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首筋にキス

「守護天使?」とカゴメは少し馬鹿にしながらそう言った。


 そのタイミングでポットがカチッと音が鳴りお湯が沸いた。カゴメは立ち上がりマグカップにお湯を注いだ。


 真夏でも臓器が冷え切った今の自分には暖かい飲み物が嬉しい。それを言わなくても用意してくれるカゴメの存在に感謝をした。


 さっき走馬灯に不要だと思ってごめん…と心の中でカゴメに謝った。



 「守護天使セラピーか」とカゴメは言葉の意味を噛み締めるように言った。


 「そ。そのセラピーでニーナ…天野ヒジリと知り合ったんだ」


 カゴメの右手に掴まれた天野ヒジリのインタビュー写真は、こちらに向かって幸せそうに微笑んでいた。


ーーーーーーーーーーーー


 守護天使セラピー

 性被害・深刻なトラウマを抱える子ども同士を、匿名の手紙でつなぐ心理療法


 日本ではまだ確立されていない。


 臨床心理士が用いる “非対面・暴露型” の支援プログラムである。


子どもは匿名のまま、“守護天使”という設定で相手へ手紙を書く。


「あなたの痛みを知る誰かが、世界のどこかであなたを想っている」という感覚を療法的に用いる特殊なアプローチ。


ーーーーーーーーーーーーー



 「ふーん…それでイオリとあー…ニーナはお互いに性犯罪の被害者で手紙を交換するようになったのか」


 ゆっくりと頷くと、カゴメは紅茶を差し出した。慎重な手つきで受け取り、マグカップから放たれる熱気に全身がほだされてしまった。


 「イオリじゃなくてサリーね…」


 「誰だよサリー?」とカゴメは左眉を吊り上げて聞き返した。


 「僕の仮の名前。イオリじゃなくてサリー…」


 「あぁなるほど。ニックネームで性犯罪被害者同士…お手紙交換するのね?」


 「そ」

 紅茶をすすると臓物が喜びを表現するが如く活発になった。


 「手紙に何書くんだよ」


 「ポテチ食べるのを我慢する方法とか、バチバチに被害にあった話とか」


 手紙の内容を思い出して胸がゆっくりと痛くなる。


 「ポテチを我慢する方法は気になるね」


 「今度教えてあげるよ」


 「あれ2人が被害に遭ったの何歳の時?」

 

 「13」


「若いねぇ」


 「でしょ」


 「んで匿名でのやり取りが原則なのに…なんでイオリはニーナが天野聖だって分かったんだい?」


 カゴメはニヤニヤしながら、天野ヒジリのインタビュー写真をヒラヒラさせた。


 「ルール違反…」とひとこと言って、カゴメから写真を回収した。


 「おい…ここま」と言いかけたカゴメに被せるように


 「ニーナがルール違反をしたんだ」


 今度は自分が天野ヒジリの写真をヒラヒラとさせた。


 「5回くらい手紙のラリーをしたあとだったかな」


 「うん」


 「ニーナが手紙にこう書いてきたんだ」


「 『来週の日曜日のお昼12時。

 渋谷のスクランブル交差点に行くから』って」


 おそらく一字一句間違えなく言えた。

 手紙はこの場に無いが、自分が書いた言葉もニーナが書いた言葉も全部覚えている。



 「手紙って心理士が検閲するんだろ?」


 「もちろん…なんなら心理士と相談しながら手紙を書くよ」


 「じゃあ」


 「ニーナについてた心理士は油断したんだろうね」


 紅茶の量が減っていることに気づいたカゴメは、すかさずお湯を追加してくれた。


 「ま、もちろんそんな事書かれてたら会いに行くよな?」とカゴメはニンマリ笑って言った。


 その笑顔に釣られて自分も笑ってしまった。

 「もちろん…会いに行ったよ。現実で自分と同じ性犯罪被害者に会えるんだ。年も同じ。会いに行かない訳がない」



 「それで…」とカゴメは話の先を急いだ。


 分かってる。ここまできたら最後まで言うんだ。自分はゆっくりと息を吐いた。



 「会いに行ったんだ」



 そう会いに行ったんだ。天野ヒジリじゃなくニーナに。同じ性犯罪被害者に。会いに…。



 「今と同じような服装で…」


 ドクンと心臓が跳ね上がる。さっきまで止まりかけていたのが嘘みたいだ。


 カゴメは「お?」と言って黙った。事の顛末に気付いたみたいだ。


 そんなカゴメの様子を見てベッドから立ち上がり、シワのついた制服のスカートを伸ばすように自分の尻を撫でた。


 「女装して会いに行った」


 そう言い切った途端全身の血液が巡った。ロングヘアのカツラは蒸れたので勢いよく取った。


 窓からは制服を着た短髪の男が映し出された。


 「性被害は…女が遭うものだろ…」

 そう言うと目の膜に水が張ったのが分かった。そんなことないってカゴメが言ってくれるのを待っていたからだ。


 「そんなことはない」

 カゴメもポニーテールを解きカツラを外した。


 今回の学校祭、僕たちのクラスはステージ発表だった。中性的な顔をした僕とカゴメくんは Wセンターで乃木坂の曲を踊らされた。


 女装した自分はあの時と同じように、弱く情けなく奪われるに相応しい見た目だった。


 「それでニーナに会いに行ったんだろ?」

 カゴメは優しい顔で僕に聞いた。それが後ろめたくて苦しかった。


 「逃げたんだ…」


 「え?」

 

 「その日…渋谷まで行って僕は逃げたんだ」


 もう溢れる涙にかまっている余裕など無かった。


 「男だから。いくら女装しても男だから。手紙で女のフリはできても、声変わりは始まっていた。つまり分かるか?奪う側の男とニーナは手紙を交換してたんだ。本来はレイプする側の方と。そんなの失望するだろ」


 「もう」

 そう言ってカゴメは後ろから僕のことを抱きしめた。やっぱりカゴメからは冬の蜜柑の香りがした。


 「いいよ。もういいよ。イオリ。話してくれてありがとう」


 そう言ってカゴメは僕の首筋にキスをした。


 その日は初めて僕のベッドでカゴメと一緒に寝た。


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