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二、呪われしもの?



 さて、世に言う「戦国の覇者」とはいったい誰のことであろうか。聞けば即座に五、六人の名があげられることだろう。

 しかしその当時その地方での覇者というならば、万人が万人「坂田厳水」と答えたに違いない。

 一代で地侍から身を起し下剋上の世を渡り歩き、五十の坂にかかろうとする今、四方の郷や国を従え巨大な城に住まうこの武将に、表だって楯つこうという恐れ知らずの者がとうていいるとは思えない。

 されど実際は乱世の例にもれず国境のいざこざは絶えず起こり、厳水自ら軍を率いてゆくことも珍しいことではなかった。

 漆黒の壁に包まれた厳水の居城、「黒烏城」。厳水が留守であるその時、その主は嫡男である瀬渉丸君であった。

 ……時は五、六日ほどさかのぼる。黒烏城は朝霧の中にあった。それまでの主の留守中と同じく、その朝もなんの変りもなく静かにあけていった……一人をのぞいては。

 瀬渉丸の寝所から聞こえる低いうめき声に気がついたのは、その夜の晩をしていた小姓だった。


「もし? 」


 もしや突然の病苦に苦しんでいるのでは、とためらいがちの問いかけに返ってきたのは途切れることのない苦しげな若君の声だけだった。


「失礼! 」


 控えの間から飛び込んだ彼は、一瞬目を疑った。

 若き主の上に浮かぶのは、恨めしげな女の姿。白く透き通る顔がこちらを見ているかと思ううちに、すうっと消えていった。しばらく茫然としていた小姓だったが、主の無事が気にかかった。


「瀬渉丸様! 瀬渉丸様! 」


 ゆさぶり起こされた少年はしばらく天井を凝視していたが、見慣れた信頼できる者の顔を認めて大きくため息をついた。


「すまない……うなされていたようだ」

「大丈夫でございますか? お加減もすぐれぬようですが……」


 心配する家来の言葉に、ますます憂鬱の色が瀬渉丸の顔に広がった。


「今まで言わずにいたが、ここ五、六日ほど体もだるく疲れがひどい。夜になれば得体の知れぬものが夢に現れ、先日などは昼日中にそのものたちの姿を見たように思うこともあった」

「なぜお申し付けくださいませんでした! もしや悪疫の前触れかもしれぬではないですか! すぐ奥医師に見せましょう」


 瀬渉丸はよわよわしい笑みを見せてかぶりを振った。


「奥医師は日々の務めとして私の体をみているよ。それでも何の障りもないと言っておる。さすればこれは、ひとえに私の心の弱さゆえ……」


 小姓は日々城内で言われる若君の風評を思い出した。

”厳水様のお世継は母御の腹の中に猛々しさを忘れてこられたようなお方。この乱世を生き抜けるや否や……”

 確かに今度のことが表沙汰になれば、それみたことかとはやし立てる者も多かろう。それを気に病んで耐えていた主に、彼は不憫さを感じた。


「とりあえず、もう一度すべてを打ち明けたうえで奥医師に診ていただきましょう。人の子なれば、見逃していたこともあるやもしれません」

 瀬渉丸は不承不承うなづいた。


               *


「ご健康体ですな。何の障りもありません」

「ないはずがあるものか! 現に若君は苦しんでおられるのだぞ! 」

「……やめよ。もうよい」


 ものすごい剣幕で奥医師に詰め寄る小姓に、瀬渉丸は物憂く声をかけた。


「しかし瀬渉丸様! 」

「つまりそういうことだ。そう責めるな」


 寛容な若君の言葉に感銘でもうけたのであろうか。奥医師の体が震えだし、声を絞り出すようにささやいた。


「……も、もうしわけございません……」

「謝ることはない。そなたは勤めを果たしているだけのことだ」


 謝罪をさえぎって言い渡す瀬渉丸にさらに医師が何事か言い募ろうとした時、寝所の外から何者かが声をかけた。


「何者か」

「岩田伝兵衛にございます。朝のご挨拶に伺いましてございます」

「今は若君は……」


 小姓が止めようとする間もあればこそ、すぐさま障子が開け放たれ伝兵衛が寝所に押し入ってきた。

 背は小柄ながら赤ら顔、小太りの体はよくいえば貫禄があるように見えなくもないが、あまり人に好印象をもたれるものではないそのひねたような目つきであたりをジロジロと見まわした。


「お邪魔でございましたかな、若君。御機嫌がすぐれぬとか」

「……いや、大丈夫だ。この程度で参っていては父上に叱られるであろう」

「その通りでございます。さすが若君様」


 ニヤニヤ笑いながらお追従を言ったあと、伝兵衛は横目で奥医師をにらんだ。


「ならばもはやこの者に用はございませんな。下がるがいい」


 伝兵衛の言葉に奥医師は恐縮したかのように頭を下げ、そそくさと寝所を後にした。ことここにいたっては、いくら重臣といえども我慢しかねたのだろう。小姓は勇気を振り絞るかのように反論した。


「岩田殿! 貴殿が指図することではないであろう! 現に若君はお加減がよいとは言えん。これはきっと何かの病気の前兆に違いないのだ」

「ほほう。どのようなご様子なのですかな? 」


 小姓による症状の説明に聞き入っていた伝兵衛の顔はだんだん考え込むようになり、「宙に浮かぶ女の顔」のくだりで重々しくうなづいた。


「似たような話を聞いたことがありますな」

「何、岩田殿はご存じなので? 」

「どこぞの城主がやはり体の不調を申したのち悪夢・幻覚にうなされ、しばらくしてのち亡くなったとか。後ほど調べてみたところ、先年滅ぼした一族の生き残りの者の呪いのせいと判明したよし……」

「……呪い? 」


 瀬渉丸はおびえるような眼差しで伝兵衛を見た。


「もしもそれと同じ呪殺法を用いたのなら、何者かがこの寝所に呪具を持ち込んでいるはず。一刻も早くそれを探し出し、焼き滅ぼさねば若君の命はないかと……」


 まだ年若い後継ぎは深くうなづき、その言葉にすがるように家来だちに寝所の捜索を命じた。

 家臣のうちで「呪殺」うんぬんの話を信じたのはほんの少数であったろう。なにせ名高い黒烏城の奥も奥、若君の寝所に入り込むことなどできはしないのだから。だが、その自信も一人の家来が妙なものを発見するにおよんで崩れることとなる。


「岩田様。このようなものが出てまいりましたが」


 差し出されたのは木彫りの人形で、それには瀬渉丸の名が刻まれ、頭と胸にはそれぞれ太い釘がうちこまれていた。


「これはおそらく呪殺用の形代に違いあるまい。そなた、これをどこから見つけた」

「はい。百合城に住まう”黒百合の方”から献上された、早咲きの笹ゆりのいけばなからでございます」

「何? 百合城とな? 」


                *


 百合城の名はその城のある山、百合山に由来する。

 山には笹ゆりが一面に生い茂り、初夏にはあたり一面百合の香りでむせかえるほどだという。

 百合山は領地の中でも要所に位置し、その近辺は貧しいながらも他国が攻め入ろうとすれば必ず攻略せねばならぬという要の地でもある。

 しかも今、百合城には”百合”の名を持つ二人の奥方が住んでいる。

 一人は百合城城主、奥西政近の妻である”白百合の方”ことさゆり。そしてもう一人が城主の妹にして坂田厳水の妾腹の長男、篠崎武虎の未亡人である”黒百合の方”ことゆり江である。

 このゆり江という女人はその美しさもさることながら、博識な知識、才気、胆力および妖しげなたたずまいをもってしても知られていた。

 いったい誰がこの女人を妻にめとるのかと一時期は口さがのない連中の話のタネになったものだったが、荒武者として知られた武虎と祝言を挙げたときには「まさに”鬼神の女房は鬼女”とはよくいったもの」と騒がれたほどだ。

 その武虎も先の戦いで攻城戦中に爆風に巻き込まれ行方知れずとなり、今は息子ともども実家の百合城に戻っている。

 そう、彼女には息子がいた。厳水にとっては孫にあたる息子が。瀬渉丸が死んだならばならば、もはや厳水の後継ぎは彼女の息子、月之丞しか存在しないのだ……。


                  *


「だが、あの女人がはたしてそのようなことがするであろうか」


 伝兵衛の報告に、留守居役の老臣たちは難色を示した。


「わしはゆり江殿の亡き父上も存じ上げておるし、あの者も幼き頃より見知っておる。確かにあの者はただの女人というにはずば抜けておる。兄の勉学を横で聞いて一度でわかり、上は天文下は地理、軍学の基礎にいたるまでを習得し、かの父君から”お主が男であったならば最強の軍師となったものを”とまで言わしめたことも存じておる。

しかし、息子可愛さに人を呪うほど愚かなことをするようにはとても思えん。そもそも夫婦そろって地位や権力に恋々とするような者どもではなかった。そなたの見込み違いではあるまいか」

「されどもご老体」


 重臣の中では若輩ではあるものの、一歩もひかずに伝兵衛は言った。


「問題の献上品は活けられたままで送られ、若君の寝所に置かれてからはまったく手も触れられておりません。これは百合城の者が例のものを置いたとしか考えようがない。

それに所詮は女のいたすこと。病弱な息子のために愚かになったと言えなくもありますまい」

「そうであったとしても、即ゆり江殿の仕業と決めつけるのはいかがなものか。厳水様の留守の折ゆえ、お帰りを待って御裁可をいただくのがよいのではなかろうか」

「ではそれまで若君のお命が狙われるままにせよ、とおおせか? 」

「いやそういうわけでは」

「それならば」


 老臣たちをやりこめてから伝兵衛は、口元に策士めいた笑みを浮かべた。


「ことの真相をあきらかにするべく、瀬渉丸様の名において詰問の使者を送るというのではいかがですかな? その出方によってこちらも対応を考えるというのは? 」

「ううむ、しかし……」

「たとえゆり江殿が無関係であったとしても、犯人に対するけん制ともなりましょう。それでよろしゅうございますな、瀬渉丸様」


 うなる老臣たちに目もくれず、伝兵衛は瀬渉丸を振りかえった。若き主は精いっぱい威厳を保とうと努力するかのようにうなづいた。


「よかろう、そうするがいい」

「ははっ、ありがとうございます。使者には私めに心当たりの者がございます。万事おまかせください」


 大げさに平伏した伝兵衛の頬に、悪意に満ちた笑みが浮かぶのに気づいたものは一人としていなかった……。


               *


「岩田様。御首尾はいかがで? 」


 一段落がつき、庭を歩いている伝兵衛に声をかけてきたものがいる。伝兵衛がいぶかしげに振り向くと、先ほど呪具を見つけ出した家臣がそこにいた。伝兵衛はちらと笑うとまたいかめしい顔つきに戻った。


「うまくいっておるに決まっているだろう。貴様がヘマをやらなければな、熊岸」

「何をおっしゃいますやら」


 熊岸は顔面に卑屈な笑みを浮かべた。


「不肖熊岸兎之介、岩田様のために身を粉にして働いておりますのに。部屋を探すと称して、持ちこんだ呪具を発見して見せた手際はご覧になられたでありましょうに」

「その際、例の幻燈は持ちだせたであろうな」


 難しい顔の伝兵衛の問いに兎之介は一瞬きょとんとした顔をしてから、意を得たかのように大きくうなづいた。


「ああ、あの女の幽霊を映して見せた幻燈ですな。もちろんでございますとも。あの一件で”呪い”も信憑性が増したのでございますからなぁ。……しかし」


 ここで兎之介はあたりを見回し、さらに声をひそめてたずねた。


「あの、奥医師、大丈夫なのでございましょうな? 若君に薬を盛っていたことの呵責に耐えかねて、われらの計画を話したりいたしませんでしょうか」

「薬を盛ったと申しても毒であるわけでもない。少々気分が悪くなり幻覚を見せるだけの代物だ。……あの時何事か打ち明けたそうな顔をしておったが、わしの一睨みに震えあがりおった。あやつの弱みを握っておるうちは大丈夫よ。それよりも」


 伝兵衛は歩みを止めて兎之介をじっと見据えた。


「詰問の使者としてそなたを推挙しておいたぞ。手筈通りあの女狐にボロを出させなくてはならん。よいか? でっちあげてでも言質をとってくるのだぞ」

「心得ておりますとも。お任せください」


 兎之介の返事も待たず、伝兵衛は宙を見据えた。その眼には虚空に浮かぶ憎き百合城の面々がうつっているのだろうか。


「わしを踏みつけにして、厳水様に気に入られておる政近め! わしをバカにしておるとどうなるか思い知らせてやるわ。覚悟するがいい! 」


 伝兵衛の悪意はその体から膨れあがり、黒い壁の黒烏城をさらにどす黒く塗り替えつつあった……。


                *


 ……百合城応接の間には、予想通り冷たい空気がながれていた。

 最初から瀬渉丸の権威をカサに着て高飛車に相手を罪に陥れようとしている兎之介と、そんなことぐらいはとっくにお見通しなゆり江との間に友好的な雰囲気が生まれるわけもなく、間にたっておろおろしているさゆりの姿も含めて、眺めている腰元たちにも心理的につらいものとなっていた。

 仕切りなおそうとでもいうのか、兎之介は必要以上にそっくりかえってゆり江を見た。


「その容疑を晴らすため、黒烏城へ出頭せよと申しておるのだ」

「そのような不用意なこと」


 ゆり江は口元に冷たい笑みをたたえて言った。


「百合城は数々の街道をにらむ防御の要。隣国の動向怪しくしかも城主不在の今、留守をあづかる者が城をあけるわけにはいきますまい」

「出頭せねば黒百合の方はおろか、城主にまで疑いがかかるぞ。それでもよいのか! 」

「うたがい? そもそもその疑いこそが変ではありませんか」


 ゆり江の瞳がすっと細くなる。厳冬並みの冷たさをたたえた視線をもろにくらって、兎之介はどんどん体を小さくしているように見える。そしてその分だけ、内に鬱屈した怒りが溜まっていくのが手に取るようにわかった。


「話を聞けば私が呪いをかけた、というよりは、何者かが私に濡れ衣を着させようとしていると思うのが自然でありましょう。私のところよりも他の場所へ行かれるべきではありませんか」

「おのれ、とぼけて罪から逃れる所存か」

「逃げも隠れもいたしません。城主の帰国がなりしだい、ともども本城へ行き申し開きする所存でおります」

「時間稼ぎも大概にせい! わしと来るのでなければ、城ぐるみの陰謀とみなすがよろしいか! 」


 ここにいたって口を出さずにはいられなくなったのだろう。二人に挟まれる形で座っていたさゆりが、兎之介にとりなすように声をかけた。


「瀬渉丸様の御威光はよくこころえております。ご意向はよくわかりましたゆえ、主とはからって必ずや本城に……」

「だまらっしゃい! 」


 ゆり江相手のいらだちがとりなそうとしたさゆりに向けられたのか。

 その場にいた者すべてがひるむような勢いで兎之介の口からさゆりへの罵倒が飛び出した。


「城の奥を預かるといいながら義妹一人説得できず、かえって詰問の使者を丸めこもうとは片はら痛いわ! そなたに城の留守をあずかれる器なぞない! そもそも身分低き身ながら正妻づらしおって、この場にいられる身分と思うておるのか! たしかそなた、以前岩田様よりもったいなくも側室としてお声がかりがあったそうではないか。それをきくのが身のためであったものを、身の程知らずにも詮議に口を出すとは! 嫁して五年もたつというに後継ぎひとつこしらえられぬとは、産まず女ならばそれなりの身の振り方でも考えるがよいわ! 」

「……熊岸殿」


 ゆり江の一言ですーっと場の空気が凍った。遠巻きにしていた腰元たちにですら感じられたのだから、ましてや間近にいた兎之介にいたってはどう感じたことだろう。


「そなた……誰に物を言いやる……」


 ゆり江から飛んだ眼差しが兎之介を凍りつかせた。


「瀬渉丸様からの御使者であらばこそ、身に覚えのない冤罪であれども丁重に扱わせていただいた。されどこの城の正室を愚弄するために来られたのであれば、我らとてそなたふぜいに身に余る対応などとりはせぬ。こちらの言い分はすでに申し渡した。これ以上おのれの身を危うくすることを口走る前に、伝言を伝えに行かれてはいかがかえ? 」

「さ、されど私は瀬渉丸様の命により……」

「くどい! 」


 黒百合の方の一喝に、兎之介は身を縮こまらせた。


「これ以上若君の名を汚す所業を続けるつもりか! 誰か! 使者殿がお帰りじゃ! 」


 ことここにいたっては、いくら兎之介といえどもその場にとどまれなかったのだろう。実に憎々しげな表情で二人の百合の方を見ると、案内の者にうながされて部屋を出て行った……。


                *


「ひっどいよねぇっ! 」

「ねぇ」


 客間から離れ、百合の方様たちからも離れると、とたんに口が軽くなるらしい。後片付けを終えて一歩館から出ると、侍女たちの口から出たのは先ほどの会見のグチだった。


「さゆり様のこと、よりにもよって”めかけ”~? 」

「どこの誰が言い出したのか知らないけどぉ、ふられたのなんて、そいつよりうちの殿様のほうがいい男だったからに決まってるのにねぇ」

「あははは、それ言えてる~」

「まったく、お二方がいらっしゃらなかったらあたし、きっとあの使者、はったおしてるわっ! 」

「すごぉい、お竹ちゃん。でも気分的にはそれ、大賛成」

「あの使者、帰りに山賊にでも襲われないかな~」

「襲われてたって、助けてなんかやんないわっ! 」

「どちらかとゆぅと、山賊のほうを応援しちゃいたいかもぉ」

「誰が誰を応援するって? 」


 三人の前に影がさす。影の持主はかすみだ。お柳との稽古はどうも終わったらしい。研ぎ終わってきれいに手入れされた薙刀を担いでぶらぶらと歩いてきたようだ。


「かすみ様ぁ! 」

「聞いてくださいよっ! 」

「今ですね~……! 」


 この話を誰かに聞いてほしかったらしい侍女たちは、重しのとれた間欠泉よろしく客間での一幕をかすみにむかってぶちまけた。……勢いあまって少々言い過ぎたところはあるようだが。


「ゆるせんなっ! 」


 長刀の柄を地面に突き立てると、取って食いそうな勢いでかすみは吠えた。


「”てめぇみたいな産まず女が正室として座ってるなんざ片腹痛い、とっととこの城から出て行け”と言いやがったのかっ! 」

「えぇと……まぁ、そんな意味だったかなぁ、と……」

「えっらそうに、何様のつもりだっ! 」

「あの~……一応、瀬渉丸様の御使者なんですけど~……」

「使者ってったって”兎の肝”の熊岸だろぉ? 岩田伝兵衛の腰ぎんちゃくじゃないかさ。うちのさゆり様にどーこー言える立場かよ」


 そして三人にぐいと顔を近づけて半ば脅すようにかすみが言った。


「なんでそん時はったおしてやんなかったのさ」

「百合の方様たちの前でそんなのやる根性ないですってばっ! 」

「ああもう、話になんないや。で、兎之介はどったの? 」


 体を元に戻したかすみにほっとしたのか、幾分か表情をやわらげてお梅が言った。


「早々にお帰りになりました」

「ちぇっ、帰る前に一言言ってくれりゃ、徹底的にどついてやれたってのに……」


 まだ気持ちがおさまらないのか手を腰に当ててあちこち見まわしていたいたかすみは、何かを見つけるとニヤリと笑った。


「おっ、あいつらは知ってるのかな。おーい、そこ行く主従三人組! 」


 かすみは遠くを横切る三人の少年を見つけると片手を振って呼び止めた。


「これはかすみ殿。……申し訳りませんが、我ら少々急いでおりまして」


 足を止めた鷹丸がそう丁寧に相手するのに、かすみは無遠慮に距離を縮めてきた。


「黒百合の方の大事だよ。若君の耳に入れないってわけにゃあいかないね」

「大次郎ぉ、本当に急用なら若君だけでも先にお送りしてもいいと思うけどぉ……? 」

「そうなんだよ、松姉ちゃん」


 お松のところの兄弟で下から数えた方が近いところにいる大次郎は、姉の言葉に安心したかのように話し始めた。


「昨夜あった若君の熱が今朝になってさがってさ、”気分晴らしに物見やぐらに登りたい”とおっしゃられたのだけど、こんなこと黒百合の方様に知られたら許していただけないだろうし、こっそり気がつかないうちにって……」

「それじゃあ何っ、あんたたち黒百合の方様の許可もなしに若君連れてったってのっ!  ばっかじゃないのっ! 」


 思わずあげたお竹の言葉に身を縮める小姓二人を見て、かすみは大口をあけて笑った。


「いいよいいよ。そりゃ男だもの、気がくさくさしてパーッと気晴らししたいことだってあらあね。……でも時間はとらせないからちょっとは聞いてくれないかな。部屋の奥で寝てるだけじゃわからないことってのはあるんだからさ」

「鷹丸、大次郎」


 か細くはあるがしっかりした声で月之丞は口をはさんだ。


「私を思ってくれる気持はわかるが、どうやら話は母上のことのようだ。それなら私もこの耳で聞きたい。」

「おっ、若君はさすがに話が早いや。実はついさっき起こったことなんですがね……」


 かすみは先ほど腰元たちから聞いた話を若君に向かってうちあけた。……少し興味をひこうと面白おかしくやりすぎたきらいはあったかもしれないが。


「そんな……。母上が瀬渉丸君暗殺の疑いをかけられ、処刑されようとしたのを止めた伯母上に、”命が惜しくば岩田殿の妾になれ”と言ったというのですか……」

「そうなんだ。一大事だろう? 」

「えと……、そういう話だったかしらん……」


 腰元たちが微妙に困惑しているのを横において、かすみはさらに若君に言いつのった。


「こいつをそのままにしておいたら百合城の名折れですよ。とはいっても仮にも瀬渉丸様の御使者を表だってどうこうすることもできない。そこでちょいとしたお仕置きをしてやろうと思っているんですが……」

「ちょっ、ちょっとかすみさんっ。ここでそんな話、若君にしちゃっていいんですかっ? 」

「いや、お竹。私はここで聞かせてもらってよかったと思っているよ」


 若君の穏やかな言葉には、いくら勢い込んでいたお竹も黙るしかなかった。


「何をしようとしているかは知らないが、私にできることがあるならやらせてほしい。母上や伯母上を侮辱したその使者はなにかあってしかるべきだと思う」

「さすが若君。話がわかる」


 満面の笑みを浮かべてかすみは言った。


「……それじゃ若君んとこのお小姓二人、貸してもらえませんかね。申し訳ないが若君は体のこともあるから、松竹梅たちと部屋に戻ってもらわなくちゃあいけないが」

「若君の命でもありますし、我ら存分に働きますが」

「おれたちはいったい何をすればいいんです? 」


 鷹丸と大次郎のもっともといえばもっともな問いに、かすみはニヤリと笑ってみせた。


「……ああいう男にはさ、”天誅”が下ってしかるべきだと思わないか? 」


                *


 兎之介が森に差し掛かったのはちょうど日も暮れたころだった。この森を抜けないことにはまともな宿にはありつけない。

 まさかあんな時間に城から放り出されるとは思ってもみなかった。それどころかあの女狐からなんの言質もとれずにすごすご帰ることになろうとは。兎之介は頭をひねって上への報告をどうでっち上げようかと腹立ちまぎれに思案していた。

 がさがさっと枝が鳴る。

 しかしおかしい。風がない。

 いぶかしく兎之介が思っていると、突然バラバラとつぶてのようなものが降ってきた。馬が泡を食ったかのように暴れだす。


「おっ、おっ、おのれ! 何者だっ! 」


 馬と同じくらい泡を食いながらもなんとかそう答えたのはほめられた態度かもしれない。


”ワシはこの森に住む、カラス天狗よ! ”


 頭上、はるかな高みから何者かの声が降ってきた。


”このあたりの森、土地、城はワシの守護のもとにあるのじゃあ! ”

「そ、その天狗が何用だあぁ! 」


 馬からずり落ちないのが奇跡であるほど慌てふためく兎之介に、別の声が答えた。


”ワシの守りし百合城の、心清きさゆり様をようも愚弄してくれたな。ここに天罰をくらわしてやろう”

”てんばつじゃ”

”テンバツじゃ”


 さらに枝鳴りは激しさを増し、兎之介を恐慌状態におとしめた。

 馬にムチをくれて逃げ出そうとしたとたん、兎之介の動きを絡め取るかのように網のようなものが投げかけられる!


「ひっ……ひええええぇぇぇぇぇぇ~~~~っ……! 」


 兎之介は聞く者がいれば一生の恥となるような情けない悲鳴をあげて気を失った。


              *


 次の朝、森のはずれに住む村人によって、兎之介のあられもない姿が見つけられた。

 馬の鞍の上に逆さにしばりつけられた兎之介は、頭はこぶだらけ、顔はあざだらけ、眉は片方そりおとされ、気を失った口元からはよだれが流れおち、着物を失いふんどし一つとなった上、そのふんどしに何者かの手によって文字が大書きされていた。


”天誅! 手出し無用! ”


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