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好きな人には、好きな人がいて。  作者: 座闇 びゃく


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5 笑顔

 扉を出ていく水菜に視線を向ける。華奢な背中に、短く纏められた髪の毛。

 普段は髪の毛に覆われているはずのうなじが、目に入る。幼なげな顔からは、陸上部であることはおおよそ考えられない

 深呼吸をした凪は、椅子に座った。

 一日のカリキュラムを終え、放課後に突入した。

 しばらく待っていると、友人らと談笑していた彩葉の姿が。


「ごめんね、遅くなっちゃって。それでね、伝えたいことってさ――」


「彩葉先輩! 今日部活少し早く始めるらしいですっ」


 廊下から、威勢の良い声で彩葉の名前が呼ばれた。


「分かった、ありがとう。すぐ行く!」


「あとグラウンドに誰のか分からない水筒が置いてあったんですけど……これって確か水菜先輩の水筒ですよね?」


「あ、それそれ! 水菜探してたやつ! 渡しておくから先行ってて」

 

 水筒を手渡された彩葉は、後輩らしい生徒たちに手を振った。振り返ると、凪に向かって申し訳なさそうに手を合わせた。


「ごめん、部活行かなくちゃいけなくて」


「うん。また教えて」


「ありがとう! それじゃ……あ、水菜今日部活休みだったっけ」


 あちゃー、といった様子で、彩葉は額に手を当てた。渡された水筒を見つめる。

 だが、時計に目をやると、慌てて鞄を肩にかけた。


「これ、水菜に渡しておいてくれない? 今多分、玄関出たぐらいのところにいると思うから!」


「え……?」


 よろしくね、と扉から消え去っていく彩葉の背中。凪の手元には、なぜか水菜の水筒が握られていた。


「……えぇ」


 幸い、凪の書道部は休みの日。恐らく、水筒は明日も使うのだろう。

 ならば、今日渡さなければ、水菜は困るのではないだらうか。

 机から鞄をひったくると、廊下を駆け足で抜き去って、玄関へと向かう。だが、水菜の姿は見当たらない。水菜の靴箱に目を向けると、上履きが仕舞われていた。


「……いるかな」


 はぁはぁ、と息が詰まる。走るのは、苦手だ。

 正門まで辿り着く。下校する生徒たちに紛れて、水菜の背中があった。

 口を開こうとして、一瞬戸惑う。異性。それも、好きな人。

 話しかけに行くだけで、胃が痛くなる。水筒を掴む手に力を込める。

 風が吹くと、水菜のスカートがひらりと掠める。輝く髪の毛が儚く揺れて、人形のように透明な横顔が、太陽に晒された。

  

「片里……さんっ」


「え……?」


「あ、あの。水筒……っ」


 目を見開いた水菜は、立ち止まってこちらを見つめてきた。両手で鞄をぎゅ、と握っている。

 凪は、駆け寄ろう一歩踏み出す。瞬間、足が滑ってしまう。膝から地面に擦りむき、倒れてしまう。


「だ、大丈夫……っ?」


 水菜は躊躇いがちに叫ぶと、小さく駆け寄ってきた。

 周囲の生徒たちの視線に、唇を噛む。

 

「う、うん。大丈夫だよ……ごめんね」


「ちょっと傷口見せて」


 地面に座り込む。制服を捲って、膝の部分を晒した。

 

「ど、どうかな」


「うん、大丈夫そうかな……良かった」


 しゃがみ込んだ水菜が、近々と膝に目を向けている。顔を上げると、視線が合ってしまう。小さな瞳が、こちらを見つめている。

 あ、と水菜が言うと、一歩後ろに下がった。

 校庭から、準備体操を行う掛け声が響いている。凪は、乾いた唇を少し舐めた。


「あ、ありがとう」


「……あんまり話したことなかったけど、鈴川君って優しいんだね」


「……えっ。そう、かな」


「うん。わざわざ水筒を届けるためだけに走ってきてくれたんだよね?」


「う、うん」


「最初は話しかけづらい子なのかなって。でも、こうやって水筒届けてくれたじゃん」


 ありがとう、と水菜の笑顔が返される。前髪が揺れる。太陽の光を浴びた瞳が、キラキラと銀色に輝いている。

 ――僕だけに向けられた笑顔。

 ただ、それだけで心が弾む。


「水筒ありがと。それじゃ、また明日ね」


「う、うん。さようなら」


 水菜の背中を見届ける。すると、背後に人の気配がした。


「あれ、凪じゃん。どうしたの、こんなところで」


「なんでもないよ、日向」


 日向は隣に立つと、顔を覗き込んできた。


「……なんか、悲しそうだね」


「え?」


「笑ってるのに寂しそう。行こ」


 ――笑っているのに寂しい。矛盾した感情。

 水菜の笑顔と、何が違うのだろう。眩しいほどに、僕が好きなあの笑顔と。

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