1-9 初めての人族
さて、二人の女性が楽しそうに雑談をしている頃。
蒼溟は、先ほどの体術の鍛錬に刺激されて他の鍛錬もしようと崖側の庭園に出てきた。その手には、固い材質の木の棒を持っていた。
「うーん。久々に棒術の練習でもしようかなぁ。」
棒の長さは大体、自分の指先から肩くらいの直線状。握りやすいようにヤスリで丁寧に表面を整えたものだ。
棍棒とは違い、間合いが短く戦闘に適さないように思えるが室内や狭い場所では以外に使い勝手がよく、使用するのも木切れでも対応できるように考えられた動きなので護身術としては最適な武術でもある。
「あんまり本格的にやると再び着替えないといけないから、動きの確認でもしようかな。」
ちょっと考えてから、まずは直立してからゆっくりと足を肩幅に広げ、手に持った棒は正面から隠すように腕に沿わせる。
棒を持った手を腕に隠した状態のまま後ろへと引くと同時に反対側の腕を前面に、それに伴い身体を真正面から半身に移行する。
呼吸は意識してゆっくりと腹式呼吸で行う。
半身で棒を隠し、一気に背中から上段切りをする。その際には、架空の敵の鎖骨を狙うようにして、その勢いのまま中段蹴りを繰り出し、すぐさま元の位置に戻る。
他の一連の動きを呼吸と共に意識しながら繰り出していく様子はまるで踊りのように洗礼されたものだった。
「・・・ふぅ・・・こんなものかなぁ。」
ひと通りの動作を行った後に、静止して礼をする。
汗をかくほどではないが、ほどよく血が巡る感じが何とも心地よい。
そんな蒼溟に耳慣れない音が聞こえて、音のする方に目を向けた。
「なんだろう、この機械音のようなの。」
崖側の上空を見てみると、なにやら細長い乗り物のような影が見えた。
よく目を凝らして見ると、そこには人影らしいものが見える。相手もこちらに気付いたのか、手を軽くふった後に速度を上げて縦に円を書くように回って見せた。
「おお~、すごーい。」
興味を引かれて眺めていると、その軌道上に宮殿の屋上にいたらしい飛竜の姿が見えた。
「あっ、危ないぶつかる!」
とっさに口にしたが、自分ではどうする事も出来ず見守るしかない蒼溟。
乗り物に機上した人物も驚いたのか、慌てて回避しようとするが飛竜の方は冷静に自らの丈夫そうな尻尾で、虫を叩き落とすように乗り物ごと打ちすえた。
「なっ、なにぃ――!?そんな回避の仕方をするヤツがあるかぁーッ!!」
男性らしい怒声と共に、蒼溟のいる庭の方に落下してくる人物。
轟音を立てながら、地面に接触したらしく。辺り一面に土埃が舞うその様子からかなりの衝撃を想わせた。
「だ、大丈夫ですか!」
慌てて蒼溟は、地面に激突した人物の元へと駆け寄る。
「いっ、たたぁ~。」
そこには、周囲を折れた枝と葉っぱにまみれた革製の帽子と服、ゴーグルを身につけた男性が尻もちをついた状態で座っていた。
どうやら地面に激突する前に樹木などで勢いを殺したのか、ざっと見たところ怪我を負った様子はなかった。
そんな様子に安心していると、いつの間にか蒼溟の肩の上にあらわれたレーヌ族の一人が男性に対して非難するような眼差しを送っていた。
それに気付いた男性がこちらに眼を向けるのを確認すると同時に糸のような手で男性を指し示すと
「樹木。傷・・・ダメ!!」
レーヌ族にしては珍しく大きめの声を出して注意をする。それに対して男性は申し訳なさそうな雰囲気で
「あぁ、すまない。・・・申し訳ありませんでした。」
後頭部をかくような仕草をしながら、素直に頭を下げて謝罪した。その様子にそのレーヌ族も納得したのか、許すと言い残して消える。
そして、その場には蒼溟と男性が対面するように座る姿が残った。
「「・・・・・・・。」」
しばし無言。
え~と、どうしよう。
困惑する蒼溟に男性は口元をにやりと笑うと
「驚かせてすまなかったな、少年。」
「あ、いえ。怪我がないようでよかったですね。」
そう返答する。
その言葉を聞いているのか、いないのか。男性はゴーグルと帽子を取り払った。
その下からは、覇気のある声に反して白髪交じりの茶髪を短く刈り上げた壮年くらいの男の顔が現れる。目や口元にはシワもあるのだか、新緑色の瞳には子供のような好奇心にあふれた力強い輝きがあり、見た目の割に溌剌とした印象を与えた。
「いやぁ、試作機を飛ばしてみたのはいいものの調子に乗ってしまったようだ。」
豪快に笑うと、勢いをつけて立ち上がり。近くに浮遊している乗り物のようすを確認し始めた。
「これは何ですか?」
その様子を見守りながら、蒼溟も立ち上がり男性の隣りからその乗り物を観察する。
「うん?これはエアバイクだ!」
自慢げに言う男性の言葉に蒼溟は首を傾げてしまう。
村にバイクは無かったが、知識としては教えられている。だが、目の前に浮遊している乗り物は大まかな形状は確かにバイクのようだが、タイヤに当たる部分も存在しなければ、燃料を入れるべきタンクも存在しない。
「バイクにしては、形があまりにも違う気がするのですが。」
蒼溟の言葉に男性は少し驚いたような表情をしたが、少し考えた後に
「ほう。ちょっと、待っておれ。これの動作確認をしたら説明してやる。」
嬉しそうな顔を向けた後に、右手首にあるリングと方向転換用のハンドルとを配線で繋ぎ中央部分の操作パネルで状態を確認していく。それを興味深そうに見つめていると、手際よく作業を進めた男性は、エアバイクを庭の隅へと移動させる。
蒼溟もそれに続き、宮殿の壁に二人して持たれながら話をすることになった。
「それじゃあ、まずは自己紹介からいくか。俺の名前はジンだ。」
男性は朗らかに笑いながら自分を指し示す。
「初めまして、蒼溟といいます。」
対して蒼溟は、丁寧にお辞儀をしながら挨拶をする。ここら辺は、村の教育の成果であろう。
「はっはっはっ。丁寧な挨拶をありがとよ。余程、親御さんの教育がしっかりしているようだな。」
二人は互いに笑みを交わし、先ほどの話をすることにした。
「この乗り物は、正式には飛翔艇っていう名前になっている。俺の道楽の一つとして研究開発したものでもあるな。」
それから、男性はこの世界の移動手段について説明をする。
「飛竜とかも確かに良いのだが、俺にしては物足りない時があってな。」
どこか懐かしそうな眼差しで革に包まれた座席を撫でる。
そんな男性を見つめつつも、蒼溟はこの飛翔艇が飛ぶことが出来ることに対して興味があった。
「蒼溟は、この世界に存在する魔素というのを知っているか?」
それは、この世界の住民たちにとっては常識的な事でもある。
魔素とは、大気中に含有される元素の一つとされている。空気よりも重いが、一定の密度以上には濃くならないもので、人族には扱えないものとされる。空気に溶け込んでおり、普段は目に見えないのだが、現象を引き起こす際に視認することが可能になる。
「一応、知識としては知っていますが。」
スリールたちの調理法などはこの魔素を使用した魔術により行っている。
この術式は、生まれながらにして魔素を扱えるものたちが編み出した技術で人族以外では普通に扱えるらしい。稀に人族の中でも使用することが出来る者が存在するらしいのだが、その大半は他種族との混血などによるものとのこと。
「ふむ。それなら、人族が魔素を扱えないことも知っておるか。」
これに対して人族は魔鉱石という素材により魔工術式という技術を生み出した。その技術を開発するにあったて様々な試行錯誤があったらしいがここでは割愛する。
「この飛翔艇は魔工術式により空中を上昇、下降することに成功した始めての試作機だ。それまでは、地面から数十センチ空中に停滞できるくらいしかできなかった。」
この空中停滞の技術は、主に馬車などに使用されている。
積載量により高さが制限されたりはするが、それに対応する技術や技巧はすでにあるため、長距離の移動などでは重宝されるのだ。
この技術が開発されるまでは、ゴムの木などの植物が無かったために、木の輪に革で補強した車輪を使用していたのだ。
近場ならともかく、長距離では車輪と車軸の耐久性の悪さから陸竜に直接、荷物をくくりつけての移動となったために一部のものたちしか使用できなかった。
「だが、試作ということもあり高低の移動はできても、推進力がなかった。前に進めないのではエレベーターにしか使えない。それも、高層建築がなければほとんど意味がないがな。」
苦笑しつつ、その時の苦悩を思い出すジン。
「それでは、どうやってこの飛翔艇は前に進んでいるのですか?」
さっきの出来事を見るに、かなりの速度を出していたように見えた。
「魔工術式では推進力を得るための技術はまだ開発できていない。」
その答えに不思議そうな顔をするとジンは不敵な笑みを浮かべる。
「なに、種明かしは簡単だ。」
自分の右手首にあるリングを軽く示しながら、
「飛竜たちのように、魔術によって推進力を得ているのさ。」
どうやら、ジンは人族でありながら魔術を使用することができる例外的な存在のようで、自らの魔術によって生みだした推進力をリングと配線を経由して飛翔艇に供給して飛ばしているようだ。
その速度は、そのままジンの魔術の強さでもあるようだ。
「それでは、ジンさん以外は乗れたとしても移動手段としては使えないということですか。」
理解が早くてよろしい、という感じで満足気に頷くジン。
「まぁ、改良の余地が多分にあるということは研究者としては面白いから気にもしないだろうがな。」
蒼溟の頭をわしゃわしゃと撫でながら、ついでに自分を呼ぶときに「さん」付けはいらないと付け加えておく。
「久々に、忌憚なく話せるのは楽しいものだな。」
それから、二人して様々な道具や機械に対して雑談をする。
まぁ、内容的には形や色はどんなのが好きか、スピードを限界近くまで出した時の恐怖と興奮についてだとか、他愛もないことだが。
◇ ◇ ◇
「そういえば、ジンは人族なのによくこの森に入れたね。」
不思議に思って聞いてみると
「あぁん、そんなもの。用事があったから入れてもらえたのさ。」
革製の上着の内ポケットから煙草を取り出して吸いながら答えるジンの姿は、どう見ても不良中年オヤジだった。
「ジン、吸殻を落とすとレーヌ族のヒトに怒られるよ。」
呆れつつも注意すると、おっといけねぇ。と携帯灰皿を準備するジンだった。
「それにしても、ここはいつ来てものどかだなぁ。」
感慨深く呟くジンの姿を横目に二人して空をぼんやりと眺めていると、扉の方からヒトの気配を感じた。
そちらに目を向けると
「なんだ、こんな所にいたのかジン。」
そこには、よく知る気配をまとった身慣れたはずの女性がいた。
一部を金の飾り紐と一緒に編んだ綺麗な純白の髪を背中になびかせ、ワンピースみたいに上下一緒の白地にさり気ない薄紫の刺繍に女性的な身体の曲線を強調するかのような飾り帯や装飾。彼女の藤色の瞳をより一層引き立てている。
別人のように思えて、僕は見惚れてしまった。
「あん?アルシュか。それに、フェリシダーまで。」
その後ろには、藍色の髪をポニテールにまとめ動きやすさを重視したような黒っぽい軍服のような装いでありながら、襟首や袖口には金糸の刺繍でさり気なく装飾が施され、華美ではないが洗礼されたアルシュと同じくらいの妙齢の女性がいた。
よく見ると、瞳の色がジンと同じ新緑色であった。
「はぁ、ジン。その姿は品が無さ過ぎるから止めてくださいといつも言っているでしょう。」
フェリシダーと呼ばれた女性は額に手を当てながら呆れたように言う。
その言葉にジンの方を振り返ると、いつの間にかしゃがみ込んでいて、足元には携帯灰皿を置くその姿は・・・不良のようだった。
「まったく、ハーディ殿が教えてくれなかったら気付かないところだったぞ。」
フェリシダーの言葉に顔をしかめると、
「そうは言うが、フェリシダーの飛竜に叩き落とされたんだぞ。」
苦情を言うジンに、あっさりと返すのは
「どうせ、何か調子に乗って邪魔扱いされたのでしょう。」
あ、それは近いかな。
事情を知る蒼溟は思わず頷いてしまった。
それを見たジンが、すかさず頭を叩いてきた。
「まぁ、いつの間にか蒼溟とも仲良くなっているようだが。続きは室内でしないか?」
アルシュの言葉に異論などなく、四人揃って宮殿内へと入っていく。
ジンが乗ってきた飛翔艇は、ハーディが気を利かして屋上庭園へと運んでくれたようだった。
いつの間に?
ジン登場!こういうキャラは好きです。