「恐れながら、石も投げております」


 じろりと伝兵衛に睨まれ、さすがに口が滑ったのに気がついたのか兎之介は身を縮こまらせた。


「わしが言っておるのは、もっと女どもが震えあがるよう、直接的な攻めが必要ということじゃ」

「はぁ……たとえばいかような……? 」

「ここじゃ」


 伝兵衛は手にした鞭で、城の平面図の一点を指し示した。


「ここが一番攻めやすく、また本丸にも近い。この塀を乗り越え、女どもの肝を冷やしてやるのだ」

「まともに城攻めをするとなりますと、生半可な兵ではこちらの損害も多くなりますが……」

「わかっておる。わしの手勢と雇いの兵を主力とせよ」

「殿、その雇いの兵のことでございますが……」


 二人の会話に口をはさんだのは、伝兵衛の家臣の中でも金の出入りを担当している者だった。


「兵糧を集めるための思わぬ出費により、雇いの兵への支払いが難しくなっておりまして……」

「やむを得んだろう。払ってやれ。わしがなんとかする。……おお、それからの」


 家臣の報告に苦虫をつぶしたような顔で返事をしていた伝兵衛は、何を思ったのか邪悪な笑みを顔中に広がらせた。


「奥方二人以外の城内の女どもは報酬としてくれてやると申し渡しておけ」

「よろしいので? 」

「かまわん」


 兎之介にそう答えると、伝兵衛は語りかけるかのような調子で続けた。


「謀反の城にこもっておった者どもをいかにしようとこちらの勝手。熊岸、これが戦国の世の習いというものよ」


 陣内には伝兵衛の高笑いがしばらく続いていた……。


                         *


 次の日からいくさの内容は一変した。

 今までの仕方なくいくさに来ていた人々とは違い、まっとうな武士によるまっとうな戦いが繰り広げられることとなったのである。まさにこのときから本当のいくさが始まったと言っても過言ではないだろう。

 雇われたらしい荒くれ武者たちが塀際まで攻めよせる。

 ひゅんと投げられたかぎ縄が塀にかけられ、兵たちがわらわらとよじ登ってくる。


「ちょい待ち……も少し……よし、切れ! 」


 かすみの合図で壁上から守りの兵が顔を出し、一斉に縄が断たれる。上りかけていた兵は下の兵を巻き添えにして次々と落ちてゆく。

 再び上ろうと投げられるかぎ縄と、それを守ろうと飛んでくる矢が次々と雲霞のごとく襲ってくる。


「ええい、しつっこい! 」


 かすみは矢をかわしつつ、射手を射抜いてゆく。次々と撃ち手は倒れていくものの、飛んでくる矢の量の変化は少ない。


「矢の補充はあるのかい? すぐになくなるよ! 」

「ご心配なさいますな」


 額に鉢巻襷がけもきりりと鮮やかな風情のお蔦が、周りの者に指示を出しつつ答えた。


「前々より殿が年貢を出せぬ者に代わりにおさめさせてきた矢と投石用の石、蔵の中に唸ってございます。ご存分にお撃ちなさいませ」

「はっ、ありがたいねぇ」


 かすみの横にも弓を手にする女たちが立ち、雨のように矢を降らせてゆく。米がまだ満足にとれていなかった時代から、女たちが猟に出るのも珍しいことではなかったため、弓を撃てる者が多数いたのが幸いした。寄せ手にとっては不幸だったろうが。


「かすみどの! お手伝いいたします! 」


 皆に矢や投石を配る者たちに混じって、そうかすみに声をかけてきたのは若君付きの小姓二人組だった。かすみは修羅場のさなか声をかけてきた二人を振りかえり、ちょっと笑った。


「ありがたいけど遠慮しとくよ。坊主どもは若君を守ってな」

「その若君の命です」

「なんだって? 」


 飛んでくる矢を避けるためかがみながら、かすみは二人の顔をまじまじと見なおした。

 戦いを間近に感じて硬い表情の鷹丸と、興奮して顔を真っ赤にしている大次郎は、まっすぐにかすみの顔を見つめていた。


「若君が仰せになるには”自分は体も弱く戦うことができぬ。せめてそなたらだけでも母上たちをお助けするように”と」

「それで謹慎がとけて一番にここに来たんだ。戦わせてくれ」


 二人の言葉を聞いたかすみは感に堪えぬとでも言うように深いため息をつくと、ニッと笑った。


「……いい男だねぇ。よっし、手伝っとくれ。……お蔦さん! こいつらも頼むよ! 」

「頼まれました。ささ、こちらへ」


 鷹丸と大次郎が連れて行かれたのは塀際の攻防の主力となっていた女たちの部隊で、ちょうど母親ぐらいの歳である彼らからひやかしとも励ましとも聞こえる言葉が二人になげかけられた。


「まぁ、かわいらしい男衆が来なすったこと」

「さぁさ、これで皆張り合いができたってもんだろ? 一人たりとも城壁に取り付かせるんじゃあないよ! 」


 年のわりには黄色い声で返事が返ってきたのは、やはり年少とはいえ男衆がきたせいかもしれない。

 お蔦にわりあてられたのはそれぞれ塀際を任されている女衆に、投下用の木やら石やらその他もろもろを届ける役目で、元々体の大きい大次郎ならまだしもまだ体のできていない鷹丸は顔を真っ赤にしながらも皆に荷物を届けていった。


「よしよし、しっかりがんばっておくれよ! 」

「あんたらも投げるかい? しっかり相手を見据えて投げるんだよ」


 二人をかまうことで手が留守になっている女房たちに、お蔦の注意が飛んだ。


「さぁ、手伝いの方も入ったことだし、下の方々を休ませないようにね」

「はいよ! 」


 そうとは知らず城壁に取り付こうとしていた兵たちは、落ちてくるものの種類の多さに驚いたことだろう。石はおろか、木や、時には砂まで落ちてくるので目に入ったときには大変なこととなる。


「お、お蔦どの、あの……」

「言われたもの用意したけど、これって……」


 小姓二人が重そうに持ってきたものを一目見て、お蔦はあでやかに笑った。


「よく持ってきてくださいました。……皆、下の方々にたっぷりごちそうなさい! 」


 攻撃側の兵たちは一瞬の反撃の空白を絶好の好機と考えたらしい。


「とうとう力尽きたか。今だ、かかれ! 」


 縄がかけられ、人々がとりつき、次々とよじ登り、あと少しで頂上に手がかかると思ったその時。

 壁にかかっていた縄が一斉に切られ、兵たちはもんどりうって下に落ちてゆく。そこへ大柄杓があらわれ、その中から何か茶色い液体を下の者たちに振りかけてゆく。


「こ、肥えだ! 」

「臭い! 」

「目にしみる! 」


 これには寄せ手もたまらなかったらしい。臭いにおいを振りまきながら、ほうほうのていで走り去った。


「よい働きでした、皆の衆」


 極上の笑みで言ったお蔦はいたずらっぽく付け加えた。


「来年の夏にはあのあたり、肥料のかいあって、さぞかしよい笹ゆりが咲くでしょうね」


               *


「あなたを信じたわけではないのよ」


 城の奥の一室、外の喧騒もあまり入らぬ場所で、準備を進めていた総次はもう何度目になるかわからないその言葉に苦笑をもらした。


「はいはい、あんたを連れ帰ってきた俺をお方様がお許しになったんでこうしていられるってんだよな」

「そうよ。あなたの一挙一投足はすべて私が見ているものと思いなさい」

「こんな美女に見つめてもらえるなんて、なんて幸運なんでしょ」

「……うるさい。ちゃかすな」


 広げられた品々は潜入用の小道具なのだろうか。今や細作の一人となっている総次とともにお柳は働くこととなっていた。

 あの日危機に陥ったお柳を助けて城に入った総次は、再びこの城で働きたいと二人のお方様たちに訴えた。その結果がこれなのであれば少しは誠意を認めてもらえたということだろうか。誠意……そんなものがあれば、だが。


「ここ二、三日戦いは膠着しているわ。……予定通りね」

「ああ、だが向こうは短期決戦を望んでいる。何が別の手を考えてくるだろう」

「もぐりこめるかしら」

「そろそろ何かしないと兵たちが黙っていないだろう。今日にもあると思うね」


 おそらく敵陣に持ち込むのであろう品物を次々とつづらにしまいこみ、準備をすすめる彼らの姿を遠くから見つめる人影があった。その人影たちは何やら相談していたようだが、意を決したかのように近づくと声をかけてきた。


「あのぉ……お話があるんですけどぉ……」

「どこまでできるかわかんないんですけど~」

「あたしたちにお手伝いさせてくださいっ! 」


 お柳と総次は目を丸くして彼らを見た。

 それはお方様付きの侍女三人娘で、ほんわかした笑顔と、きゃぴきゃぴした物言いと、両手に握りこぶし固めた姿という三者三様ながらも力の入った態度は、三人が本気であることの証拠に見えた。


「……あのね、お方様がたのお世話も大切なのよ? なんせあのお二方に万一何かあったら即私たちの負けになるのですもの」

「それでもみんなが危険な目にあってるのに、あたしたちだけぬくぬくと奥にいるなんて耐えられませ~ん」

「大次郎だって戦ってるってのに、私たちにだってできることぐらいあるはずですっ! 」

「なんでもしますぅ。やらせてくださぁい」

「だからって……」

「まぁまぁ。ここはひとつ、俺に任せてくんないかな」


 押し問答ぎみのお柳をにこやかに押しのけて三人のほうに向きなおったとき、総次の顔はおちゃらけたところが一つもない冷徹な表情へと変わっていた。


「おれたちの仕事は遊びじゃ、ない」


 その口調と表情に今までのめり込んでいたお松・お竹・お梅は一気にその顔をひきつらせた。


「細作の仕事を危険の少ない楽な仕事とでも思ったか? まさか。敵陣深くかいくぐり、正体がばれたら命はない。本陣に報告できなきゃ、死んだともわからぬまま姿を消す。若いお嬢ができる仕事じゃ、ない」

「……あのぉ、お柳さんができるのはぁ、やっぱり若くないからなんですかぁ? 」


 お松の言葉にお柳の顔はひきつり、残りの侍女たちは顔を見合せて噴き出した。


「任務に必要なだけは若いって」


 配慮ともいえないような慰めを言う総次だったが、何事か思いついたのか三人に向きなおり、低い声で囁いた。


「……どうしてもと言うなら……やってもらわなくもない」

「総次! 」


 お柳が抗議の声をあげたが、かまわず続けられた総次の言葉に三侍女は耳目を奪われた。


「戦いが始まって三日目。こっちもふんばって膠着状態が続いている。だが、いつまでもこのままのはずがない。時間がないのは向こうの方なんだからな。必ず新手を出してくる。それを知らなくては、この城に勝ち目は、ない」


 いつもは勝気なお竹たちが生唾を飲み込んだところに、総次は追い打ちをかけた。


「これは重大な任務だ。バレたら自分たちはおろか城のみんなすら危ない。何があろうと俺たちの指示に従ってもらう。最悪の場合にはお前たちを見捨てることだってありうる。それでも……やるか? 」


 三人はお互い顔を見合せていたが、そのうちにうなづきあい、声をそろえて言った。


「……やります! 」


                       *


「さぁ~~~、みなさん! プァア~~~っといきまっしょぉ~~! 」


 決意と共にやってきた乙女三人を待っていたのものは、敵陣まっただ中での宴会だった。夜は更けてかがり火がたかれているというものの、それでも攻撃中の城を目の前にしての酒盛りはなかなか衝撃的なものがあるわけで。


「お柳さ~ん。これ、いったいどうなってんですか~? 」


 半ば泣きそうになりながらお梅が尋ねると、兵へのお酌の手を止めてお柳は嫣然と笑った。


「どうって、酒盛りじゃあないか。一日の戦いの疲れを酒で癒すのさ。どこの戦場でもやってること。だからあたしらみたいな酒盛女がやってきてるんだろう? ……すみませんねぇ、新入りなんですよ」

「いやいや、なかなかウブでかわいらしいのぉ」


 デレデレに笑いながらお酌をしてもらっているのはどうみても野良仕事帰りのおっさんにしか見えず、事実敵兵の半分ぐらいはそのような者が多かった。それがお柳・総次に限らず、どこからかやってきた飯売りや酌婦とともにどんちゃん騒ぎを繰り広げている。


「な……なによっ! 命がけで戦いに行ってると思ってたから家で無事を祈ってたってのにっ! 戦場でこんなのやってるなんてっ、やってるなんてっ! 」

「そそ、命がけだからこそ息抜きも必要ってね」


  城で踊っていた時とは違い太鼓もちの扮装であるらしい総次にはあの格好よさはみじんもなく、げじげじ眉にだんごっ鼻、ご丁寧にも歯っ欠けにして全身で笑いをとっている。


「よっ、兄さんいい男だねぃ。あちらこちらで泣かせてる娘でもおありなんでやんしょ? もぉこの、にくいねっ」

「いやぁ、そうでもないよ」

「とか言ってまんざらでもないんでやんしょ? お持ちのモン、かなりのものとお見受けいたしましたぜ? いっやぁ~、あやかりたいわぁ~。こぉの女殺しっ」

「あ、あの総次さんがぁ……」


 脳内の美しくかっこよかった総次の像がガラガラと音をたてて崩れていったのか、三侍女はいつまでも呆然と立ち尽くして動けずにいた。そこへ当の本人がささっと近づいて囁いた。


「……あのなぁ、おべんちゃらの一つも言えねぇで河原もん、やってられるわけねぇだろ? ほらほら、お客さんがお待ちかねだよ。盛り上げて盛り上げて」

「……はぁ~い」


 お松お竹お梅がしぶしぶながらそれぞれの持ち場へ行くのを目の端で追いながら、お柳は口の端で薄く笑った。


「ねぇちゃん、どしたね? こっちにも注いでおくれ」

「ああ、すみません。……いえね、あそこにいる変な風体の人たちがなんか気になったもんですから……」


 そういってお柳が指し示したのは、この宴でも端のほうに固まっている妙な一団だった。

 正規の兵にしては姿かたちが雑然としており、妙に統率も取れていない。このいくさのために徴発されてきた農民にしてはその表情がかなり荒んでいる。臨時に雇った流れ武士や傭兵にしては手持ちの武器防具の手入れがずさんに見える。あの一団はいったい……。


「ああ、なんかお偉いさんがどっかから連れてきた連中だよ。確か、赤澤連山のほうから来たとか言ってたな。……なんだい? ねぇさん、ああいうのに興味があんのかい? 」

「いやですよぉ、あんな薄気味悪いのなんか。あたしゃこっちの気風のいい兄さんたちのほうが、こ・の・み」

「え? そおかい~? 」


 ……赤澤連山……鉄の鉱脈が豊富で沢が赤く染まるとまで言われたところ……あの風体と考え合わせるに、おそらく彼らは山師。山を掘って鉱脈や水脈を探り出す集団。このあたりで金銀が掘れるわけもない。いくさが長引きそうだから井戸掘り? まさか。すると次に敵のうってくる手は……。

 お柳の瞳を総次がとらえた。お柳がうなづくのを見て総次も少しずつ行動を始める。


「ほ~ら! いっちゃえいっちゃえ、どんどんどんどん! 」

「わぁ、おじさんすごぉい! そんけいしちゃうわぁ」

「ほら、こんなぐらいで潰れないのっ! 男なら飲むっ! 」


 すでにいっぱしの宴会要員と活躍中のお松お竹お梅のもとにすっと近寄ると、素早く総次はささやいた。


「逃げるぞ」

「逃げるんですかぁ? 」

「今いっちばんい~とこなんですけど~」

「だいたい盛り上げろって言ったのはそっちじゃないですかっ」

「ぼやぼやしてると着物ひっぺがされて押し倒されっぞ」


 もうそれからの三人娘の行動は速い早い。雲を霞と消え去ってしまったとさ。


                      *


 その夜、月はなかった。

 それは出立の様子からして異様といえた。鎧などを着込んでいるのは数名、残りはクワやもっこなどの道具を肩に担いで野良仕事にでも行くようだ。むろんこのように目つきの悪い、深夜に働く農夫がいればの話だが。

 一言もなく歩いて行く一団は、百合城のある山の反対側へと向かっていた。

 長が懐から出した地図を侍が覗き込む。


「間違いないか? 」

「間違いありませぬ」


 地図に書き込まれていたのはこの付近の井戸の場所。それが一つ一つ線で結ばれている。

 目的地はそこから山の斜面にむかったところ、木が生い茂りあまり地肌も見えないところだった。一人一人が藪をかきわけて入っていくと……そこにぽっかりと坑道が空いているではないか! この様子では掘り始めたのは昨日今日の話ではなさそうだ。


「いつ出るのだ」

「もうしばらくです。お待ちを」

「もうずいぶん深いではないか」

「水脈を絶ち、城内の井戸を枯らそうというのです。深くもなりましょう。……ああ、その横木にお触りにならなぬよう」


 話の途中で長は、坑道中の横木にもたれかかろうとしていた侍に声をかけた。


「なぜだ」

「それはこの仕事が終わった後、この坑道を始末するとき使うものです。そうでなくてもこの山は土の関係上、横穴の掘りにくい状態になっております。この穴がつぶれればもはや後はない。そうお心得ください」

「なるほど。……それはいいことを聞いた」


 妙なことを口走ったのは、よりかかろうとした侍のそばにいた人足。それがその侍と見かわしてひとつうなづくと、それぞれほおかむりと深い陣笠を投げ捨てた。

 そこにいたのはまさしく演舞流総次と合田かすみ。女武者はニヤリと笑うと手の関節を鳴らして見せた。


「な、何者だ、お前ら! 」

「この所業を止めにきた者さ。かすみ殿、存分になされよ! 」

「心得たっ! 」


 他の人足や侍たちが止める間もあればこそ。かすみは例の横木を両手でガシッとつかむと、そのまま一気に引き抜いた!


「うぉおおおおりゃっ! 」


 右往左往する人足や侍の上に容赦なく土砂が降り注ぐ!


「逃げろ! 撤退だ! 」


 今更ながらの侍大将の声に皆が命からがら穴を抜けだしたころにはあの二人の姿はすでになく、今まで慎重に掘り進めてきていた横穴もきれいさっぱりと消えていた。

 こうして、攻城側による「井戸枯らし作戦」は露と消えたのであった。



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