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一、 そもそもの始まり





 ささらさらさら 笹ゆりの

 しげるる丘の  その上の

 お城の名聞けば 百合城にござる

 百合城の奥方  名前もゆりで

 やさしいお方は 白ゆりにござる

 こわいお方は  黒ゆりにござる

 どちらがほしい どちらじゃわからん……



 今年の梅雨は早々に開けたらしい。そういえばここ二、三日よい日和が続いている。

 丘の下から笹ゆりの葉をざわめかせて吹き上げてくる風は、こもった湿気だけでなくどことなく甘い香りまで抱え込んでいる。

 城の裏手の崖そばまで来てみれば、ひりつくような日差しの中に薄紅色の花がそこここに見てとれる。時はいつの間にか初夏となっていた。


「……もう、そんな時期なのねぇ……」

「……なんて、ゆーちょーに言ってる場合じゃないでしょっ、お松ちゃん! 」


 気の早い蝉の声に混ざってぎゃんぎゃんと響く娘の声に、お松は振り返って手を振った。


「お竹ちゃん、見て見てぇ。笹ゆりの花が咲いたのよぉ? 」

「 “咲いたのよぉ? ”じゃないでしょっ! お方様たちはいたの、お方様たちはっ! 」


 がさがさとゆりの茂みをかきわけてやってきたのは十五、六歳ほどの少女で、頭の後ろでひっつめ気味に髪をまとめているのもあってか、いつも以上にコワイ顔になっている。相手はといえばこちらも同年代の少女で、ぽっちゃりぎみの顔にのんびりとした笑顔を浮かべてお竹を待っていた。


「う~ん……いないのかしらねぇ」

「いるわけないでしょっ! なんでこんなとこにいると思ったの、こんなところにっ! “ゆりの方”様たちがゆりの花の香に魅かれてここまで見物に来てるとでも思ったのっ! 」

「あ。すごぉい、お竹ちゃん。わたし、そこまでは考えてなかったわぁ」

「当たり前よっ! ふつーはそんなこと考えないのっ、ふつーはっ! そんなことよりさっさと見つけないと、大変でしょっ! いないんだったらさっさと他を探すっ、他をっ! 」


 お竹はお松の背中を押すと城の方へと歩き出した。お松はお竹に背中を押されながらも、ちょっと後ろを見て軽く手を振った。

 さらさらと音をたててゆりの葉がお松を見送った。


                 *


 刃と刃がぶつかり合う。

 鍛錬場も兼ねている城の中庭にて、2人の武芸者が対峙していた。

 一人は麗しい女性で、もう一人も武者姿ながら女性だった。


「ほらほら、探索は終わって一晩寝てんだろ? もすこし力入れてかかってきなっ! それじゃ鍛練にもなりゃしないよ! 」


 大鎧こそ着けてはいないものの、鉢がね脚絆に亀甲まで着込んだ女武者は、りりしい表情とともにそう相手に声をかけて薙刀を構えなおした。

 相手はと言えば旅支度の女性とでもいった着こなしながら、手には油断なく懐剣を握り当面の敵を見つめていた。


「普通このような場面にあいましたら、私どもは戦いません、かすみ様。細作の使命は知らせを持ち帰ること。死を覚悟してまで相手と戦うことなど、まれなのですから」

「そうかい。じゃ、あたしが見つけた細作を逃がさずしとめる練習にさせておくれよ。あんたはそれをかいくぐって逃げる練習な」


 かすみにそう言われてはどうしようもないのか、困った人だというような笑みとともに溜息をつくと、細作と呼ばれる密偵であるらしい女は、懐剣をもう一度構えなおした。

 切り結ぶ。

 薙刀と懐剣が一度ぶつかり火花を散らし、そしてまた左右に分かれる。油断なく構える二人の間にはまさに真剣勝負の空気が漂っていた。


「キャ~~~ッ! かすみ様、お柳さん、かっこいい~~~! 」


 その空気をだいなしにするキャピキャピした歓声がはたからとんだ。お柳はちらと見ただけだったが、かすみは大きく手を振って声援にこたえた。


「おう、ありがとうよっ! 」


 2人を見ていたのはお竹、お松と同年代の少女で、肩あたりでバッサリ切られている髪が、痛々しさよりは子供っぽいあどけなさを感じさせていた。

 すきを見せることもいとわずに声をかえすかすみをわざと見逃しているのか、お柳は体勢をかえぬまま少女に声をかけた。


「お梅さん、そろそろお休みは終わりじゃないのかしら。お迎えが来たわよ」

「え? お迎え? 」


 お柳の言葉の意味を少し考えているうちにも、遠くからズンズンやってきたそれはお梅の後ろに立って……。


「お~う~め~ちゃ~ん~~~! 」

「きゃあ! お竹ちゃん! 」


 腰に手を当てて、座りこむお梅を見下ろしているのは確かにお竹。その後ろからゆぅ~っくりとお松も歩いてくる。


「あたしたちたしか、手分けしてお方様たち、探してるのよねっ! ここ見てたら見つかるのっ? ねぇ、見つかるのっ? 」

「ご、ごめ~ん。だってかすみ様たち、かっこよかったんだも~ん」

「なんだい、腰元三人娘は“ゆりの方”様たち探してんのかい? 」


 とうとう構えていた薙刀を下ろし杖代わりにしてよりかかると、かすみはからかうように尋ねた。それにこたえたのはやっとお竹に追いついたお松だった。


「はい、そうなんですぅ。至急の要件なんですぅ」

「はっはっは。その物言いじゃぜんぜん至急には聞こえないねぇ」


 とうとう試合にも何にもならなくなった空気を読んでか、お柳も懐剣を懐に収めて皆のもとへと集まってきた。


「”百合の方”……のどちらを探しているの? 黒百合の方? 白百合の方? 」

「え……と、最後はどちらにもお話しなくちゃいけないんですけど、まずはどちらか一方でもいいんで」

「そりゃずいぶんと大雑把な”至急”だね。……ま、どっちかでいいってんなら」


 かすみはあごだけで彼方をさして言葉を続けた。


「あっちに若君が行ってたから聞いてみちゃどうだい? よっく見えるだろうからどっちかぐらいの見当ぐらいつくんじゃないか? 」

「え? よく見える? 」


 要領をえない顔の三人娘にかすみは笑いながら片手を伸ばして一点を指し示し、その先を見た彼らに三者三様の驚きの表情を表わさせた。

 ……そこは物見やぐらのてっぺんだった。


                   *


「うわぁ……。本当に遠くまで見えるのだなぁ……」


 物見やぐらから見える先々まで、、初夏の影は色濃く落ちていた。ここしばらくの間、月之丞が寝床から起き上がれなかった間に、外はすっかり夏らしくなっていた。


「若君、お加減は変わりありませんか? ここまで段数があるとは思っていませんでしたので……」


 心配そうに月之丞に声をかけたのは小姓の一人、鷹丸であった。京の人形師が精魂こめて作り上げたようなその顔に「若君大事」の四字がはっきり読み取れるような表情をあらわして、そばに控えていた。


「大丈夫だ、鷹丸。熱が下がったせいか、今日はとくに調子がいい。一度ここに上ってみたかったんだ……」

「まったくここまで高いと知っておりましたら、病み上がりの若君をお止めしておりましたものを。大次郎が登るのとはわけが違うのですから」

「おれが登るならどうでもいいというような物言いだな」


 鷹丸の言葉に憤慨しているのはもう一人の小姓、大次郎だ。色白の鷹丸に対し、日に焼けた真黒な金太郎のような顔に渋面を作って相手をにらんでいる。


「それはそうだろう。わたしが知で若君に仕え、お前が力でお仕えするのだ。こういうときぐらい役に立たんでどうするというのだ」

「それではまるで、おれにはお仕えできるだけの頭がないとでもいうような言い草だな」

「まぁ、そうひねくれた取り方をしなくてもいいではないか」


 はにかむような笑みでとりなした主に、2人の従者はともに頭を下げた。

 病み上がりといわれれば、月之丞にはその証がそこここに見てとれた。やつれた顔にはまだ血の気が戻っていない。だが頭をしっかりと結い着物を整えたところを見ると、調子が戻ってきているのは本当なのだろう。


「鷹丸もそこまで言ってやるものではない。私は自分の足でここに登ってみたかったのだ。戦にはついてゆけなくても、せめて伯父上の軍勢のたどった道ぐらいは見えないかと思ってな」


 そういってまた遠くに視線をはせた若君はまだ数えで十にもならない少年で、そのひざ下に控える二人の従者もまたそれとかわらない年齢に見える。この幼い三人が助け合いかばいあいしながらこの高い物見やぐらに登ったのかと思えば、どこかほほえましく思えてくる。


「す……すみませんっ……。若君、おいでですかっ……」


 突然聞こえた少女の声に、従者ふたりは腰を浮かせてあたりを見回した。そしてそれがつい先ほど自分たちが登ってきた梯子のあたりから聞こえてくることに気づき、そこを見たとたん驚きの声を上げた。


「げっ! お竹姉ちゃん、なんでここに?! 」

「……お小姓になっても治んないのね、その口の悪さ……」


 ふらふらになりながら梯子を登ってきたのは奥付きの腰元のお竹だった。その姿を認めた鷹丸はその目を丸くして相手に尋ねた。


「女子の身でこんなところまで……。大丈夫ですか? 」


 年かさの少ない自分たちですら上がるのに苦労した梯子である。女子の身ならさらにつらかろう……という意味だったのだろう。だがお竹はそれに対してきっぱり言ってのけた。


「大丈夫! 下でお松ちゃんとお梅ちゃんが番してるからのぞかれないわっ! 」

「いや、そんなつもりで言ったんじゃなくて……」


 真っ赤になってしまった鷹丸をクスクスと笑って、月之丞はお竹に顔を向けた。


「私に用があるのかい? 」

「はいっ! 至急お方様がたを探さなくてはいけないのですけど、どこにいらっしゃるかご存じではないですか? 」

「母上と伯母上? ああ……それならちょうどあそこにいるようだよ」


 そう言って月之丞が指したのは城の奥、中庭のあたりだった……。


                      *


 百合城の上にはすでに太陽が高く登っていた。

 城の奥の部屋の障子が音もなく開けられ、廊下に一人の女性の姿が現れた。

 年のころは三十にかかろうというところ。柳眉に疲れを漂わせているが、赤く濡れた口元には安堵の笑みが浮かんでいた。

 廊下の角を曲がって、ふとその足が止まった。

 そこには城の奥庭で、そこまで連なっていた庭木がぷっつりと途切れている。

 そしてそのかわりに現れたのは畑だった。丁寧に畝が作られ雑草も抜かれた畑の中で、一人の女性が立ち働いていた。

 着物の裾をはしょりたすきを掛け頭を布で包んだその姿は、着ている着物のもののよさに気がつかなければ町の女と大差ないようにも見える。


「せいがでますな、義姉上」


 畑仕事をしていた女性は作業の手を止めて声の主をかえりみた。その顔にはだれもがほっとするかのような優しげな笑みがうかんでいた。


「まぁ、ゆり江さま。おはようございます」


 屋敷の廊下から履きものをはき着物のすそをたくし込んだうえで、ゆり江は相手の立ち働く城の庭にこしらえられた畑へと歩みをすすめた。夏の初めの日差しを浴びて黒々とするほど緑がかった葉はそれらがどれほど大切に世話されているかを物語っていた。


「それにしても、ようも育ったものよ。自分で始めたくせに放り出してゆかれた兄上は、義姉上に感謝せねばなりますまいな」


 兄への憎まれ口にも似たゆり江の讃嘆の言葉に、兄嫁は面映ゆそうに笑った。


「私などのお手伝いなど微々たるもの。すべては政近様に教えていただいた通りにしているだけなのですもの」


 この城の庭に作られた小さな畑でほほ笑みあう二人の女性こそ、百合城城主奥西政近の奥方さゆりと、城主の妹君であるゆり江――誰あろう白百合の方と黒百合の方である。

 義妹に話を出されて思い出したのか、さゆりは遠い空へと視線を向けた。


「……それに戦が始まったのでは、政近様も趣味の畑仕事にかまけている暇はございませんもの」

「戦……か……」


 ゆり江は遠くで行われているのであろう戦いに思いをはせるかのように目を閉じた。


「まぁ、こたびはそうも長引きませぬでしょう。国境に出てきた兵は城主の手勢のみであるようだし、坂田様が全軍率いてゆかれたのも一気にけりをつけるため……。義姉上としては兄上の帰りが待ち遠しいことでございましょう? 」


 最後にからかうようにそう付け加えたゆり江に、さゆりは少女のように頬を染めた。


「まぁ、ゆり江様ったら。それにしてもお詳しいこと」

「昨夜、お柳が戻ってまいりましたので」

「昨夜と申せば……」


 そこでさゆりはふと気がついたかのようにゆり江を見直し、奥の部屋で寝ているはずの少年に気をつかうかのようにそっと声をひそめた。


「……あれから月之丞様はいかがなさいました? 」


 それまでともすればりりしいとも思えたゆり江の顔がふいにやわらかくほころんだ。


「おかげさまで熱も下がりました。義姉上には感謝のしようもございません」

「月之丞様はもともとお体が弱いのですもの。まだあの熱さましはたくさんございますから、よろしければ後ほど誰かに持たせましょうか? 」

「ありがとうございます。医師の薬より義姉上の秘伝の薬のほうがあの子には効くのかもしれませぬなぁ……」


 よもや自分たちがいま話題にしている昨夜熱を出して寝込んでいた月之丞が、熱がさがったのをいいことに小姓たちとこっそり部屋を抜け出し物見やぐらの上から二人をのぞいているとはつゆしらぬ中、突然の足音が彼らの話を遮った。


「お方様~! 大変でございます~! 」


 廊下をなかばすべりそうになりながら飛んできたのはお梅であった。あとの残りは、なれないところに登って疲労困憊しているのが一人、その介抱役に一人というところだろう。


「お梅。急ぐのはわからぬでもないが、もう少し落ち着けぬのかえ」

「そうですよ。……何事です? 」


 百合の方二人にたしなめられ廊下の階にぴょこんと座り込むと、お梅は勢い込んで話し出した。


「は、はい。実は、黒烏城より瀬渉丸さまの御使者がおいでになられまして、”ゆり江様に”……”詮議の儀あり”とおっしゃるのですけど……。いったい詮議って……」


 ゆり江はまるで一筋も動揺を見せぬ能面のごとき表情になったかと思うと、すたすたと屋敷へと歩き出した。


「どちらにしても会わねばなりますまいよ。さてはて、何を言ってきたことやら……」

「ゆり江様」


 ゆり江のあとからたすきをはずして追ってきたさゆりの声がかけられた。


「私も同席させてくださいませ」

「しかし義姉上、使者殿は私を名指して参っております」

「私は城主の妻です。主が留守に起こったことは、私は知っておかなくてはなりません」


 なおも言いつのるさゆりの言葉にゆり江の足が止まった。そして振り返ったときにはいままで硬かったゆり江の表情が少しゆるんでいるように見えた。


「……そうですか。少々お辛いことになるかもしれませんが、お願いいたします」

「もちろんですとも」


 にっこりとほほ笑んださゆりの笑みは、不安を暗雲を晴らす太陽のように輝いた。


                       *


 ……そしてこれが、この後この百合城を舞台に起こる一大合戦の幕開けであろうとは、当の城にいた本人たちですら思いもつかなかったのである……。



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