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三、戦いの予感



 不穏なうわさは街道沿いにやってきた。

 百合城支配下の宿場を通る旅人が、黒烏城の動静を切れ切れに伝えてきたのだ。


”百合城に謀反の疑いありとして”


”百合城接収のため”


”軍勢がやってくるのだ”……と。


                  *


 兎之介の失態が判明してからの伝兵衛の行動はすばやかった。まるでこの日のことがわかっていたかのように。


「相手が天狗であろうがなんであろうが、支配下の土地で瀬渉丸様の使者に危害が加えられたことは必定。

それを防ごうとしなんだは、百合城の怠慢。

いやそれどころか、かような事態あるをわざと見過ごしたは、百合城による瀬渉丸様ひいては坂田家への反逆と言ってもよろしかろう。

先ほどの事件への弁明もなく、それどころか反抗的な言をよこしたこともあわせて考えれば……」


 伝兵衛はそう前置きしたあとで老臣たちにダメ押しとでもいうかのように言い渡した。


「”百合城、謀反”、と考えてよろしいかと」

「いや、だが、それは……」

「たしかに従順とは言い難いが……」

「すでに一度釈明の機会は与えた。それを拒否した否は向こうにある。百合城は元々坂田家が持ち城を奥西氏に管理させたのが始まり。否があった以上、それを返していただくは当然でありましょう」

「そんな無茶な。たしかにかつてはそうであっても、今は奥西殿の持ち城も同然……」

「だまらっしゃい! 」


 伝兵衛に一喝され、老臣たちの口は一瞬にして閉じた。それをねめまわして伝兵衛はいってのけた。


「ことは国の内々のこと。時をかけて他国に付け込まれてもなりますまい。厳水様がお帰りになる前にこの一件、終わらせねば我々一同きついお叱りがあるものでしょう。

いかがですかな。

この百合城引き渡し、この岩田伝兵衛におまかせいただけませんか。責任を持ってこの一件、早やかに終わらせて見せますが」

「……そこまでいうなら……やってみよ」

「ははっ! 」


 平伏した伝兵衛の顔に邪な笑みが浮かんでいたことはいうまでもないだろう。


                     *


 お柳ら百合城配下の細作の者たちが入手したこの話は、すぐさま二人の百合の方に伝えられた。


「……なるほど。そうきたか」


 一見冷静にそう答えたゆり江とは対称的に、さゆりの顔色は見る間に失われていった。


「わ……私が……御使者様への配慮を怠ったばかりに……」

「義姉上」


 落ち着かせるように、もしくはたしなめるように、ゆり江はゆっくりとさゆりの手をとった。


「これは謀略です」

「謀……略? 」

「そもそもあの使者が来たときから、こうなることはしくまれていたのです。わたくしへの疑いも、兄上の留守中にこの城を奪い取らんとするはかりごとの一つだったのでしょう」

「政近様のいないうちに、城を、とられる……」

「とらせるものですか」


 そうぴしゃりと言い放つと、立ち上がって遠くの空を見た。


「ここまで乱暴なやり口を厳水様がご存じとも思えません。あれでも兄上は厳水様の覚えはよいのですからね。つまりこれはお互いに厳水様の耳に届くまでの勝負ということでしょう」


 そういうとゆり江はもう一度、茫然自失といった感のさゆりのそばに座りなおしその手をとった。


「早急に厳水様への使者をたたせましょう。そしてその沙汰が来るまで、この城を明け渡すわけにはまいりません。軍勢を仕立てて相手が来るというなら、こちらも戦となろうとも抵抗してみせるまで。……義姉上、よろしゅうございますね? 」

「そ……そうですわね。非もなく一方的に城を奪われたとあっては政近様に顔向けができませんものね」


 ゆり江は口元だけに笑みを浮かべてうなづいてみせると、部屋の戸口まで出て家臣たちに呼びかけた。


「誰ぞある! これより百合城は籠城に入る! 」


 城内が騒がしくなる中、取り残されたさゆりはふと溜息をついた。


「……どうなさいました、さゆり様? 」


 知らせを二人に取り次いだお竹がそう尋ねると、さゆりは少し苦笑しているかのような笑みを見せた。


「……やはりゆり江様はすごいお方ですね。わたくしにはとても太刀打ちできません。私、やはりこの城の正室など、分不相応だったのかもしれません」

「なっ……何言ってるんですっ、お方様っ! 」

「わたくしはどうしてもゆり江様のようにてきぱきとはできませんもの……」

「いいんですっ! 」


 お竹はその名のようにきっぱりすっぱり言ってのけた。


「世の中の女子がみな、ゆり江様みたいになったら世の男どもが立ち行かないんですからっ! 」


 あとには目を丸くしたさゆり一人が取り残された。


                     *


 城内の騒ぎは、まだこの城の奥までは届いていない。

 締め切られた障子、積み上げられた布団、時々聞こえるせきの音。

 月之丞の部屋では、一時は元気を取り戻していた部屋の主が、また体調を崩して横になっていた。

 小姓二人がいないのは、先に若君を連れ出して出歩いたことがわかってしまったのか、それ以外の理由なのか定かではない。ただそこには、親子二人の空間があった。


「……城を出なさい、月之丞」


 水にひたした布を絞り、息子の額に戻しながらゆり江が言った。


「どうころんでも城内が騒がしくなることには違いはない。鷹丸、大次郎の二人をつけるゆえ、静かな場所に移って養生するがいい。北禅寺の豪南和尚のところがいい。あの方ならば軍勢に取り囲まれたとて、お前を引き渡すようなことはなさるまい。少しでも熱がひいたら出立の準備を……」


 そういって席を立とうとするゆり江の手を、小さな手がひしとつかんだ。


「……ないで」


 熱にうなされ部屋に一人に残されるのが心細いのだと思ったのだろう、ゆり江は力づけるかのように微笑んだ。


「母には皆の命を守るため、やらなくてはならないことがあります。お前の移動のこともあるし……」

「……いかせないで」


 今度ははっきりと聞こえたわが子の声に、ゆり江はまじまじとその顔を見た。熱で赤くなった頬にうるむ瞳をひしと母に向け、月之丞は懇願した。


「皆がここで戦っているのに、母上は月之丞に一人のうのうと寝ていろというのですか。命惜しさに城を逃げ出したといわれなくてはならないのですか、母上」


 苦しい息の下から半ば身を起し、月之丞はか細い声で叫ぶように言った。


「母上に皆に”篠崎の嫡男は腰ぬけものよ”といわせたいのですか! 」


 病身の息子を見つめるゆり江は、その言葉に月之丞を抱きしめた。力の限り抱きしめたまましばらく無言でいたが、相手を元の布団に戻した時には見た目にはゆり江は平静さを取り戻しているかのように見えた。


「……月之丞。母と共にあるということは、命の保証はないということですよ」

「はい」

「……わかりました。お前はここで、体を治しなさい」


 母の言葉によって月之丞の顔に浮かんだ笑顔を、ゆり江はまぶしいものでも見るかのように見つめていた。


                     *


 城内の大広間に二人の百合の方をはじめ、城内の主だったものが集められたのはその日も夕方のことだった。主だったもの、といっても城主がいくさで城を離れている今、残されているのは女子どもと老人のみで、ここに集められたのも半数以上が女たちである。

 ゆり江は滔々と事の次第を語り、厳水のもとへ知らせを送り沙汰があるまで籠城することを皆に告げた。


「これはわれらが意地の問題じゃ。戦いたくない者は今のうちに城から出るがいい」


 何か言い出す者、騒ぎ出す者がいるだろうとゆり江は思っていた。しかし実際にはわめくどころか何かつぶやく者さえなく、しばらくはお互いの顔を見回すだけであった。

 そしてそのうち、その視線が一人に集まると、皆の意を受けるかのようにその老女が口を開いた。


「ゆり江様、それはあまりにも情けのうございます」


 代表として思いを託されたのは、城に長年使えて奥勤めの女たちをまとめてきたお蔦だった。長い下ろした髪には一筋の黒髪もなく、流れるような銀髪に包まれた顔にはいく年もの年輪は刻まれていたものの、それを超えてあまりある精力もまた見てとれた。


「我ら城仕えの者だけではございません。御領地の一人一人にいたるまで奥西様のご恩は身にしみております。特に政近様にはどれほど助けていただいたことか」


 お蔦の言葉に周りの者たちがうなづいた。


「交通の要所といわれながらもまともに米も取れずに、わざわざ高い金を出して買わなくてはならなかったものを」

「そうとも。今の城主様が土地の改良や作物のことをお調べになられてからどれほど変わったことか」

「今、わしらが人並みに暮らしてゆけるのは政近様のおかげじゃて」


 皆の言葉が一通り出そろうと、お蔦は百合の方二人に向きなおり、深々と頭を下げた。


「ご恩あるご城主様の留守中に、濡れ衣によって城を奪われたとあっては、我ら一同の恥にもなります。どうかともにここにいさせてくださいませ」


 その言葉にあわせるように広間に集まった人々が次々と頭を下げていった。さゆりは感極まった思いを抱いているのか、今にも涙がこぼれそうな瞳でゆり江を見つめていた。


「ものを育てるのが兄上の道楽じゃ。作物であれ、人であれのう……」


 おもはゆいような笑みを浮かべてさゆりを見た後、一同を見渡してゆり江は言った。


「あいわかった。兄上や厳水様のもとへ知らせが届くまでの一時の間のことだけじゃ。みな、存分に働くがいい」


 ゆり江の言葉に広間中が歓声で包まれた。


               *


 さゆりの下、城は籠城戦の支度でわきかえっていた。そのごったがえすかのような喧噪の中、ゆり江はお柳を伴って別室に向かっていた。


「……正規の使者をたてて、それが届くとは考えがたい」


 部屋に入るなりゆり江がそう語るのを、お柳は障子を閉めながら聞いた。


「伝令として残してあった三名をそれぞれ別の道より戦場へ向かわせるつもりでいるが、それ以外にも方法を確保しておきたい。細作の手の者で使える者がいるか? 」

「……」


 お柳の一族は昔から旅から旅を繰り返し、各地で情報を集めそれを売りつけることを生業としてきた。父の代から奥西家に仕えはじめ、今も各地に潜伏している者を除いたほとんどの者が戦場で政近につき従っている。それゆえ今、城にいる者でまともに働ける者は少ない。


「……私以外で、ということでございますか? 」

「そうよな。戦いが始まったとなれば、相手の手の内を探れる者が一人いれば助かる。お前以外に走れる者がいないとあればこの案は捨てよう」

「お待ちください」


 頭の中をすばやく回転させながら、お柳は一人の者の顔を思い浮かべていた。だがそれはまだ幼くも思え……いや、今がその時なのかもしれない。


「……速太にゆかせましょう」

「速太? それはお柳の家の下の……」

「弟にございます。まだ若輩であはありますが、さればこそ相手の目をかいくぐることもできるかと」

「わかった。他の三名とあわせて書状を用意するゆえ、そなたからよく申し聞かせてやってくれ」

「御意」

「それからいくさの間中、手に入った知らせは私と義姉上のもとに知らせてもらおう。何かと動いてもらわねばならぬことも出てくるかもしれん」

「はい」

「……すまぬな」


 ゆり江の意外な言葉に、お柳ははっと顔をあげた。ゆり江の顔には憐れみを帯びた愁いの表情があらわれていた。


「兄上は、まわりのことに聡いくせに朴念仁でもあったゆえ何も気づいてはおらなんだが、私は知っておった。……辛かったであろう? 」

「いいえ」


 お柳はきっぱりとかぶりを振ってこたえた。……が、そのあとには何も答えることができず、ただその面を伏せた。


「これからさらにつらい役目を申し渡さねばならぬかもしれぬ。ゆえに今一度だけ聞く。私と義姉上のために働いてくれるか? 」

「……お二人は私の主でございます。御命令を」


 まっすぐゆり江を見据えるお柳の目に迷いはみつからなかったろう。ゆり江は深くうなづいた。


                *


「この首、すっぱり切って持ってってください」


 広間での協議の場に姿を現していなかったかすみが、二人の百合の方の前に現れたのはその日の夜のことだった。

 白の小袖と脚絆を着こみ、二人の前にどっかと胡坐をかいたかすみは、自分の死を話しているわりにはさっぱりとした口調でそう語った。


「親父殿に、この事態を引き起こした責任をとって謹慎しろといわれたのですがね、一人こもっているなんてあたしの性分に合いませんや。それならすべての責任をとってこのそっ首とられた方がよっぽど気が楽だ。あ、なんなら首謀者として黒烏城に送ってくださるんでしたら、伝兵衛と兎之介の首ぐらいとってみせますよ? 」

「え? な、なにをおっしゃるのです、かすみ様……」


 事態をのみこめずうろたえるさゆりとは対称的に、ゆり江は静かに言った。


「何をしたのか、言ってごらんなさい」


 それからかすみは自分の所業をざっくばらんに話し始めた。使者として来た兎之介にさゆりが侮辱されたのにとてつもなく腹を立てたこと。このまま帰したのでは百合城の面目が立たないと思ったこと。そこで天狗の名を借りて、森で待ち伏せして兎之介をこらしめたこと……。

 事態をのみこんださゆりの顔は見る間に真っ青になった。


「わたくし……わたくしのせいだったのですね……」

「そりゃ違う、お方様! 」

「違います、義姉上」


 はじかれたように抗議の声をあげた二人をさゆりは見た。


「あたしが勝手にやったんですよ、お方様! もしもお方様に罪があるってんなら、人に好かれることが罪ってことになっちまう」

「そうですとも義姉上」


 かすみの言を受けてゆり江はさゆりの手をとった。


「私とてどれほど義姉上に感謝していることか。月之丞を育てるのに義姉上がなにかれとなく助けてくださったこと、忘れたことはありません」

「みんな、お方様のことが好きなだけです。それをご自分のせいだなんて思っちゃあいけません」


 二人の言葉にさゆりの目からしずくが落ちた。そんな場の雰囲気をまるで意にも解さないような調子であっけらかんとかすみは続けた。


「だからあたしの首一つでことがおさまるなら安いもんだ。すっぱり切ってくださいな」

「い、いけません! 」


 色めき立つさゆりに対し、ゆり江は冷厳ともいえるまなざしでかすみを見つめた。


「……まったく、いつまで寝ぼけたことを言っているのやら」

「いや、あたしは本気で……! 」

「お前のおらぬ間に城では満場一致で籠城が決まったのじゃ。この城一つで軍勢あいてに戦い抜かねばならん。その危急の時に戦える人材を減らせとでも言うのか、お主は」

「……え? 」


 思いもよらなかった言葉に驚いているかのように見つめ返すかすみも意に介さぬかのようにゆり江は言葉をつづけた。


「おのれひとりが罪をかぶればそれで済むとでも思ったのであろう。まったく、今日なぜ鷹丸と大次郎がおらぬと思っておるのじゃ。とうに”天狗の天誅騒ぎ”なぞ私の耳に入っておるわ。いざというときにはあの二人にも働いてもらわねばならんというのに、それまで減らせというのはお主は。

 少しでもやましい気持ちがあるというなら、攻め手の軍勢相手に少しでも働きを見せぬか、この愚か者め」


 決して強くはないもののひとつひとつ身を打つような言葉の響きをかすみは目を丸くして聞いていたが、その中にあるものに気がついたのか次第にその顔に満面の笑みが浮かび始めた。


「はいっ! 全力をもって働かせていただきます! 」


 そして思いきりかすみの頭が二人の主に向かって下げられた。


                 *


「あのぉ……城内にいる他国の方には出ていただくことになっていた……んですよねぇ? 」


 次の日の朝から、城は混乱の中にあった。攻め手の来る前にすべての準備を整えなくてはならない。水や米の確保はもちろんのこと、武器、矢などの数も揃っているか確かめなくてはならない。

 そんな中、侍女たちが困ったような顔でゆり江のもとへとやってきた。


「そうじゃ、無関係のものを留め置いて、愚か者のそしりは受けたくない。早々に城を出るよう、そう申したのかえ? 」

「言ったんですっ。でも総次さん、聞いてくれないんですよっ」

「総次? 」


 ゆり江の問いに答えるかのように、どこからか謡が聞こえてきた。


     踊れや踊れ    そなたとわたし

     この浮世にて   めぐり逢うたも 味な縁

     引いて引かれて  柳ばた

     ともに想いの   果つるまで……


 そしてやんやの大喝采。

 城の門内の広場には十人ほどの人々が一人を取り囲んで座っている。その視線の先にいるのは……男? 女?

 流れるような着こなしの着物はあでやかで、女のものか遊び人の男が着るものか判別がつかない。前の合わせは男のものだが、その物腰がやたらと色っぽい。頭にすっぽりと小袖をかぶり、顔の右半面が出ている時は美しい女性に、左半面の時は粋な若衆の踊りを踊っている。ただ一人の体で踊る連れ舞に、見物人たちは引き込まれていた。

 謡が終わり舞い納め、踊り手が一礼すると見物人から拍手がおこった。


「いやぁ、みごとなもんだ」

「ほんとうに、二人いるとしか思えないねぇ」


 口ぐちに言われる賞賛の声に、色っぽい半面を見せながら踊り手はふっと笑った。


「男女二人にて連れ舞するが本流なれど、なんせ私ひとりの一座ゆえ、両方やらねばならぬのですわいなぁ」

「総次さ~ん! 黒百合の方がお呼びですよ~! 」


 遠くから投げかけられたお梅の声に踊り手の言葉が止まった。はらりと小袖を落として相手を見る。そして半面男結いで半面女様の妙な顔でニッと笑った。


                       *


「演舞流総次にございます」


 衣服、顔形を整えて二人の百合の方の前に現れたのは、先ほどの妖艶な色気などきれいさっぱり失った、さわやかな好漢といった風情の男だった。


「すでに聞いておると思うが、ゆえあってこの城はこれより籠城戦に入る」

「存じております。でければお力添えいたしたく」

「力添え? 何ができると? 」


 ゆり江のいぶかしげな問いにニッコリと笑うと、すがすがしい面持ちで話し始めた。


「上は天文、下は地理、この世のおよその学問を修め、武芸においても人に譲ることなし。世のすべてのこと、第一人者とはなれずとも、総じて次にはくるものと自負しております。どうぞお役立てください」

「お心はありがたいのですけども……」


 困ったようにさゆりが言った。


「これは若君と我らとの問題なのです。他国の方を巻き込んだとあってはわたくしどもの大義も立ちません。申し訳ありませんが、ここは退いていただけませんか」

「お言葉ではございますが、お方様」


 誠実そうな顔でかけられたさゆりの言葉をさわやかな笑顔でさらりとかわして、総次はさらに言いつのった。


「おそらく攻め手も人手が足りぬ時期。他国の者や流れ者などを金で雇ってくることもありましょう。当方だけ意地にかかわっているのは、阿呆といえると思いますが」

「それでけっこう」


 ぴしゃりとゆり江が言い放った。


「たとえ利口でなかろうと、理はわれらにあると内外に知らせねばならぬ。そのためには少しでもそれを減らすような行動をするわけにはいかぬ。出て行かぬというなら……このいくさ終わるまで、城内の奥の奥にて滞在していただくことになるがよろしいか? 」

「軟禁……いや、監禁ということですね」


 淡い微笑に苦さをにじませて、総次は言った。


「それはこちらとしても御免こうむりたいところ。……城を出るといたしましょう。お世話になりました」

「よかろう。支度が出来たら言うがよい。確実に出て行ったか確かめさせていただく。……お柳、頼みますよ」


 部屋の隅で一礼するお柳に、総次は驚いたかのように眉をあげ、次いで苦笑を見せた。


                    *


「ここから街道沿いの宿場まではそう遠くないでしょう」


 そっけない口調でお柳がそう言ったのは、小高い丘の上だった。下り道の先に少し見えるのが街道なのだろう。


「……お昼までには着けぬかもしれませんね。よろしかったらこれをお持ちください」


 差し出されたのは竹皮に包まれた握り飯だった。ふっくらとした米のひかり具合からして先ほど握られたばかりなのだろう。


「これはこれは……ありがたいことで。これもお方様がたからのご指示で? 」

「……いや、私の意思だ」

「ほう……。あんた、細作に向いてないね」


 握り飯を受け取りがてら何気なくそう言った相手に向かい、お柳の懐から刃が走った。

 飛びのく二人の手にはどこからか刃が握られ、その足元に握り飯がこぼれおちた。

 対峙する二人がにらみ合う中、握り飯を狙ってきた雀が一、二回つついたかと思うと、飛びもせずにその場に転がった。


「あんたもあそこの奥方様たちもそうだが正直すぎるな。まともに城を守り切れんのかい? 」

「……お前が口をつぐめば可能性は高い」

「こっちもいろいろ修羅場くぐってるんでね。なんとか逃げ延びさせてもらう! 」


 体のバネを使って突進してきた総次にお柳は身構えた。

 だが次の瞬間、視界を何かが覆った。狼狽するお柳の耳元で男が口吸いの音を立てる。


「……やっぱりあんた、向いてないって」


 思いきりふるった短剣は宙を切り、男の気配は消えた。

 お柳は目を覆っていた手拭いを取ると、重々しくため息をついた。




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