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四、いくさは戦いだけじゃない



 その日、岩田伝兵衛が率いて黒烏城より出た兵の数は一万にも及ぶとものの本には記されている。……がこの数、少々あやしい。

  なんといってもその時期は厳水がいくさで他出のころの話だ。ほとんど兵が出払っている時に一万もの数が集められるはずもない。伝兵衛の子飼いの兵に領地の民兵、それにいくさと聞けば雇われる野武士たちを加えたとしても、おそらく二千も満たなかったことだろう。


「ことは早急に終わらせねばならん」

「そのとうりにございます」


 馬上にて伝兵衛と兎之介は言葉をかわした。


「厳水様にことにかかわられては面倒なことになる。ぜひともお帰りになる前に、月之丞君の名のもとにすべてを終わらせねばならんのだ」

「よく存じております」

「……まぁ女どもも、まさか実際に兵をだすとは思ってもみなかったことであろう。軍で城を取り囲み、矢の一本や二本打ち込めば、恐れ入って降伏するに違いない」

「まさにそのとおり」

「……しかしその眉、なんとかならなかったのか」


 伝兵衛に言われて兎之介は心底情けなさそうな顔をした。兎之介の目の上ではそられた眉の代わりに、平安貴族のようなぼんぼり眉が書かれていた。


「……拙者このたびは、そられた眉の仇を討つ所存」

「……まぁ、がんばるがいい……」


                      *


”正規の兵が五百……雇われ野武士が三百……あとはかき集めた農民……それも練度は著しく低い……”


 山の陰、地に這いつくばって様子をうかがうのはお柳だった。

 眼下の街道を通ってゆくのは伝兵衛の軍……のはずだった。その内情はその名に比べてあまりにもお粗末ではあったが。

 兵らしい兵は伝兵衛の配下の者と雇った野武士たちまで。それ以外のかき集めた連中はほとんど着のみ着のまま。一部だけでも武具を体に付けていればいい方。しかも戦える人間がすでに戦場に行ったあとに集められているので、ほとんど老人と子供のみ……。


”……まぁ、それは百合城も変わらないが……”


 それでもその戦意については百合城とは雲泥の差といえるだろう。野武士たちの一団などの中には、声高に「女どもと戦っても自慢にならんぜ」と言い立てる者もあり……。


「何者だ! 」


 突然兵から声が飛んだ。詳しく調べようとして近づきすぎたか。お柳は脱兎の如く逃げ出した。


「待て! 間者か! 」


 頬を掠め飛ぶ矢。追い来る荒くれ兵たち。

 それでなくとも不利な女の身をよく知っている地理を利用することで補ってはいるものの、それもどこまでもつか。

 息が続かない。足がもつれる。倒れたお柳のもとへ兵たちが殺到する。

 その時だった。

 荒々しい足音とおもに土煙をあげ、一頭の荒馬が両者の間に割り込んできた。そしてその馬上の男が兵士たちに何か投げつけたかと思うと、それは大量の煙を発して文字通り相手を煙に巻いた。


「お、追えっ! 」

「見、見えん! 」


 曲者がお柳を馬上に抱えあげ立ち去るのを、かろうじて追った兵士たちが二人を見失うのも時間の問題だった。


「やれやれ。あんた、やっぱり細作に向いちゃいないよ」


 馬上で意識を取り戻したお柳は、その声に振り向いた。

 しっかりとお柳の体をささえていたのは、先日城から追い出したばかりの総次だった。


「……なぜ助けた? 」

「助けないでいてほしかったのか? 」

「そういうことを聞いているんじゃない! こっちは一度お前を殺そうとした人間だろうが。なぜ助けた」

「やれやれ。そんなこともわからないのか、お嬢ちゃん」


 馬上で体を抱きかかえられ、お柳の顎が持ち上げられ、総次の口元がお柳のそれに近づいて……。


「……雇って? 」

「……はぁ? 」


 呆然とするお柳にむかって総次は上機嫌に続けた。


「もぉ、このごろ踊りじゃうまく稼げなくってぇ~。俺、時々いくさ場で忍びのまねごとしてたこともあるしぃ~、ここでちょ~っと稼いでおかないと後々つらくってぇ~。ねぇ、雇って雇って雇ってぇ~~」


 予想外の言葉に頭痛でもしてきたのか、お柳は頭を抱えたままどんどん体が沈んできた。


「……降りる」

「させないよん」


 言い方はしゃれのめしているものの体をしっかり抱えられ、とてもお柳は動けそうにない。それどころか馬首を巡らせて兵たちの方へ向けようとする。


「雇ってくんないなら、またあそこへ戻っちゃお~かな~」

「や、やめろっ! とりあえず城には連れていくっ! だからやめろっ! 」

「そうこなくては」


 ニヤリと笑うと総次は再び馬首を巡らし、百合城へと駆け抜けていった。


「相変わらず見事なものだ、演舞流総次……」


 今だ右往左往する兵士たちを見下ろす高台にいた一人の僧侶がつぶやいた。黒い袈裟と深い編み傘をかぶったその姿に気がつく者はだれ一人としていなかった。


「では、その手並みを見せてもらおうか。私もなすべきことをなさねばならん……」


                       *


 百合城討伐軍が黒烏城を出てから陣を敷くまでにかかったのはそれほど遅い日数でもなかった。途中急がせた伝兵衛の意志の表れといえるだろう。

 百合城眼下に敷かれた伝兵衛の軍の陣はそれはそれはみごとなもので、本人は後世まで手本となるだろうと内心自負していたらしい。

 だがその予感に浮かべられていた伝兵衛の笑みも、次々に入る知らせに曇っていくこととなる。


「何? 付近の民の姿がない? 」


 さくさくと布陣を進めていく中もたらされた知らせに、伝兵衛は眉をひそめた。


「はっ。おそらく城からの呼びかけに従い、百合城に入ったものと思われます」

「……家に貯えられた米もか? 」

「はっ、同様に持ち出したものと」

「まずいな」


 家臣の知らせに伝兵衛の顔が曇った。


「この陣での兵糧はこのあたりの農民どもから取り上げてやろうと思っていたものを、それができんとは」

「すでにわが軍の兵糧は残り少なくなっておりますが」

「わかっておる」


 伝兵衛は渋い顔をさらに渋くして言った。


「街道筋で運んでいる商人どもから買い集めるしかあるまい」

「それでは、かなりがめつい奴らに足元を見られて、かなりの金子をとられることになりかねませんが」

「わかっておるわ。早く終わればいいのじゃ、早くな」


 なんとか案件を片付けて家臣を送り出した伝兵衛のもとに次にやってきた者もまた、頭痛のタネを持ってくることとなった。


「兵士たちの指揮の乱れが著しく、最後尾の到着が大幅に遅れそうなのですが……」

「……どのくらいだ」

「最後尾の軍が陣に入るのが早く見積もって五日後、さらに遅れることもありうるかと」


 伝兵衛は口の中でうなった。

 そもそもいくさで兵を送り出した後、ろくな人材が残っていなかったところからひねり出した兵たちであるので、練度が著しく低い。指揮系統がまともでないのは気がついていたが、団体行動すらろくにできないとは。


「……わかった。とりあえずは到着した兵から使うようにしよう。くれぐれもこのことは百合城には知られるな」

「はっ」


 ……と頭を下げる配下を見ながらも、とっくにこのことは知られているだろうということは容易に予想できた。

 とにかく弱り目に祟り目な報告が続く。このへんで終わってほしいという願いもむなしく、一番頭を抱える報告を持ってきたのは兎之介だった。


「岩田様、岩田様。御存じでいらっしゃいますか、陣中のウワサ」


 戦甲冑を身につけた兎之介は、普通ならまだ見られた格好であったろうが、例のぼんぼり眉のせいで妙に珍妙な格好に見える。


「騒々しい奴だ。何事だというのだ」

「”このいくさは百合城の正室に横恋慕して肘鉄を食らった岩田様が、ごり押しして兵をあげたのだ”という噂が陣中に広まっております」


 聞いた途端に床几の上から伝兵衛の姿が消えた、転がり落ちたので。


「……嘘ではございませんよなぁ? 」

「確認するなっ! 」


 兎之介に引っ張り上げられながら伝兵衛はそうわめいた。


「ただその分だけ、配下の兵や野武士、かき集めた農民どもの間に、なんともうしましょうか、やる気のなさが見え隠れしておるようですが」

「おのれ百合城の奴ら、なんと卑怯な。合戦ではかなわぬとみて、かような流言をまき散らしておくとは! 」

「ですが、嘘ではございませんよなぁ? 」

「だから確認するなと言うに! 」


 なんとか落着きを取り戻した伝兵衛は、床几の上で兎之介を見据えた。


「……とにかく我らには時間がない。ことは早急に終わらせねばならん」

「御意」

「足りん兵糧は買い集めろ。遅れておる者どもはおいてゆけ。戦いたがらん者どもの尻をひっぱたいてでもこのいくさ、勝たねばならん」

「まさにそのとおりで」

「……そなた、自らの汚名、そそぎたくはないか? 」

「汚名? 拙者にさようなものがございましたかな? 」


 兎之介の返答に頭を抱えながら、うめくように伝兵衛は答えてやった。


「……貴様が百合城への使者をやりそこなったから、このような事態になったのであろうがっ! 」

「なるほど、そのような見方もできますなぁ」

「……名誉ある先陣の言葉争いを貴様にまかせると言っておるのだ。せいぜい女子どもを震え上がらせて来い。それに貴様の出来によっては、噂に惑わされておる味方の士気もあがることもあるだろうしの」

「……ですが、嘘ではございませんよなぁ」

「いいから行って来いっ! 」


                         *


「百合城の女どもに物申す! 」


 大音声高らかに兎之介の声が響き渡ったのは百合城の堅く閉ざされた門前で、日も真上近くに上ろうというころだった。


「もはや城は十重二十重に囲まれ、飛ぶ鳥をもってしても逃げることはできん。かくなる上は速やかに門を開き、岩田様のお慈悲にすがるが得策と考えるがいかに! 」


 城の城壁の上からぴょこぴょこぴょこと若い女の顔が三つのぞいている。様子を見にきた三侍女たちのようだ。


「まっ、言葉だけは立派よねっ」

「聞く人によってはものすごぉいお侍さまと間違えてしまうかもねぇ」

「ゆり江様にでもお伝えしてきたほうがいいかしらん」

「いや、いいよ。あたしにやらせとくれ。こういうの、嫌いじゃないしさ」


 三人を押しのけて城壁上に姿をあらわしたのは、武者姿のかすみだった。物持ちのいい獅子脅しの鎧に、額には黄金造りの鉢金、そこからあふれんばかりの黒髪が流れおちている。

 相手の声に負けじと大きく息を吸ったかすみは、何かに気がついたのか少し声をひそめて尋ねた。


「……あんた、その眉どったの? 」

「うるさい! 」


 怒鳴り声を返した兎之介にニヤリと笑ってから、かすみは今度こそ声高らかに言葉を返した。


「やぁやぁ、自らに課せられた天罰を逆恨みし、わが城のせいにするとは男の風上にもおけぬ惰弱者よ! 天の守護厚き我らが白百合の方に弓引かんというのなら、我らにも意地があり申す。女子供老いたるものにかなわず逃げ帰ったと名を汚したくなくば、速やかに軍を返されぃ! それがわからぬ愚か者でもあるまい! 」


 かすみの言葉に百合城側の歓声と拍手が加わり、兎之介は顔をゆがませた。


「かよわき女子供に怪我をさせるは心苦しいゆえ、こうして勧告しておる。意地を張って痛い目を見るは賢い方法ではないぞ。わが兵士どもの中には女子を黙らせるには寝屋に連れてゆくしかないとさえ言う者もおる。彼奴らを鎮めるためにも女主がまず首を垂れるが得策であろう! 」

「バカめが! 己が軍をまとめきれぬを自慢してどうする。女子供と侮られるならまず一戦交え、己の考えが正しいか確かめてみればよかろう! そう、帰って伝兵衛に伝えな! 」

「うぬぬぬぬ……」


 ここにいたって遠目からでもわかるほど顔を真っ赤にした兎之介は、手にした鞭をつきつけた。


「伝兵衛とはなんだ! 口を慎め! 」

「……伝兵衛は伝兵衛じゃないよねぇ」

「様とか苗字で呼んであげる義理、ないも~ん」

「それじゃなにっ? よこしまスケベ爺のほうがいいってゆーのっ? 」


 口さがのない三侍女に口々に言われてもはや兎之介の堪忍袋の緒も切れたらしい。


「おのれ! 吠え面かくなよ! 」


 もはや知性も何も感じられない捨て台詞を吐くと、馬に鞭をあて一目散に陣へと逃げ帰っていった。そんな兎之介を見送り、かすみは三侍女たちにため息まじりにつぶやいた。


「……まったく、言葉争いの役にも立たぬ御仁よな」


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