とある過去の悪しき遺産1
古瀬という家は、古くはあの地域の大地主だったという。戦後の動乱期に乗り切った当主が、農業を推進すると共に、町工場に出資してあの地域を盛りたてた。
それにより、古瀬は以前にも増して発言力を持つようになっていた。
数代の当主はそれを良しとせず、出来るだけ地域に金を落としつつ大人しくしていた。
それがある時期から変わりはじめる。横暴な当主が一人出てくれば、そのあとからはずっとそういう当主が続いた。
そして今の当主に三人の息子が産まれた。当主は長男のみを可愛がり、二人とは徹底的に差別した。それを容認しつつ、その奥方は二人の子供に「優越感」というものを植え付けた。
そんな頃、王仁会も動いていた。手広くやり始めていた。
そして、その土地を求めてとある代議士に力を借りた。それが田倉だ。田倉は自分の支持者である、古瀬に頼み、土地を融通してもらった。
田倉や古瀬の立場もあり、第二病院は最新鋭の医療技術を取り入れると約束し、建設されたのだ。
それから時は少し過ぎる。
長男に三人目の子は産まれて間もなく、三男にも子供が産まれる。これが今から十五年前。長男、次男に男兄弟が続いたところで久しぶりの女児だった。
それを長男と次男、それからその奥方たちがはやし立てた。「女腹」と。長男は一度離婚をしている。最初の子供が女だったからだ。
当時、長男のところには最初の奥方が産んだ娘の他に、男二人。そして次男のところは男一人がいた。
三男の奥方が悲しむ中、長男のところの上の男児が、その女児の誕生を喜んだ。これが事件の発端ともいえた。
三男夫婦はその行為に感謝し、次こそは男児を望んでいたという。
そして、十三年前。三男夫婦にまた一人子供が恵まれることになった。
当時は応仁会病院にで検査をしていたものの、腹の子が男児と分かってから、当主は本家で産むようにと言い出した。そうなれば、第二病院での出産となる。
大きな腹を抱えて、奥方は本家へ来た。幼い女児と共に。
順調に育つ腹の子。そして長男夫婦の子供たちは女児の面倒を見ていたという。
否、面倒を見るという嫌がらせだ。
特に酷かったのが、長男夫婦の一番下の子供だった。兄が構うのが嫌であったとも言われている。
そして、田倉に収賄疑惑の報道がなされた。
雲隠れに丁度いいとばかりに、田倉は入院を決意。わざと酒と睡眠薬を飲み、形だけの自殺未遂を行った。
その緊急入院の日に、とある事件が起きた。
古瀬の家の女児が崖から転落したのだ。慌てた母親は、それが原因で出血し、病院に運ばれた。
同じ緊急性のある入院において、優先されたのは遅く来たはずの田倉だった。結局、胎の子は泣き声をあげることはなかった。
幼い女児が一人で行けるような場所ではない。そこに行ったのは、一人の使用人と女児と長男の一番下の子。
「女児が行きたいと言ったから連れて行った」と使用人と子供は証言した。
最悪にも、その時女児は記憶が曖昧になってしまっていた。
だが、そこに行くまで女児が泣いて「行きたくない。ママのところにいる」と言ったのを近所の人間が聞いていた。
だが、その声は無視され、女児のせいでもう一人の子供が失ったという事実だけが残った。