1-6 森の宮殿 ~散策編~
朝日が室内を照らし始めた頃に、ようやく僕は起きた。
「う~~んッ。はぁ、久々に熟睡した感じだなぁ。」
大きく伸びをしながら、ゆっくりとベッドから出る。窓際の辺りでアオがのんびりと空中を漂っていた。
「おはよう、アオ。」
「みゅ~ん。」
お互いに挨拶を交わして、僕は改めて室内を見回した。
昨晩は混乱気味でよく見ずに寝てしまったが…。窓辺ちかくには花が生けられていて、水色の遮光カーテンに白のレースカーテン。それもヒラヒラの感じではなく、模様のような感じで編んであるタイプだ。そして、喫茶店などにありそうなカフェテーブルにオシャレな椅子と美味しそうな軽食に紅茶のセット。
「・・・・・あれ?」
昨日はきちんとご飯を食べたよね?しかも、そのまま置きっ放しにしておいたはず。
再びテーブルの上のサンドウィッチやガラス容器に盛られたサラダ、紅茶はさらに入れたてが置いてあるのを確認する。
「ん?・・・さっきまで、お茶は入れてなかったはず・・・・。」
なんで、どうして!?人の気配なども感じないのに、誰がどうやって行っているのか。それとも、機械仕掛け?いやいや、以外にも魔法とか?
「みゅ。」
落ち着け。と言わんばかりにアオが自らの丸い体を僕の頭の上に置く。そのポヨヨンとした感触にちょっと落ち着く。
「みゅ、みゅ。」
アオがテーブル付近の足元に向かって、僕が戸惑っているから姿を見せて、挨拶してやってくれ。と声をかける。
「誰かいるの?」
僕はそこを見ながらアオに聞く。すると、テーブルの足の後ろからピョコッと何かが顔を出した。
「・・・・・・・。」
無言でこちらを見つめる手のひらサイズの毛玉がいた。毛並みはフサフサのオレンジ色で糸のような足で起用に立ち、つぶらな目がこちらをジッと見つめている。
「・・・おはようございます。東雲蒼溟といいます、宜しくお願い致します。」
戸惑いつつも、まずは朝の挨拶と自己紹介をする。そんな蒼溟に毛玉は・・・。
「よろしくッ!」
糸のような手をあげて一言返してくれた。そして、もう片方の手を上げると・・・。
「「「よろしくぅ!!」」」
部屋のすき間から同じような毛玉がいっせいに現れて、挨拶をすると一瞬で隠れてしまった。そして、僕は前に森で感じた不思議な視線の主を見たことに気付く。
「森で僕を見ていたのは君たちだったんだ。」
僕はしゃがんで最初に現れた毛玉に問いかける。すると彼は僕を指差して
「森・・・悪さ、確認。・・・合格!」
そう言い残すと他の毛玉たちと同じように隠れてしまった。端的な言葉だけで意味が分からないが、なんとなく推測する。
「森にイタズラをしないか確認していたってことかな? それで・・・・合格って、どういう意味での?」
僕は認められたらしいが、何を認めてくれたのかサッパリ分からなかった。
朝食を食べ終わると、再び毛玉たちが現れてどこかに片付けてくれた。きちんと挨拶を交わしたおかげなのか、彼らは姿を隠しながら行動するのを止めたようだ。
食後の運動として散歩することにした。
「アオも一緒に来る?」
いかな~い。という意志表示なのか薄青色の球体は、身体を左右に揺らして窓から外へと出て行った。
「ふられちゃった。」
ちょっと寂しい。
しょんぼりしながら、室外に出ようとしたら僕の肩に毛玉が一匹あらわれて糸のような手で慰めるようになでてくれた。
「あははは…、ありがとう。」
胸の辺りがほんのりと温かくなった。人ではないけれど、優しさや心配してくれる存在がいるというのは思っていた以上に心強いと改めて感じる。
◇ ◇ ◇
日辺りの良い半室内の花園で、純白の獣―アルシュは日課である毛繕いをしていた。
「今日も良い天気じゃな。」
のほほんとした雰囲気で外の湖面をながめていると、アオがフヨフヨと漂っている姿を見かける。
「インフィニティ殿、少年はどうした?」
「みゃ?みゅ、みゅ。」
「ふむ、別行動中であったか。」
「みゅ、みゅう。」
アオは湖面からアルシュの方へと近付きながら何かを訊ねる。
「ん?いや、我はあの少年をどうこうするつもりはないが。本人が希望するのなら、気が住むまで滞在するがいいだろう。」
「みゅ、みゃあ。」
「いや、強制するつもりもない。少年は異邦人だ、しかも人族のな。」
純白の獣は身を起こして、水際まで行くとゆっくりと座りながら答える。その瞳には若干の諦観の色が見えた。
「この森は、女神の力添えがあって初めて確立できたもの。我らにとって人族はあまりにも刺激が強い生き物だ。」
独白するアルシュのすぐ目の前まで来たアオは、それを静かに聴く。
「望もうとも、望まないとも、我らは人族との関りを切り捨てることが出来ない。それならば、少しでも我らにとって有益なものにしたいと願うのは過ぎた望みなのだろうか。」
思索しながらのアルシュの言葉には深い哀しみと憤りが感じられる。その瞳の奥には強い意志と共に若干の迷いも存在していた。
「しかし、インフィニティ殿が終始共に居るなど珍しではないか。」
話題を沈んだ空気を変えるように明るい声で尋ねる。
「みゃ~ん。」
「ふふ、確かに。あの少年は見た目以上に純粋そうでいながらも不思議な魅力を感じる。共に居て、楽しいのも何と無く分かる気がする。」
そうして、二匹は楽しそうな雰囲気で雑談をするのだった。
◇ ◇ ◇
宮殿内を探索していると、この建物が大体5階建てで上の階に行くほど人に対応した様式になっていること。 上流階級の人達向けになっていることが分かった。下層には使用人たちの部屋というよりも雑多な施設としての部屋が半地下からさらに下に存在するらしい。
「ということは、この建物は崖の上にあるのかな?」
僕は最初に来た一階部分を見て回った後に半地下に続く廊下を渡って行く。ここには、調理室(台所よりも広いらしい)があるようで、肩にのった同行者である毛玉が進行方向を案内してくれた。
「あっ、なんだか良い匂いがする。」
甘いかおりがするけど、お菓子を作っているのかな?
調理室へと続く開けたままの扉を一応ノックしてから、中を覗いてみる。そして、室内にいる調理師の姿に僕は驚いてしまった。
「・・・ん?おや、昨日来たお客さんじゃないか。どうしたんだい、お腹が空いたのかい?」
優しく聞いてくれるその調理師さんは・・・三角巾を着用した割烹着のお化け。
黒い肌に丸顔。鼻はなく、目の部分にはぼんやりと光る点が二つ。口らしき裂け目が一つ。声は女性なのか落ち着いた高音で、足元は地肌の見えない長いズボンにしっかりした革靴を使用していた。
「えっと、お腹は空いていないです。今はこの宮殿の探索中です。」
僕は茫然としながらも、答えていた。そんな様子に何かに気付いたのか、調理師さんはこちらに向き直って
「あぁ、人の子なら驚くのも無理ないねぇ。私はここで働くスリール・ファンタスマって言うんだ。」
優しげな様子で自己紹介をしてくれたスリールさんに僕も挨拶を返す。
「スリールさんは、なにを作っているのですか?」
僕は好意的な様子の彼女を自分と対等な存在としてすぐに認識してしまった。そんな心理を理解してくれたのか、スリールさんは作業台の上を見せてくれた。
「さん付けはよしとくれ、スリールでいいさ。今はアルシャ様に出すお茶菓子を作成している途中さ。」
彼女の手元を見ると、パイ生地らしいものを練っている途中だった。甘い匂いを発していたのは先に作ってあったジャムのようだ。
「わぁ、おいしそうですね。」
僕の素直な反応に彼女はにこやかな表情をしてくれた。
「よかったら、こっちにサンドウィッチの残りがあるから持っていきな。」
「え?でも、それはスリールの分じゃないの?」
僕はお皿の上に取っておいた様子のサンドウィッチなどを見る。そうして遠慮している間にも彼女はパンを紙に包み、水筒らしいものに紅茶まで入れた小さなカバンを差し出す。
「子供がそんな事を気にするんじゃないよ。私たちのご飯なら他の物をすぐに作れるから気にしなさんな。ほら、これを持って行きな。まだまだ、散策を続けるんだろう?」
その言葉にいつまでも遠慮するのは、かえって失礼だと思い直した。
「うん、ありがとうございます。」
僕の姿に笑いながら「いいさ、楽しんでおいで。」と送り出してくれたスリールに手を振りながら僕は、手玉と一緒にさらに下層へと向かった。
「ここの人達は、みんな優しいなぁ。」
あの後、僕は下層に広がる崖の側面を利用した施設内部を歩き回った。そして気付いたのが、人型をしたヒトたちはたくさん居たが僕と同じ人族は少ないことが判明した。
一見するととっても恐ろしそうな容姿の彼らだが、みんな朗らかで楽しそうな雰囲気の中で気軽に挨拶してくれた。
そして、彼らはこの宮殿の主であるアルシュに仕えているようで、家族などはここからもう少し離れた場所で町を作ってそこに住んでいるとのこと。
「こちらの人達は、みんなあんな感じなのかなぁ。」
僕の住んでいた村の人達とは違う容姿のヒトビト。だけど、その雰囲気と性格はどうやら村の住人たちと同じように良い人たちばかりのようだ。
「うん、まだ帰れる方法が全然わからないけど。これらなら、楽しく過ごしていけるかな。」
僕は嬉しくなって毛玉に向かって話しかけていた。なんとなく、一緒にうれしそうにしてくれているように感じた。
◇ ◇ ◇
最初に居た客室へと戻ると、そこにはアオが僕を待っていてくれた。
どうやら、お茶の時間でアルシュが僕を招待してくれているらしく。アオはその案内に僕を待っていてくれたそうだ。
「ごめんね、遅くなって。それで、アルシュさんはどこにいるの?」
「みゅ、みゅ。」
僕は歩きながらアオに尋ねると、どうやら外に東屋があるらしくそこで待っているとのことだった。
最初に来た正門?とは逆にある場所で自然な感じの雰囲気とは違う、整えられた庭園が広がっていた。こちら側はどうやら崖側らしく遠くには青空などが広がっていた。
そして、スリールと同じ種族らしい人が執事服を着て案内してくれる。
「それでは、蒼溟さま。こちらで我らが主、アルシュ様がお待ちでございます。」
丁寧な言葉に僕は頷くとアオと共にその後ろについて行った。
花々に囲まれたその東屋はゆったりした広さと落ち着いた色調で整えられている。その中には一人の綺麗な女性が居た。
腰まである艶やかな髪は白色。年を経て白くなった髪とは違うことは一目瞭然で、その身体もすらりとした細さでありながら、どこか力強い雰囲気をまとっている。
こちらに気付いていた様子の女性は、僕が一通り驚いた後に楽しそうな様子で声をかけてきた。
「ふふ、さすがの少年も我のこの姿には驚いたようだな。」
その声と口調に僕はようやく、相手がアルシュである事に気付く。気付いてから改めて見てみれば、確かに発する気などはあの純白の獣のものであるし、執事さんもそう言っていたのを思い出した。
「驚きました。・・・アオは知っていたの?」
その美貌もだが、獣の姿から人型になれることに対して僕は驚いていたのだ。
「インフィニティ殿は知っていたはずさ。」
苦笑するアルシュにアオはとぼけた様子で近くのベンチへと座る。僕はアルシュの対面席へと座った。
「それにしても、ここは不思議なところですねぇ。」
僕の様子を観察するようにしながら、話を続けるように即すアルシュ。
「建物や植物などが違和感なく一体化しているのもだけど。ここで働いているヒトたちの容姿が僕と全然違うことや、一人も嫌々働いているヒトがいないことなど。」
僕は散策で出会ったヒトたちを思い出しながら話していく。
「何よりも、僕が住んでいた村も不思議なところだったけど。この宮殿に暮らすヒトたちもそれに負けないくらい不思議で優しそうなヒトたちばかりでした。」
万面の笑みでそう断言してくれた蒼溟の姿に、アオとアルシュは本当にうれしそうに微笑んでくれた。
「ありがとう。そう言ってもらうと、ここの主として我もとっても嬉しいぞ。」
和やかな雰囲気の中で、僕たちはこれからの事を話すことにした。
「ところで、少年はこれからどうするつもりなのだ。もし、行き先も目的も定まらないのならば、しばらくここに滞在するのも良かろう。」
アルシュの提案に僕は感謝すると共に、ちょっと考える。
「それは、この宮殿で働くという事ですか?」
僕としては元の世界に、村に戻る方法を見つけたい。
「いや、我の客分として滞在すればよい。その間はここにある施設などは自由に使用してかまわん。」
僕の気持ちを察してか、アルシュはとってもありがたい申し出をしてくれる。
「でも、それだと僕には大変ありがたいのですが。 どうして、そこまでよくしてくれるのですか?」
そう、僕にとって得することばかりでアルシュには全然ない。それどころか、昨日はじめて出会ったばかりの僕にここまで世話してくれるのも不思議でしょうがない。
「インフィニティ殿の客だから…と言いたいところではあるが、こちらにも事情がある。今はまだ理解することも判断することもできまい。」
確かに、無理だ。例え、アルシュがその事情というものを話してくれたとしても、それが僕にとってどんな不利益をもたらすのか分からない。
「一方的な事情説明では判断する基準も出来ないであろうからな。まずは、ここにある書籍などで一般知識を得るのがよいだろう。」
施設を自由に使用していい。というのはそう言う意味も込めてのことだった。それでも、こちらにとって有利なことばかりではあるが。
「・・・アルシュは、その状況で自分たちに有利な方向で進めたいとは思わないの。」
この質問は相手にとって、とても失礼だとは思いつつも聞かずにはおれなかった。
誰だって、自分に不利なこと、不都合なことは避けたいに決まっている。進んでそれを望むのは、別に何かの目的がある場合だ。相手の全面的な厚意からの行動でも、個人なら有り得るかもしれないが、アルシュのように大勢を率いる立場のものには有り得ない。
「ヒトの厚意は素直に受け取っておくものだぞ。」
イタズラめいた眼差しを送りながら答えるアルシュ。
僕の心情を察していながらの発言ではあるが、そこに怒りや煩わしさなどの負の感情はみられなかった。どちらかと言えば、僕がどう答えるかを面白がっている感じだ。
「うん、本当にありがたいと思う。だからこそ、聞かないわけにはいかない。」
そう、宮殿であったヒトたちはみんな優しそうで良いヒトばかりなのだ。
昨日、突然あらわれた人である僕に嫌な顔もせずに挨拶をしてくれたり、立場も何もかも分からないにも関わらず作業説明までしてくれたり、果ては大事な家族が住んでいる町の所在まで教えてくれた。
そんな心優しいヒトたちに迷惑がかかるような事態にしてはいけないからこそ。その可能性があるというならば、僕はここに居るべきではないと思ったからだ。
「ふむ。その心意気は立派ではあるが、子供は素直になるべきだぞ。それに、大切だと思ってくれるならば、相手を頼ることもまた必要なときがあるぞ。」
「会って間もないのに?」
僕の疑問にアルシュは包み込むような優しい眼差しを向ける。
「時間はさほど問題ではない。そこに互いを思いやる気持ちがあるかどうかこそが大切だと我は思うがな。」
突然、人にとって不可侵の領域に迷い込んでしまった僕を排斥するのではなく。ここの一員として迎えても良いというアルシュの言外の提案に、僕は泣きそうになった。
「・・・ありがとう・・・・。」
知識と技術があっても、ここは僕が住んでいた村や森ではない。親しかった村人も頼れる兄さんや姉さんたち、仲の良かった友達。それに親友の柊と会えない寂しさ。
何よりも此処に居て良いのか。それすらも分からなかった。そんな僕にアオは寂しさを紛らわせてくれて、アルシュは居場所をくれようとしてくれる。
嬉しさと喜びに、胸がいっぱいで目から溢れた涙を拭くのが大変だった。
泣きだしてしまった少年―蒼溟の姿に我は少し複雑な気分を味わっていた。
幼い身でありながら、森の中に六日間近く一人で過ごしていたことは報告により知っていた。最初は不審なものを発見したとの報告から、警戒しながら確認しに行ったのだが途中でインフィニティ殿の姿を見つけた。それにより、我らに害する者ではなさそうという事で放置したのだ。
人族の子供。
インフィニティ殿ならば能力を使用して近くの人族の里まで送ってくれるだろうとも思っていたのだ。
「礼を言うのは、ちょっと早いかもしれぬぞ。」
我の言葉に泣きやんだ蒼溟は一瞬、きょとんとしながらも首を振り否定した。
「どんな事情であろうとも、互いに対等の知識を得てからというのならば。それは平等な取引でもあります。」
幼い容姿と純粋な心。
それらを持ち合わせていながらも、こうして大人びた対応をしてくる少年―蒼溟の姿に、インフィニティ殿が気に入った理由を垣間見た気になってくる。
― このアンバランスでありながら、頼もしい少年に我知らず好意を抱いていく。
「それを代価として、無茶な要求をするかもしれんぞ。」
我の意地悪な言葉に蒼溟は楽しそうに答える。
「わざわざ言うヒトが、そんな事をしませんよ。仮にされたとしても・・・踏み倒します。」
その堂々とした発言、ただの善良な大人に育てられたわけではないようだ。ますます、楽しい少年だ。
「そうか、そうか。それならば、互いに遠慮することもあるまい。」
久方ぶりに、心から楽しい。それだけでも、この少年をそばに置いておきたいと思う。 例え、我らの事情に利用できなかったとしてもだ。
結局、蒼溟はこの宮殿にアルシュの客人として滞在することに決まった。
これからは、ここでこの世界の常識や技術などを学ぶことになる。
森の住人たちが登場。動物だけではない!
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