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週末を挟んだ三日後。完全とはいかないもののそれなりに復活を遂げたわたしは、先日の分を取り戻すべく、生徒会の雑用に走り回っていた。もちろん自主的にである。
会長副会長ならびに役員からいよいよ手が足りなくて頼んだ臨時お手伝いの人達まで、みんな声を揃えて
「無理をするな」
と言ってくれているのだけれど、それではわたしの気がおさまらなかったのだ。
ただでさえ非凡で優秀な人材が集まっている現生徒会役員と執行部の人達の中、平凡を絵に描いたようなわたしが一人のんびりぬくぬくと過ごしているわけになどいかない。そうでなくても学園祭はもう明日なのだ。
放課後にもなると、クラスごとの出し物の追い込みとチェックのため、どのクラスもおおわらわ。さらにはそれを点検確認して回る生徒会側の人間などまで入り混じり、これで本当に無事明日を迎えられるのかと不安になってしまうほどの混乱ぶりだった。
わたしのクラスは三年という事もあり、あまり準備に時間がかからない理由から、喫茶店を開く事になっている。時間がかからないとはいえそれなりに準備は必要で、それらの雑用を生徒会の仕事の多忙を理由に抜けさせてもらっていたわたしには、当然の事ながら当日の店番が割り当てられている。
「これだよ、これ! ぜーったいあんたにはこれが似合う!」
そう言って友人が目の前にびらりと広げた「制服」を見て、思わず眉を顰めてしまった。
「なに、これ」
「なにって、メイド服に決まってるじゃーん!」
生徒会への申請では、ごくごく普通の喫茶店のはずだった。それが準備の段階でいろいろな意見が飛び交い二転三転した挙句、店の内容はそのままに制服だけが変更になったらしいのだ。
「メイド接待は禁止のはずだけど」
今世間で流行りの「メイド喫茶」は、公序良俗と高校生らしさにおいて問題があるという理由で、教職員ならびに生徒会の意見の一致で禁止項目に挙げられていた。
「だから制服だけだって」
どうにもこうにも怪しい気はするのだが、まさか生徒会役員であるわたしの手前、堂々と違反行為をするような事はないだろう。と思いたい。
ちなみに友人は、メイド服ではなくギャルソン姿なのだとか。
「なんで同じ女子なのに、着る物が違うのよ」
「考えてみなよ? この服が似合うと本気で思う?」
陸上の短距離選手である友人は、超がつくほどのショートカットにさらに超がつくスレンダー体型である。加えて中世的な凛々しい顔立ちで、このふわふわフリルのエプロンドレスが似合うかと言われると、素直に頷けないものがある。
「思わない」
「だよねー。そこいくとあんたは絶対にこれが似合うから! 下手するとクラス一似合うんじゃないかって、男達が」
はた、と慌てて友人が口を覆った。それに合わせて、周囲がなんだか慌てているような気がする。
「なに。どういう事」
「怒らない?」
「事と次第によるけど」
友人だけではなく、クラス中の特に男子生徒達の目が宙を泳いでいる。何かよからぬ事を考えているのは、確かだろう。
「男子達がさ。制服準備の段階で、あんたにこれを着させたいーって言い出して、それはいいねーって女子が賛成して、さあ」
「はい?」
「でもあんた一人じゃこれ、絶対に着ないだろうから、それじゃあこの際全員でやっちゃおーって」
「なに、それ」
あはははは、と変に乾いた笑いに包まれた。
つまりはわたしにこれを着せたかったというだけの理由で、クラス全員が一丸となって計画を進めたそうだ。そこでどうしてわたしなのかと問い詰めたかったが、そうしたところで今さらクラス全員分もの代わりの服など間に合わないだろう事は、火を見るよりも明らかだった。
「ほんっとうに全員が着るのよね」
「男子はギャルソンだけどね」
そりゃ、ネタとしてならありかもしれないけれど、男子のエプロンドレス姿などわたしだって見たくはない。
「分かった。着ればいいんでしょう、着れば。でもわたしが着たって、お客は喜ばないと思うのよ。こーんな地味な顔のメイドさんな」
なんて、と続ける声に被さって、クラス中に歓声が起こった。一体全体このまとまりっぷりはなんなんだ。
「大丈夫! その地味ーな顔が絶対メイド服に映えるから。あんたの場合、そこにいるだけで周りはほっとするから。ぜーったいうちの組が集客数トップになるから、楽しみにしてなよ!」
その自信は一体どこから湧いてくるのだろう。ぜんぜん褒められている気がしないのは、わたしの気のせいだろうか。
「にぎやかだな」
突然の背後からのその声に、心臓が止まるかと思うほど驚いた。声の主が誰かなんて、顔を見なくても分かる程度には聞き覚えがあるその声に、不覚にも心が震える。
生徒会顧問である先生が、どうやら見回り中にうちのクラスを覗きに来たらしかった。なんでよりによってこんな変なタイミングで現れるのだろう、この先生は。
「あ。先生、ちょうどいいところに!」
三人の男子生徒が、声を弾ませて先生を招き入れる。女子生徒はもちろんのこと男子生徒からも人気がある先生は、行く先々でこうして教室内に引きずり込まれているらしいと聞いている。
「明日の衣装、これなんだけどさー」
びらりと広げられたメイド服に、先生の表情が固まった。
「おい。メイド喫茶は禁止だろう」
「分かってるって。だから制服だけなんだけどさ。スカートは膝下だし襟も詰まってるデザインだから、露出的には問題ないっしょ?」
「女子のごく一部を除く全員がこれを着る事になってるから、乞うご期待!」
男子に続いて友人が、調子に乗って同意の声を上げた。
「全員? お前も着るのか?」
先生が意外そうにわたしの顔を見る。まあ、いつものわたしなら絶対に着たりはしないだろうけれど。
「生徒会にかまけて、クラスの準備は全然手伝えませんでしたから。これくらいは協力しようかな、と」
「ふうん。まあ、無理はするなよ」
さして興味がなさそうな態度で短くそう言ったきり、先生は黙り込んでしまった。そして先生はそのまま他の教室の見回りに行ってしまったのだけれど。わたしが着る事がそんなに意外だったのだろうか。それとも似合わない格好をするなとでも思われているのだろうか。
どちらにしても少しだけ切ないな、と思った。
そして一夜明けて学園祭当日。
校内は朝から上へ下へのの大騒ぎ。けれど校内の喧騒とは反対に、生徒会室内はいたって平和で静かだ。
前日までの準備にはなんだかんだと出入りが激しかったが、始まってしまえばあとは各クラスとクラブごとの責任になる。なにか問題でも起きない限り、生徒会役員は時折巡回するだけでいいのだ。
会長の姿がない事に気付いたが、どうやらバスケ部に引きずり出されたらしい。会長自身はバスケ部とは無関係だが、幼馴染が男子部のキャプテンだという縁で強引に協力させられているそうだ。ただでさえ多忙だったのに、元気な人だ。
「じゃあ、午前中の巡回に行くか」
副会長の言葉に、わたしは慌てて立ち上がった。午前中はわたしと副会長。午後は会計と会計監査の二人ずつで巡回する事に決まっている。ちなみに会長は、非常時に備えて留守番役なのだけれど、とりあえず誰か一人残っていれば問題はないはずだ。
巡回とは言っても実際は校内の催しを見て回るだけなので、半分は遊び気分になる。さすがにお化け屋敷などを回る時間はないが、それなりに楽しいものだ。
「副カイチョーのクラスの出し物ってなんだっけ?」
「たしか、なんちゃって白雪姫だったんじゃないかな」
「なんちゃって?」
体育館を使っての本格的なものではなく、教壇の上のスペースだけで展開する寸劇のようなものらしい。受験目前の三年生らしく、準備に要する時間を大幅に短縮できる。
「へえー。面白そう。副カイチョーも出るの? 何の役? もしかして王子様だったり?」
「午後からな。あいにく、王子じゃなくて兵士その1」
まあ、この人もわたし以上に生徒会に専念していたのだから、ろくに練習時間も取れなかった事だろう。そんな彼に主役級の役が当たる事は、確かに考えにくい。
「なんだあ、残念。わたし、午後はクラスの当番に当たってるのよね」
「それは、俺も残念。メイド服姿、見たかったのに」
「あはは」
副会長の冗談を、軽く笑いで流す。そう、これは冗談なんだ。
「あ。ひどいなあ。本気で言ってるのに」
「え。あ、そ、そう、なの?」
「そうなの」
まさか本気だとは驚いた。わたしのメイド服姿なんてものを見たいだなんて、物好きな人だ。
「副カイチョーって、物好きなのね」
だから思った事を伝えてみたら、なぜか副会長の肩ががっくりと落ちた。
「あのな。人をゲテモノ好きみたいに、って、お前はゲテモノじゃないだろう?」
まさかゲテモノだなんて思ってはいなかったから、首を横に振った。
「だったら俺がお前のメイド服姿を見たいと言っても、おかしくはないだろう?」
そういう事になるのかな。でも、ゲテモノは好きじゃないらしい。という事は、ゲテモノ以外なら好きなんだろうか。そしてわたしはゲテモノではなく、そのわたしのメイド服姿を副会長が見たいと言っている。
頭のどこかに何かが引っかかるのだけれど、その正体にたどりつく事ができずに、なんとなく胸の裡がもやもやした。
そこでなんとなく話が途切れてしまい、二人とも無言で校舎内をぐるりと一周する。途中自分のクラスにも顔を出し、本当にメイド接待をしていない事を確認したり、クラスメイト達の思いのほか清楚な制服姿に感心したりもした。
「あとは、中庭と校舎裏だな」
催し物や展示がない場所は今日は立ち入り禁止に指定されている。しかし校外の人達が出入りしていないかなど、巡回の必要はあるのだ。
中庭には人影はなく、そのまま校舎裏に回りこんだ。その時。
「誰か、いるな」
副会長が声を潜めて指差した。その先を見ると、この学校の制服を着た女子生徒の姿がある。注意しなければ。そう思って歩み寄ろうとした時、女子生徒の甲高い声が風に乗って耳に届いた。
「そんなの、ずるい!」
確かにそう聞こえた。
恐らく誰かと言い争いでもしているのだろう。とりあえず仲裁した上で、立ち入り禁止場所に入っている事を注意しなければ。
副会長とわたしは、無言で目と目で合図を送り合い、一緒に歩き出す。
「そんなの、答えになっていません!」
人気のない空間に、女子生徒の声が響き渡る。
「お前は俺の生徒であって、それ以上でもそれ以下でもない、と言っているんだ」
「先生と生徒である前に、一人の男と一人の女です!」
女子生徒が教師に愛の告白をしているのだという事は、鈍いわたしにもすぐに分かった。けれど相手の教師の姿はまだ見えなてこない。
「あちゃー。まずい場面に遭遇したな」
副会長の呟きが耳に届いたけれど、二人のやりとりが気になってそれどころではなかった。
「俺にとっては、お前を女として見る事はできないし、これから先もそれは変わらない」
「そんなのは、詭弁です」
「詭弁じゃない。正論だ」
足を進めるたびに、女子生徒の口論の相手の声も近くなる。その聞き覚えのある声に、嫌な予感が頭をよぎった。
まさか。でも。どくどくと大きく鼓動を打つ心臓。心なしか、足も震えている気がする。
「わたしは、先生と同じ位置に立つ事もできないんですか」
「俺は教師で、お前は生徒。それだけだ」
冷酷とも言えるほどのその言葉に、女子生徒は身を翻して走り去ろうとした。そしてそこに立っていた副会長とばっちり目が合い、気まずそうに逸らした視線の先には、わたしがいた。
くっと唇を噛みしめて走り去った彼女の目は、涙で濡れて真っ赤だった。
「先生、今日はここ、立ち入り禁止なんですけど」
女子生徒を見送った後、副会長が先生に声をかける。その声に、呆然としていたわたしは見回りの途中だった事を思い出し、我に返った。
「知ってる。俺にしては真面目に見回りをしていたら、途中で連れ込まれた」
「かわいそうに。断るにしても、もう少し言い方とかあるんじゃない」
副会長の口調が、急に変わった。フランクというか親しげというか、そんな響きを持っている。
「それ、本気で言っているのか?」
「まさか。ああいう手合いは、優しい素振りを見せるとつけあがるからな」
「お前もたいがい、いい性格をしているよな」
けれど二人のそんな会話のほとんどは、わたしの耳に入ってこない。
わたしの頭の中には、さっきの女子生徒の泣き顔と、彼女に向けられた先生の言葉が、何度も浮かんでは消えていた。