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 翌日の土曜日は、休日にもかかわらず学園祭の片付けで、大部分の生徒達が登校していた。わたし達生徒会役員も、当然の事ながら全員揃っている。

「昨日また倒れたって聞いたんですど、大丈夫なんですか? 無理しなくても、今日は休んだ方がよかったんじゃ」

 会計監査の二年生が、気遣わしげな顔をした。倒れたには違いないけれど、今日の体調は別に悪くはない。と言うか、昨日も体調が悪かったと言うわけではないのだ。もちろん本当の事情を話すわけにはいかないのだけれど。

「うん。ありがとう。でも大丈夫だから」

「本当に? でも少しでもおかしいと感じたら、すぐに休憩するようにな」

 書類の束から顔を上げて、会長までもがそう言った。わたしが勝手に思い悩んだりした事で、予想外にみんなに心配をかけてしまっていたらしいと知って、少し反省する。

「あはは。カイチョーまで」

「おたくに倒れられると、あいつがうるさいんだよ」

 どうやら、先日と昨日の二度もぶっ倒れてしまったのは、学園祭の準備でこき使われたからだ、と、友人がかなり怒っていたらしい。

「あちゃー。それは、ご迷惑をオカケシマシタ」

「いえいえ。無理をさせていたのは本当だから、悪かったと思ってイマスヨ」

「じゃあ、カイチョー達の平安のためにも、今日はのんびりさせてもらいます」

「片付けはいいから、役員改選の準備を任せていいかな」

 そう言いながら書類の束を差し出すあたり、会長も抜け目がない。頬の筋肉を引きつらせながらぱらぱらと書類をめくると、書類の内容は主に不要物や不燃物の処分とそれにかかる費用の申請だった。ざっと見た限りでは、全てに会長の判が押されている。

 恐らく、学園祭の準備でいちばん多忙だったのは会長のはずだ。ひっきりなしに生徒会室を訪れる生徒達の相手をし、てきぱきと指示を飛ばしていた彼の姿を思い出す。

 教職員との連絡は副会長が引き受けていたけれど、そのくらいでは焼け石に水程度の助けにしかなっていなかったのではないだろうか。

「うわー。カイチョーってば、いつの間に」

「とりあえずそれを先生に届けて、必ず全部に判をもらって帰って来るように」

「え」

 つまり、先生が目を通して判を押している間、わたしは他の事をしなくてもいいという事だ。

「あいつの事とは関係ないからな。来週からは選挙の準備で忙しくなるから、今のうちに英気を養っておいてくれよ」

「うわ。うん、ありがとう」

 会長の笑顔に素直に頷くと、その場にいたみんなもにっこりと笑顔になった。いいのかな、こんなに甘やかされちゃって。

「あれ。そう言えば、副カイチョーは?」

 書類を両手に抱えてから気がついた。さっきまでこの生徒会室にいたはずの、副会長の姿が見えない事に。

「ああ、ちょっと席を外して来るって。なに、気になるの?」

「そういうわけじゃないけど、どうしたのかなって思って」

 恐らく他意はないと思われる会長の言葉にそれでも何か含みを感じてしまうのは、きっと彼なら副会長のわたしに対する気持ちなんかを知っているだろうと思うからだ。

「たぶんすぐに戻って来るとは思うけど、あいつにはまだまだ仕事がてんこ盛りなんだよなあ」

 あっはっは、と楽しそうに肩を揺らす会長は、けれどきっと副会長よりも忙しいはず。それでもそれを苦にせずに笑っていられるだけの余裕がある事に、さすがだなと感心せずにはいられない。同じ三年生なんだけどな、わたしも。

「じゃあ、とりあえず行ってきます」

「いってらっしゃーい」

 会長の声に、会計と会計監査の二人の声が重なった。みんな、いい人なんだよね。

 書類の束を抱きかかえ、与えられた仕事をするために、生徒会室を後にした。




 昨日の事もあって、妙に緊張しながら訪れた社会科準備室には先生の姿がなく、正直内心ほっとした。仕方がないので机の上に書類を置いて、その辺にあった本を重石代わりに乗せておく。これなら、風が吹いても飛ばされる事はないだろう。

 このまま置いて行って、果たして自称サボり魔の先生が今日中に書類に目を通してくれるのかどうかは甚だ疑問である。メモを残すという手もあるが、それを見るのが夕方なんて事になったら、今日中に書類を回収し損ないかねない。

 わたしはひとつ溜息を吐き、先生のいちばん行きそうな心当たりのある場所に向かって歩き出した。




 いつものように『関係者以外立ち入り禁止』と貼り紙がされた屋上への扉の前に立つ。そして案の定鍵はかかっておらず、ドアノブがあっさりと回った。

 梅雨が近いのか、湿った空気を肌に感じながら、意外に強い太陽の光が暑くも感じられる。あの日は、風が肌寒いくらいだったのに。

 あの時と同じように足音を忍ばせる事なく近付いてみるけれど、長身の体を投げ出している先生が目を開ける気配はない。

「センセー。カイチョーから書類が届いていますよー。今日中に目を通してくださいって」

「教師使いの荒い連中だな」

 どうせすぐには起きないのだろうと高をくくって声をかけてみたら、意外にも先生がうっすらと目を開いた。どうやらうつらうつらとしていたのか、それともはなから眠ってはいなかったのかもしれない。

「生徒会顧問なんですから、仕方ないと思いますけど」

「顧問ね。生徒会改選したらやめていいって事はないだろうなあ」

「年度の途中だし、それはあり得ないでしょうね」

 すぐそばまで歩み寄ると、先生がだるそうに上体を起こした。

「あんたがいるからと思って引き受けたんだよね、実は」

「はい?」

「あんたが生徒会に入ったから、じゃあ顧問になれば顔を合わせる機会も増えるかな、と思ったんですよ」

 どくん、と心臓が大きく跳ねた。そして同時に感じる、ちくりとした小さな痛み。またささくれが、ひとつ増えた。

「センセー、そういう事、言っちゃダメですよ」

 動揺を表に出さないよう必死に落ち着こうとしたけれど、わたしの意思に反して声も手も震えてしまう。こちらを見上げて来る先生の視線に、どくどくと脈が速くなるけれど、どうする事もできない。

「そういう事を言うから、コドモが、勘違いしてしまうんです」

「勘違いって、どんな?」

 屋上のあまりきれいではない床に胡坐を組んで、先生は真っ直ぐにわたしを見上げている。わたしはその視線から逃げるように、ふいっと顔を逸らして空を見上げた。

 抜けるような青と白い雲のコントラストが鮮やかで目に眩しくて、手のひらを翳して日を遮る。

「あくまでもたとえば、の話ですけど。先生にとって自分は特別なんじゃないかとか、もしかしたら好きなんじゃないかな、とか。そう思ってしまうような態度を先生が取ったりするから、あんなふうに告白されたりするんですよ」

「あんなふうにって、昨日のアレか?」

 先生の言葉に、わたしは空を見上げたまま小さく頷いた。確かに生徒はコドモでバカだけれど、勘違いさせるような先生の言動が悪いのだ。少なくともわたしは、都合のいい勘違いをしては奈落に突き落とされるという事を、この二か月半ほどの間に、もう何度も経験している。

「あんたねえ。まったく、何を勘違いしているんだか」

 やっぱり勘違いなんだ。追い討ちをかけるように再確認させられて、わたしはここから逃げ出したい衝動に駆られた。

「ああ、また勘違いしてるでしょ。人の話はちゃんと最後まで聞きましょうねー。って、小学校で言われなかった?」

 逃げ出す前に釘を刺され、動くに動けなくなってしまう。

「前にも言ったでしょ。『あんただけ』だって」

「それ、やめてくださいって言いましたよね。先生のその言葉で、わたしもうっかり勘違いしそうになっちゃったんですから」

 もうこんなばかな勘違いはするものか。そう思うのに、先生から「あんただけ」と言われるたびに、ついうっかりと期待を抱いてしまう。そしてそのたび、自分のばかさ加減を思い知らされているというのに。

「勘違いじゃないって言ったら?」

 それなのに。目の前にいる先生は、以前にも増してとんでもない言葉を吐き出してくれた。

「たぶん勘違いじゃないから、それ」

「センセー、意味分かって言ってます? ってーか、わたしの頭でどう解釈してしまうか、分かってます?」

「じゅうぶん分かってるつもりだけど? むしろあんたこそ、僕の言葉の意味をちゃんと分かっているのかねえ」

 ゆっくりと動く先生を、思考が止まった状態で見ていた。ほんとうにただ呆然と。

「はい、とりあえずここに座って。そうそう。それから、僕の目を見ましょうね」

 のろのろと促されるままに先生の隣に腰を下ろし、伏せがちだった目を先生に向けた。

「答えは急がないつもりだったんだけどね。ちょーっといろいろ余裕がなくなって来ているんだわ。あんたには悪いと思うけど、すぐに答えあわせしましょうか」

 先生が、実に楽しげに、にっこりと笑顔を見せた。




 すぐにという事は、今ここで、なのだろうか。いくらなんでも今この時にあんな風にすげなく扱われてしまう覚悟なんて、できているはずもない。

「じゃあ、勘違いじゃないかと思っている答えを言ってみましょうねー」

「いや、です。絶対に間違っているって分かっているから、言えません」

「間違っているかどうかは、聞いてみなけりゃ分からないでしょうが。それにたぶん、間違っていないから」

 その自信ありげな言葉と、仕方がないなとでも言うように浮かんでいる苦笑に、こんなにぐずぐず考え込んでしまっている自分が馬鹿らしくなる。

「センセーこそ、どうして聞いてもいないうちから、間違っていないなんて言い切れるんですか。始業式の日みたいに、やっぱり不正解かもしれないのに」

 そう尋ねると、先生は少しだけ困ったような顔になった。

「これでもぎりぎりのところまでで、分かりやすい行動を取って来たつもりなんだけどねえ。あんた頭はいいのに、こういった事には本気で鈍いから参っているんですよ」

 そんな事を言われても、困っているのはわたしの方なのに。

「もしも、ですけど。もしも、わたしの答えが間違っていたら、どうなるんですか」

「正解するまで引っ張りたいところなんだけどねえ。ちょっと無理っぽいかも」

 無理ならどうするのだと突っ込みたいけれど、自分の首を絞めるような気がしたのでやめておいた。

「じゃ、じゃあ、もしも、正解したら、どうなるんですか」

「そうなれば万々歳、って事ですか」

 つまり先生はわたしに正解して欲しいらしい。けれど今までの経緯を見ている限りでは、そうは思えなかったのだけれど。むしろ先生からの難問に苦悩しているわたしを見て、楽しんでいる節さえ見受けられたのだから。

「ひとつ、条件があります」

「条件?」

「もしも正解したら、わたしの言う事をひとつ、聞いてください」

 わたし一人がぐじぐじと悩んでいるのでは、どうにも割が合わない。せめて一矢報いてやりたいのが人情という物だ。たとえそれが好きな人であっても。

「どんな無理難題を言われるのかが怖いけど、まあ、了解しました」

 よし。これで、思い切りふられてもなんとかなるだろう。

 そろそろ覚悟を決めよう。女は度胸だ。

「んー。じゃあ、いきますよ。いいですか」

「どんとこいだな」

 笑みが消えた顔で待ち受ける先生に、わたしはゆっくりと答えを告げた。

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